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ユダヤ問題のポイント(近・現代編) ― 第25話 ― ハルマゲドン(救世主降臨)計画(其の五)
大乗仏教の菩薩 ~個々人の解脱を目指す仏教は小乗仏教?
さて、仏教の終末思想だが、その前に、終末思想と関連もしてくるので、基本的知識として原始仏教と大乗仏教の本質的な相違点を押さえておくことにしよう。詳しく見ている暇は無いから大雑把だがね。
へい、御隠居よろしく御願いしやす。
本来、仏教とはゴータマ・ブッダの教えに基づいて個々人が修行をして解脱を目差すものだ。
ん?御隠居、解脱? 解脱とは一体何のことで? 仏教用語はあっしらには難しくて・・・。
そうだね、仏教用語はわざと曖昧にして難しくしている側面があるね。
さて解脱だが、私たちは生まれて死ぬね? でもその「生まれて死ぬ」は一度限りで無く、幾度も幾度も繰り返す。
この繰り返す再生再死の輪を輪廻といい、その輪廻の鎖から解放脱出すること。二度と地上に人間として肉体を持って生まれてくることの無い、物質界を超えた高い境地の世界に達しそこに住すること、これが解脱だといえるだろう。
さて解脱だが、私たちは生まれて死ぬね? でもその「生まれて死ぬ」は一度限りで無く、幾度も幾度も繰り返す。
この繰り返す再生再死の輪を輪廻といい、その輪廻の鎖から解放脱出すること。二度と地上に人間として肉体を持って生まれてくることの無い、物質界を超えた高い境地の世界に達しそこに住すること、これが解脱だといえるだろう。
なるほど、個々人が解脱に向け修行していたのが原始仏教でやすね。では、大乗仏教はどう違うので?
仏教の創設がざっと紀元前500年。大乗仏教運動が始まったのが紀元前後だ。
それは原始仏教の長老たちに対し、大衆部と言われる人々が「個々人が自分の解脱のみを目差すのならば単なる自分の利益だけ、大衆の利益を勘案していない。」と批判することから起き上がった。
原始仏教を批判する彼らは、自分だけで無く無数の衆生を下から掬い取るように救済しなければならないと訴え、その自分たちのあり方を大乗仏教だと名乗った。大乗仏教の大乗とは多くの衆生を乗せることのできる大船との意味だよ。
それは原始仏教の長老たちに対し、大衆部と言われる人々が「個々人が自分の解脱のみを目差すのならば単なる自分の利益だけ、大衆の利益を勘案していない。」と批判することから起き上がった。
原始仏教を批判する彼らは、自分だけで無く無数の衆生を下から掬い取るように救済しなければならないと訴え、その自分たちのあり方を大乗仏教だと名乗った。大乗仏教の大乗とは多くの衆生を乗せることのできる大船との意味だよ。
個々人が解脱を目差す原始仏教と大衆救済を旗印に掲げる大乗仏教か、確かに並べてみると同じ仏教と言っても質がまるで違ってきていやすね。
・・・あれっ!それと・・・気づきやした。大乗仏教が成立して動き始めたのが紀元前後? それならキリスト教が成立してくるのと重なる・・・。
・・・あれっ!それと・・・気づきやした。大乗仏教が成立して動き始めたのが紀元前後? それならキリスト教が成立してくるのと重なる・・・。
気づいたね。ま、そういうことさ。
大乗仏教を自称する側は、原始仏教を自己の救済のみを目差す小乗、つまり小舟のような仏教だとし、自分たちの理想的生き方として「菩薩」を打ち出した。菩薩とは誓願を建てる。その内容は自己の解脱を目差すと同時にあまねく衆生の済度を謳うというものだ。
大乗仏教を自称する側は、原始仏教を自己の救済のみを目差す小乗、つまり小舟のような仏教だとし、自分たちの理想的生き方として「菩薩」を打ち出した。菩薩とは誓願を建てる。その内容は自己の解脱を目差すと同時にあまねく衆生の済度を謳うというものだ。
なんか一見菩薩の生き方はかっこいいでやすが、ふむ、解脱とは物質世界を超えた高い世界に到達してそこの住人になるんでやすね? ところが救わなければいけない衆生は物質世界にいるわけでやすね?
