ぴょんぴょんの「パンキシ渓谷の春」

 「テロリストの母と呼ばれて」という、NHK・BS1スペシャルの2時間に及ぶ長編ドキュメンタリーを見ました。
 ISのテロリストになった二人の息子が、シリアで戦死した、という母親の話でした。
 息子二人を失うだけでもくずおれそうな現実なのに、「テロリストの母」と呼ばれ、ふる里は「テロリストの温床」のレッテルを貼られ、誰も訪れてこない。
 美しい自然を背景に、それでもなお戦い続ける、母親の強さと弱さがありのままに描かれていました。
 しかしなぜ、こんなに美しいところがテロリストの温床になったのか? 
 調べるうちに、チェチェン戦争、ジョージアとロシアの関係、サウジ・アラビア発の「ワッハービズム」など、知らないことが芋づるみたいに出てきました。
(ぴょんぴょん)
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ぴょんぴょんの「パンキシ渓谷の春」


“テロリストの温床”と呼ばれてきたパンキシ渓谷


こないだ、BS1スペシャルを見たんだが、世界にはおれたちの知らねえことがいっぱいあるんだなあ、と思ってさ。

なになに・・・「ジョージアの美しい山々に囲まれたパンキシ渓谷。・・この地域から200人もの若者が過激化組織ISやテロ組織に参加、命を落とし・・“テロリストの温床”と呼ばれてきた。・・番組は、奔走する母親たちの闘いと再生の記録である。」
ジョージア? アメリカのジョージア州?

Author:Jeroen[CC BY]


じゃなくて、ジョージアは国だ。
かつてグルジアと呼ばれた、旧ソビエト連邦の国で人口 450 万人、現在は独立している。(Wiki)

ドキュメンタリーの舞台は、ジョージアとチェチェンの国境付近にある「パンキシ渓谷」。

パンキシ渓谷? 聞いたことないね。

ヨーロッパでパンキシと言えば、泣く子も黙る「テロリストの温床」だ。
イスラーム国の軍事司令官がパンキシ渓谷の出身だという事実が発覚し・・。」(グルジアにおけるムスリム)

へえ! そういうとこなの?!

ところが、画面で見るパンキシ渓谷は、「呑気な家畜の鳴き声と穏やかな川のせせらぎが耳に心地よい、平和な田舎であった。」(グルジアにおけるムスリム)
まるで、アルプスのハイジを連想するような「ヨ〜レイッホ〜♪」の世界だった。

pixabay[CC0]



「ヨ〜レイッホ〜♪」ねえ・・・。
だけどなんで、そんな美しい場所がテロリストの温床になったの?

きっかけは、チェチェン戦争だ。

う〜ん、よく知らない。

知らなくても生きていける日本は、平和ボケだなあ〜。
世界中には、いっぱいこういう悲惨な場所があるのに、直接の被害がないからって、知らぬ存ぜずでいられるんだから。

こうして世界から取り残されていく、日本人。


ワッハービズムとチェチェン戦争


さて、チェチェン戦争の話を始める前に、まず「ワッハービズム」について知らなければならない。

Author:Ibrahim ebi[CC BY-SA]



エライ! おめえ、読んでたのか!

知ってますよ〜、「ワサビ家」ですよ〜「ワサビ家」。

ちゃうちゃう! 「ワハビ家」! 
そいつらが広めたからワッハーブ派とか、ワッハービズムって言われる
んだ。

あ、そーか、いつもワサビと読み間違えちゃうんだよね。
seiryuu氏の記事によると、サウジ・アラビアこそが、テロ組織の黒幕なんだよね。
なんたって、サウジ・アラビアの国教は、イスラム原理主義のワッハービズムなんだから。

サウジアラビア=「サウード家のアラビア」=サウード家+ワハビ家(ワッハービズム)。
で、おめえはワッハービズムがどうゆうもんか、知ってるのか?

pixabay[CC0]


たしか、「やめてくれ〜!」って感じの、過激な教えだったような。

かみ砕いて言うと、【すべてのイスラム教徒は、1人のイスラム指導者に忠誠を誓わなければならない。従わない者は殺されるべきであり、その妻や娘たちは犯されるべきであり、その財産は没収されるべきである】というのが ワッハービズム の教えだ。

やっぱ、「やめてくれ〜!」だった!

サウジ・アラビアは、過激なワッハービズムで国民を縛り上げるだけじゃなく、それを世界中に広げるために、何十億ドルというカネを使ってワッハービズムの学校まで作ってるのさ。そこで将来の活動家や過激派、また戦士たちを養成している。「子供たちは、“シーア派、キリスト教徒、およびユダヤ人を殺せ”というような愛の教えを学んでいる。」(創造デザイン学会)

それ、「愛の教え」って言わないよ〜。

seiryuu氏は、このようにまとめている。
ワッハービズムとは『絶対服従か?死か?』であり、自分たち以外のイスラムは全て死に処すべき敵なのです。ワッハーブ派自体が、その最初から過激な暴力テロ集団でありカルトそのものなのです。・・・アルカイダ、ダーイッシュなどテロ集団はここから発生しているのです。」(時事ブログ)

なあるほど〜、ワッハービズムはテロの素なんだ。
それがチェチェンと、どうつながるの?

