2017年5月23日、「共謀罪」の成立要件を改めた
「テロ等準備罪」を新設する組織犯罪処罰法改正案
が衆議院を通過しました。
(中略)
この共謀罪は、人が共謀=犯罪について相談しただけで犯罪にする罪ですが、これまで3度も国会に法案が提案され、3度とも廃案になりました。
なぜ、自民党はこれほどまでに共謀罪に執着し、どうして、これが危険だと世論は押し返してきたのでしょうか。
今日は、刑法の罪刑法定主義、について述べたいと思います。
罪刑法定主義は、憲法31条の適正手続に含まれるとされており、
刑法で最も大事な原則です。
これは、
法律で、あらかじめ、
「何が犯罪で何が犯罪でないか」
「ある犯罪と別の犯罪の違いは何か」
が定められていないといけない、そうでないと国民(全市民)は罰せられないという原則です。
もし、この罪刑法定主義が守られていれば、国民は自分がこれから行動しようという時に、その行動が刑罰で罰せられるかどうか予測できるので、
行動の自由が確保されるからですね。
だから、犯罪行為は、日常頻繁に繰り返されるような行為とははっきり区別されるものでないといけないのです。
そこで、刑法などの刑罰法規には、何をすると犯罪になるかが明記されていないといけないのですが、その中
核となるのが、その法律が守ろうとしている保護法益と、その法益を侵害する危険性のある実行行為概念です。
つまり、
国民の行動の自由を極力狭めないように、犯罪行為は、生命・自由・財産など法律で保護する価値のある利益(保護法益)を侵す可能性のある非常に危険な行為(実行行為)に限定して規定されています。
たとえば、殺人罪の場合は、刑法199条はこう規定しています。
第199条 人を殺した者は、死刑又は無期若しくは5年以上の懲役に処する。
この殺人罪の場合、保護しようとしている法益は人の生命ですよね。ですから、実行行為は人をナイフで刺すとか、首を絞めるとか、人の生命という
「法益を侵害する現実的危険性がある行為」
ということになります。ちなみに、現実的とは差し迫った危険性があるということです。
(中略)
殺人罪の場合は、生命という非常に大事な法益を扱っているので、生命侵害という結果が発生しなかった
殺人未遂罪や、具体的に殺人の準備をする予備罪も罰せられています。しかし、共謀だけでは予備とは扱われず、
罪になりません。
(中略)
こうして、
保護しようとする法益に対して差し迫った危険のある行為だけを罰することで、刑法は犯罪を取り締まって抑止するだけでなく、
国民の行動の自由という基本的人権を守っているのです。
そこで、たとえば正犯をそそのかしたり(教唆)、助けたりする(ほう助)の場合も、必ず正犯が実行行為に着手しないとこれら従犯は処罰されないということになっています。
正犯が実行行為に着手しないと、法益が侵害される現実的な危険性は生じないから、刑罰を持ち出すまでの必要はないからですね。
このようにして国民の行動の自由を極力守ろうとするのが、日本の刑事法体系が大事にしている罪刑法定主義、実行行為概念なのです。
さあ、
もう、共謀罪の恐ろしさはわかっていただけましたね。
だって、
共謀=話し合うだけでは、どんな法益も危険にはさらされませんよね。
それなのに、共謀罪を新設して、
共謀だけで犯罪にしようというのは、日本の刑事法を根本からくつがえすものです。
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下のツイートでは、風刺について、鳩山由紀夫氏がインタビューに応えていますが、鳩山氏の器の大きさと人柄の良さが伝わってきます。拡大してご覧ください。