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[竹下雅敏氏]”偽の裏天皇”を守護するオモテ雑賀衆(八咫烏) 〜12烏の頭と金鵄の出自、“偽の裏天皇”の代理人K〜

竹下雅敏氏からの情報です。
 京都皇統 八咫烏協会の非常に興味深いフェイスブックから、晴明神社の写真を転載しました。このフェイスブックで扱われているものは、基本的に八咫烏と関係していると思って間違いないでしょう。そうすると、安倍晴明は八咫烏にとって重要な人物ということになります。
 ウィキペディアによると、921年に生まれ、陰陽師賀茂忠行・保憲父子に陰陽道を学び、天文道を伝授されたということです。こうした経緯を考えると、八咫烏公式サイトの中で、彼らが祀る河合神社の祭神の中に八咫烏神が居たわけですが、これは安倍晴明のことだということがわかります。
 2つ目の記事は大変興味深いもので、雑賀衆のタクシー運転手は、自分たちが“神武天皇を大和に導いたヤタガラスの子孫”であることを示し、頭(カシラ)の名が川端であると伝えています。このことを知った上で、晴明神社の写真の持ち主の名前を見ると、“川端明彦”となっています。非常に興味深いことだと思います。
 さて、この八咫烏のタクシー運転手が“わしらは雑賀衆です。それもオモテ雑賀で…”とあります。オモテ雑賀があるなら、ウラ雑賀があるのです。オモテ雑賀が2代目裏天皇・堀川辰吉郎、3代目・前田ゴロウを守護していたのだとすれば、ウラ雑賀は誰を守護しているのでしょうか。彼らが守護している人物の1人が、フルフォード氏が接触した南朝の末裔の小野寺直氏であることは確かです。しかし本当に重要な人物がもう1人居るのです。ウラ雑賀が守護する裏天皇です。要するに裏天皇は2人居るのです。
 オモテ雑賀衆が守護しているのが“偽の裏天皇”であり、ウラ雑賀衆が守護しているのが“真の裏天皇”なのです。この話は、また別の時に詳しくお伝えするつもりです。
 ここでは“偽の裏天皇”を守護するオモテ雑賀衆(八咫烏)をもう少し調べてみましょう。八咫烏はそのトップが12烏と言われ、その頭の名前が川端でした。さらに彼らの上位に3名の大烏が居て、金鵄という称号を持っていました。その金鵄の出自と思われるのが、3つ目の記事です。序列の順に、下賀茂神社の大宮司、鶴岡八幡宮大宮司の白井丈二氏、熱田神宮大宮司の曾孫の広瀬祐也氏とのこと。おそらく正しいものだと思います。
 記事によると、“黄金の百合の金塊を管理していたのは、秘密結社八咫烏の裏天皇の一人下鴨神社の大宮司の管理人K”とあります。このKという人物が、12烏が守護している“黄金の百合の管理人”なのです。“偽の裏天皇”の代理人と考えるとよくわかります。
 以前ある人物から、有栖川宮を騙るコダマという人物の名を聞いたことがあります。その人物は不思議な人物で、京都御所に住み、皇室の関係者でも容易に会うことが出来ないとのことでした。中国から預かった貴重な財宝が数多くあり、それを換金したいのだがあまりの名品で、すぐに足がついてしまうため、換金できなくて困っているというような話でした。おそらく、先の管理人Kではないかと思われます。
 ところがこの人物は亡くなったようで、別の人物が“新たな管理人”として選ばれたようです。そのことを示すのが最後の記事です。不思議な茶会が下賀茂神社で開かれています。客人の中に、先ほど示した“3名の金鵄”が出席しています。不思議な儀式をしていることから、裏天皇を守る人たちへの、お披露目だけではなく、神々に対しても神事による報告をしたと思われます。
(竹下雅敏)

注)以下、文中の赤字・太字はシャンティ・フーラによるものです。

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南方熊楠と豪商雑賀屋
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[竹下雅敏氏]サナト・クマーラの姿、「尊天」について、ウエサク祭の「清めの祈り」、ユダヤ教のラビと山伏、八咫烏の姿、天狗の羽の意味

