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ぴょんぴょんの「カタールを語る」 ~LNG埋蔵量世界第3位のカタールをめぐって

多くの人命を犠牲にして人権問題の批判を浴びながらも、
中東初のワールドカップを成功させたカタール。
中国から中東初のパンダを呼び込み、
史上初の最長期間で、中国とLNG供給の契約をしたカタール。
中東最大のアメリカ軍基地を擁し、
アメリカから「非NATO主要同盟国」に指定されたカタール。
日本人が知らないカタールW杯の闇【長編】」を参考に、カタールについて調べてみました。
ついでに、岸田政権のヤラカシも見っけ!
(ぴょんぴょん)
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ぴょんぴょんの「カタールを語る」 ~LNG埋蔵量世界第3位のカタールをめぐって

アラビア半島の端っこにあるカタールという国


あ〜あ、ワールドカップも終わっちゃったあ〜。


べつに、サッカーに興味ねえ。

どれもこれも中身の濃い試合で、見逃すわけにいかなくて困ったよ。
特に、ドイツ戦、スペイン戦の勝利は、歴史的だった!

ニュースで見たけど、興味ねえ。

だって、あの「ドーハの悲劇」のドーハで大勝利なんだから!

「ドーハの悲劇」? なにが悲劇だったん?

知らないの?!
忘れもしない1994年開催のワールドカップ、アジア最終予選のイラク戦。
試合終了間際まで2-1でリードしていた日本は、初のワールドカップ出場に王手をかけていた。
だのに、ロスタイム残り数秒で同点ゴールを入れられて〜〜〜予選敗退。


「悲劇」ねえ・・・。

なのに、今回はワールドカップ本戦の大舞台で、ドイツとスペインに勝った。

そら、おめでとさんなこった。
で、おめえ、カタールの噂は知ってんだろな。
ワールドカップ開催前から、賛否両論の嵐だったんだぞ。


知ってるよお。
カタールは、おカネで開催権を買ったってね。

でも、そんなの、オリンピックだって同じでしょ?
今や、世界中でやってることなんだから。

おめえの正義はどこ行った?
じゃ、カタールがどこにあるか言ってみろ。

はいはい、ここですよ。


ここ、色のついたとこ。
アラビア半島の端っこにある。

外務省より


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ユダヤ問題のポイント(近・現代編) ― 外伝79 ― 悪魔のいけにえとなったサダム・フセイン

 病状を深刻悪化させる、つまり毒であるにも関わらず、新型コロナの治療薬と認可されたのがレムデシベルです。これはタミフルとともにモンサント社の子会社だったギリアド社の製品です。ギリアド社のCEOはブッシュ Jr. の国防長官ドナルド・ラムズフェルドでした。ラムズフェルドはそれまでFDA(アメリカ食品医薬品局)が認可しなかった人工甘味料、毒物のアスパルテーム、これをを食品添加物として認可させた人物です。無論現在では、アスパルテームは日本でも広く多方面に使用されています。毒物のゴミを薬だとか食品添加物だとして売りつけ、暴利を得る手法が取られているのです。ラムズフェルドはネオコンのレジェンドと評される人物であり、日本がこの連中の食い物にされてきたのは明らかです。彼らのやり口は『タルムード』そのものです。
🔯 犬は異邦人より勝れたるものなり。
🔯 ユダヤ人はゴイから奪ってよい。
ユダヤ人はゴイから金を騙しとってよい。
🔯 總べてゴイは月經時の子にして、根絶さるべきものなり。
と言った具合にです。ネオコンは悪魔そのものと表現すべきでしょう。
 このネオコンとナチスが米国を乗っ取っていったのが1980年代といえるでしょう。ナチス第3代目総統であったブッシュSr. は1963年のJ・F・K暗殺後、1976年にはCIA長官、1981年にはレーガン政権で副大統領に、そして1989年についには米国大統領まで上り詰めているのです。このブッシュSr. そしてブッシュJr. と非常に密接に動いていたのがラムズフェルドであり、ディック・チェイニーでした。1980年代は中東ではイラン・イラク戦争が行われていました。彼らはこの当時米国を乗っ取っていくと同時に、サダム・フセインのイラクを散々と食いちぎっていくのでした。
(seiryuu)
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ユダヤ問題のポイント(近・現代編) ― 外伝79 ― 悪魔のいけにえとなったサダム・フセイン

イラン・イラク戦争の黒幕


イラン-イスラム革命の余波で、1979年末にソ連がアフガニスタンに軍事介入の一方、その翌年の1980年にはイラクがイランに軍事侵攻し、イラン・イラク戦争が始まりました。

