12/8/22 フルフォード情報英語版:死亡追悼文:ヴァン・デ・ミーア博士、またの名をマイケル・メイリング医師、またの名を???――本物のジェームズ・ボンド

 今週月曜日のフルフォード氏情報に登場した「マイケル・メイリング医師」、調べていくと大変興味深い人物でした。現在、フルフォード氏が将来設計機関の立ち上げにあれほど心血を注いでいるのは、人類や地球を救いたいという大義もさることながら、メイリング医師のように道半ばで犠牲となった人々の志を自分は引き継いでいるのだ、との想いもあるのではないでしょうか。
 今回訳した記事は、フルフォード氏がまだキーナン氏と袂を分かっていない2012年に書かれたものです。最初は月曜日のコメント欄にざっくりまとめるつもりだったのですが、将来設計機関へと繋がる話ですし、全文を訳すことにしました。何より“メイリング医師”なる謎の人物について、皆さまにポリオ・ワクチンの片棒を担いだという側面以外のことも知って頂きたかったのです。

 キーナン氏の前代のM1、スカルノ大統領がケネディ大統領とジュネーブのヒルトン・ホテルで1963年11月14日に締結したグリーン・ヒルトン・メモリアル協定については金塊の歴史年表3を、イタリアのキアッソで拘束された日本人二人については金塊の歴史年表5を、1兆ドル訴訟については金塊の歴史年表8キーナン・チームの過去の業績まとめご参照ください。
 地球の本当の現代史、全てが繋がっていきます。
(Yutika)

注)以下、文中の赤字・太字はシャンティ・フーラによるものです。

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死亡追悼文:ヴァン・デ・ミーア博士、またの名をマイケル・メイリング医師、またの名を???――本物のジェームズ・ボンド
投稿者:フルフォード

ジェームズ・ボンドのモデル


架空の人物、ジェームズ・ボンドも本物にはかなわない。私がマイケル・ヴァン・デ・ミーア医師という【名で】知っていた男のことだ。謙虚な彼が珍しくある時、「ジェームズ・ボンドがやっていることは、私がしてきたことに比べると少々大人しいですね」と私に言ったことがあった。この比類なき男を知っていた者は皆、その死を悼む【に違いない】。

私が彼と初めて直接会った際に、ウージー【=短機関銃】一挺と7つのパスポートが入っているアタッシュケースを見せてくれた。どれも本物で、全てに彼の写真が貼ってあった。アタッシュケースの内側は防弾【加工】してあった。

私がフィリピンで彼と会っていた当時、誰かがホテルの彼の部屋の換気装置に大量の殺虫剤を放り込んで、彼を殺そうとしたことがあった。どうも彼にとって、こういったことは珍しい出来事ではなかったらしい。

なんにせよ私は彼を通じて、諜報と策略の世界の最上部における現実を垣間見る【機会に】恵まれた。彼に【言わせれば】、CIAなぞChrist In Action【「救世主活動中」の略、つまり赤子のようなもの】だった。


波乱万丈の人生


ヴァン・デ・ミーア医師は、両方の脚を爆破されるまでは「マイケル・メイリング医師」という名前で通していた。彼曰く、【この爆発は】ナチスのオデッサ派のトップで、彼の最大の敵であるジョージ・ブッシュ・シニア配下の連中によって仕掛けられたものらしい。

ヴァン・デ・ミーア医師は自らの過去について殆ど語ろうとしなかったが、極稀にその驚くべき人生について、ほんの少し貴重な情報を開示してくれることがあった。【それによると、】彼は祖先であるサー・フランシス・ドレークの故郷近くの城で育ったらしい。エリザベス女王とエヴェリン・ド・ロスチャイルドの従兄弟だということも、一度口を滑らせたことがある。【この二人は】彼に言わせると、「あまり良い人たちではなかった」。

彼が主張するには、彼の父親はイギリス領インド帝国の高官で、マハトマ・ガンディーと一緒に働いていた。私は独自に行った調査で、彼は一時期マウントバッテン卿の称号を世襲していたと信じるに至ったのだが、彼は常にそのことを否定していた。

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【※医師の父親ではありませんが、大英帝国支配下のインドの様子です。】


彼から学んだことだが、イギリスの大君主連中はインドを去った際に、奪える限りの歴史的な黄金や財宝の全てを持って行ってしまったのだ。そしてこの黄金は、地球とそこに住む人々【全て】のために使おうという名目の基金に投入される。其の他数多くの国々や団体も、自分たちの歴史的な財宝をこの基金に投入していた。

金塊を取り戻せ!


