ユダヤ問題のポイント(日本 昭和編) ― 第24話 ― 自殺行為の何故?

 大東亜戦争、そして第2次世界大戦において不可解で謎の部分があります。
 大東亜戦争では、その真の首謀者である裏天皇の戦争目的の第一義は「黄金収奪」にあったのは明確です。しかし戦争の勝利については、裏天皇がどこまで本気だったのか?がよくわからないのです。少なくとも緑龍会は戦争の勝利を期して、その司令を配下に下していたはずですが……。
 日本と同盟を組んでいたナチス・ドイツの謎、ヒトラーはその構想を練って準備が整ってからオーストリアに、ポーランドに侵攻していると見受けられます。つまり、ヒトラーは本気で戦争に勝利しようとしていたはずです。
 しかしそのヒトラーの行為の中で、多くの人も疑問に感じているのがソ連侵攻です。元来のヒトラーの構想から見れば合点できる部分はありますが、やはり無謀な部分も大きく、疑問が残るのです。自殺行為となったからです。
 ヒトラーの師匠で日本とドイツの架け橋となっていたハウスホーファーも、ソ連侵攻など無謀と断じていたのです。そのハウスホーファーもナチス崩壊後に自殺しますが……。
(seiryuu)
————————————————————————
ユダヤ問題のポイント(日本 昭和編) ― 第24話 ― 自殺行為の何故?


儀式的自殺?のハウスホーファー


ヒトラーの師匠として1920年代から30年台ドイツを導いていたのがカール・ハウスホーファーです。しかし、ハウスホーファーとヒトラーの関係は徐々に悪化、ヒトラーがソ連に侵攻したことで、ハウスホーファーとヒトラーは完全に袂を分かつことになったようです。「ナチスとチベットの妖しい関係」記事には以下のようにあります。

ヒトラーが彼の地政学的主張を無視する形でソ連侵攻を開始(1941年6月)すると、ハウスホーファーのヒトラーに対する影響力は決定的に低下したのであった。

※ このハウスホーファーとヒトラーの関係悪化の状態は、ずいぶん前から始まっていたようで、1937年にハウスホーファーが日本に再来日した際には、ナチス本部から日本支部に秘密指令が出されており、その内容は「彼の歓迎を極力控えるようにし、しかも滞日中の動静を逐一ベルリンに報告するように」というものであったという。

1933年に政権を握ったヒトラーは、1938年にオーストリアに侵攻・併合。1939年にはポーランドに侵攻し、これが後の第2次世界大戦に発展します。進撃を開始したナチス・ドイツは破竹の勢いで欧州を席巻していきました。

しかし、このナチス・ドイツの快進撃を暗転させたのが1941年のソ連侵攻でした。事実、スターリングラード攻防戦(1942年6月~43年2月)の敗北によって、ナチス・ドイツは壊滅の道に入り、反転させることはできませんでした。結果的に見るとハウスホーファーの見解のほうが正しかったとも言えます。

ヒトラーのソ連侵攻作戦(バルバロッサ作戦)
Author:Dhammika111 [CC BY-SA]

この後のハウスホーファーですが、1944年のヒトラー暗殺計画にハウスホーファーの息子アルブレヒトが関与していたとして、アルブレヒトは処刑されます。ハウスホーファーはこの息子の件と妻がユダヤ系であったということで、ドイツにおける全ての権限が剥奪され、ナチス当局からは監視され、軟禁状態に置かれたりしたとのことです。

そして、ナチス・ドイツ崩壊後のハウスホーファー。

1946年に妻とヒ素を飲んで服毒自殺を図る。その際ハウスホーファーはヒ素では死にきれず、割腹自殺に切り替えて死去。
(ウィキペディア「カール・ハウスホーファー」)

このハウスホーファーの自殺、これはナチスとチベットの妖しい関係」では、次のように緑龍会の関係からであったとの見解を示しています。

個人に課せられた使命に失敗すれば、「緑龍会」の会員には儀式的な自殺が求められていたという。実際、ナチスの「使命」に失敗したあと、ハウスホーファーがやったのもまさにこれだった。

