ぴょんぴょんの「ほんのささやかなこと」 ~個人の幸福と共同体の正義が対立するとき、人はどのように振る舞えばいいのか?

あれ? ネット書店の買い物かごに、本が一冊、入ったままになってる。
ほんのささやかなこと」という本だけど、なんで、いつ、買い物かごに入れたか、思い出せない。
はて、買うべきか、削除すべきか?
そんなあいまいな気持ちでポチった本ですが、買って良かった。
何度も読み返して、自分の良心を呼び覚ましたくなる本でした。
後半はネタバレですので、ご注意ください。
(ぴょんぴょん)
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ぴょんぴょんの「ほんのささやかなこと」 ~個人の幸福と共同体の正義が対立するとき、人はどのように振る舞えばいいのか?

ニューヨーク・タイムズの「21世紀の100冊」に選ばれた本著



この本、どうだった?

字が大きくて、漢字が少なくて、長すぎないのがいい。

そして、翻訳だけど読みやすいね。

しかし、中身は濃い。「ほんのささやかなこと」なのに、胸にズシンと来たぞ。

実はこの本、ニューヨーク・タイムズの「21世紀の100冊」に選ばれていて、英国の「オーウェル政治小説賞」も受賞してるんだよ。(HAYAKAWA BOOKS)

政治小説? いや、それ以上かも?


マグダレン洗濯所とマグダラのマリア


この本の中心軸は、「マグダレン洗濯所」だね。

アイルランドのマグダレン洗濯所は、主にローマ・カトリック教会の修道会によって運営された施設であり、18世紀から20世紀後半にかけて活動した。表向きは「堕落した女性」を収容する目的で運営され、アイルランドでは推定3万人がこれらの施設に閉じ込められた。

Wikimedia_Commons[Public Domain]


こんなのがあったなんて、全く知らんかった。

ちなみに「マグダレン」て名称、なんでついたか、知ってる?

地名だろ?

いや、マグダラのマリアのことだよ。

Wikimedia_Commons[Public Domain]

そうか! 新約聖書のマグダラのマリアは娼婦、「堕落した女性」だった。竹下先生の映像配信では、娼婦は娼婦でも、神殿娼婦だったが。

「ヨハネによる福音書 8−7」に、こんな場面がある。民衆がマリアに石を投げた時、イエスが言った。「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい。」

有名な話だ。

以来、マリアは悔悛と懺悔の日々を送った。つまり、マグダラのマリアは、悔悛のシンボルなんだよ。

悔悛を目的とした洗濯所か。

洗濯させることによって、罪を洗い流すという意味もある。本には、日の出から日暮れまで、不良娘たちが汚れたシーツの染みを洗い落とすことで罪を贖(あがな)っていると書いてある。(ほんのささやかなこと 51p )


マグダレン洗濯所の実態


で、娘たちは、どんな罪を犯したんだ?

未婚の母だよ。アイルランドは厳格なカトリックだから、人工中絶が許されない。しかも、未婚の母は恥とされ、社会から隠されて、生まれた子どもも闇から闇へと葬られた。(孤帆の遠影碧空に尽き)

子どもたちは、里子に出されたり、養子縁組されたり、産業学校へ送られた。ワクチン試験に強制的に参加させられた子どももいた。1922〜1996年(アイルランド最後の洗濯所が閉鎖された年)までに、1万人以上の女性と少女がマグダレン洗濯所に収容された。

ひどい話だ。人身売買じゃないか? しかし、いやしくもキリスト教、ましてや修道院が、そんなヒドいことをしたのかね?

それが、してたんだよ。本には、町の噂としてこう書いてある。

いやいや、あそこは母子収容施設みたいなもんに違いない。赤ん坊を産んだそのへんの未婚の娘を世間から隠すために送りこまれるんだ、と言い張る者もいた(アイルランドには、1922~96年に、未婚の妊娠女性などを送り込む施設が実在した)。私生児を金持ちのアメリカ人の家に養子に出すか、オーストラリアにやってしまったら、娘の家族が(娘を)そこに送り込むのさ、とか、そういう赤ん坊たちを外国に出すことで修道女たちはたんまり儲けているらしい、とか、まあ、ある種の産業だな、とか。
(ほんのささやかなこと 51〜52p )

たしかに、教会や修道院は、絶対服従、秘密厳守だからやれるだろうな。

教会や修道院だけじゃない。国や自治体もお金を出して、マグダレン洗濯所を支援していたんだ。表向きは、母子の生活費となってるけど、洗濯所で働く女性たちはタダ働き。母親も子もボロを着せられて、ろくなもの食べさせてもらえず、多くの乳幼児が栄養失調や病気で亡くなった。(Liberation Education Newsletter)

と言うことは、修道院は、国や自治体の補助金をまるまる懐に入れていたのか。

それもあるけど、補助金よりもっと儲かったのが、子どもの売買だよ。アメリカへの養子縁組に関する記録によると、最大1000人の児童が、施設から人身売買された可能性があるそうだよ。(Wikipedia)

1000人!