ナチスの一派とファシスト連中がジョン・F・ケネディ大統領を暗殺し、この資金を彼らのファシスト的「新世界秩序」計画へ違法に使い始めると、ヴァン・デ・ミーア医師はこれを阻止しようと乗り出した。

初期の【一連の】ジェームズ・ボンド映画は、彼ら【ナチスの一派】に対するヴァン・デ・ミーアの戦いが部分的に基になっている。

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イアン・フレミング原作のオリジナルのジェームズ・ボンド映画【シリーズ】で取り上げられた猫を撫でている悪役、エルンスト・スタヴロ・ブロフェルドはMI5筋によると、ヴィルヘルム・カナリス海軍大将がモデルだ。カナリスはヒトラー暗殺を試みて、第二次世界大戦中に処刑されたのではない。実際には、第二次世界大戦後に地下組織ナチス・オデッサのトップになったのだ。

画像はシャンティ・フーラが挿入


ヴァン・デ・ミーアと彼のチーム対カナリスと彼率いる集団の戦い、これがオリジナルのジェームズ・ボンド小説の基を構成していた。ヴァン・デ・ミーア自身、英国人の青年実業家の役で『007 サンダーボール作戦』という映画にちらりと出演している。カナリスはやがてヴァン・デ・ミーアに敗北を喫したが、オデッサのトップはジョージ・ブッシュ・シニアに取って代わっただけだった。

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当然ながら、ヴァン・デ・ミーア医師は自分が決して聖人君子などではなかったと認めており、人生で一つ大きな後悔を抱えていた。若い医者だった1950年代に、彼はジョナス・ソーク医師という、【後に】ポリオ・ワクチンの開発者として知られる【ようになる】人物と共に働くよう、アフリカへと送り込まれた。

その当時はマイケル・メイリング医師という名前で通していたヴァン・デ・ミーア医師によると、ソークとそのチームはアフリカのミドリザルを20万頭以上も殺害して、その血を【米軍の】フォート・デトリックにあるアメリカ(ナチス)生物兵器施設へと送っていた。

【ヴァン・デ・ミーア医師は、】アフリカの人口削減を目的とした病を開発するためにこの血が使われていることを知ってしまう。現在ではHIVとかエイズとして知られている【病だ】。

それ以降の彼の仕事遍歴は、どうにも謎に包まれている。だが、コンゴで命からがら脱出した話は一度教えてくれたことがあった。「何十万もの死体で膨張した」コンゴの川を渡った後に、銃を持った大量虐殺犯たちと対峙せざるをえない状況だったそうだ。

アフリカでの後、ヴァン・デ・ミーアはアジアで20年を過ごした。その大半がフィリピンで、大日本帝国が第二次世界大戦中にこの国に隠したという、行方不明の「山下黄金」の謎を調査していたのだ。彼はスターリング・シーグレイヴ【とその妻】の執筆した『黄金の戦士』という本の主要な情報源の一人だ。

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ヴァン・デ・ミーアは、世界の歴史的な金塊の大半がナチスによって略奪されたと知るに至った。彼が奴らを阻止しようと乗り出した時に、カナリスの弟子ブッシュが爆弾を爆発させ【彼を殺そうとし】たのだ。


最後の暗殺事件


この事件に関して、マイケル医師の良き友人による証言がこちら:

「私が知っているマイケル医師は、こざっぱりした服装ときちんとした風貌の紳士で、ボディービルダーの力・ダンサーの優雅さ・命じることに慣れた人間の自信でもって行動していました。とびきりなハンサムで、人の目を引く空のように青い瞳。彼の話し方は、ひときわ強いイギリス英語でした。

マイケル医師は使命に燃えた男です。いつぞや、ベッド傍に彼が常に置いていた聖書を開いて、自分が世界の全ての隠された富を暴き、人々のために復興させる旨を主なる神が語ったという一節を見せてくれました。マイケル医師曰く、【人々を】貧困から救済し、大地を恢復させ、神の創造したこの世界をその御意志に沿った状態へと復興させるというこの約束を果たすよう、神は自分に課されたのだと言っていました。

私との会話の中で殆ど毎回のように、貧しく抑圧された人々の下へ彼らが奪われたものを返還するのだと、彼は機会を見つけては繰り返し誓っていました。指導的な病院や職業教育センターの世界的なネットワークを構築することに熱意を掲げ、それに必要な資源を不屈の精神で調べていました。64歳になった時点で、彼は息も切らさずに4階の自室まで駆け上げることが出来ました。