この見解はこの通りでしょう。「ナチスとチベットの妖しい関係」では、ナチス・ドイツ崩壊で廃墟と化したベルリンで、儀式的自殺をしたチベット人たちの様子を描いています。

7人の男の死体を眺めた。円の中央にあおむけに倒れている男の両手は祈るようにしっかり組まれていた。その手には不気味な「緑色の手袋」がはめられていた。しかし何より彼らを驚かせたことには、男の顔がまぎれもなく東洋人、それもチベット人のものだったことである。中央の男ばかりではなかった。ドイツの軍服を着てはいるが、周りの男たちもみなチベット人であった。
(中略)
チベット人たちは、殺されたのではなく何らかの儀式的な自殺を図ったらしいということだけだった。

ベルリンの国会議事堂の頂上に掲げられたソ連の国旗
ライヒスタークの赤旗

さらに「ナチスとチベットの妖しい関係」では、ナチス・ドイツが崩壊するも、最後まで激しい抵抗をしたのがチベット人たちで、その1000人を超える彼らが最後に儀式的自殺をしたというのです。

このチベット人たちは緑龍会と関係深い「緑人結社」の人物たちで、緑龍会のハウスホーファーも彼らと同様に自殺したと見受けられます。


ハウスホーファーの提唱とソ連との関係を警戒するヒトラー


ナチス・ドイツの崩壊で緑龍会のハウスホーファーが、そして「緑人結社」のチベット人たちが儀式的自殺を行いました。

「緑人結社」は、1908年の来日前のハウスホーファーに奥義を伝えたラマ僧のグループから派遣された人物群で、この「緑人結社」の人物たちの上位に居たのが緑龍会の覆面の首領でした。

ここから考えると、緑龍会はドイツに滞在する緑龍会関係者たちに、第2次世界大戦の勃発に際し、ナチス第三帝国の勝利を司令、最後のベルリン陥落時にもその司令を解除していなかったと見るのが自然です。緑龍会から発せられていた司令の成就が不可能の失敗となって、ハウスホーファー、そして「緑人結社」の人物たちが儀式的自殺をしたということです。

ヒトラーは、師匠のハウスホーファーの影響でオカルトパワーに傾倒していきました。しかし、その師弟もやがては関係が悪化、関係悪化の理由は、物質的意味ではソ連に対する扱いの相違がやはり決定的だと見受けられます。

政権奪取のヒトラーは反共産主義を掲げていました。ヒトラーは本来からソ連共産主義との対立姿勢です。

全権委任法成立後に演説を行うヒトラー
Wikimedia_Commons [CC-BY-SA]

しかし、ハウスホーファーのソ連への考えは違っていました。「ハウスホーファーはソビエト連邦とドイツの同盟の主唱者」ウィキペディア)とある通りです。また、ハウスホーファーは「地政学的には日本とドイツはソ連と提携しあうのが必須だと考えていた。」(「ナチスとチベットの妖しい関係」)とされます。

「戦争の勝利」、これを第一義に置く戦略ならば、「地政学的には日本とドイツはソ連と提携しあうのが必須」というハウスホーファーの提唱は理にかなっていたのかも知れません。そしてこの提唱はあながち無理な提唱でもありませんでした。

第2次世界大戦といえば、日本、ドイツ、イタリアの枢軸国と英、米、仏、ソ連の連合国の戦いの構図でしか私たちは教えられませんが、この構図は大戦の途中で出来上がったものに過ぎません。大戦勃発時の様相は違っていました。

1939年のナチス・ドイツのポーランド侵攻が第2次世界大戦に発展しました。当時ポーランド侵攻の構えを見せるヒトラーに対し、英仏はポーランドと相互援助条約を締結し支援を宣言。