そう、解脱して物質世界を抜け出すことと、無数の衆生を乗せて済度すること、この二つは両立しない。衆生を大船に「乗せる」ためには物質世界にいなければそれができないからね。
それでこの矛盾に対して大乗仏教側は「菩薩とは既に解脱できる境地にあるのだ。しかし衆生済度のため、あえてこの苦界の物質世界に留まっているのだ。」との理屈をうち出し自分たちの仏教を広めていった。
それでこの矛盾に対して大乗仏教側は「菩薩とは既に解脱できる境地にあるのだ。しかし衆生済度のため、あえてこの苦界の物質世界に留まっているのだ。」との理屈をうち出し自分たちの仏教を広めていった。
うーむ、なんか苦しい言い分の理屈のような・・・。衆生済度のためか・・・。
しかし、この菩薩が行うとされる衆生の救済が、終末思想の地上の破局と絡んでくる、というわけですかい?
しかし、この菩薩が行うとされる衆生の救済が、終末思想の地上の破局と絡んでくる、というわけですかい?
そう、その通りだよ。さすがに鋭いね。やはり破局と救済がセットになっているのだが、仏教の終末思想を一般に末法思想という。実はこの末法思想は日本の歴史に極めて大きな影響を与えてもいる。
仏教の終末思想である末法思想 ~末法思想が日本の歴史も動かした
末法思想? それが日本の歴史が大きな影響? それはどういった具合に?
末法思想は時代を大きく三つに区分することから出てくる思想だ。年数の長さは諸説あるのだが、ゴータマ・ブッダの没後、時代を①正法の時代、②像法の時代、③末法の時代、この3つに分ける。
①正法の時代とは、ゴータマ・ブッダの教えも、その教えを行じ、実際にその成果を得る人達もいる時代、いわば勝れた黄金期という意味さ。それから時代が下ると世も人も劣化し像法の時代になる。
②像法の時代とは、仏陀の教えは残っているが、それに基づいた行は形だけになる、従ってその成果を得る人がいなくなる時代だ。いわば形式だけ残っているのが像法の時代だ。更に時代が下ると世は乱れに乱れ人間も著しく悪化して末法の時代になる。
③末法の時代は、教えだけは残っているが、その教えを実践し行ずる人間も、当然成果を得る人間もいないという悪時代を末法の時代と呼ぶ。
仏教の単純な時代観ではあるがね。
世も人間も悪化する末法の時代か・・・。で、この末法思想が日本に大きな影響を与えたとは?
日本では平安期の末期に末法の時代に入ったと捉えられたんだよ。現に平安の貴族社会から鎌倉の武家社会に移り変わる頃だ。その頃戦乱に次ぐ戦乱、天候異変による大飢饉の連続に日本は覆われていた。
は-、平安末期か、あっそうか、芥川龍之介の「羅生門」の世界でやすね。餓死者がごろごろの時代だ。
そう、当時はいろんな文献から本当に「世も末」の悪時代だったことが分かる。人々は生きるのもやっとの状態にあえいでいた。末法の時代を実感せざるを得なかったのさ。
この時代を背景に、これまでの仏教ではこの末法の世に対応できないとして新たな仏教が日本に興った。それは何か分かるね?
この時代を背景に、これまでの仏教ではこの末法の世に対応できないとして新たな仏教が日本に興った。それは何か分かるね?
ああ、分かりやす。興ったのは鎌倉仏教でやすね。確かその面々は法然、親鸞、日蓮、道元たちだ。
その通りだ。この日本に興った鎌倉仏教は全てが大乗仏教に属するよ。そしてその鎌倉仏教が日本の歴史に与えた影響は甚大だろ? 現に現在までこの鎌倉仏教は日本に残り生き続けているんだから。
確かにそうだ。法然が浄土宗、親鸞が真宗、日蓮は当然ながら日蓮宗、そして道元は曹洞宗・・・。
なるほど、この時代に日本は大乗仏教の国になったといって間違いないでやすね。それが末法思想によるものだったわけでやすね。ふーむ、なるほど、それで仏教の時代観は末法の時代で終わりになるので?
なるほど、この時代に日本は大乗仏教の国になったといって間違いないでやすね。それが末法思想によるものだったわけでやすね。ふーむ、なるほど、それで仏教の時代観は末法の時代で終わりになるので?
いや、まだ先がある。末法期に世と人間の悪が極限にまで高まる。そしてとうとう最後には法滅がやってくる。
法滅とは、僅かに残っていたゴータマ・ブッダの教えそのものも全く滅してしまう事態だ。仏教的見地ではこれが真の終末で光が全く消えた闇の世界で、いわば破局の暗黒時代が来るという見方だ。
法滅とは、僅かに残っていたゴータマ・ブッダの教えそのものも全く滅してしまう事態だ。仏教的見地ではこれが真の終末で光が全く消えた闇の世界で、いわば破局の暗黒時代が来るという見方だ。
ふーむ、なるほど、仏教の終末思想も、他の宗教と同様にやはり地上の悪が高まり破局を迎えるというパターンだ。本当に実質は同じ事をどの宗教も説いている・・・。
うーむ、ところで大乗仏教は菩薩が衆生救済のためにあえてこの苦界に残っているんでやしたね? この破局と菩薩の救済はどう絡むんで?