🇮🇷🇮🇶イラン・イラク戦争で、イラク軍の攻撃を受けて炎上する石油精製所を見守るイラン兵。1980年9月27日。📷

イラクも世界有数の産油国であり、第1次オイルショック以降は潤沢なオイルマネーが入り込んでいました。イラクのサダム・フセインはその潤沢な資金によって軍備を拡張させており、イラン-イスラム革命にて軍部に混乱が生じているイランに、ここが好機とばかりに軍事侵攻してイラン・イラク戦争が始まったのです。

世界中の国家が隣国との間に紛争の種を抱えています。イラクとイランの間も同様であり、特に中東の国々の隣国との紛争の種は深刻なものでした。国境が意図的人為的に作られたものだからです。

中東の国家群は、第1次世界大戦後にオスマン帝国が解体されて作られていきました。その主導者としてオスマン帝国を破壊していったのは、国家としてはイギリスです。このイギリスにフランスが協力して、オスマン帝国打倒後のアラブ分割について秘密協定(サイクス・ピコ協定)を結んだのです。

サイクス・ピコ協定におけるイギリスとフランスの勢力範囲
 フランス統治領・ フランス勢力圏:レバノン、シリアが独立
 イギリス統治領・ イギリス勢力圏:イラク、クウェートなどが独立
 国際管理地域
Author:Rafy [CC BY-SA]
Wikimedia_Commons [Public Domain]

このあたり、独立を目指してオスマン打倒に協力したアラブを英国が裏切った様子などは、特別編(アラビアのロレンス)で見ています。そうやってオスマン帝国の領地を線引きしていって、イエメン、サウジアラビア、イラク、シリア、ヨルダン、アラブ首長国連邦といった中東国家が成立していきました。

意図的・人為的に引かれた国境線は部族を分断します。「分断して統治せよ。」です。宗教や民族、習俗といった違いを煽って被支配者どうしで対立させるやり口です。

1980年から始まり、1988年にようやく終結したイラン・イラク戦争も全体としてはその文脈上に勃発した戦争です。支配者たちはこの長々ダラダラと続いたイラン・イラク戦争も散々利用しています。

外伝63で見てきたことですが、イラン・イラク戦争にてイラン・イラクの両国に大量の兵器を売却していたのが共産中国でした。その共産中国の兵器ビジネスのバックにあったのがショール・アイゼンベルグでした。

ショール・アイゼンベルグ

アイゼンベルグは、本業が兵器ビジネスの「死の商人」であり、「企業乗っ取り屋」であり、全米犯罪シンジゲートの継承者であり、イスラエルの帝王の座にあった人物ともいえました。全米犯罪シンジゲートは、イスラエルを世界犯罪王国の首都にしようとしていたのです。そして、アイゼンベルグに全ての企業を牛耳られているイスラエル自体が、イラクの侵攻によって窮地に陥ったイランに対して、大量の兵器販売を行っていました。


イラン・イラク戦争において、共産中国とイスラエルを通じての大量の兵器販売で、アイゼンベルグが莫大な収益を手にしたのは間違いがないでしょう。「死の商人」にとっては戦争が勃発し、その戦争が長引くことが「飯の種」なのです。1980年から1988年までダラダラと続いたイラン・イラク戦争は、アイゼンベルグなど「死の商人」にとっては「願ったりかなったり」です。彼らが戦争の決着がつかないように操作していたのだろうな、とは容易に推測できます。


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ぴょんぴょんの「辺野古のへりくつ」 ~ひろゆきが基地反対派を相手にゴネた件

ある日、YouTubeで記事ネタを探していたら、右側のおすすめチャンネルがいつの間にか、全て「ひろゆき」に占領されていた。
ひろゆきって誰? 何者?
色々調べてわかった結論、
「やっぱ、こいつ、おかしくね?」😅
(ぴょんぴょん)
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ぴょんぴょんの「辺野古のへりくつ」 ~ひろゆきが基地反対派を相手にゴネた件

若い世代にかなりの人気のひろゆき


このごろYouTubeを漁ってると、やたらとおすすめ動画にこの顔が現れてウザいのよ。


あっはは! ひろゆきがモナリザになってる!

ひろゆき? 何者だ?

本名、西村 博之(にしむら ひろゆき)。
1976年生まれ、46歳。
「2ちゃんねる」や「ニコニコ動画」を創ったレジェンドで、Qアノンの伝言板にもなった「4ちゃんねる」の管理人。
ツイッターのフォロワー数226万人、YouTubeのチャンネル登録者数160万人。


へえ、すげえな。

若い世代には、かなりの人気があってね、
2022年の「高校生最新トレンドランキング」第1位。(YAHOO!ニュース
「高校生が総理大臣になってほしいと思う有名人」第1位。(YOUTH TIME JAPAN

ヘラヘラしてて、おれには詐欺師にしか見えんがのお。
それに人相、こうゆうワシ鼻は外来種か?

