アーカイブ: *生き方

ぺりどっと通信45 いざ福井!肆(よん)

ずいぶんと間を空けてしまいましたが、前回の続きです。
(ぺりどっと)
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山口の自宅を出発して7日目に福井の友人宅に到着しました。

友人の彼は、前の職場で一緒に働いていた元同僚です。元整備士にして元大工という経歴の持ち主で、時々ぺりどっと号の整備にも相談にのってもらっています。

僕から彼にシャンティ・フーラのことをお伝えした頃、彼はアパートに住んでいたのですが、いつの間にやら田舎の一軒家で畑を持ち、ソーラーを自力で設置し、冬は薪ストーブで暖を取っていました。家の中は、ナディー・チャート 風水キットでしっかりと守られておりました。


週末には、一緒に食事に行ったりしました。二人で食べて忘れられないのは、谷口屋の油揚げ定食です。低温圧搾法で搾った太白純正胡麻油だけで揚げた、14cm×14cm×厚み4cmのジャンボおあげ。正直、おあげ何ぞには微塵も期待していなかったのですが、こんなにも美味しいものだとは思いもしませんでした。多い日には、1日1300人もの人が押し寄せるのもうなづけます。

谷口屋の「竹田の油あげ御膳」


その後もバイクでツーリングしたり、なぜか福井県が猛アピールしてる恐竜博物館に赴いたりしました。

Author:パパトモム[CC BY]
福井県恐竜博物館

建物の外観は、恐竜の卵の形をイメージしてるそうです。



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ままぴよ日記 26

 臨場感!孫たちは新しい環境で臨場感にあふれた毎日を過ごしています。子どもには良い体験を!と言われますが、孫たちは言葉もわからないクラスの中でよく頑張っていると思います。それでも「楽しい!」と言えることが凄い!言葉ではないコミュニケーションの方がずっと豊かであり、子ども達の世界では一緒に遊んでいるうちに仲良くなるという魔法のような方法があったのです。目に見える形で測れる学力、語彙力などではない基本的な安心感や信頼感で育つ非認知能力が力を発揮するのです。それはやはり愛によって育つ力です。
(かんなまま)
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「おにぎり1個だけにして!!」


「おにぎり1個だけにして!!」と、初めて登校する日の朝に泣き出した孫。「おにぎり1個だけじゃお腹すくよ。用意しているから持っていきなさい」と娘が言っても納得しません。「なぜそんなこと言うの?おにぎりが嫌なの?」と聞くと「食べ残したら絶対に怒られる!時間内に食べられない!」と大泣きです。

「わかった!先生は怒ったりしないと思うけど心配ならおにぎり1個にしよう。その方が安心なのね。お腹すいたら帰ってきてから食べればいいよ」と、私は小さなおにぎり2個のうちの1個とおかずを抜きました。

Author:脇山航[CC BY-SA]

実は昨日の夜も「時間割を聞いていない!何を用意すればいいのかわからない!」と焦って泣いたのです。「大丈夫。何も持って行かなくていいのよ。お弁当だけでいいのよ」と何度も説明して落ち着かせていたのです。

その姿を見ながら日本の学校で毎朝繰り広げていた光景を思い出しました。周りがいくら大丈夫と言っても「お母さんが大丈夫って言っても先生は、ダメ!きまりです!と言って怒る。全然大丈夫じゃなかった。嘘つき!」と信じないのです。友達が怒られているだけでも敏感に感じ取る孫です。

だから日本では毎日寝る前と朝、宿題はしたか?教科書、ノート、ドリル、筆箱、体操服、給食袋、ランチョンマット、ハンカチ、チリ紙をランドセルに入れたか?爪も切って、体温も測って(私はいつも子どもの顔を見て適当に書いていました)記入して持って行きます。ランドセルはとても重たくなります。

その上、忘れ物をしたら厳しく叱られます。それどころか忘れ物をした子に貸してあげた子も叱られていました。先生は忘れ物をしないという決まりを守る子に育てるために「忘れることもあるさ」「一緒に使っていいよ」「助けてくれてありがとう」という優しさや感謝の気持ちを葬り去るのでしょうか?