1990年、ソ連と国交をむすんだサウジ・アラビアは、イスラム教国のチェチェンとお隣りのダゲスタンに、資金、ワッハーブ派の文献、宣教師を送り込んだ。

軍資金与えて、洗脳するわけかぁ。

ロシアから独立したいが、許してもらえないジレンマを抱えたチェチェン。
そこにテロの素、ワッハービズムの種はばらまかれた。

収穫が期待できる、土壌があったわけだね。

まず、アフガニスタン、パキスタン、リビア、アルジェリアから指導員が呼ばれて、チェチェン山岳地帯で戦闘員の養成が行われた。

チェチェン南部の山岳 Author:Умар Дагиров[CC BY]


早々に、戦争の準備が始められたよ。

先輩テロ組織、ムスリム同胞団にならった、チェチェン人のムスリム同胞団までできてしまった。
そうして、ロシアからの独立をかけた第一次チェチェン戦争が始まった。

独立のための戦争だったのかぁ。
ロシアはなぜ、チェチェンを独立させてあげなかったの?
お隣りのジョージアは、あっさり独立できたのに。

ロシアのパイプラインが、チェチェンを通っていたからさ。
チェチェンが独立してしまったら、ロシアはパイプラインの使用料を支払わないといけなくなるんだ。

Author:Quartl[CC BY-SA]


はあ、なるほどね。

1996年、第一次チェチェン戦争は終わったが、ちょうどその頃、アフガニスタンに拠点を移したウサマ・ビンラーディンがチェチェンにやってきた。

たしか、ビンラーディンはサウジ・アラビア出身だったね。

資金・武器というエサで、ビンラーディンはチェチェン独立派の強硬派指導者・バサーエフを釣り上げた。バサーエフは、ビンラーディンを黒幕とするワッハーブ派と手を組んでしまった。

チェチェンの指導者が、ワッハービズムに屈しちゃった。

バサーエフは、どうしてもロシアをやっつけたかった。だから、お隣りのダゲスタンをチェチェンと併合すれば、ロシアに対抗できるんじゃねえかと考えた。
ちょうどそこに、資金と武器しょったカモネギがやって来たというわけ。

「魔」は、野心に付け入るのがうまいネ。

それでついに1999年、バサーエフ はダゲスタンに攻め入ってしまった!
そこで、「独立イスラム国家」樹立を宣言したもんだから、あわてたロシアは軍事力を使わざるをえなくなった。
これが、第二次チェチェン戦争。

そういうわけかぁ。 

バサーエフの行動を後押ししたのは、ビンラーディン、アメリカの戦争屋、「オリガルヒ」、アルカイダ。(田中宇の国際ニュース解説)

「オリガルヒ」ってなに?

ソ連崩壊後、大富豪になったヤツらのこと。
「オリガルヒ」のベレゾフスキーも、バサーエフに100万ドルを渡して、ダゲスタン侵攻を助けたという。(田中宇の国際ニュース解説)
しかし、ダゲスタン侵攻によって首相が交代し、プーチンが登場した。

Author: Romanwikip[CC BY-SA]


プーチン登場!! パチパチ!!

ベレゾフスキー、2000年の大統領選挙でプーチンを支援して当選させたまではいいんだが、てっきり「オリガルヒ」の飼い犬になるはずだったプーチンは、飼い犬の手を噛んだ。

さすが!プーチン!

逆恨みしたベレゾフスキーは、ワッハーブ派に取り込まれたバサーエフを使って多くの残忍なテロを起こさせて、プーチンを悩ませた。(田中宇の国際ニュース解説)
99年、当時のプーチン首相はこう語った。
ダゲスタンで起こったことは・・ロシアに対する侵略の始まりである。・・国際イスラム・テロリズム勢力もそうした侵略の担い手なのだ。」
ビンラーディンが・・チェチェン人の対ロシア戦争に資金を供給してきた
(チェチェンを巡るロシアと外部世界の関係)

さすが、お見通しじゃん!
だけど、なんでアメリカはチェチェンに肩入れするんだろう?ロシアが憎いから?