竹下雅敏氏からの情報です。
 これまで八咫烏が崇拝しているのは、弥勒菩薩(マイトレーヤ)であり、そのマイトレーヤが仕えるサナト・クマーラであることをお伝えしました。日本ではクマラの転訛であるクラマ寺に、護法魔王尊として祀られています。
 2つ目の記事を見ると、その姿は天狗です。ウィキペディアによるとこの像は、「お前立ち」と称する秘仏の代わりの像ということです。当の秘仏はどうも聞いた話によると、異常なほど巨大な鼻を持っているとのこと。ちょうどお茶の水博士を天狗にしたような姿だと言えばわかりやすいでしょう。
 サナト・クマーラは、進化段階が1.0以上2.0未満のイニシエートにはお前立ちの姿で、2.0以上3.0未満の者には秘仏の姿で、イニシエートの前に現われたのです。3.0以上の進化段階の者には、本来の16歳の少年の姿で現れたのです。
 護法魔王尊がサナト・クマーラであることは、ウィキペディアの本尊の説明から間違いありません。この内容は現代神智学が教えるサナト・クマーラの記述と同じです。ただ1つの違いは金星から地球に降臨した時期が650万年前ではなく、1850万年前だということです。これは神智学の方が正しいと思います。
 さて、本尊の「尊天」は毘沙門天、護法魔王尊、千手観音の三位一体の姿ということです。12月9日の記事の図の太陽ハイアラーキーの中の“太陽神の三位一体、Ⅰ父 Ⅱ子 Ⅲ聖霊”を見てください。尊天はこの父・子・聖霊に対応するのです。個人名は順に、サナンダ、サナト・クマーラ、マハー・アヴァター・ババジです。実は紀元前ではこの三位一体はマハー・アヴァター・ババジではなく、サナータナだったのです。太陽ロゴスであるサナカと、この3名がブラフマーの4人の息子たちになっていたわけです。
 ところがマハー・アヴァター・ババジが西暦203年11月30日にナガラジとして転生に入り、偉大な達成をした(マーシャル・ゴーヴィンダン著「ババジと18人のシッダ」)ことで、順位が入れ替わったのです。私たちの太陽系では第2ロゴスが主光線であるため、仏像として安置する時には、第2ロゴスのサナト・クマーラである護法魔王尊を一番左に置くわけです。
 次の記事はウエサク祭の「清めの祈り」が紹介されています。この中で魔王尊が人類に遣わす救世主とは、明らかに弥勒菩薩(マイトレーヤ)です。
 護法魔王尊は天狗の姿をしていたということでしたが、“続きはこちらから”以降の記事を見ると、これは山伏の姿だということがわかります。しかもその姿はユダヤ教のラビの姿とそっくりです。修験道が日本古来の山岳信仰ではないことがよくわかります。ほとんどユダヤ人の姿です。八咫烏はどのような姿をしているのかですが、実は山伏の姿にとてもよく似ています。違いは全身が真っ白だということです。私はヴィジョンで八咫烏の12烏の頭の姿を見ています。
 最後の写真の天狗は羽が生えています。これは実際に羽が生えているのではなくて、修験道で霊能を身につけた行者は、肉体を離れて様々な場所に移動することが出来るのです。これは幽体離脱ではありません。エーテルダブルによる離脱です。仙道では陰神による離脱ということになります。意思のままに空中を自由に移動できるので、象徴的に羽の生えた姿で表現するのです。
 烏天狗という言葉がありますが、これは八咫烏のことではないかと思います。要するに、こと人間世界において、彼らは最高レベルの天狗であり、術の使い手であるわけです。
(竹下雅敏)

注)以下、文中の赤字・太字はシャンティ・フーラによるものです。

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転載元より抜粋)
鞍馬寺
鞍馬寺(くらまでら)は、京都府京都市左京区鞍馬本町にある寺。1949年まで天台宗に属したが以降独立して鞍馬弘教総本山となっている。本尊は寺では「尊天」と称している。「尊天」とは毘沙門天王千手観世音菩薩、護法魔王尊の三身一体の本尊であるという。

