竹下雅敏氏からの情報です。
注)以下、文中の赤字・太字はシャンティ・フーラによるものです。
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転載元より抜粋)
鞍馬寺
鞍馬寺(くらまでら)は、京都府京都市左京区鞍馬本町にある寺。1949年まで天台宗に属したが以降独立して鞍馬弘教総本山となっている。本尊は寺では「尊天」と称している。「尊天」とは毘沙門天王、千手観世音菩薩、護法魔王尊の三身一体の本尊であるという。
所在地 京都府京都市左京区鞍馬本町1074
9世紀末の寛平年間(889年 - 897年)東寺の僧・峯延(ぶえん)が入寺したころから、鞍馬寺は真言宗寺院となるが、12世紀には天台宗に改宗し、以後の鞍馬寺は長く青蓮院の支配下にあった。
昭和期の住職・信楽香雲(しがらきこううん)は、1947年に鞍馬弘教を開宗。1949年には天台宗から独立して鞍馬弘教総本山となっている。
京都の奥にある鞍馬山は山岳信仰、山伏による密教も盛んであった。そのため山の精霊である天狗もまた鞍馬に住むと言われる。鞍馬に住む大天狗は僧正坊と呼ばれる最高位のものでありまた鞍馬山は天狗にとって最高位の山のひとつであるとされる。
「尊天」のひとり、「護法魔王尊」とは、650万年前(「650年」の間違いではない)、金星から地球に降り立ったもので、その体は通常の人間とは異なる元素から成り、その年齢は16歳のまま、年をとることのない永遠の存在であるという[2]。
本殿金堂の毘沙門天・千手観世音・護法魔王尊はいずれも秘仏であるが、秘仏厨子の前に「お前立ち」と称する代わりの像が安置されている。お前立ちの魔王尊像は、背中に羽根をもち、長いひげをたくわえた仙人のような姿で、鼻が高い。光背は木の葉でできている。多宝塔に安置の護法魔王尊像も同じような姿をしている。このことから「鞍馬天狗」とはもともと護法魔王尊であったと思われる。また、16歳とされているわりに歳をとった姿をしている。
鞍馬寺(くらまでら)は、京都府京都市左京区鞍馬本町にある寺。1949年まで天台宗に属したが以降独立して鞍馬弘教総本山となっている。本尊は寺では「尊天」と称している。「尊天」とは毘沙門天王、千手観世音菩薩、護法魔王尊の三身一体の本尊であるという。
所在地 京都府京都市左京区鞍馬本町1074
本尊 | 尊天(毘沙門天王・千手観世音菩薩・護法魔王尊) |
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創建年 | 伝・宝亀元年(770年) |
歴史
寺に伝わる『鞍馬蓋寺縁起』(あんばがいじえんぎ)が草創縁起を伝えており、鑑真の高弟・鑑禎が宝亀元年(770年)に草庵を結び、毘沙門天を安置したのが始まりという。9世紀末の寛平年間(889年 - 897年)東寺の僧・峯延(ぶえん)が入寺したころから、鞍馬寺は真言宗寺院となるが、12世紀には天台宗に改宗し、以後の鞍馬寺は長く青蓮院の支配下にあった。
昭和期の住職・信楽香雲(しがらきこううん)は、1947年に鞍馬弘教を開宗。1949年には天台宗から独立して鞍馬弘教総本山となっている。
京都の奥にある鞍馬山は山岳信仰、山伏による密教も盛んであった。そのため山の精霊である天狗もまた鞍馬に住むと言われる。鞍馬に住む大天狗は僧正坊と呼ばれる最高位のものでありまた鞍馬山は天狗にとって最高位の山のひとつであるとされる。
本尊
鞍馬寺本殿金堂(本堂)の本尊は「尊天」であるとされる。堂内には中央に毘沙門天、向かって右に千手観世音、左には護法魔王尊が安置され、これらの三身を一体として「尊天」と称している。「尊天」のひとり、「護法魔王尊」とは、650万年前(「650年」の間違いではない)、金星から地球に降り立ったもので、その体は通常の人間とは異なる元素から成り、その年齢は16歳のまま、年をとることのない永遠の存在であるという[2]。
