ユダヤ問題のポイント(近・現代編) ― 外伝90 ― オレンジ革命

 今も戦闘中とされるウクライナ戦争、ウクライナ地域のロシアとの戦闘はハザール・カガン国とロシアの戦争まで遡りますが、近年では、オレンジ革命 ➡︎ マイダン革命 ➡︎ ウクライナ戦争、との流れです。オレンジ革命を画策指導した同じ人物や近親者が、マイダン革命、ウクライナ戦争に深く関与していますから、これは明白なものです。その認識の上で2023年5月17日のNHKニュースの以下を見てください。
イギリスのスナク首相とオランダのルッテ首相は16日、アイスランドで開かれたヨーロッパ評議会の会合にあわせて会談し、ウクライナへの戦闘機の調達などを支援する「国際的な連合」の構築に向けて取り組むことで合意しました。

イギリスの首相官邸によりますと、この枠組みではパイロットの訓練からウクライナ側が求めているF16戦闘機の調達まで幅広く支援するということです。オランダはF16戦闘機を保有する国の一つです。
 本文で示しますが、オレンジ革命を画策した人物として名前が上がるのは、資金提供者としてジョージ・ソロス、革命運動の指揮者として2008年米大統領選共和党候補だったジョン・マケイン、そしてジョン・マケインの外交政策顧問を務めたネオコンのロバート・ケーガンなどです。
 ジョージ・ソロスのバックにはロスチャイルド家、ネオコンの背後にはデイヴィッド・ロックフェラーがあり、彼らもオレンジ革命の首謀者に数えられます。
 ただしそれ以外に上のNHKニュースを参考にすれば、英王室もそうですが、オランダのオレンジ家がオレンジ革命の首謀者だったことが推し量れます。1600年代を通して英国が悪魔崇拝者に乗っ取られるのを外伝の初期に見ましたが、その原型が完成したのがオレンジ公ウィリアム[3世]が英国王になることによってでした。ウィリアム3世が英国王になった直後に中央銀行イングランド銀行が設立され、国家はその中央銀行の下に組み置かれたのでした。
 それを踏まえて上のNHKニュースを見ると、オレンジ家がオレンジ革命以降ずっとウクライナ工作のバックにいたことが見て取れます。多分、オレンジ革命の真の首謀者第1は、オレンジ家に思えます。彼らは仲間内では分かるように自分の功績を誇示するのです。オレンジ革命でオレンジがシンボルカラーとなったのは、オレンジ家の意向でしょう。

サッカーオランダ代表
(seiryuu)
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ユダヤ問題のポイント(近・現代編) ― 外伝90 ― オレンジ革命

オレンジカラーの革命


イラク戦争開始の翌年2004年に、ウクライナで大統領選が行われました。与党代表で首相のヴィクトル・ヤヌコーヴィチと、野党代表で前首相(当時)のヴィクトル・ユシチェンコの激しい一騎討ちとなっていたのが、このウクライナ大統領選でした。当時西側のメディアでは、ロシアに支持されたヤヌコーヴィチを『悪』『独裁』『反欧米』とみなし、欧州帰属を訴える対立候補のユシチェンコを『正義』『民主派』とみなす傾向が強くありました。

大統領選は11月の開票の結果、ロシアが支持するヴィクトル・ヤヌコーヴィチがウクライナ大統領に選出されます。しかしその直後から、ヴィクトル・ユシチェンコ側支持層は「不正選挙だ。」と大騒ぎ、不正の解明と再選挙を求め、ゼネラル・ストライキ、座り込み、デモ、大規模な政治集会を行います。若者を中心としたこの大規模抗議運動は、マスメディアを通じて世界各国に報道され注目を浴び、同年12月末にはとうとう再選挙が行われ、今度はユシチェンコが大統領に選出されました。