仁王門

仁王門


所在地 京都府京都市左京区鞍馬本町1074
本尊 尊天(毘沙門天王千手観世音菩薩・護法魔王尊)
創建年 伝・宝亀元年(770年


本殿金堂

本殿金堂


歴史

寺に伝わる『鞍馬蓋寺縁起』(あんばがいじえんぎ)が草創縁起を伝えており、鑑真の高弟・鑑禎が宝亀元年(770年)に草庵を結び、毘沙門天を安置したのが始まりという。

9世紀末の寛平年間(889年 - 897年東寺の僧・峯延(ぶえん)が入寺したころから、鞍馬寺は真言宗寺院となるが、12世紀には天台宗に改宗し、以後の鞍馬寺は長く青蓮院の支配下にあった。

昭和期の住職・信楽香雲(しがらきこううん)は、1947年鞍馬弘教を開宗。1949年には天台宗から独立して鞍馬弘教総本山となっている。

京都の奥にある鞍馬山は山岳信仰、山伏による密教も盛んであった。そのため山の精霊である天狗もまた鞍馬に住むと言われる。鞍馬に住む大天狗は僧正坊と呼ばれる最高位のものでありまた鞍馬山は天狗にとって最高位の山のひとつであるとされる。

本尊

鞍馬寺本殿金堂(本堂)の本尊は「尊天」であるとされる。堂内には中央に毘沙門天、向かって右に千手観世音、左には護法魔王尊が安置され、これらの三身を一体として「尊天」と称している。

奥の院魔王殿(拝殿)

奥の院魔王殿(拝殿)

「尊天」のひとり、「護法魔王尊」とは、650万年前(「650年」の間違いではない)、金星から地球に降り立ったもので、その体は通常の人間とは異なる元素から成り、その年齢は16歳のまま、年をとることのない永遠の存在であるという[2]

本殿金堂の毘沙門天・千手観世音・護法魔王尊はいずれも秘仏であるが、秘仏厨子の前に「お前立ち」と称する代わりの像が安置されている。お前立ちの魔王尊像は、背中に羽根をもち、長いひげをたくわえた仙人のような姿で、鼻が高い。光背は木の葉でできている。多宝塔に安置の護法魔王尊像も同じような姿をしている。このことから「鞍馬天狗」とはもともと護法魔王尊であったと思われる。また、16歳とされているわりに歳をとった姿をしている。


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金星から やって来た
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護法魔王尊の歌
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[竹下雅敏氏]籠神社の奥宮である眞名井神社について 〜日本の中に入り込んだ“成りすまし”の天才達と背後にいた神々との構図〜