2013年、アイルランドのエンダ・ケニー首相は、国がマグダレン洗濯所に関与をしていたことを認めて謝罪した時、こう述べた。「国が ( マグダレン洗濯所に ) 資金を提供し、状況を完全に把握した上で、アメリカに送られた子ども一人当たり、最大3,000ドルの『頭数払い』が行われていた」と述べた。(Wikipedia)

エンダ・ケニー首相
Author:WikiPedant[CC BY]

子ども一人当たり、最大3,000ドルの『頭数払い』?!

マグダレン洗濯所はホテルや病院、省庁などの洗濯も引き受け、ますます儲かって、アイルランド中に増えて行き、未婚の母だけじゃ足りなくなった。人材を増やすために、娼婦や、レイプで妊娠した娘、家庭で虐待された娘、精神薄弱の娘なども受け入れるようになる。

娼婦? 他に稼ぐ方法を見つけてやれよ。レイプ被害? レイプしたヤツを捕まえろよ。虐待された? 家族が犯人だろ。精神薄弱? 連れて行く場所が違うだろ?

女性の立場がそれほど弱かったんだね。だけど、信じられる? 最後のマグダレン洗濯所が無くなったのは1996年だって。

つい最近まで、あったんだ。


地下室で発見された多数の遺体


ところで、今から遡ること50年の1975年、アイルランドのトゥアムという地域で、遊んでいた2人の少年がコンクリート板の下に地下室を発見した。驚いたことに、その中には子どもの骸骨がいっぱい詰め込まれていたんだけど、ここは1925〜1961年、ボン・セクール修道女会が運営した「未婚の母のための母子ホーム」があった場所だった。(Wikipedia)

トゥアムの「未婚の母のための母子ホーム」の集団墓地
Author:AugusteBlanqui[CC BY-SA]

ホラー映画だ!

当時、この遺体は、過去の大飢饉の犠牲者、洗礼を受けていない乳児、ここで死産した乳児と考えられ、詳しい調査もされずに、地下室は封鎖されたが、それから38年経った2013年、地元の歴史家キャサリン・コーレス氏が大発見をした。

大発見?

コーレス氏は、「トゥアム児童養護施設」または 「トゥアム児童ホーム」と記載された死亡証明書を集めた。するとその大半が、ボン・セクール修道会が「母子ホーム」を運営していた、1925〜1961年に死亡した乳幼児だとわかった。(Wikipedia)

ほお!

また、国が発行した死亡証明書の名前を、地元の墓地記録と照合したところ、埋葬が記録されているのは2人だけで、あとの796人はどこに埋葬されたかの記録がなかった。 (Wikipedia)

796人もの乳幼児が埋められた場所? となると、あそこが怪しい。

そう、コーレス氏も、1975年に発見された地下室というか、浄化槽に埋葬されたと考えた。この施設では、数千人の未婚の妊婦が出産したことがわかっていて、生まれた乳児らは平均より死亡率が高く、十分なケアが行われていなかった上、違法な養子縁組が行われていたことも疑われた。(Wikipedia)

証拠はあるのか?

地元住民らが、「夜遅くに、修道女や作業員が遺体を埋葬しているのを目撃した」と証言してくれた。そういう人々の後押しで、今年2025年の6月に、とうとう本格的な発掘調査が開始されたんだ。

なんと、つい最近のことだ。

今回は、796体の乳幼児・児童の遺体を全部回収して、DNA鑑定などを行う予定。全部が判明するまでは、2年くらいかかるそうだ。(Wikipedia)

うわあ〜、そこに埋葬されているのが、誰なのかわかるぞ。

ここをきっかけに、他のマグダレン洗濯所跡地でも、遺骨が発掘される。1993年、ダブリンの修道女会が、株式取引きの損失を補填するために売った洗濯所跡地から、155名の女性の無記名墓が発見された。(Wikipedia)

マグダラの座席、セント・スティーブンス・グリーン、ダブリン

修道女が株をやッてるんかい?!

2010年には、プロテスタント系産科・児童施設でも、乳児222体の遺骨を含む集団墓地が発掘された。(Wikipedia)

プロテスタントもやッてたんかい?!

この事実に、アイルランドの人々はショックを受けた。マグダレン洗濯所の実態を知らなかった、または知っても知らんふりをしてきたからだ。

言いたくても言えなかったんだろう。


何もしないではいられなかった主人公


国と教会が相手だからね。でも、「ほんのささやかなこと」の主人公、ビル・ファーロングのように、勇気を出して行動した人たちのおかげで、こうして、本格的な調査が実現したんだよ。

それが、あの本のテーマだな。

そう、本のテーマはマグダレン洗濯所じゃない。だって、ほとんどの場面は、〈寒くなりました、あと1週間でクリスマスです、家でクリスマスケーキを焼いてます、子どもたちにサンタクロースへ手紙を書かせて、クリスマスプレゼントのお願いをさせます、主人公のビルも家族を連れて、教会のミサに行きます、お世話になった人に、クリスマスの挨拶に行きます〉というクリスマスの描写ばかり。


