ユダヤ問題のポイント(近・現代編) ― 外伝94 ― マイダン革命

 日本が第二のウクライナになることが危惧されています。これには同感です。ウクライナ同様に、岸田政権もつくづく傀儡政権だと実感させられるからです。傀儡政権の象徴の一つになるのが、支離滅裂な日本外交です。
 ロシアとウクライナは戦争中です。これに対して、日本政府とメディアは総力を上げてウクライナに肩入れし、ロシアの敵国として振る舞ってきました。砲弾を打ち合うなどの戦闘は戦争の一部に過ぎません。戦争の大部分は後方支援の兵站にあり、日本はウクライナ側の兵站に協力しており、明らかにロシア側からは戦争の敵国なのです。極めて危険な行為です。公的には日本とウクライナとは条約などはなく、ロシアとの間には種々の条約や協定があります。となれば、ロシアとウクライナの戦争では、日本は普通はロシア側に、少なくとも中立にいるのが日本の立場のはずです。狂っているのです。
 また、日本では盛んに台湾有事が煽られ、日本政府副首相の麻生発言もありました。中国を敵国とし、台湾に肩入れする姿勢です。しかしこれも狂っています。そもそも日本は、先人が苦労を重ねて中国と日中共同声明から日中友好平和条約を正式に結んでいるのです。日本は公的には台湾を独立国家とせず、「一つの中国」の立場です。万が一、台湾有事があったとしても、それは日本からは中国の国内問題であり、内政干渉することではないのです。それを中国を敵国として台湾に肩入れする姿勢を見せるなど、これまた狂っているのです。
 更に付け加えると、日本は中国を敵国のように扱っていますが、日本が肩入れしているウクライナは、その中国と軍事協定を結んでいるのです。全く未だに米国戦争屋の傀儡と見る以外にない岸田政権のやっていることは、支離滅裂のことばかりなのです。
(seiryuu)
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ユダヤ問題のポイント(近・現代編) ― 外伝94 ― マイダン革命

ウクライナ暴力クーデター


2013年11月21日夜、ウクライナ首都キエフ(キーウ)の独立広場(マイダン)にて激しいデモ活動が発生し、マイダン革命が開始されました。2010年の大統領選挙にてユーリヤ・ティモシェンコ元首相を下し選出された親ロシア派のヴィクトル・ヤヌコーヴィチ大統領を、引きずり下ろす運動です。

ヤヌコーヴィチ大統領とプーチン大統領(2013年12月)
Author:Kremlin [CC-BY]

マイダン革命も基本構造はオレンジ革命と同様です。オレンジ革命では2004年11月、ウクライナ国民から選出された親ロシア派のヴィクトル・ヤヌコーヴィチ大統領に、「不正選挙だ!」と欧米勢力の息のかかったヴィクトル・ユシチェンコを支持する反対派が大騒ぎし大規模抗議運動を展開、同年年末についに親欧米派のヴィクトル・ユシチェンコをウクライナ大統領へとしたのです。

ユシチェンコ大統領は、ガスの王女と呼ばれたユーリヤ・ティモシェンコを首相に指名しタッグを組みます。しかし、欧米勢力に操られる彼らは私腹を肥やすことしか頭になく内紛となり、新政権発足から8カ月後の05年9月にユシチェンコ内閣の総辞職となったのです。

ユシチェンコ大統領とユーリヤ・ティモシェンコ(2007年10月)
Author:European People's Party [CC-BY]

こうして2010年に親ロシア派のヴィクトル・ヤヌコーヴィチがウクライナ大統領に再び選出されていたのを、再度引きずり下ろしていったのがマイダン革命でした。2014年2月には暴力行為を繰り広げるデモ隊が警察隊を、そして群衆を攻撃するなど騒乱状態となっていきます。その大騒乱の中で2月22日にヤヌコーヴィチ大統領は首都キエフを脱出するのでした。

この辺りの事実は2022/03/19の竹下さんの記事をご参照ください。西側に雇われ派遣されたスナイパーが反体制派のデモ集団と警察隊の両方に発砲し、計画通りにマイダンの大虐殺を導き、クーデターを続行させたとしています。