本殿金堂の毘沙門天・千手観世音・護法魔王尊はいずれも秘仏であるが、秘仏厨子の前に「お前立ち」と称する代わりの像が安置されている。お前立ちの魔王尊像は、背中に羽根をもち、長いひげをたくわえた仙人のような姿で、鼻が高い。光背は木の葉でできている。多宝塔に安置の護法魔王尊像も同じような姿をしている。このことから「鞍馬天狗」とはもともと護法魔王尊であったと思われる。また、16歳とされているわりに歳をとった姿をしている。
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金星から やって来た
記事配信元)
ノーチラスⅱ(セカンド)のブログ 12/6/6
本記事文章は現在公開を停止しております。 (2016/4/23)
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護法魔王尊の歌
記事配信元)
エナジー・コバの日記。 02/1/31
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2つ目の記事を見ると、その姿は天狗です。ウィキペディアによるとこの像は、「お前立ち」と称する秘仏の代わりの像ということです。当の秘仏はどうも聞いた話によると、異常なほど巨大な鼻を持っているとのこと。ちょうどお茶の水博士を天狗にしたような姿だと言えばわかりやすいでしょう。
サナト・クマーラは、進化段階が1.0以上2.0未満のイニシエートにはお前立ちの姿で、2.0以上3.0未満の者には秘仏の姿で、イニシエートの前に現われたのです。3.0以上の進化段階の者には、本来の16歳の少年の姿で現れたのです。
護法魔王尊がサナト・クマーラであることは、ウィキペディアの本尊の説明から間違いありません。この内容は現代神智学が教えるサナト・クマーラの記述と同じです。ただ1つの違いは金星から地球に降臨した時期が650万年前ではなく、1850万年前だということです。これは神智学の方が正しいと思います。
さて、本尊の「尊天」は毘沙門天、護法魔王尊、千手観音の三位一体の姿ということです。12月9日の記事の図の太陽ハイアラーキーの中の“太陽神の三位一体、Ⅰ父 Ⅱ子 Ⅲ聖霊”を見てください。尊天はこの父・子・聖霊に対応するのです。個人名は順に、サナンダ、サナト・クマーラ、マハー・アヴァター・ババジです。実は紀元前ではこの三位一体はマハー・アヴァター・ババジではなく、サナータナだったのです。太陽ロゴスであるサナカと、この3名がブラフマーの4人の息子たちになっていたわけです。
ところがマハー・アヴァター・ババジが西暦203年11月30日にナガラジとして転生に入り、偉大な達成をした(マーシャル・ゴーヴィンダン著「ババジと18人のシッダ」)ことで、順位が入れ替わったのです。私たちの太陽系では第2ロゴスが主光線であるため、仏像として安置する時には、第2ロゴスのサナト・クマーラである護法魔王尊を一番左に置くわけです。
次の記事はウエサク祭の「清めの祈り」が紹介されています。この中で魔王尊が人類に遣わす救世主とは、明らかに弥勒菩薩(マイトレーヤ)です。
護法魔王尊は天狗の姿をしていたということでしたが、“続きはこちらから”以降の記事を見ると、これは山伏の姿だということがわかります。しかもその姿はユダヤ教のラビの姿とそっくりです。修験道が日本古来の山岳信仰ではないことがよくわかります。ほとんどユダヤ人の姿です。八咫烏はどのような姿をしているのかですが、実は山伏の姿にとてもよく似ています。違いは全身が真っ白だということです。私はヴィジョンで八咫烏の12烏の頭の姿を見ています。
最後の写真の天狗は羽が生えています。これは実際に羽が生えているのではなくて、修験道で霊能を身につけた行者は、肉体を離れて様々な場所に移動することが出来るのです。これは幽体離脱ではありません。エーテルダブルによる離脱です。仙道では陰神による離脱ということになります。意思のままに空中を自由に移動できるので、象徴的に羽の生えた姿で表現するのです。
烏天狗という言葉がありますが、これは八咫烏のことではないかと思います。要するに、こと人間世界において、彼らは最高レベルの天狗であり、術の使い手であるわけです。