〈気〉の大家でもあった野口晴哉

知ってるか?
野口晴哉は、整体治療で有名だけど〈気〉の大家でもあったんだ。

やっぱ、そうだよね。
ふつうの人が見てもわからないことが、彼にはわかるんだもんね。
彼は、人体を〈気〉のかたまりとして見ていたらしい。

へえ、この固体の体が〈気〉のかたまりに見えるの?

たしかに、体は血と肉、液体・固体でできてるように見える。
だが、細胞をずっと細かく分解していくと、最後は〈気〉になる。
つまり〈気〉が集まって一つの細胞になり、細胞が集まって組織、そして体を作っている。
「すなわち、
生命というものの実質は〈気〉である。」(全生 昭和59年2月号)

なるほど〜 でも、ピント来ないなあ。
〈気〉の体なら、幽霊みたいに手が通り抜けるんじゃないの?

もしかしたら、彼にはスースーに見えてたのかもしれない。
しかも、〈気〉の感覚によって、人の生死もわかってたらしい。

へえ? 超能力者?

たぶん。
彼はこう言っている。
「私は
12、3才の頃から、その人の持っている〈気〉を通して、体の故障を見つけることが非常に上手だと言われてきましたが、『この人は死ぬ』と言うと、必ず死ぬのです。〈気〉の欠けた人は死にます。その〈気〉を見たのです。」(全生 昭和59年2月号)

やっぱ、〈気〉が見えてたんだ。

「
私、死ぬ人はすぐ、わかるんです。『今日は誰が死ぬ』ってわかるんです。
電話が鳴ると、その電話が『あっ、死ぬ人だ』ってわかるんです。
顔を見たことがないのに、死ぬ人がわかるんです。」(全生 昭和51年4月号)

でも、それ、科学的にありえる話?

たぶん、どっかから飛んできた情報を、キャッチする能力があったんだろう。

ラジオみたいに?
「私、これから死にます」っていうメッセージを?
ぼくは、受信したくないなあ。

だが、そうゆうのは、おれたちも感じてるはずだ。
「虫の知らせ」って言うだろ?

あるある。なんとなく〜 もしかして〜っていう、あれ?

そういう「なんとなく」が、意外と意味があったりする。
災害時に逃げる場合も、山の中で遭難した時も、そういう「なんとなく」が命を左右する。
「道が3つあって、どの道に行こうかという場合に、この道ならばふつうの通りに出られそうだ、というような〈漠〉とした感じで行くのです。」(全生 昭和51年4月号)
心を空っぽにする
動物的勘みたいなもの、大事だよね。
そういうのを養うには、どうしたらいいんだろう?

できるだけ、心を空っぽにすることだそうだ。

心を空っぽ?

「
心を空っぽにすると、スッと相手のことが見える。体のことを知るのにも、心を空っぽにするとスッと感じる。しかし、
それには心が鍛錬されていなければわからない。」(全生 昭和61年2月号)

心を空っぽにするって、瞑想のこと?
「瞑想とは、心をからっぽにする作業です。」(
ぴ・よ・こ・と3 p139)
瞑想だな。
心が空っぽで静かな心には、真実も、ウソも、ありのままに映し出される。
でもぼくたち、心を空っぽにする時間、ほとんどないし。
空いてる時間だって、SNS、ゲーム、テレビで、つねに埋められてるからね。
竹下先生は、仕事に専心することも瞑想だと言われている。
「現代は瞑想する時間があまりありません。・・仕事に専心するのです。
そうすれば、それが瞑想になります。」(
ぴ・よ・こ・と3 p140)
「専心するというのは、力を入れたり集中することではありません。
雑念を排し、今の中に安らうことなのです。」(
ぴ・よ・こ・と3 p141)

別に、瞑想のポーズで長い時間、座る必要はないんだね。

とにかく、
空っぽの心が、本来あるべき心の姿だ。
「誰もが生まれてからこのかた、外部からの刺激で作ってきた心、教えられたことによって作られてきた心、学ぶことによって得てきた心、そういう心以前に、もっと命にくっついている心があるのです。」(全生 昭和61年2月号)

命にくっついている?