いや、アメリカのねらいは、カスピ海石油。

カスピ海 pixabay[CC0]


カスピ海ヨーグルトはおいしいけど、石油かあ。

ヨーグルトをめぐって、テロ戦争はしない。
近隣のアゼルバイジャン沖で採れる石油を、ロシア側は、アゼルバイジャンとロシアを結ぶ、既存のパイプラインで運ぼうと考えた。
ところがアメリカは、ロシア領を通らないルートを主張。
ロシアルートはチェチェン経由だから、チェチェンを不穏にすればアメリカ側が有利になる。

だからアメリカは、絶えずチェチェンで火種がくすぶるようにしたいのかあ。

2000年、ロシア軍に攻められたチェチェンの戦闘員は、ジョージア北部、パンキシ渓谷に逃げ込み、そこを根城にしてロシア軍に抵抗した。

やっと出てきた、パンキシ渓谷。

チェチェン戦闘員の拠点となったパンキシ渓谷は、武器の密輸や麻薬の売買、外国人の誘拐や殺人など、治安の悪い物騒な地域になってしまった。

「ヨ〜レイッホ〜♪」のアルプスみたいなとこだったのに。


チェチェンからパンキシに逃れてきた難民、レイラさん一家


テロリストが集まったせいで、パンキシ渓谷はアブナイ場所になってしまったが、そこには元々の住民や、チェチェンからの難民およそ8000人も入っていた。(パンキシ渓谷)
幼い二人の息子を連れて、チェチェンからパンキシに逃れた難民、レイラさんが、このドキュメンタリーの主役だ。

やっと、その話にもどったね。

母、レイラさんの思いとは裏腹に、息子はワッハービズムに洗脳され、成人するや二人ともIS戦士になり、シリアに行ってしまった。彼らを取り戻すために、レイラさんはシリアまで行って息子たちを説得したが、それもむなしく、二人はシリアで戦死してしまった。

なんていうか・・・。
若い純粋な心を、洗脳でジハードに導く・・恐ろしい思想だね。

Wikimedia_Commons[Public Domain]


日本人留学生の話だが、「私がパンキシ渓谷に行くと言うと、『ムスリムがいるから危険だ』と真顔で忠告する人もあった。」(グルジアにおけるムスリム)

イスラム教への風当たり、強いね。
テロの素、ワッハービズムとは違うのにね。

それでも、「テロリストの温床」というレッテルを貼られたパンキシ渓谷を、なんとか昔の平和な場所にもどしたい。イスラム教徒もキリスト教徒も共存していた、かつてのパンキシ渓谷にもどしたい。そして、再び観光客にもどって来てほしいという思いで、女性たちが立ち上がり民宿を始めた。

テロリストさえ来なければ、美しい自然の「ヨ〜レイッホ〜♪」だし。

ある日、頭をすっぽりスカーフでおおったレイラさんが、キリスト教会の礼拝にはじめて参加するシーンがあるが、そこで交わされた、キリスト教徒との会話が一番印象に残っている。

レイラさん 「なんてきれいな聖歌。深い敬意を表します。」
キリスト教徒「あなたはどこから来たのか。」
レイラさん 「パンキシ渓谷です。」
キリスト教徒「(気まずそうに)・・・」
レイラさん 「私たちはキリスト教を尊重しています。」
キリスト教徒「・・・」
レイラさん 「キリストは私たちの宗教にも登場します。」
キリスト教徒「しかし、神としてではない。」
レイラさん 「神としてではありません。」
キリスト教徒「殺すなかれ、とあります。」
レイラさん 「私たちの経典にもあります。」
キリスト教徒「でも、復讐はあるのか。」
レイラさん 「コーランには書かれていません。人々はそれを守りません。人々は書かれていることを守りません。」
キリスト教徒「・・・」
レイラさん 「キリスト教でも殺人はあります。」
キリスト教徒「でも、けしかけたりしません。
キリストは人々のために、はりつけになりました。
キリストは許されざることを許した。」
そのとき彼女の携帯が鳴り、会話はそこでとぎれた。

こういう食い違いが拡大して、戦争にまで発展するんだね。

イエス・キリスト・・・・と言えば。
映像配信「宗教学講座 初級コース 第149回 新約聖書(イエスの生涯)」を見ながら、実際のイエス像をノートに落書きしたのがコレ。


はげ、チビ、色黒?? これ、デフォルメでしょ?

いや、たぶん実寸・・。

ウソだあ〜 イメージが崩れるよ〜 もっと背え高くてイケメンだよ〜。

2000年経ったら、なんとでもウソはつける。

ガビ〜ん!!

こういう宗教の妄想がなくならない限り、地球上から争いはなくならないのさ。
宗教学講座を見れば、宗教がクソだってことがよ〜くわかるぜ。


Writer

ぴょんぴょんDr.

白木 るい子(ぴょんぴょん先生)

1955年、大阪生まれ。うお座。
幼少期から学生時代を東京で過ごす。1979年東京女子医大卒業。
1985年、大分県別府市に移住。
1988年、別府市で、はくちょう会クリニックを開業。
以後26年半、主に漢方診療に携わった。
2014年11月末、クリニック閉院。
現在、豊後高田市で、田舎暮らしをエンジョイしている。
体癖7-3。エニアグラム4番(芸術家)

東洋医学セミナー受講者の声

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