うーむ、ところで大乗仏教は菩薩が衆生救済のためにあえてこの苦界に残っているんでやしたね? この破局と菩薩の救済はどう絡むんで?
そう、そこだ。仏教といおうか大乗仏教では、この法滅という破局、暗黒時代に、この世界を救済すべくある偉大な存在が降臨してくることになっている。破局に救世主の登場だ。例のパターンだ。その救世主の名前は多分日本人の大体は皆が知っている名前だよ。無論お前さんも知っているよ。
ん?あっしも知っている名前で? 大乗仏教の救世主・・・? 分からないな・・・、一体誰だろ?
アジアに拡がる弥勒信仰 ~破局、法滅時代における救世主
ゴータマ・ブッダの没後、時代はどんどん下り世も人間も悪化の一路を辿った。世界は遂には仏陀の教えも完全に廃れて滅し、法滅の暗黒時代を迎えていた。しかしその暗黒の地獄にもまさに「地獄に仏」、救いがあった。
ゴータマ・ブッダの没後56億7千万年の時を経て、偉大な菩薩が遂にゴータマに次ぐ第二の仏陀と成った。彼は暗黒世界に降臨し世界を救済する。その名を弥勒菩薩という。・・・パチパチパチ、めでたし、めでたし、ほら真打ちの登場だ。
ゴータマ・ブッダの没後56億7千万年の時を経て、偉大な菩薩が遂にゴータマに次ぐ第二の仏陀と成った。彼は暗黒世界に降臨し世界を救済する。その名を弥勒菩薩という。・・・パチパチパチ、めでたし、めでたし、ほら真打ちの登場だ。
御隠居、紙芝居じゃありやせんので、その声色は・・・、まぁあっしでも弥勒菩薩は知っていやす。ゴータマ・ブッダに次いで未来に仏陀になることが約束されているので未来仏とも呼ばれているんでやしたね。
うーん、しかしゴータマ・ブッダの没後56億7千万年後? うーん、それじゃあんまりにも・・・
うーん、しかしゴータマ・ブッダの没後56億7千万年後? うーん、それじゃあんまりにも・・・
ハハハ、やはり56億7千万年後、そこに引っかかるんだね。ネット検索して弥勒菩薩のスレッドを見れば、やはり話題は56億7千万年後で、「おっそ!!」「長すぎ-!」「既に人類滅亡してるじゃん!」などなど・・・。まぁその反応になるだろうね。
ただ56億7千万年の時間は比喩であって本当にその歴史が必要なのでは無く、重要なのは5,6,7,の数字の並びだ。これに意味がある。
ただ56億7千万年の時間は比喩であって本当にその歴史が必要なのでは無く、重要なのは5,6,7,の数字の並びだ。これに意味がある。
5,6,7,の数字の並びに意味? うーん、なんだろ?・・・5+6+7=18とか・・・??違うか?・・・。
いや、合っているよ。5+6+7=18、別の数字では6+6+6=18になる。分かるね?
? 5,6,7は6,6,6?でやすか? 6が三つ・・・あっそうか、ミロクだ! 56億7千万年は並び替えると6,6,6で「ミロクの世が来る」を意味するってわけでやすね?
そういうことさ。「ミロクの世が来る」これは大乗仏教の見解だがそれだけではない。日本の神道系になるんだろうね、「ミロクの世が来る」は「日月神示」にも出てくるよ。
更に言うと、弥勒信仰、弥勒教は古代に既に「インドに成立し,東南アジア・東アジアの諸民族に受容された」ようで、中国では魏の時代に隆盛となり、日本でも弥勒講ができているよ。
更に言うと、弥勒信仰、弥勒教は古代に既に「インドに成立し,東南アジア・東アジアの諸民族に受容された」ようで、中国では魏の時代に隆盛となり、日本でも弥勒講ができているよ。
うーん、弥勒菩薩の存在認識はインドから日本も含むアジア一帯の人々の中に広く浸透しているわけでやすね。地上の破局に救世主として弥勒が降臨か・・・、弥勒信仰はアジアのメシアニズムでやすね。
そういうことになるね。弥勒菩薩の存在、弥勒信仰がアジア一帯で拡がった、その背後には当然ハルマゲドン計画陰謀団の存在がある。というか弥勒菩薩こそが陰謀団の首領だ。明瞭だろ?