そうゆう先入観は捨てた方がいいって、ひろゆきも言ってるよ。
「本当に賢い人は、妙なレッテルがはられているものでも食わず嫌いなことはせず、自らの目で確認して理解します。逆にバカな人というのは、貼られたレッテルをそのまま信じ、その情報を鵜呑みにします。」(The Greats

そっか、おれも食わず嫌いしないで、ひろゆきのことでも勉強するかな。
だが、ファースト・インプレッションは当たってると思うぞ。

ぼくからしたら、今どき、ひろゆきを知らない方が珍しいよ。

おれからしたら、こんなのが人気あるのが不思議だ。

まあまあ、そんなんじゃ、若い人の話について行けないよ。

とっくに、ついて行く気なんかねえ。
だが、なんでそんなに若いヤツらに人気があるんだろう?

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ユダヤ問題のポイント(近・現代編) ― 外伝78 ― ジハード団の登場

 2000年代に入り、世界のメディアの間を騒がしく飛び交ったのが「ジハード」なる語でした。欧米のメディアは、「ジハード =(イスラム教の)聖戦」として報道してきました。
 2001年9月11日の「同時多発テロ」以降、米国は「対テロ戦争」を宣言し、世界を破壊していくのですが、911テロを起こした犯人が、欧米メディアの報道ではアルカイダを率いるオサマ・ビン・ラディンとされ、アルカイダは「ジハード団」と呼称されるのです。当時の米国とメディアは「対テロ戦争」の相手がジハード団、との仕立てにしようとしたのでしょう。
 事実、米国はアフガニスタンのタリバン政権がオサマ・ビン・ラディンを匿っている、として空爆を開始しました。そして、実際にイスラム過激戦闘集団とされるアルカイダやダーイッシュなどのジハード団が世界中で暴れまわり、残虐シーンが数多く放映されました。
 ジハードは、メディアではイスラム教の聖戦とされ、ジハード団は聖戦士とも訳されますが、例のごとくいつものごとくで、ジハード団はイスラム教から作られたわけではありません。ジハード団は、米国で頭角を現してきた稀代の戦略家とも表現できるであろうズビグネフ・ブレジンスキーが生み出したと言えるのでしょう。2017/05/28の竹下さんの記事に、以下のようにある通りです。
ブレジンスキーといえば、オサマ・ビン・ラディンを育て、ソ連を罠にかけ、アフガニスタンでのゲリラ戦を実行させた張本人です。彼がアルカイダやダーイシュを生み出したと言っても間違いではないでしょう。
 それにジハード団の主力は、元々から既におなじみになっている“あの集団”です。ブレジンスキーによって仕立て直されたといえるでしょう。
(seiryuu)
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ユダヤ問題のポイント(近・現代編) ― 外伝78 ― ジハード団の登場

ジミー・カーター退場に利用された事件


イラン-イスラム革命に付随して起きたイランアメリカ大使館人質事件、これが引き起こしたドラマは、ジミー・カーターの大統領からの退場でした。

ジミー・カーター大統領
flickr [Public Domain]

イラン-イスラム革命が成立した1979年、皇帝モハンマド・レザーは1月に国外退去、10月に米国に入国、米国入国に激怒したイラン国民によってイランのアメリカ大使館が11月に占拠され、大使館の人間などがモハンマド・レザーの引き換え要求としての人質に取られました。これがイランアメリカ大使館人質事件です。

テヘランのアメリカ大使館の塀を乗り越えるイスラム法学校の学生たち
Wikimedia Commons [Public Domain]

この後、カーター政権は大使館の人質開放のための作戦をことごとく失敗、これでカーター政権は批判の的となり、1980年11月の大統領選挙でジミー・カーターは敗退します。米大使館事件がカーター敗退の最大要因といってもよく、この事件は次のロナルド・レーガン就任と同時に解決しています。

そもそもカーターは、元イラン皇帝の米国入国には反対だった模様です。しかし、「パフラヴィー元皇帝の友人だったヘンリー・キッシンジャー元国務長官らの働きかけを受け、最終的に『人道的見地』から入国を認め」(ウィキペディア「イランアメリカ大使館人質事件」)、カーター自身の首を絞める事件へと発展していったのです。

ヘンリー・キッシンジャー
Wikimedia Commons [Public Domain]

