[シャシ・タルール博士]イギリスはインドに植民地支配の賠償をすべきか?大切なのは真摯に謝る姿勢 〜インド内外で注目のスピーチ、290万回再生〜

翻訳チームからの情報(※情報提供は竹下氏)です。
 先日、安倍首相が戦後70年談話の中で「先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」と述べました。これ、たとえば自分や家族が悲惨な交通事故の被害に遭って、加害者側から言い出されたらどう思います?「いつまで私に謝らせたら気が済むんですか。キリ無いんでもうやめるべきだと思うんですけど」って。
 本当に申し訳ないことをしてしまった、と心から反省している時に湧き上がってくる発想でしょうか。謝罪が十分かどうかを加害者が一方的に決めること自体が相手をバカにしています。それまでの謝罪も単なる演技だったのかと疑いたくなります。
 海の向こう側では、とあるインドの政治家が、「イギリスはかつての植民地に対して損害賠償すべきか」という議題で見事なスピーチを披露し、インド内外で注目を集めています。シャシ・タルール博士はインドの著名な作家かつ国会議員(野党のインド国民会議派所属、ケーララ州選出)で、議員になる前は長年国連で働き、国連事務総長の有力候補にもなった人物です。
 日本の極右派は、証言証拠を無視して、従軍慰安婦や南京大虐殺は存在しなかったと主張しています。実際にどうお金を払うかはともかく、まずは都合の悪いことにもしっかりと耳を傾けるというのが成熟した社会のあり方なのではないでしょうか。
Yutika(翻訳者)

注)以下、文中の赤字・太字はシャンティ・フーラによるものです。

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イギリスはインドに植民地支配の賠償をすべきか?大切なのは真摯に謝る姿勢
動画の翻訳に解説文追加)

解説
今年5月28日にイギリスのオックスフォード大学にある伝統的かつ有名な弁論クラブ、オックスフォード・ユニオンで開催された討論会の様子です。

「イギリスはかつての植民地に対して賠償すべきである」という議題について、賛成派と反対派に分かれて意見をぶつける、という形式でした。ゲストスピーカー6名の内、反対派はアメリカとイギリスの政治家1名と歴史家2名、賛成派は旧植民地を代表して3か国、ガーナ、ジャマイカ、インドの政治家や知識人です。

事前にアップされたユニオンの告知ページでは、イギリス国内の政治家のここ数年の言動を例に挙げ、問題提起しています:

    近年、ケニヤのマウマウ団の乱の生存者からカリブ諸国の奴隷の子孫に至るまで、かつての植民地が我々に対し、何世紀にも及ぶ権利乱用に損害賠償を求めるようになりました。デーヴィッド・キャメロン【首相】はアムリットサル事件に対する発言で、物議をかもしました【※現地で「真に遺憾な出来事」とは形容したものの、謝罪まではしなかったことを自ら正当化した】。ウィリアム・ヘイグ【前外務大臣】は、旧植民地国家の独立後に巻き起こった罪悪感は不要だと断言しました【※英国はもはや帝国支配への低姿勢を捨てて、かつての植民地と“対等"に付き合うべきであるとコメントした】。ケン・リヴィングストン【元大ロンドン市長】は奴隷貿易におけるロンドンの役割について、心からのお詫びを表明しました。果たしてイギリスの政治家は、言葉以上の責任を負っているのでしょうか?


そして以下が、このテーマに賛成派のシャシ・タルール博士のスピーチです

タルール博士:議長(一礼)、そして、お集まりくださった紳士淑女の皆様方、今こうして、8分の持ち時間を与えられ、この荘厳かつ相当立派な施設の中に立っておりますと…実はヘンリー八世の演説学校にでも所属していると申し上げるつもりだったのですが―――ヘンリー八世が妻達に宣言したように「長く引き止めるつもりはないぞよ」とでも言おうかと思っていたのですが―――8人の内、7番目の話し手ともなりますと、既にかなり晩くなってまいりましたから、それよりはヘンリー八世の最後の妻のような心境になりつつあります。自分が何を期待されているのかは何となく分かっているけれども、さりとて前の方達と違うように出来るかは自信が無い、といったところです。