・・・いや、分かりやす。
ハルマゲドン計画は地上の破局と救世主の降臨がセットで、その救世主は弥勒菩薩だ。おまけに再編される新世界が「ミロクの世」・・・となると、陰謀団の首領が弥勒菩薩だっていうのは当然だと分かりやす。
・・・しかし、うーん、何か腑に落ちないというか、引っかかるところが・・・
ハルマゲドン計画は地上の破局と救世主の降臨がセットで、その救世主は弥勒菩薩だ。おまけに再編される新世界が「ミロクの世」・・・となると、陰謀団の首領が弥勒菩薩だっていうのは当然だと分かりやす。
・・・しかし、うーん、何か腑に落ちないというか、引っかかるところが・・・
ふむ、弥勒菩薩が陰謀団の首領だとするならば、引っかかる点があるんだね? それは?
へい、陰謀団の首領ならば弥勒菩薩は黙示録の小羊、つまりキリストになるわけでやすね?
さて弥勒は数字で表せば6,6,6のミロクになるんでやすね? ところがこの6,6,6は特異な数字で、黙示録では反キリストの首領である「獣」を表す名前もしくは数字だ。これは一体どういうことになるのか?と・・・。
さて弥勒は数字で表せば6,6,6のミロクになるんでやすね? ところがこの6,6,6は特異な数字で、黙示録では反キリストの首領である「獣」を表す名前もしくは数字だ。これは一体どういうことになるのか?と・・・。
なるほど、分かるよ。
弥勒はキリストと同時に6,6,6の反キリストでもあり、矛盾が生じているとの疑問だね。確かにそうだ。これがハルマゲドン計画の難しさ、入り組んだ複雑な構造がそこに表れているんだ。
そうだね。弥勒菩薩を救世主とするのは表のハルマゲドン計画だが、裏バージョンもある。
弥勒はキリストと同時に6,6,6の反キリストでもあり、矛盾が生じているとの疑問だね。確かにそうだ。これがハルマゲドン計画の難しさ、入り組んだ複雑な構造がそこに表れているんだ。
そうだね。弥勒菩薩を救世主とするのは表のハルマゲドン計画だが、裏バージョンもある。
へ?裏ハルマゲドン計画もあるってことで? 表に裏のハルマゲドン計画か・・・、うーん。
ここで裏バージョンまで見ていくと話しが混乱するので、先ずは表のハルマゲドン計画に絞っていこう。
あ、そうだ、言い忘れたが弥勒菩薩は別名があるよ。仏典にしばしば出てくる。慈氏菩薩がそれだ。
あ、そうだ、言い忘れたが弥勒菩薩は別名があるよ。仏典にしばしば出てくる。慈氏菩薩がそれだ。
へい、確かに裏と表をごっちゃにすれば訳が解らなくなりやすね。遭難の危険が大だ。
えっと、それと弥勒菩薩には別名もあって慈氏菩薩でやすか? この名前に何か意味があるんで?
えっと、それと弥勒菩薩には別名もあって慈氏菩薩でやすか? この名前に何か意味があるんで?
しかし漠然としたまま自分が望むように、安易に事が好転できる副作用の無い魔法などこの世界にはありません。それで却ってだからこそ自分の望むような未来像を提供し、それを叶えてくれるようなヒーロー、救世主の出現を待ち望む、このような風潮が古来からこの世界に植え付けられてきたのかもしれません。
救世主の待望の裏には人々の鬱憤や不満があり、こうした人々の鬱憤や不満の解消への願望は、多くの場合は「革命」として現象化したように思えます。
さて、ではそういった革命が人々の願望を叶え、豊かさや幸福をもたらしたか?といえば、人々の一時の瞬間的な鬱憤晴らしはあったとしても、豊かさや幸福をもたらすどころか、猛烈な逆作用をもたらしています。フランス革命、ロシア革命、青年トルコ革命・・・どれも革命前より革命後のその社会は、悪化し陰惨な結果となっています。
ではなぜその結果になったか? 始めから計画の一端だったからです。ほとんどの革命はハルマゲドン計画実現に向けた破壊工作の一つなのでした。大衆の日々の鬱憤や不満とそれの裏返しとなった願望を彼らは利用したとも言えます。
さて、本来の仏教は救世主を待ち望むメシアニズムとは全く異質な宗教です。しかし大乗仏教が勃興し、それがアジア全域に広まるのと相まって、ある存在を未来の救世主であるとの認識が人々の意識下にすり込まれ、拡大浸透していきました。
このアジアに拡がったその未来の救世主とは誰か? ゴータマ・ブッダの没後56億七千万年後に成仏してこの世界に降臨し世界を救済するとされる弥勒菩薩です。