ここでもやはりキッシンジャーです。イラン革命に付随する米大使館事件が、カーター大統領退場に利用されたとの見方も成立するでしょう。

ジミー・カーターは1977年に大統領に就任しています。カーター政権の外交政策は「人権外交」と呼ばれ、1978年には長年対立していたエジプトとイスラエルの間の和平協定「キャンプ・デービッド合意」を締結させています。

Wikimedia Commons [Public Domain]
編集者註:左からイスラエル首相ベギン、アメリカ大統領カーター、エジプト大統領サーダート。中東和平の枠組みとエジプト・イスラエル平和条約の枠組みからなる和平合意を米国のキャンプ・デービッドで交わした。

ただし問題になるのが、ウィキペディアの「ジミー・カーター」記事の「外交政策」欄の次の記述です。

1977年3月16日にマサチューセッツ州クリントンで行われたタウンミーティングにおいて、アメリカ大統領として初めてパレスチナ人国家建設を容認する発言をした(しかしながら、この発言がユダヤ系アメリカ人の反感を買い、先に述べた1980年アメリカ合衆国大統領選挙の敗北の一因となった)。

『櫻井ジャーナル』2017.05.30記事では、「1976年の大統領選挙で勝ったジミー・カーターはブレジンスキーとデイビッド・ロックフェラーが後ろ盾になっていた人物。」との指摘があり、同記事にはそのカーター政権の安全保障補佐官となったズビグネフ・ブレジンスキーについて次の記述があります。

ズビグネフ・ブレジンスキー
Wikimedia Commons [Public Domain]

ハーバード大学で博士号を取得、後にコロンビア大学で教えるようになる。このころかCIAと関係ができたと見られているが、その一方でデイビッド・ロックフェラーと親しくなる。

カーターは、ロックフェラーらの思惑で大統領に就任するも、イスラエルのパレスチナ問題などで彼らの思惑に外れた行為をとっため、イランの米大使館事件を起こされ、更迭されたというの本筋でしょう。


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独逸の伯林で見た、聞いた、感じた社会問題、教育問題 ~第127楽章 独逸伯林生活、最低気温マイナス8度の影響

 恭賀新春
 本年度もヤマ・ニヤマに沿った、心清らかな毎日が過ごせますように✨

 ドイツのベルリンは年末年始と暖かい日々。しかし、12月中旬は氷点下の寒さが続き・・。最低気温がマイナス8度に!!日中も氷点下。12月16日我が家の二重窓の結露の凍結にギャー😱と思っていたら、ベルリンの有名なホテル・ラディソンブルーの世界一の水族館が早朝爆発!!というニュースが・・。今回は、前半、巨大水槽爆発について、後半、ドイツの家の建築方法と我が家の暖房代をお伝えします。
(ユリシス)
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ベルリンのホテル・ラディソンブルーの巨大水槽が爆発!



ベルリンでモンスター水族館が炸裂

ベルリンの中心部、ベルリン大聖堂やアレクサンダー広場の近くで、消防隊が出動。レジャー社会の終焉か!?

ホテル・ラディソンブルー、ロビーの真ん中、1500匹の魚と100万リットルの水を備えた本物の珊瑚礁、高さ16m、6階建ての世界最大の円筒形の巨大水槽が炸裂。崩壊の津波は、ホテルの地下3階まで降り注いだ。

「アクア・ドーム」は「世界最大の自立型円筒水族館」で、2020年夏まで大規模な改修が行われていました。「アクア・ドーム」は、ベルリンのダイナミックなキャラクターを反映。どんな傲慢にも終わりがある。巨大水槽の崩壊とともに、タイタニックの沈没と同じように、消費社会終焉を意味するのか?崩壊後の水族館の映像は第二次世界大戦以来の警告のサインとなっている。

「ホテルの水槽が夜中に爆発したんだが、どうなってるんだ?」

(DeepL翻訳・簡略)

上記の記事では、大手メディアとは一線を画し、批判的な視点にて、レジャー社会の終焉か?!との内容で書かれていましたので取り上げてみました。面白いと思ったことは、ギネス狙いの不自然な巨大水槽を売りにすること自体が野心であると理解していた記者が記事を書いていたこと。この中で泳いでいた魚たちは幸せだったのだろうか・・。

ウィキペディアによると、ラディソンブルーの巨大水槽は41枚のアクリルパネル(外側の円筒に26枚、エレベーターの内側の円筒に15枚)で構成。つまり、円筒形巨⼤水槽の中にお客さんを乗せたエレベーターが作動。すごいですよね!世界最大の円筒形水族館としてギネス世界記録を保持、100種以上の熱帯魚🐠🐡を飼育。水槽の清掃と餌やりは毎日スキューバダイバーが実施して、水温は26~27℃にしていたそうです。

Author:Susanne Nilsson[CC BY-SA]

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