華やかなクリスマスを背景に、あぶり出される修道院の闇。

そして、石炭配達のために修道院に入ったビルは、そこで床拭きをさせられている娘たちを目撃し、その中の一人から、ここから連れ出してくれと頼まれる。

でも、ビビってできなかったんだよな。

それがきっかけで、ビルの中になにか変化が起きて、妻とも距離ができてしまう。

妻は、面倒なことに関わりたくないのが見え見えだった。

その理由は、妻はふつうの家庭に育ったけど、ビルは未婚の母から生まれたからね。ビル母子は、寛容な雇い主のおかげで修道院に送られなかったけど、ビルは自分の父親を知りたいと思っていた。そして、凍るような寒い朝、再び修道院に石炭を届けに行くと、外からカンヌキをかけられた石炭倉庫の中に、若い未婚の母セァラが閉じ込められているのを発見。彼女が閉じ込められていたことを、修道女に報告しても冷淡な態度だった。セァラを救い出せなかったビルは、モヤモヤしてしまう。そして、クリスマスイブ、自分の父親が誰なのか、うすうすわかったビルは決心する。

たがいに助けあわずに生きてどうする? そこにある現実に勇気を奮って立ち向かうこともせず、長いこと、何十年も、下手したら一生すごしたうえで、それでもキリスト教徒を名乗り、鏡の中の自分と向きあうことなんておれにできるか?
(ほんのささやかなこと 135p )

ビルの足は、修道院の石炭置き場に向かい、閉じ込められていたセァラを救出する。そして、右手には妻へのクリスマスプレゼント、エナメルの靴の箱を抱え、左手は裸足のセァラの手を引き、クリスマスイブのわが家に向かう・・というところで、話が終わる。

実際問題、この代償は払うことになるだろうが、自分の平凡な人生のなかでこれに似た幸福感はこれまで味わったことがなかった。

最悪なことが起きるのはこれからだ、わかってる。すぐ隣で待ち受けている厄介な世界の気配をすでに感じるが、最悪の未来はもう後ろに置いてきた。起きかねなかったが、起きずに済んだことーーもしそれを見過ごしていたら、死ぬまで悔いを抱えて生きることになったはずだ。(中略)... わが家の玄関へと坂を登りながら、ファーロングはあらゆる感情を圧倒する恐れを感じつつも、おれたちならやり遂げるさ、と心のどこかで愚かしくも楽観するどころか、本気で信じているのだった。(完)
(ほんのささやかなこと 135p、136〜137p )

え?! ここで終わるのかよ?って感じだった。

でも、想像してみてよ。家族水入らずで楽しむはずのクリスマスイブに、汚らしい身なりをした、しかも堕落した女を連れて帰るとか、奥さん、ゼッタイにキレるって。

修羅場だな。ただ、ビルが妻に相談せず、独断でセァラを連れて帰った時点で、夫婦関係は終わってると思う。

娘たちの将来も心配だ。上の2人は修道院附属の名門学校に通ってる。下の2人も教会でお世話になっている。ビルにとっても修道院は大事な顧客だ。町全体も、教会や修道院に文句を言えない構造だし、修道院を敵に回したら、一家はどうなってしまうのか?

ビルのヤツ、絶対に一度は後悔するだろな。なんで、こんな面倒なことをしでかしたんだろうって。

でも、しないではおれなかったんだよ。セァラを見捨てて、家族の安泰を取れば、それはそれで後悔する。だが、家族を犠牲にしても後悔する。どっちにしても後悔するんだ。良心にしたがって行動したビルはエラい。

なんか、おれたちも、そこを問われているような気がしないか? 世間体や、現状を守るために、悪を黙認していいのか? たとえ、行動した後に修羅場が待っているとしても、真実から目をそらさず、良心にしたがって行動できるかと?

そうだね。訳者はあとがきにこう書いている。

個人の幸福と共同体の正義が対立するとき、人はどのように振る舞えばいいのか?(中略)...最終的に、この町の不正と犠牲を見てみぬ振りをしたまま、キリスト者として生きていけないとビルは結論する。自らの良心に従わず、沈黙を通して声をあげずにいるなら、個人の幸福は成り立たないと考えたのだ。
現実社会においても、マグダレン洗濯所に対しての告発があった。作中でビル・ファーロングが起こすだろう小さな反乱から、マグダレン洗濯所が閉業する1996年までおよそ10年。最後のマグダレン洗濯所の跡地から758人分の遺骨が発見され、国内外にこの実態が報じられた。そしてアイルランド政府が洗濯所の被害者たちにおそすぎる公式謝罪をするのが2013年である。
(ほんのささやかなこと 154p )

Author:David Kernan[CC BY-SA]


Writer

ぴょんぴょんDr.

ぴょんぴょん

1955年、大阪生まれ。うお座。
幼少期から学生時代を東京で過ごす。1979年東京女子医大卒業。
1985年、大分県別府市に移住。
1988年、別府市で、はくちょう会クリニックを開業。
以後26年半、主に漢方診療に携わった。
(クリニックは2014年11月末に閉院)
体癖7-3。エニアグラム4番(芸術家)


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