あの運命の日、朝食を済ませると私たちは別れました。三つ揃えのスーツというフォーマルな出で立ちのマイケル医師はとある会合に赴き、私は自分が建設中だった田舎の青少年センターに関する仕事を片付けていました。マイケル医師に委ねられた地方開発案について話し合うため、一時間後にまた会おうと約束していたのです。

その一時間を経たずして爆発音を耳にした私は、自室から飛び出しました。ホールを駆け下りて、角を二つ曲がり、数秒の内にマイケル医師の部屋へ辿り着きました。すさまじい黒煙と大変な熱気が扉からもくもくと立ち昇っていたのです。二本の血の流れが扉から、階段へと繋がっていました。何階も下を見ると、二人の男が人体を包んだベッド・シーツの端を引き摺って移動しているではありませんか。

路上には赤い軽トラが待機しており、その身体はそこへと放り入れられ【ようとしてい】たのです。シーツから転げ落ちた拍子に見えたマイケル医師の身体は、手足が考えられない角度に捻じ曲げられ、すっかり焼け焦がれており、まさしく車に轢かれたかのようでした。すぐに軽トラは沢山の車の行き交う中を走り去り、姿を消してしまいました。

数時間して最初の手術が終わり、【フィリピンの】ダバオ市で一番のドクターズ・ホスピタルのホールで私は形成外科の主治医と会いました。患者は第三度の火傷を負っていると外科医には言われました。その大半は【皮膚】全層に達しており、身体の48%を超えており、口と喉は酷く焼けただれ、難燃性化学物質を吸引・服用してしまい、両脚の下部を失っている、おそらく左腕も失うことになるだろうと。

損傷は人間が生きられる閾値を遥かに越えていたのです。患者が未だに生存しているのは奇跡だと話しており、これ以上持ち堪えることになろうなど執刀の医師たちは全く期待していませんでした。

マイケル医師が部屋に戻された際には、上から下まで包帯で巻かれ、肺と胃のチューブ箇所のみ露わにされ、右耳や右腕とその手だけが動かせる状態でした(『透明人間』さながら!)。彼はすぐさま自由になる方の手で、何かを書きたいと合図をしてきました。

私が彼の手にペンを握らせ、リーバルパッド【※メモ帳】を支えると、彼は「死んだライオンになる位なら、生きている犬の方がマシですよ!」と【ぎこちなく】書いたのです。

あの辛い日々、彼は付き添ってくれた人たちにユーモアを書いて【は笑わせ】、一人一人に関心を寄せ、部屋にいる全員をずっとポジティブな態度に保たせていました。担当の医師たちには色々と指示を書き、大半は型破りなものでありながら、そのどれもが外傷医療に関する深い見識を窺わせる内容でした。

彼は意識を失うことなく、常に麻酔を拒み、一度も眠っているようには見えませんでした。呼吸や食事用のチューブを自分で差し込むとして譲らず、治療食も自ら指示を与えていました。

3日目には、医師の一人が「一体どういう人なのか知りませんが、我々は【非常に】多くのことを彼から学んでいます」と私に言ったほどです。【マイケル医師は】私のお蔭で命を救われたと評価してくれましたが、究極的にマイケル医師を生き延びさせたのは彼本人【の力】でしょう。」


フルフォード氏の恩人


私【=フルフォード】のマイケル医師との繋がりは数年前、私自身が同じナチスの一派【オデッサ】によって殺されかけたのを生き延びた後のことである。プロジェクト・キャメロットのインタビューに出演した私に、ケリー・キャシディを介して彼から接触してきた。彼はマダム・ウーが海外で裏金を違法に積み立てた件で、ジョージ・ブッシュ・シニアから脅され、三合会に私のことを悪く言っていると私に知らせて、命を救ってくれたのだ。

後日、中国勢にマダム・ウーの裏切りが発覚して、彼女は拷問の末に殺されたと私は聞き及んでいる。

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Author:スミソニアン博物館 [著作権上の制限なし]

【※「ウー」は十中八九、「呉」という中国姓かと思います。そして「マダム・ウー(呉夫人)」というあだ名で検索すると、マンハッタン計画に参加した中国系アメリカ人物理学者の呉健雄が出てきます。1997年にニューヨークで脳梗塞により死亡したとあるのですが……。】

いずれにせよ、ヴァン・デ・ミーア医師は金融システムの最上層部における秘せられた世界について、私に知識を授けてくれた。私とニール・キーナンに、我々が現在直面している金融危機の歴史的なルーツであり、ケネディが暗殺された原因として、グリーン・ヒルトン・メモリアル協定へと指し示したのも彼だ。