そもそも家で使わない教科書を毎日持ち帰らせる必要があるのでしょうか?給食時間(15分!)のたびにエプロンと帽子を着なければいけないのでしょうか?お茶を飲んでいい時間も決められていてタイミングが合わなくて我慢する子も多いと聞きます。どうせ飲めないし重たくなるからと、お茶の量を減らして持って行っていました。


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インドから愛と光と不条理を受け取って💗 3

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今も生きているインドの伝統工芸



―― 今日は少し方向を変えまして、王さんの扱っておられる商品にスポットを当ててみたいと思います。
 シャンティ・フーラ・イベントでは、飛ぶように売れていたパシュミナ・ストールの他、最後までお客様がじっくり鑑賞されていた*オリッサ州の伝統絵画が目を引きました。
商品のことを伺うことは同時に王さんのお仕事を伺うことにもなりそうですね。
このような伝統工芸品を扱われて25年とのことですが、まず、どのようにして、この絵画と出会われたのですか。
( *オリッサ州は現在、オディッシャ州になっています)


飛行機の乗り越しをして(笑笑)インドに辿り着きましてから、インドの手工芸品が気になるようになり出しました。手織り布、手染め手刺繍、手彫りの木や石、火を使って一つ一つ仕上げる鉄・真鍮・銅、各州の手描き絵、それはそれは地域によってバラエティに富み、何とも言えない味わいがあったのです。

今でも、日常に、木箱の上に道具を乗せた靴修理職人や、路上に足踏みミシンを出した簡易仕立屋さんが至る所にいますが、昔ながらの製法で生活用品を作ったり直したりする作業を眺めながら、お喋りもして、チャイ(庶民が飲むミルクティ)を奢ったり奢られたり。作り手と繋がり接することができるというのは、なかなか良い感じで贅沢なことと感じました。

オーロビンドマーケットで靴修理屋を営む ウメーシュ(Umesh)さん


日本は機械製工業製品のどこの国の誰が作ったかも知らないままの大量消費で、使用後は断捨離と捨てられてしまうので、そんなスタイルに違和感も感じていたのだと思います。

日本の江戸期、機械製工業製品に押される前に、日本の素晴らしい手工芸が花開いていたように、イギリスに略奪支配される以前のインドも、高い品質の手工芸が発展していました。デリーの博物館には、古い手工芸の圧巻の技術レベルの高さと美しさを見せつけてくれる作品が数多くあり、いつも感動をもらえます。
日本では、手工芸家を訪ねるのは敷居が高いのですが、インドは未だたくさんの手工芸家と職人がいますので、そしてインド人はとてもフレンドリーなので、彼らと交流するのが楽しくなり、深みにハマっていきました。

そもそも手工芸家人口は農業人口の次に多いと言われていますのに、中国から安価な生活用品は続々と大量に入り続けていますので、この数十年でも、手編みのバスケットや箒はプラスティックになり、手打ちの鍋も機械製になり、手織りの布の服もジーンズとTシャツになり、と、手工芸家の未来はどんどん暗くなるばかりです。中には「インドの首都に行けば売れるのではないか!?」の切羽詰まった思いを秘めた手工芸家が、地方の役所や機関から支援金をもらったりの工面をして、3等列車で4-5日掛けてデリーにやって来たりします(現実的には、売り先を見つけるのはそうそう簡単ではありません)。

彼らが集まるスポットや小さなイベントがあるのを聞きつけると、私は足しげく通いまして、優秀で人柄の良い手工芸家を探すわけです。もちろん、インド手工芸フィールドの友人達とのネットワークもありますので、一緒にインドの各地域に旅をして、デリー以外の地域で出会えた手工芸家も多いです。

オディシャ州の画家のタンマイとは、デリーの小さな屋外展示場でこうして知り合いました。かつて見た事ない繊細な石彫刻品に驚きうっとりしていましたら、恰幅で温和なおじさまが自分で作ったと、目の前でフリーハンドで彫って見せてくれました。その方がなんとタンマイのお父様でした。奥から今度は息子が顔を出して来て自分は絵を描くのだ、と、大きな絵を何枚も見せてくれました。これは!っとビビッと感じました私は、そこで、小さい絵を描いてもらえないだろうかとお願いし、快諾いただき、後日、郵便で絵が送られてきました。後々分かってくるのですが、その後、お父様はオディシャ州の新空港の両端に置かれている巨大な石彫刻を作製され、タンマイも大壁画を描かれるなど、お二方共、地元では有名な実力あるアーティストだったのです。