この一連の騒ぎは、街頭でデモなど抗議運動を行った若者たちが揃ってオレンジをシンボルカラーとして、リボンや旗、マフラーなどオレンジ色の物を使用したことからオレンジ革命と呼ばれます。


このオレンジ革命を、西側メディアでは「ウクライナの」とも報道しますが、このオレンジ革命は米国の他国干渉で当時に巻き上がっていた「カラー革命」の一つとされます。『人民網 日本語版』2022年07月21日記事には以下の記載がされています。

冷戦終結後、米国はみだりに干渉主義を推し進め、頻繁に「カラー革命」を策動した。2003年末には、グルジア(ジョージア)のシェワルナゼ大統領(当時)を、議会選挙の「不正集計」を理由に辞任に追い込み、反シェワルナゼ派の指導者サアカシュヴィリ氏の大統領就任を支援した。これがいわゆる「バラ革命」。2004年10月には、ウクライナの大統領選でいわゆる「不正」スキャンダルをでっち上げ、ウクライナの若者の街頭デモを扇動し、ユシチェンコ氏の大統領就任を支援した。これがいわゆる「オレンジ革命」。そして2005年3月には、キルギスの議会選挙において選挙結果に対する反体制派の抗議活動を扇動し、最終的に騒乱を引き起こし、アカエフ大統領を逃亡と辞任に追い込んだ。これがいわゆる「チューリップ革命」だ。

オレンジ革命を含むカラー革命の背後では、英米を中心に巣食うパワー・エリートたちの画策があったのは明白で、ウィキペディアの「カラー革命」記事の中には次のようにもあります。

運動の背後ではジョージ・ソロスの主宰する「ソロス財団」が関与するなど“独裁・圧政的な政権”ないしは、資源利権を外国資本へ売り渡さない“民族主義的な政権”に対する“民主化ドミノ”(=政治体制親米化)を起こさせたいアメリカ合衆国国務省やCIAの存在が繰り返し指摘されている。


カラー革命の構図


カラー革命はパワー・エリートたちが仕掛けたもので、アフガン侵攻やイラク戦争など同様に、最終的にはハルマゲドン計画につなげるものですが、同時に特に東欧カラー革命は、「プーチンのロシアの弱体化と打倒」がその主たる目的です。特に打倒ロシアで彼らが重視していたのが、ロシアと古くからの因縁がある元はハザール・カガン国の地であったウクライナのオレンジ革命になるでしょう。



『HOTNEWS 世界の真相』2020-11-15記事では、東欧カラー革命を、

国際金融資本がそのマネーでメディアを傘下に置き、NGO支援で群衆を扇動して独裁者を打倒。政権交代の大義名分は「不正選挙」「民主主義」というのが これまでのパターン。

と整理していて、これはこの通りでしょう。

オレンジ革命を含むカラー革命に資金提供していたのは、上で見たようにジョージ・ソロスでした。そしてジョージ・ソロスのバックにはロスチャイルド家がいます。


また革命を支援したNGOについては、ウィキペディア「カラー革命」記事にて、

オレンジ革命はジョン・マケインが幹部を務めた同名NGOが、背後で糸を引いていた事が確認されている。

とある通りです。

ジョン・マケイン
Wikimedia Commons
[Public Domain]
ロバート・ケーガン
ビクトリア・ヌランド
Wikimedia Commons
[Public Domain]

また、このジョン・マケインの戦略パートナーだったのがロバート・ケーガンでした。ロバート・ケーガンはネオコンの代表的な論客とされていて、彼の妻こそがビクトリア・ヌランドです。ヌランドの父方の祖父は移民ウクライナ系のユダヤ人、つまりハザール・ユダヤ人です。オレンジ革命が現在のウクライナ戦争にそのまま繋がっているのが分かると思います。