それが、よくわかる逸話がある。
ある日、野口晴哉の道場に、イスラエル人女性がやって来た。
もちろん、 日本語は通じない。通訳がイスラエル語を英訳し、英語を日本語に訳してやっと、
「逆子を直してほしい」ことがわかった。

野口先生は、逆子も直せたの?

もちろん、お安い御用さ。
「
逆子というのは『おい、逆さまだよ』と言うと、直ってしまうのです。
赤ちゃんは、生理的に親の体にいい位置を取る。・・だから、日本人の場合は『おい、逆さまだよ』と言うと、ガラッと変わるのです。」(全生 昭和60年10月号)

そんな簡単に?・・でも、イスラエル人に日本語は通じない。

そこで、野口晴哉はどうしたか?
「私は子どもに話しかけようと思ったが、イスラエル語しか知るまいが、まあ、通るだろうと思って、『きみ、逆さまだぞ」と言ったのです。そうしたら『その瞬間にグルッと変わった』と彼女は言いました。そして、5日後に逆子でなく生まれたそうです。」(全生 昭和51年2月号)

「きみ、逆さまだぞ」?!
イスラエル人の赤ちゃんに、日本語が通じた?!

なにしろ
彼は、日本にいながら、アメリカで難産で苦しむ妊婦を安産させたこともある。
「
〈気〉は、お互いの〈気〉が合えば、アメリカにいても感応しますし、合わなければ隣りにいても、何の作用もしない。それが〈気〉というものなのです。だから私はこれを、『魂の感応』というのが本当ではないかと思っています。」(全生 昭和59年9月号)

「魂の感応」! 赤ちゃん、スゴイ!

すごいだろ? 赤ん坊はことばじゃなく、魂で感応する。
ことばを知ってしまった大人は、ことばでしか伝わらないが、ことばのないものには、ことば以外のもので伝わる。(全生 昭和60年10月号)

便利だなあ、英語を習ったりしなくてもいいんだ。
空っぽの心、いいなあ〜、
くろちゃんは、空っぽの心になったことある?

まだまだ、ほど遠いなあ。
小さい頃から「いつも、頭で何か考えてろ」って、しつけられてきたから、つねに頭を働かせているのがいいことだと思ってた。テレビを見てると突然、親父に「今、何が映ったか?」って聞かれて、答えられないと「常に、何か考えてろ!」ってどなられたな。

お父さんは正しい。
心が空っぽで、テレビ見てたらアブナイ、洗脳されてアホになるからだよ。

そうか〜 たしかに、潜在意識に入っちまうもんなあ。
親父は意外と、まちがってなかったのかあ。

意外と?

だが、
つねに頭を使い続ける人生は、キツイ。
整体に行って頭を触られると、いつも「頭が熱いですねえ」って言われたし。
頭がオーバーヒートしてたんだな。
こりゃいかん、もし倒れるとしたら頭だ、と気づいて、瞑想のまねごとを始めた。

瞑想してたの?

頭の中はグルグル止まらない、「迷走」の方が正解だ。
だが、
ただ静かに座ってるだけでも、だいぶ落ち着けた。

頭が忙しすぎたんだね。
なんで、そうなっちゃったの?

学校じゃないか?
おれたち、いらんもんをいっぱい、頭に詰め込まされて。
テストテストで、頭を酷使させられて。

たしかに受験戦争は、たくさん覚えたもん勝ちだからね。

おめえは、得だよな。心が空っぽ、いや頭が空っぽでうらやましい。

それって、ホメてるの?