アジアの【幾つかの】秘密結社の彼を知る面々に言わせると、【ヴァン・デ・ミーア医師は】彼らを見下し気味ではあったが、それでもその心の奥底は善良だと伝わってきたし、自分たちが一緒に働きたいと思わせる男だった。

だからこそ彼らは私に近付き、金(きん)に裏打ちされた7,500億ドル相当のケネディ債券を彼に送り届けてほしいと依頼してきたのだ。【ということで】私は債券を送るために、彼の普通郵便の宛先を訊ねた。

健康に恵まれ、将来に対する計画で一杯だった彼が“眠ったまま”突然死亡したのは、送付先を知らせてくれた直後のことだった。

彼の家族は彼の死について語ることを拒み、公的な検死【結果】は一つも公表されていない。我々は彼が暗殺されたことを確信しており、誰のせいかも知っている。マイケル医師の死を無駄になどしたりはしないので御安心めされたく。彼の仇は討つし、「貧困を終わらせ、砂漠を緑地化する」という彼の夢は現実のものとなるだろう。


2012年8月はこんな時代でした


【補足情報として、数日後のフルフォード氏の記事の冒頭を追加しておきます。】

8月10日、ヴァン・デ・ミーア博士、またの名をマイケル・メイリング医師なる人物は、非常に疑わしき状況で眠っている間に死亡した。メイリング医師は自分のことを他人に語ることは非常に稀な人で、両脚を爆弾で爆破されて世間の注目を集めたことから、数年後にヴァン・デ・ミーア博士という名前に変えざるをえなかったのだ。【爆弾は】ジョージ・ブッシュ・シニア率いるナチス・カバール【配下】の工作員連中によって仕掛けられた、と彼は話している。

ヴァン・デ・ミーア博士は、7,500億ドル相当の債券を送られた直後に死亡した。この債券は、2009年6月に二人の日本人外交員から違法に押収された1345億ドル相当の債券と同じ束のものだ。

博士はアジアの正当な所有者たちに代わって現金化し、国際的な新経済設計機関【の立ち上げ】に融資しようとしていたのだ。その突然の死のほんの数時間前、ホワイト・ドラゴン・ソサエティの代表の一人と会話したデ・ミーアは壮健で、将来の計画で一杯だった。

一方で、「アレクサンドル・ロマノフ」と名乗る自称「イルミナティのグランドマスター」が暗殺されかけ、先週日本の警察に保護拘置された。日本の地下組織筋も、日本人の殺し屋集団が彼を殺そうと活発に動き回っている、と裏付けてきた。ロマノフは20年来の古株の麻薬密売人で、日本の警察とこの筆者に大量殺人攻撃の目的で日本へ核ミサイルが密かに持ち込まれたと、命懸けで報せてきたのだ。

日本の警察は救いようもないほどの無能か、この犯罪に一枚噛んでいるのだろう。なにせロマノフが爆弾の正確な保管場所を伝えた後でさえ、何ら行動を起こさなかったのだから(中曽根康弘元首相が所有する屋敷の内部)。この爆弾の核分裂性物質は後に、より小型の機器を幾つか作るために使われ、それが日本に対する3.11津波・核テロ攻撃で使われた。

【以上の攻撃全て、そしてシリアの大量虐殺も、足跡を辿るとP2ロッジに繋がっているそうです。

またこの時期、ニール・キーナン氏は債券をめぐる1兆ドル訴訟の第二弾を準備中でした。

ツイートはシャンティ・フーラが挿入

李英浩総参謀長をクビにして、カバール支配から解き放たれた北朝鮮が、周辺国との友好関係を望むようになった時期でもあります。そのため、同じくカバール配下でオウム真理教地下鉄事件や3.11の福島津波殺人に協力した朝鮮総連との間に亀裂が走り、ホワイト・ドラゴン・ソサエティが朝鮮総連もカバールと訣別するよう、説得を試みていました。

また、当時の韓国大統領李明博は、盧武鉉元大統領を暗殺したことが発覚し、配下の暗殺チームはカバールに従うことを拒否し始めていました。そんな年の夏の出来事です。】


翻訳:Yutika

註:【 】内は訳者の追記部分です。訳文は日本語での読み易さを優先し、原文とは異なる形で文や段落を分割することもあります。また見出しやツイッターなどの画像も挿入しています。

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Writer

Yutika

体癖:8−2、エニアグラム:4
関西の英語塾で教えつつ、翻訳業(英語&仏語)をしております。


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