そんな感じでお付き合いが始まりました。それからは、お互いの家に泊まって家族ぐるみで出掛けたり、お互いに困った時に助け合ったり、いろいろな経験を共有し、今に至っています。
椰子の葉エングレービングのカリチャラン氏は、タンマイが紹介してくれました。「若い頃は、賞を総なめにした素晴らしいアーティストで、彼を超える者はいない、と言われてきたが、息子さんをコブラに噛まれて亡くしてからは、失意で絵を描かなくなった」と紹介されました。家も暮らしもひどく質素でした。ブバネシュワールに行く時は彼の家にも訪れ、予算が許す限り購入し、日本のお客様の感想を伝え、描いてください、とお願いしてきました。あれから何年経ちましたか、少しづつペースが戻られ、差し上げた拡大ルーペ眼鏡が重宝していると言ってくださって、元気でいてくださるのが嬉しいです。


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まみむのメモ(21)〈樹木と人の関係〉


 県の天然記念物の大ヒノキがある神社にお参りしてきました。階段途中にある大ヒノキに圧倒されて、しばらく大ヒノキから離れられず、神社にお参りするまでに時間がかかりました。
 昭和38年に天然記念物に指定された大ヒノキは、「人々がちょんまげを結っていた頃に生まれた」と書いてありました。
 みぃに年齢をきいてもらうと、「1550歳」だということでした。
(まみむ)
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まみむのメモ(21)〈樹木と人の関係〉


タケノコ

ヤマボウシの花


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まぁ

家を出て道路を右に行くと更に田舎に向かい、途中は人家のない峠を越える。左に行くと建物が増えて、商業施設も多い。先日気がついたんだけど、右に行って自然の多い方へ行くと体が緩んでいた。右に行くのと左に行くのとでは体の緊張度が違うのがはっきりとわかった。


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むぅ

リラックスすると気(プラーナ)がよく入って元気になるようですね。


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まぁ

2015/09/13の中西征子さんの天界通信11「縄文杉との対話 ~魂の進化の程度と存在の価値は無関係~」の縄文杉さんは7321歳ということだった。
この時の縄文杉さんとの交信で語られたお話にとても感動したよ。


Author:Σ64[CC BY]
縄文杉

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むぅ

中西征子様の通信後の感想も

何という崇高な精神の輝き…。
彼の高度な知性、信じ難い程の忍耐力、柔軟で積極的な思考に接して、(中略)...樹という姿を借りた偉大な魂の様に感じられました。」

ということでした。

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まぁ

この大ヒノキさんも1550年もの間、この地球の様々な出来事や人々の暮らしを見守って来られたんだ。


大ヒノキ


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ぴょんぴょんの「愛と野心とおれ」

おとといから今朝にかけて、実際にあったできごとです。
真相は、いまだに未解決。
でも、それよりもっと大事なことに、気づかせてくれたできごとでした。
(ぴょんぴょん)
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ぴょんぴょんの「愛と野心とおれ」


くろまるが、信じられねえ!


くろちゃん、おはよう。
どうしたの? どよよ〜んとした顔して。

おお、しろか、いろいろあってな・・・ま、上がれよ。

おじゃましまぁ〜ッス!

はぁ〜〜〜〜(ため息)。

いつも元気なくろちゃんが、朝からため息って、らしくないねえ?

実は・・・・・くろまるが。

あっ、くろまるが来た、おはよう、くろまる!
なんか、くろちゃんのまわりを、ウロウロしてるね。
お膝に乗りたいんじゃないの?

お、おおう、ヨイショッと。


くろまる、気持ちよさそう。
くろまる、元気そうじゃないの、それにいつも通りにラブラブだし。

う〜ん・・・おれは・・・・・おれは・・・・・くろまるが、信じられねえ!

ええ?!

おれは、くろまるをラブラブできなくなっちまった。

いったい、どうしちゃったの??
ついこないだ、くろちゃんが寝込んだ時も、くろまるがずっと枕元で添い寝してくれたって、うれしそうに言ってたじゃない。

ああ、そんなこともあったっけかな?

で、くろちゃんが元気になったとたん、自分のベッドで寝るようになったって。

ああ、あの頃はかわいかった・・・(遠い目)。

それについ最近の、くろまるの災難のときも・・・。

ああ、あれは、おれが悪かった。
ノミの予防に、原液〈ヒバ油〉を首にふりかけたら、そこの部分がゴッソリとハゲちまって。

直径5cmくらい、地肌むき出しになって、痛々しかったねえ。
でも、くろまるは、ぜんぜん気にしてなくて。

ひどい目に合わしたのに、くろまるは一切、おれを責めなかった。
ほんと、いいヤツだよ。
いいヤツだが・・・・・今は得体がしれねえし、不気味に感じる。


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