一方、ヒトラーはソ連と独ソ不可侵条約を結び、英仏に宣戦布告しポーランドに侵攻。英仏は援軍を送らず、ポーランドはドイツとソ連によって分割されているのです。ポーランド侵攻の時点では、ヒトラーはソ連と手を結んでいたのです。反共産主義を掲げながらも実際にはヒトラー自身が、英仏とソ連が連携することを非常に強く警戒もしていたのです。

アメリカの新聞に掲載された、独ソ不可侵条約を揶揄する風刺画
Author:Clifford K.Berryman [Public Domain]


ソ連侵攻に踏み切ったヒトラー


ナチスを命がけで脱走したラウシュニングが、政権奪取前後の数年のヒトラーの言動を記したのが『永遠なるヒトラー』。この著に1934年時点でのヒトラーとの会話の記述があります。ヒトラーがナポレオンが為し得なかった偉業、英国を制覇し、全欧州を支配する自身の構想を語ります。

それに対し著者が質問します。

「英仏露が連合したらどうなりますか。」(p154)

と。

これに対しヒトラー。

「そのときは、もはや私は生きることはない。しかし、われわれが勝利することがなくても、自らの没落とともに、世界の半分をも没落に巻き込むであろう。したがって、誰もドイツに対する勝利を味わうことはないであろう。
「しかしそうすること(注:英仏露が連合)はあるまい。」
「さもなくば、全ては失敗に帰する。そして、その時、私は自分の地位を不当に僭称していたことになろう。

ヒトラーは欧州全域等の支配を見ていました。ゲルマン民族の生き残りと自立のための支配生活圏として、東方はコーカサス、西はフランス沿岸までを想定していたのです。

第2次世界大戦下におけるドイツおよび枢軸国による
ヨーロッパの占領地域(青)

しかし反面、その途上で自身の行動によって英仏とソ連が連携することになれば、それは自身の破滅に直結の自殺行為になると認識していたのです。

この認識をしていたヒトラーが、ソ連と結んでいた不可侵条約を破って1941年にソ連に侵攻するのです。状況としては次の通りです。

1940年、ドイツ軍は西方でフランスを瓦解させたが、バトル・オブ・ブリテンには敗北し、イギリスを屈服させることはできなかった。ドイツ軍首脳部はイギリスを背面にしてソ連を攻撃する二正面作戦に懸念を表明したが、ヒトラーは側近の助言をしりぞけ、「土台の腐った納屋は入り口を一蹴りするだけで倒壊する」と豪語した。
(ウィキペディア「バルバロッサ作戦」)

英国を背面にした軍事作戦であり、側近の軍首脳が懸念する危険な作戦でした。ハウスホーファーが絶対的に反対していたことです。ヒトラー自身が「自殺行為」と認識していたことに類する危険な作戦です。そして、事実として物質的な結果の現象としては「自殺行為」に帰しています。

それではなぜヒトラーは「自殺行為」となる軍事作戦を選択したのか?

元々ヒトラーの計画構想には、ソ連を打倒しての生活圏の確保があり、これは地政学として長期的見地でハウスホーファーと考えは共有していたでしょう。しかし問題は時期です。側近たちも懸念したように、英国を背面にした危険な状態でなぜ作戦に打って出たか?なのです。

これはヒトラー自身の性向と特殊な体質がやはりその一番の理由となるでしょう。

ただし、その背後には秘密の宇宙プログラムの進行や「未来戦争計画書」、つまりハルマゲドン計画が複雑に絡んでいるように思えます。


Writer

seiryuu様プロフィール

seiryuu

・兵庫県出身在住
・いちおう浄土真宗の住職
・体癖はたぶん7-2。(自分の体癖判定が最も難しかった。)
・基本、暇人。(したくないことはしない。)
・特徴、酒飲み。アルコールには強い。
・歯が32本全て生えそろっている(親不知全て)原始人並み。

これまでのseiryuu氏の寄稿記事はこちら


Comments are closed.