竹下雅敏氏からの情報です。
 今日は、籠神社の奥宮である眞名井神社について説明します。眞名井神社の祭神は豊受大神ということになっています。天照大神、豊受大神は女神と言われていますが、ホツマツタヱを読むとどちらも男神です。私自身もヴィジョンによって豊受大神の姿を見ていますが、70歳位の老年の男性でした。ホツマツタヱによると彼は西王母に対する東王夫と呼ばれています。
 本当のところは、西王母は豊受大神の妾であり、豊受大神によく仕えたことでホツマの神に昇進させてもらったという背景があります。中国の伝承では、西王母はあらゆる神仙・仙女達を統括する位にあったわけで、豊受大神がいかに天界において高い位置に居たかがよくわかります。ホツマツタヱの系図によれば、豊受大神はイザナミノミコトの父であり、天照大神の祖父となります。
 籠神社と同様で、表向きは眞名井神社の祭神は豊受大神ですが、彼はホツマの神の中でも最高位に属する神格の神でした。従って八咫烏の礼拝の対象ではありません。彼らはホツマの神自体の存在を知らなかったと思います。
 八咫烏の信仰の核はユダヤ教の密教に当たるカバラであることをこれまで示してきました。現代神智学がそれを顕教化したものであることから、祭神を推理することが可能です。眞名井神社は籠神社の奥宮であり、籠神社の八咫烏にとっての祭神「サナト・クマーラ」よりも上位の存在であると考えられます。そうすると12月9日の記事で取り上げた表の中で、対応するのは太陽ロゴス(神)以外にはありません。すなわちヒンドゥー教のプラーナ文献に記されたブラフマーの息子たちのサナカなのです。
 太陽ロゴスがサナカであることを知っている者はほとんど居ないので、おそらく八咫烏は個人名を知らず、太陽ロゴスとして礼拝していたのではないかと思います。サナカが太陽ロゴスであることは、ブラヴァッキー夫人も知らなかったのです。
 さて、記事によると、籠神社の宮司を務めて来た海部一族の裏家紋がダビデの星であるということです。応神天皇の時代に姓を賜ったということで、応神天皇は渡来人を優遇したことが知られているので、彼らもイスラエル人の末裔であることはほぼ間違いないだろうと思います。
 これまで見てきたように、日本の中に入り込んだイスラエル人・ユダヤ人は、祭神を自分たちの礼拝する魔に入れ替える、本来の歴史を改ざんし自分たちに都合のいい歴史書を編纂する、自分たちの出自を偽るなど、“成りすまし”の天才ではないかと思います。少なく見積もっても1300年は下らないスケールで、このような隠ぺいを行なっています。彼らが最終的に人々に信じさせたいのは、神武天皇が彼らと共に渡来したイスラエル人だと言いたいのでしょう。このような暴挙はホツマツタヱを読めば、直ちに反駁出来ます。さらに“籠神社は元伊勢ではない”と主張している方が居ます。私もその通りだと思います。過去の歴史を偽り、自分たちの出自を偽るなど、嘘ばかりついている連中で、霊的には大罪だと言えます。どの段階で彼らが正式に謝罪し、人々が本当の歴史を探求することを許すのか、注視していたいと思います。
 彼らの陰謀に対して激しく怒ったのが、日本のホツマの神の軍神・タケミカヅチです。日本の歴史はタケミカヅチを中心とした春日神と、秦氏一族を擁護したホツマの神の応神天皇を中心とする八幡神との激しい抗争でした。多くの方は、秀吉がキリスト教を排除しなければとうの昔に神道は滅ぼされ、日本はイルミナティに乗っ取られていたという事がわかると思います。明治になって神仏分離令が出され、八咫烏たちが追い詰められ、大本教が弾圧された背景も、そうした事情があります。
 ただ問題なのは、八幡神のグループは「(偽の)銀河連邦」を援助したのに対し、春日神のグループは「光の銀河連邦」を援助したということです。要するに悪が悪と天界の覇権をかけて争っていたという構図です。気を付けないといけないのは、応神天皇もタケミカヅチも悪神や悪霊ではないことです。権力欲の非常に強い神だったということで、これらの者たちはそのほとんどが“天界の改革”で滅びてしまいました。
(竹下雅敏)

注)以下、文中の赤字・太字はシャンティ・フーラによるものです。

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籠神社
転載元より抜粋)
スクリーンショット 2014-12-11 20.26.29
籠神社(このじんじゃ)は、京都府宮津市にある神社

祭神

主祭神
  • 彦火明命(ひこほあかりのみこと)
    天火明命、天照御魂神、天照国照彦火明命、饒速日命ともいうとする。社家・海部氏の祖神。
 
歴史
創建
 
社伝によれば、現在伊勢神宮外宮に祀られている豊受大神は、神代は「真名井原」の地(現在の奥宮・真名井神社)に鎮座したという。白鳳11年(671年)彦火明命から26代目の海部伍佰道(いほじ)[注 2]が、祭神が籠に乗って雪の中に現れたという伝承に基づいて社名を「籠宮(このみや)」と改め、彦火火出見尊を祀ったという[2]。その後養老3年(719年)、真名井原から現在地に遷座し、27代海部愛志(えし)が主祭神を海部氏祖の彦火明命に改め、豊受・天照両神を相殿に祀り天水分神も合わせ祀ったと伝える[2]。 

真名井神社社殿(府指定文化財)

真名井神社社殿(府指定文化財)

奥宮(境外摂社)

  • 真名井神社 (まないじんじゃ、眞名井神社)[12]

    • 鎮座地:京都府宮津市江尻(位置) - 本宮の北東約400m
    • 磐座主座(上宮)祭神:豊受大神
    • 相殿神:罔象女命、彦火火出見尊、神代五代神
    「下宮」とする本宮に対して、奥宮の主座は「上宮」に位置づけられる。社殿は桁行一間、梁行二間の神明造で、檜皮葺。天保3年(1831年)の造営で、京都府の有形文化財に指定されている[13]。社殿裏に2つの磐座がある。

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    [竹下雅敏氏]賀茂一族が伝承している裏神道・漢波羅(カバラ)の最奥義とは 