【閲覧注意】
正体不明の狙撃手によるデモ参加者と警官に対する発砲事件の検証場面
犠牲者はここに誘導され、そして殺されフィルムに収められた。(中略)...マイダンの大虐殺はクーデター続行計画の鍵であり、虐殺は前もって計画されたものであった。

マイダン革命という暴力クーデターでウクライナの実権を握ったのは、過激かつ暴力的な民族主義勢力(実質はネオナチ)でした。彼らはマイダン革命直後に、ロシア語の使用を制限するというロシア系住民を敵とする政策を宣言します。

こういった政策に対して、直ちに動いたのクリミア半島の住民たち(クリミア自治共和国)でした。ウクライナの南部と東部はロシア系住民が多数を占めているのです。ウクライナ南部でロシア系住民が多くを占めるクリミア自治共和国では、2014年3月16日に自分たちの帰属を問う住民投票が実施されました。その結果、住民の97%がロシアへの帰属を希望し、その結果を受けてクリミアは3月18日にロシアに編入されることになりました。

2001年ウクライナ国勢調査によるクリミア半島の民族割合
出典:「教養と看護(一部修正)
2014年クリミア住民投票
投票結果:Wikipedia
Author:Мики32 [CC BY-SA]


一方で、キエフ当局は同年4月に「反テロ作戦」と名付けてウクライナ南東部で軍事行動を開始することにしました。この流れで同年5月2日に「オデッサの惨劇」が起こされました。住民投票と母国語を話す機会を平和的に求めていた親ロシア派住民が、親欧米派のデモ隊に追い込まれます。親ロシア派住民が立てこもった労働組合の建物が放火され、この騒動で48人が死亡、200人以上が負傷したとされます。ウクライナ東部にて、ロシア系住民を標的にした大規模な軍事作戦が開始されました。



マイダン革命の実働主力


マイダン革命に先立つ2004年のオレンジ革命は、オレンジ家が首謀で、黒幕にはロスチャイルド一族などがいました。オレンジ革命の実務としてはジョージ・ソロスが資金提供、ネオコンのジョン・マケインやロバート・ケーガンが直接的に指揮をとったものでした。オレンジ革命で実動隊となったのが米国戦争屋のブッシュ・ナチ陣営ということになりますが、マイダン革命も同じような構図となっています。

マイダン革命でもジョージ・ソロスが資金提供し、実働部隊としてはジョン・マケインもやはり絡んでいますが、大きな役割を担ったのが当時オバマ政権の副大統領だったネオコンのジョー・バイデンでした。そして誰よりもビクトリア・ヌランドです。ヌランドの夫がオレンジ革命の主力だったロバート・ケーガンです。

ジョー・バイデン
Wikimedia Commons
[Public Domain]
ロバート・ケーガン
ビクトリア・ヌランド
Wikimedia Commons
[Public Domain]

2013年12月10日、当時は米国務次官補のビクトリア・ヌランドがキエフに到着しキエフのマイダンを訪れ、群衆にクッキーを配った映像が思い出されます。無論ヌランドがキエフで配ったのはクッキーだけではありません。2022/03/19の竹下さんの記事「ビクトリア・ヌーランドは、米国が『ウクライナの民主化』のために50億ドルを費やしたと証言」とありますから、この時にも相当の資金をウクライナのネオコンなどに配布したでしょう。

ちなみにこの頃ですが、まもなく放逐されるヴィクトル・ヤヌコーヴィチ大統領のウィキペディア記事には次のようにあり、留意が必要でしょう。ウクライナと中国は軍事協力関係にあるのです。

2013年12月に軍事的にも協力関係にある中華人民共和国を公式訪問し、中国ウクライナ友好協力条約を調印した。この際に「核の脅威にさらされた場合は相応の安全保障を提供する」という文があったため、中国がウクライナのヤヌコーヴィチ政権に核の傘を与えたとする見方が浮上

さて、ヌランドに戻りますが、ヌランドは、時期は不明ながらジェフ・パイアット駐ウクライナ大使とウクライナ傀儡政権への人選などを会話する電話が盗聴リークされました。その中でヌランドはウクライナ情勢へのEUへの不満をぶちまけ、「EUなんかくそくらえ!」と発言。これを2014年2月6日にヌランドはEU側に謝罪しています。