【※ヘンリー八世は、6人の女性を次々と強引に離婚したり処刑したりして妻にしていったので、結婚が長続きしなかった。離婚ご法度のカトリック教徒だったので、独自に英国国教会を設立したという、(良くも)悪くも英国史上とっても有名な国王。
“演説学校"はジョークで、実在する学校ではない。要するに、「もう時間も押してることだし、早く終わって欲しいと皆さん感じているのでしょうね」と前フリをしている。】

おそらく私がすべきことは、本日の反対派が進めてきた議論の内容に耳を傾けてみることではないでしょうか。たとえば、リチャード・オッタウェイ卿【保守党の元イギリス国会議員】が示唆し、そして異議を唱えられた内容ですが、イギリス植民地支配によって植民地の経済状況が実は悪化したのだという発想自体が疑問だという点です。

ではリチャード卿、インドの例をお教えしましょう。イギリスがやって来た当初のインドは、世界経済の23パーセントを占めておりました。そしてイギリスが立ち去った頃には、4パーセント以下まで落ち込みました。なぜでしょう?単純に、インドがイギリスの国益のために支配され続けたからです。

200年に及ぶ大英帝国の繁栄は、インドにおける略奪行為がその資金源でした。実のところ、イギリスの産業革命とはインドの非・産業化を前提としたものなのです。

たとえば【インドの】手織り職人は世界的に有名で、その作品は世界中に輸出されていたところ、イギリスがやって来ました。機織り職人の作る高級モスリンはそれは軽くて、「織られた空気」とまで形容されるほどでした。そしてイギリスがやって来たのです。職人達の腕をへし折り、織り機を壊し、彼らの着ている物や作った物に税金と関税を押し付け、さらには彼らの原材料をインドから取り上げて、工場で生地を大量生産してから【インドに】戻し【て売りつけ】、その他のヴィクトリア朝のダークで悪魔主義的な製造工場の商品と共に世界の市場を溢れさせたのです。

これはインドの機織り職人達が物乞いになることを意味し、インドという国が精製生地分野において世界有数の輸出国から輸入国の1つに過ぎなくなったことを意味しました。世界貿易の27パーセントを占めていたのが、2パーセント以下となったのです。


一方でロバート・クライヴのような植民地主義者は、自分達がインドから奪ったルート(戦利品)を元手に、イギリスの腐敗選挙区を金で買っていました【つまり、金でイギリス本土の国会議員になった】。ちなみに彼らはルートというヒンディー語が意味する行為を習慣としただけでなく、この単語自体も自分達の辞書に頂戴したのです。

そのくせイギリス人は厚かましくも、彼があたかもかの国に属しているかのごとく「インドのクライヴ」とまで呼んでみせたのです。現実には、彼の方がかの国の大半を【無理矢理】自分に属するようにさせていたというのに。

19世紀の終わりには、インドは大英帝国最大のドル箱となっていました。イギリス製の商品や輸出品に関して世界最大の購入者であり、イギリス人【植民地】官僚の高い給料の支払い元になったのですから。自分達に課された圧政に、我々は文字通り、自ら財源を提供していたのです。

そしてご指摘があった通り、奴隷貿易で財を成したご立派なヴィクトリア朝イギリス家庭は、19世紀イギリスの富裕エリート階層の5分の1を占めますが、海を渡らされた3百万のアフリカ人の輸出で富を築いていたのです。結局、1833年に奴隷貿易が廃止された時に何が起こったかというとですね、2千万ポンドの賠償金が支払われました。奴隷貿易で命を落とした者や、苦しんだ者、抑圧された者に対してではありません。【貿易廃止になったせいで】損をした【金持ち】連中に、です。

私は、こちらのユニオンのWi-Fiのパスワードが【ヴィクトリア朝時代のイギリス首相】グラッドストン氏を記念したものだということに、衝撃を受けました。偉大なる自由党の英雄ですよね。そして大変残念なことに、当時の賠償金で潤った家の1つでもあります。