ホメてない!
心で通じ合えるようになれば、ことばはいらなくなる

だけど
将来、ことばで話さなくても、心と心で通じるとしたら便利だね。

たしかに、ことばによる誤解も生まれないだろう。
ただ、心がきれいじゃないと、すぐに相手にバレるぞ。

ハッ! そうか、
心の掃除しておかなきゃ、恥ずかしいね。
心で通じ合えるようになれば、ことばはいらなくなる。
だって、ことばじゃ、正確な思いは伝えられないからな。
たしか、4分の1しか表せないって、
「東洋医学セミナー・中級」の最後の方で習ったはず。

あとの4分の3は、氷山の下の部分に隠されているんだよね。

つまり、
ことばを100%、鵜呑みにしてはいけないってことだ。

政治家のことばなんか、1ミリも真実は入ってないしね。

まさしく、ことば遊びでごまかしてばっか。
「
人間のことばは、言っていることばだけですべてを表している、と考えないことが大切であり、むしろことばは、頭で考えて作ったものであって、率直な要求がそのまま現れるのは、意識しない動作・・にこそ本心が現れていて、ことばはただ、その上に乗って遊んでいるだけなのです。」(全生 昭和59年5月号)

意識しない動作に、本心が現れてる?

つまり、「ありません」と言うから、「なかったんだ」と思うのはアホってこと。
相手の無意識動作、「当人の意識しない動作」を観察しろって言ってるんだ。
それによって「言わないことが分かる。動作を見ただけで、心の中の動きがわかる。」(全生 昭和51年3月号)

それ! あべぴょんのモジモジ、目パチパチのことだ。
あべぴょんは簡単だけど、
ぼくたちにも、無意識の動作とか見つけられるのかなあ?

エッヘン! おれが教えてやろう。
(子育て経験もない) おれが言うのもなんだが (モジモジ)・・
まじめに子育てすることだ。

そうか、竹下先生はそう言われてたね。

体は正直なもんだ。
たとえば、野口晴哉が、孫に「梅干しをやろう」と言った。
孫は、酸っぱそうな顔をして、ツバを出して後ずさりした。
「なめたことがあるのか」と聞くと「ない」という。

ゼッタイ、なめたことがある!

だろ? わかりやすい例をもう一つ。
ある日、道場の玄関に高級外車が停まり、正装した婦人がしゃなりしゃなりと下りてきた。ところが彼女が、操法を受けるためにうつ伏せなると、着物の尻のところがほどけているのが見えた。野口晴哉が「羽織を脱がないほうがいいですよ、破れている」と言うと、来たときとは大違い、こそこそ体をかがめて立ち去った。(全生 昭和51年3月号)

おもしろい!

「当人の心によって、体の動作まで違ってしまうのです。
しかも、それを当人は意識しないのです。」(全生 昭和51年3月号)

まさに、無意識の動作だ。
真剣に子育てをすれば、細かい観察眼が養われるから、無意識の動作も見逃さない。
たとえば、赤ん坊の泣き声だけでも、いや泣かなくても、おっぱいか、おむつか、眠いかわかる。
ところがおれは、未だにネコどもの鳴き声を、判別できないでいるんだが。

こないだ、くろまるを怒らせて、大変な目に合ったんでしょ?

夜中に、ニャアニャア起こしに来たから、「うるせえ」って無視して寝てたら、翌朝、備蓄倉庫が、一面キャットフードの海になってたあ・・・大袋が、いくつもビリビリにされて。
今の季節は、ゴキブリが湧いてくるから、大掃除になって大変だったわ。

「外に出して」って鳴いてるのに、無視したから、怒ったんだよ。
くろちゃんも、まだまだ、修行が足りないね。

オホン・・
つまり子育ては、言葉なきものの気持ちを感じ取るための、絶好の訓練ってわけだ。
わかったな♪

ネコもちゃんと、観察してネ。
Writer
ぴょんぴょん
1955年、大阪生まれ。うお座。
幼少期から学生時代を東京で過ごす。1979年東京女子医大卒業。
1985年、大分県別府市に移住。
1988年、別府市で、はくちょう会クリニックを開業。
以後26年半、主に漢方診療に携わった。
(クリニックは2014年11月末に閉院)
体癖7-3。エニアグラム4番(芸術家)
いかに正確に、病人の状態を感じ取るか。
いかに正確に、病人のことばの背後にあるものを読み取るか。
「月刊・全生」の野口晴哉の講演筆記から、ピックアップしてみました。