    編注)コメントを追記(最終段落)いたしました。(0:03)
    竹下雅敏氏からの情報です。
     秦氏の中で最も重要な一族で、裏神道・漢波羅(カバラ)の奥義を伝承しているのが賀茂一族だ、ということでした。従って、彼らの中枢は下賀茂神社にあることになり、前回はその関係から、八咫烏の本宗と仮本宗を推理しました。
     今回はウィキペディアにあるこの2つの神社の祭神を考察することで、彼らの裏神道秘儀がいかなるものであったのかを推理します。今日の推理が核心部分です。
     籠神社の祭神は、彦火明命で、別名が天火明命、天照御魂神とのこと。これに対し、木嶋坐天照御魂神社の祭神は、“本来は「天照御魂神」を祀る神社”とあります。すなわち祭神は同じなのです。
     天火明命の由来を調べてみると、“続きはこちらから”以降のようになります。出自が伝承によって異なり、よくわからない神なのです。ところがホツマツタヱを読むと、こうした伝承の混乱がたちどころに氷解します。このブログの系図をご覧ください。天照大神の子・天忍穂耳命に2柱の子として、瓊瓊杵尊(ニニキネノミコト)とホノアカリテルヒコが居ます。ホツマツタヱで天火明命と言えばホノアカリテルヒコの事です。彼は饒速日命(ニギハヤヒノミコト)を養子にしたことがホツマツタヱを読めばわかります。要するに、ホツマツタヱは神々の系図に関する非常に正確な情報を伝えているわけです。こうした正確な伝承が人々に知られると、日本人の中に入り込んだ秦氏一族は大変困ることになります。
     実は八咫烏にとって、木嶋坐天照御魂神社の祭神は弥勒菩薩(マイトレーヤ)なのです。この神社がおそらく秦氏によって建てられたこと、聖徳太子のブレインの秦河勝が関与した広隆寺には、非常に有名な弥勒菩薩像があります。このことから、秦一族は原始キリスト教徒で、彼らにとっての救世主(キリスト)として、弥勒菩薩(マイトレーヤ)を崇拝していたと考えられるのです。彼らは正統派のキリスト教徒とは異なり、イエスをキリストとは考えていなかったのがわかります。原始キリスト教徒にとって、イエスは単にモーセと同じような偉大な予言者だったのです。
     それでは籠神社の祭神は誰かですが、八咫烏にとってはサナト・クマーラなのです。ユダヤ教の顕教と密教では、旧約聖書の解釈が異なります。顕教では彼らの神はテトラグラマトン(YHWH)であり、宇宙を創造した神です。楽園でアダムとイブを誘惑した蛇は、ルシファーであり悪魔となります。
     ところが密教では、YHWHは悪魔あるいは愚かな神であり、人間に理性の光を与えたために地に投げ落とされたルシファーこそが人類にとっての救世主なのです。すなわちルシファーとはサナト・クマーラのことです。ルシファーの意味は“光を掲げる者”で、八咫烏が天火明命をルシファーにすり替えたのは、とてもよくわかります。
     要するに賀茂氏の裏神道・漢波羅の最奥義とは、司祭が直接マイトレーヤ(弥勒菩薩)、サナト・クマーラ(ルシファー)と交信することなのです。彼らはこれらの連中が“天界の改革”ですでに滅ぼされ、完全に消滅したことを理解していなかったようです。
     今回のコメントには多くの推理があります。もし私の推理が間違っていて、秦氏一族の名誉を著しく傷つけるということであれば、是非本当はどのような祭祀を行っていたのか教えてください。いつでもコメントを訂正させていただきます。
    (竹下雅敏)

    注)以下、文中の赤字・太字はシャンティ・フーラによるものです。

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    籠神社
    転載元より抜粋)
    籠神社(このじんじゃ)は、京都府宮津市にある神社
    元伊勢の一社であり、「元伊勢籠神社」とも称する。