この時あたかもヌランドはウクライナに訪れ、間もなく放逐されるヤヌコーヴィチ大統領と会談していた頃でした。時系列上、ヌランドのウクライナ訪問後から、過激な民族主義者・ネオコンを中心とするデモ隊の暴力行為が激しさを増したのです。そして争乱状態の中で、潜伏させたスナイパーの働きもあって、マイダン暴力クーデターを成立させたわけです。オレンジ革命の夫のロバート・ケーガン同様に、マイダン革命の実働主力はヌランドだったということになります。


ネオナチ台頭の背景


マイダン革命が成立し、2014年5月「オデッサの惨劇」からウクライナ東部でロシア系住民を標的にした大規模な軍事作戦が開始、ネオナチのアゾフ連隊などがウクライナ東部のドネツクおよびルガンスクの人民を虐殺していきます。


この動きについて2022/02/24の竹下さんの記事では次のように指摘されています。

「2014年ウクライナ騒乱(マイダン革命によるウクライナの混乱は、ウクライナ東部の資源を手に入れる目的でネオナチを利用した西側のクーデターでした。西側にすれば、ドネツク地方とルガンスク地方に住む人々は邪魔な存在で、殺戮対象でしかありませんでした。

ブッシュ・ナチ陣営を中心とする西側の指令のもと、起こされたウクライナ争乱のは「ロシアつぶし」です。指令を受けたウクライナ内の実働部隊であるネオナチは、ロシア系住民を殺戮することでロシアを挑発し続けたのです。

翻ってウクライナ民族主義とも称されるネオナチが、なぜウクライナ内の実権を握れたのか?

時はスターリン時代のソ連に遡ります。当時ウクライナは当然ソ連の領内でした。ところがこのウクライナ、近・現代編 第7話で見たように、計画飢餓ホロドモールによって、1932年の冬から1933年の初夏にかけて、500万人以上1000万人にものぼるウクライナ人餓死者が出されているのです。また、当時は大粛清の嵐が吹き、多数のウクライナ人が殺害されてもいます。

路上に放置されているホロドモールによる餓死者
Wikimedia Commons [Public Domain]

これの本当の犯人はスターリンを操り、ホロドモールに直接関与した怪物ラーザリ・カガノビッチですが、この状況ではウクライナ人がロシア人に怨念を抱いても不思議ではないでしょう。こうしてウクライナ民族独立の動きが起きていたのです。

そして1941年に独ソ戦争が起こると、ウクライナの民衆の多くがナチス・ドイツを自分たちの解放者として歓迎し協力するのです。ウィキペディア「ウクライナ蜂起軍」記事に以下にある通りです。

1941年6月に独ソ戦が始まるとドイツ軍が侵攻し赤軍を撃退したことから、農民は「解放軍」として喜んで歓迎し、大勢のウクライナ人が兵士に志願し、取り残された共産党員を引き渡すなどナチスの支配に積極的に加担したほどであった。ウクライナ人国家独立を目標とするウクライナ民族主義者組織(OUN)も当初は親独のウクライナ国家を建設してドイツと同盟を結び、ソ連と戦うことを期待していた。

もっとも、ナチス・ドイツはその後にウクライナ人民に過酷な仕打ちをし、それに対しても民族主義者は戦ったとされますが…。

ともあれ、こういった背景がウクライナの民族主義者・ネオナチ台頭の背景にあったのです。ナチスに協力しユダヤ人虐殺(リヴィウポグロム)などを行ったステパーン・バンデーラが、マイダン革命後はウクライナの英雄とされるのでした。



Writer

seiryuu様プロフィール

seiryuu

・兵庫県出身在住
・いちおう浄土真宗の住職
・体癖はたぶん7-2。(自分の体癖判定が最も難しかった。)
・基本、暇人。(したくないことはしない。)
・特徴、酒飲み。アルコールには強い。
・歯が32本全て生えそろっている(親不知全て)原始人並み。

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