インドの話に戻しましょう。15~29百万のインド人が、イギリスが引き起こした幾度もの飢饉によって死亡しました。最も有名な例としては、もちろん、第二次世界大戦中に4百万人が亡くなったベンガル大飢饉があります。文書にも記載されていますが、ウィンストン・チャーチルが軍事上の理由から故意に、ベンガルの一般市民への最低限の供給とすべきものを、屈強な腹【※「屈強なギリシャ人」の言い間違いか】とヨーロッパ人の食糧備蓄としたせいで、引き起こされました。

彼は「日頃からまともに餌を与えられていないベンガル人の饑餓ごときなぞ、【同じく飢饉に苦しんでいるナチ占領下の】屈強なギリシャ人のそれより、大したことではない」と言い放ったのです。チャーチル本人の発言です。良心の呵責に耐えかねた【現地の】イギリス人高官達がこの決定で人々は次々死んで行っていると手紙で指摘すると、イラついた彼は書類の余白に「【そんなに沢山死んでいるというのなら】何故ガンディーはまだくたばってないのだ?」と書き込んでみせたのです。

ですから、イギリスの植民地経営というのは、未開の者共に植民地政策の恩恵と文明をもたらすための啓蒙的専制主義の試みであった、というご主張の全てを考慮してもですね、残念ながらこう言わざるをえません。1943年にチャーチルがとった言動は、そのようなおとぎ話を暴くあまたの光のたった1例でしかない、と。

反対派の他の論者がおっしゃったように、植民地時代に実際に起こったのは、暴力と差別でした。大英帝国に決して日が沈まないと言われたのも当然ですよね、神ですら暗闇ではイギリス人を信用できなかったでしょうから。

【※「太陽の沈まない国」とは、本来は大英帝国の繁栄ぶりと、植民地を含めたその広大な支配領域を賞賛することばとして使われる。】

最初に発言されたリー氏が数値化はできないとおっしゃられていたので、第一次世界大戦の非常に具体的な例を見てみましょう。第一次世界大戦を数値化してお見せして差し上げます。お断りしておきますが、インド人からの視点となることをお許しください。他の方々が別の国の事例は話されていらっしゃいますからね。

この戦争で戦ったイギリス軍全体の6分の1はインド人でした。54,000のインド人が戦死し、65,000のインド人が負傷し、さらに4,000名が行方不明となるか、捕虜となりました。インドの納税者は当時のお金で1億ポンドも捻出させられています。1700万発の弾薬、60万挺のライフルと自動銃を提供し、4200万着の制服を縫ってはインドから送り届け、130万のインド人がこの戦争に従事しました。なぜ私がこういった事実を知っているのかというと、つい先日、この百周年記念が行われたばかりだからです。

しかしそれだけではありません。17万3千頭の動物や、3億7千万トンもの備蓄を提供させられました。最終的にインドから奪いとられたものが合算して幾らになるかと言いますと…ちなみにインドは当時不景気と貧困と饑餓にあえいでおりましたが…今のお金に換算して80億ポンドとなります。数値化しろとおっしゃるなら、この様に十分可能です。

第二次世界大戦はこれをさらに上回るものでした。2500万のインド人が従軍したのです。耳を疑いたくなる話ですが、1945年当時のお金で30億ポンドあったイギリスの戦争債務の内、12.5億ポンドはインドに対する借金でした。しかも、未だに返済されてはおりません。

他の方がスコットランドに言及されていましたね。実のところ、植民地支配はスコットランドとあなた方イギリスの絆を深めたのですよ。ご存じの通り、1707年より以前のスコットランドは植民地に繰り出そうとしましたが、残念ながら、ことごとく叶いませんでした。

【※イギリスが航海法を制定して、スコットランドの船を植民地の港から締め出し、貿易を独占していた。また、新たな物流ルートを確保すべく、独自に東インド会社を模倣したダリエン計画を画策するものの、失敗して更なる財政難に追い詰められていた。】

ですが、その後の【イギリスとの】連合によってインドへ渡ることが可能となり、スコットランド人の不釣り合いなほど大量の雇用が生まれたという訣です。【帝国主義が専門の歴史学教授】マッケンジー氏が話す順番が私の後で申し訳ないのですが、スコットランド人はかの地の植民地経営に兵士として、商売人として、事務官として、雇用人として関わることになり、彼らがインドから得た報酬がスコットランドに富をもたらしたのです。スコットランドを貧困から救ったのです。

