戦時中の新聞にしょっちゅう登場していた松陰
今日は吉田松陰について、語るぞ。
吉田松陰? くろちゃん、ファンだったの?
ファンじゃねえよ。「私塾」を調べていたら、たまたま「松下村塾」が目に入って、
「松下村塾」と言えば吉田松陰。どんなヤツだろうと興味を持ったまでよ。
松下村塾
たしか、明治維新のスターをたくさん育てた人だよね。なのに捕まって牢屋に入れられて、若くして死んだ悲劇のヒーロー。
世間一般にはそういうが、それは明治になって作られたイメージらしい。(
東洋経済)
へえ、そうなの?
考えても見ろよ。今の日本から見て、明治維新てなんだった?
鎖国から開国して、外国のものが入ってきた。
それで日本は幸せになったか?
明治維新以後、どんどん軍備を拡張したあげく、行き着くところは世界を相手にした戦争だった。その結果、日本は・・?
ボロボロになった。
そして、今や日本はアメリカに支配され、ATMになり、国民はちっとも豊かにならない。「鎖国時代のほうが良かった」とは言わねえが、食も文化もモラルも伝統も、今よりもっと、日本らしかったんじゃねえか?
たしかにそう言われてみれば、
明治維新はろくなもんじゃないね。となると、明治維新のスターを育てた吉田松陰も、ろくなもんじゃないことになる。じゃあ、なんで人気があるの?
持ち上げられたんだよ。松陰関連の本や論文の数をみりゃわかる。
松陰の本や文章がもっとも多く書かれたのは1930年代〜40年代。「
1940年代の142点はすべて戦中期で、戦後の刊行はゼロなので、いかなる理由で松蔭が注目されたかはあきらかだろう(7p)。」
てことは、戦争と関係ある?
そうゆうこと。
戦時中の新聞には、しょっちゅう松陰が登場したそうだ。松陰が主張した「尊王攘夷」、つまり「天皇を尊び、外国人を追っ払う」、てえのが、戦時中のプロパガンダにドンピシャだったんじゃね?
「天皇陛下バンザイ!」と「鬼畜米英」にピッタリ。
だが、そんな松陰ブームは1945年の敗戦で消えた。「しかし、その沈黙の時間はまもなく破られた。いったん消滅した松陰熱は1950年代に復活の兆しをみせた。もっとも注目すべきは今世紀に入ってそれがうなぎ上りになり、2010年代には戦前のピークをしのぐ勢いになっていることである(9p)。」
ということは、再び「天皇陛下バンザイ!」「鬼畜米英」の時代が来る?
う〜ん、今や鬼畜米英と手を組んでいる日本に、それはないかな?
ですが、松下村塾を立ち上げたのは松陰ではなくて、叔父の玉木文之進なんです。しかも、松陰がそこを借りて教えたのは、わずか2年足らず。
なのに、明治維新で活躍した多くの若者や、明治政府には内閣総理大臣2名、国務大臣7名、大学の創業者2名を輩出しました。(吉田松陰.com) 地方の一私塾から、こんなにたくさんの有名人が?
さらに気になるのは、松陰が、主君への忠義のために命を捨てることを奨励したこと。日本が外国と肩を並べるためには朝鮮、満州、南アジアの侵略も必要と考えていたこと。
老中暗殺計画を自白して有罪、死刑になった松陰は、今もなおヒーローですが、知れば知るほど、なにか不自然なものを感じてしまいます。