オレンジ革命は、ジョージ・ソロスの資金提供、ネオコンのジョン・マケインやロバート・ケーガンが直接的に指揮をとり、若者を中心とした政治組織が親ロ派の政権打倒に運動をしたという構図になります。パワー・エリートの代理人が現地の若者組織を用いて政権転覆させるこの構図はカラー革命全般にも当てはまり、親ロ政権打倒に動いた若者政治組織について、ウィキペディアの「カラー革命」記事では以下のようにある通りです。

バラ革命では市民抵抗運動団体のクマラ(グルジア語で「もうたくさんだ!」の意)が中心」、「オレンジ革命では青年団体ポラ(ウクライナ語で「今こそ!」の意)が中心となって活動」、チューリップ革命では「青年抗議運動団体ケルケル(キルギス語で「素晴らしさの復興と輝き」の意)が中心となった。

こういった青年組織の中心人物は、学生時代から奨学金制度などでパワー・エリートを信奉し、忠誠を誓う洗脳教育を受けていたでしょう。パワー・エリートたちは、狙う国家の青年たちを手駒としてその内部に送り込み、彼らを「愛国者」として装わせるのです。そうやって愛国者の「成りすまし」で内部から腐らせ、「乗っ取る」手法がパワー・エリートの常套手段となります。



オレンジ革命のその後


オレンジ革命でウクライナ大統領となったヴィクトル・ユシチェンコは、ユーリヤ・ティモシェンコを首相代行に指名し、ユーリヤ・ティモシェンコがウクライナ首相に就任しました。ティモシェンコは「ガスの王女」と通称される天然ガス事業のオリガルヒに成り上った女性で、その後政治家に転身し、ウクライナ大統領選挙ではユシチェンコに協力し、政権交代の成功に貢献したのでした。

ティモシェンコは、「オレンジ革命を報じた各国のメディアはティモシェンコを『オレンジ革命のジャンヌ・ダルク』と比喩した。」(ウィキペディア「ユーリヤ・ティモシェンコ」)存在でした。しかしこのユシチェンコ政権は…以下の結果になっています。

成立直後から盟友であったはずのティモシェンコとの対立が報じられるなど政権内部の抗争が相次いだ。結果、革命を支持した民衆も離反し、最終的に支持率が一桁に落ち込む。その結果として、2010年のウクライナ大統領選挙では、一度は「革命」によって大統領になり損なったヤヌコーヴィチがウクライナ大統領に就任するという、皮肉な事態を招くこととなった。
(ウィキペディア「オレンジ革命」)

このような結果になった最大の理由は2006年1月20日の「田中宇の国際ニュース解説」の中に記載されています。以下です。

冷戦後のウクライナ政界には、ロシアや他の旧ソ連諸国と同様、社会主義から資本主義に転換する過程で、民営化された国有企業を私物化して儲け、巨万の富を蓄えた後、利権をさらに獲得するため、その財力を使って政界に参入した政治家が多い。ユーシェンコ政権の高官になった人々も、例外ではなかった。彼らは新しい地位を利用して私腹を肥やし始め、やがて内部の権力闘争に発展した。新政権発足から8カ月後の05年9月に内紛が表面化し、ユーシェンコは内閣を総辞職させた。

ウクライナの政権高官たちは、私腹を肥やすのが目的で高官の座についたのであり、西側パワー・エリートとパートナーになったのも私腹を肥やすのが目的だったということです。彼らには国家をどうしようかとの展望戦略、ましてや哲学など皆無で、「得になるのであればどちらでも、誰にでもつく」ということだったのです。それで彼らの中で権力闘争が発展したのです。

このウクライナ高官と日本の現在のほぼ全ての政治家も同種でしょう。




Writer

seiryuu様プロフィール

seiryuu

・兵庫県出身在住
・いちおう浄土真宗の住職
・体癖はたぶん7-2。(自分の体癖判定が最も難しかった。)
・基本、暇人。(したくないことはしない。)
・特徴、酒飲み。アルコールには強い。
・歯が32本全て生えそろっている(親不知全て)原始人並み。

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