今やインドがいてくれませんからね、【イギリスとスコットランドの】絆がほどけかけているのも無理もないことです。

【※現在のスコットランドは、イギリスからの独立を望む声が高まっている。】

反対派からは別のご意見もありました。鉄道に関してです。まず第一に、ジャマイカ高等弁務官のわが同志【つまり賛成派】が【本日既に】指摘されていることですが、鉄道や道路はイギリスの利益に沿うべく建設されたのであって、地元の人々のためではありません。付け加えますと、そもそも多くの国々は植民地化されずとも鉄道も道路も建設できています。

鉄道は、イギリスへ輸出する原材料を後背地から港へと運ぶために計画されたものでした。インド人やジャマイカ人や他の植民地の人々の利益は偶然の産物です。交通手段にもなった?交通手段としての需要と供給を合致させようとする試みなぞ皆無でした。

それどころか、インドの鉄道建設はイギリス政府によってイギリス人投資家達に破格の好条件が付けられ、しかもそれがインド人の税金によって保証されるという始末でした。
途方もない額の配当を支払うために、インドの鉄道の建設代金は、カナダやオーストラリアで作られた鉄道と比較すると1マイルあたりで2倍もかかったのです。

全ての利潤はイギリスが吸い上げ、技術を囲い込み、設備も自分達で揃え、一分の隙もなしに私的企業の、つまりイギリスの私的企業のものとしました。公的負担、インド人の公的負担の上に、です。それこそが鉄道のもたらした成果でした。

【※実質イギリス政府が裏にいるのですが、一応は「東インド会社」という商事会社がインドを統治していました。】

それから支援金という点ですが、確かこれもリチャード・オッタウェイ卿が言及されていましたでしょうか、イギリスによるインドへの海外援助がどうのと。ではお教えしましょう、イギリスからインドに与えられた援助はインドのGDPで約0.4%に相当します。インド政府は肥やしの補助にだってましな額を支出しておりまして、ま、この点は適切な喩えなのかもしれません。

さらに指摘しますと、賛成派の皆さんが既に述べられていることですが、人種差別の暴行、略奪、虐殺、流血、交通インフラの話に加えてインドではムガール帝国の皇帝ですら犠牲になりました。確かに今日のイギリス人がこういった賠償の全てを負う必要はないのかもしれません。しかしその同じ口で海外援助について鼻高々と語るのであれば…ソマリアで人々が饑餓にあえぐのはあなた方の責任では無くても、彼らを援助していますよね。であれば、間違った行いに対して賠償するという発想も考慮されてしかるべきなのではないでしょうか。

カリブ諸国におけるアフリカ人の非人間化という例が紹介されました。そこで起こった深刻な心理的ダメージ、社会の伝統、私有財産権、共同体の権力構造などの取り崩し、これら全てイギリスの植民地支配の利益追求のためになされことです。カリブの国々が今現在抱えている多くの問題、人種的、部族的、宗教的対立の絶え間ない継続さらに一部の新たな作出は、植民地支配の直接的な結果なのです。ですから、道義的にも支払うべき責めを負っていると言えるでしょう。

どなたかは、他の国を引き合いに出して賠償問題を否定しようとしていました。ですが残念なことに、ドイツはイスラエルにだけ賠償金を支払ったわけではないのですよ。ポーランドにも支払っています。本日話された方々の何名かはお若すぎて、ドイツのヴィリー・ブラント首相が1970年にワルシャワのゲットーで跪いた衝撃的な写真を覚えていらっしゃらないのかもしれませんねぇ。

【※ちなみに6人のゲストスピーカーは全員、それなりの年齢。とくに賠償金反対派は皆さん、どー見てもお爺ちゃん。】

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他の例も挙げてみましょうか。イタリアがリビアに賠償した件、日本が韓国に、さらにはイギリス自身でさえ、ニュージーランドのマオリ族に賠償金を支払っています。ですから前例がないとか、聞いたことがないといった話ではありませんし、今更パンドラの箱が開かれてとんでもないことになるなんて話でもありません。

ルイス教授がテキサスご出身だとおっしゃったのにも理由があったのですね。テキサスには反対派の主張を体現してくれる素晴らしい言い回しがありましたっけ、「帽子ばかりで家畜なし」だとか。

【※カウボーイの帽子を被ってはいても、家畜がない、つまり本物のカウボーイではない。口先だけで、実際の行動を伴わない、という言い回し。要するに張子の虎、見かけ倒し。】

反対派の方達が話していた際に書き取っておいた他のメモをざっと見させて頂きますと、民主主義や法の支配に対する言及もございました。最大限の尊敬の念を込めて言わせて頂きますが、いくらなんでも…あのですね、200年もの間、人々を抑圧して、隷属化して、殺害して、不具にして、拷問しておいてですよ?やっと最後に民主主義になれて良かったじゃないかと祝うだなんて、あまりにも馬鹿にしています。

我々は民主主義を否定されたからこそ、あなた方からそれを奪い、掴まないといけなかったのです。インドの場合で言えば、150年ものイギリス支配の末に已む無く、それも制限された範囲で、そうさせられたのです。

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女性:一言申し上げても?

博士:もちろんですよ、お嬢さん。

女性反対派の人たちはギリシャやアテネの民主主義を大変高く評価していました。西洋社会が誇るべきものだと。そして自由と平等についても同じように語っていました。【ですが】アテネの民主主義が機能できたのは、奴隷社会が支えていたからこそです。植民地支配と同じからくりです。

博士そうですね、私からそれに対して反論する点など1つも見当たりません。

では、何人かの方々、とくに1番最初に話されたリー氏が述べられた他の論点についてもう少し言及させて頂きますと、植民地支配での全ての邪悪な残虐行為を不承不承認めつつも、基本的には賠償が意味がないとの主張だったと思います。本当に被害にあった人々を助けるわけではないとか、単なるプロパガンダの道具にされるだけだとか、ムガベ氏のような人間を勢いづかせてしまうとか。【イギリスの方々には】失礼ながら、かつてカリブ諸国の人々は子供に言う事をきかせるため、寝かしつけるため、「サー・フランシス・ドレークがやって来るぞ」と脅したそうです。【それだけドレークの所業が恐ろしかったという】当時のなごりでしょうね。今や「ムガベがやってくるぞ」というわけです。サー・フランシス・ドレークの現代版というわけです。

【※ムガベは、イギリスの元植民地であるジンバブエの大統領。西洋社会では、白人の土地を奪った独裁者として糺弾されている。スペインの無敵艦隊を破ったドレークは、イギリス人にとっては英雄(海軍提督)、他国にとっては残虐な海賊船船長。】

本当は単純な話なのです。賠償とは、特定の人物に権力を与える手段ではありません。過去の間違った行為に対して、罪を償うすべなのです。

苦しんできた人々の様々な思いに値段を付けるなど不可能だというご意見にも、言わせて頂きたい。確かに、どなたかがご指摘されたように、どれだけ金を積んでも愛する者を失った悲しみは癒されません。正確な被害額を把握するのは不可能です。しかし大切なのは、そうしようとする姿勢なのです。

双方ともに犠牲を味わったではないか、などと軽々しく語るというのは、喩えで申しますと、泥棒があなたのご自宅に入り込み、あちこちあさりまくり、どこかにつま先をぶつけたからといって、泥棒側も被害に遭ったじゃないか、と言うようなものです。
そんな議論が通用するとお思いでしょうか。

実のところ、本日の我々の論点は、支払われるべき莫大な額のお金そのものについてではありません。誰に支払われるべきかとか、幾ら支払うべきかといった子細な点ではなく、イギリス人はそもそも賠償の責めを負っているのかどうか、ということであった筈です。

私個人の意見としましては、過去の過ちを認めてただただ謝罪するという姿勢こそ、GDPの何%かの援助なぞよりも、はるかに影響力のあることだと思っています。

求められているのは、償いをすべきことをしたのだと認める姿勢ではないでしょうか。【その真摯な姿勢があるのならば、】過去200年イギリスが行ったインド支配に対して、これから先200年の間、毎年たった1ポンドの賠償金だったとしても、私としては不満はありません。

ありがとうございます、議長。

翻訳:Yutika

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