    スクリーンショット 2014-12-11 20.26.29

    祭神

    主祭神
    • 彦火明命 (ひこほあかりのみこと)
      天火明命天照御魂神、天照国照彦火明命、饒速日命ともいうとする。社家・海部氏の祖神。
    相殿神
    • 豊受大神 (とようけのおおかみ) - 御饌津神ともいうとする。
    • 天照大神 (あまてらすおおかみ)
    • 海神 (わたつみのかみ) - 社家・海部氏の氏神。
    • 天水分神 (あめのみくまりのかみ)
    祭神については古くより諸説があり[1]、『丹後国式社證実考』では伊弉諾尊[注 1]、『神社明細帳』では天水分神としている。

    神職

    当社の神職(社家)は、古くより海部氏(あまべうじ)の一族が担っている。

    一族には、現存では日本最古の系図「海部氏系図」(国宝、平安時代の書写)が残されており、彦火明命を始祖(初代)として82代の現宮司までの名が伝えられている[5]

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    木嶋坐天照御魂神社
    転載元より抜粋)
    木嶋坐天照御魂神社(このしまにますあまてるみたまじんじゃ)は京都市右京区太秦にある神社である。

    通称木嶋神社(このしまじんじゃ)。また、本殿東側に織物の始祖を祀る蚕養(こかい)神社があることから蚕の社(かいこのやしろ)の通称が広く知られている。

    スクリーンショット 2014-12-11 22.23.43

    祭神

    現在では祭神を天御中主命大国魂神穂々出見命鵜茅葺不合命としている。

    木嶋坐天照御魂神社は「木嶋に鎮座する天照御魂神の社」という意味で、本来は「天照御魂神」を祀る神社ということになる。この「天照御魂神」がどの神を指すのかについては諸説ある。『葛野郡神社明細帳』では上述の神々の他に爾々芸命の名を挙げている。『神祇志料』では天火明命のこととしている。関西には、ほかにも「天照(アマテル)」のつく神社がいくつかあり、元々はそれぞれ当地の太陽神を祀っていた神社と考えられている。

    歴史

    続日本紀大宝元年(701年)4月3日の条にこの神社の名があることからそれ以前から祭祀されていたとされる。

    この神社がある嵯峨野一帯はかって朝鮮半島を経由して渡来した秦氏が製陶、養蚕、織物などの技術を持ち込んだ。蚕が祀られているのもそれゆえである。

    ここ10年の間に、境内の池の湧き水が枯渇してしまった。

    社殿

    社殿の西にかつては湧水が豊富であった「元糺の池」(もとただすのいけ)という池の中に三柱鳥居がある。これも起源不明ながら現存するものは天保2年(1831年)に再興されたものである。

    三柱鳥居

    三柱鳥居



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    [竹下雅敏氏]八咫烏の至高至貴の神社である本宗(ほんそう)と仮本宗

    竹下雅敏氏からの情報です。
     ウィキペディアに出ている八咫烏の記述は、かなりよく書けていると思います。これまでに揚げた様々な情報から、内容はわかりやすいものだと思いますが、この中で重要な点が2つあります。
     1つは“八咫烏は下賀茂神社境内にある糺の森河合神社を仮本宗と位置付けており、組織内では八咫烏神、賀茂建角身命…を祭神として奉っている”という部分です。もうひとつは、文末の赤字にしたところで、彼らのメンバーがどのような所に存在しているかを示す部分です。2つ目の内容は、今後言及することになります。
     今回は1つ目の要点を記述しておこうと思います。河合神社の祭神は、上賀茂神社の祭神・賀茂別雷命の母の玉依姫ですが、八咫烏は記事の中に書かれている八咫烏神以降の6名を祭神としているのです。この連中はこの例でわかるように、彼らの中で勝手に祭神を入れ替えています。
     しかも仮本宗として河合神社を挙げていますが、これは“本当の仮本宗”を隠すためなのです。本宗(ほんそう)というのは彼らにとって、至高至貴の神社のことで、本当の仮本宗は、木嶋坐天照御魂神社のはずです。ここには有名な三柱鳥居があります。ウィキペディアに、“この神社がある嵯峨野一帯はかって朝鮮半島を経由して渡来した秦氏が製陶、養蚕、織物などの技術を持ち込んだ。蚕が祀られているのもそれゆえである”とあるように、古代ユダヤ人の末裔である秦氏の信仰が原始キリスト教であったことを示します。
     先ほどの河合神社が“糺の森”にあるのに対し、木嶋坐天照御魂神社は“元糺の池”という池の中に三柱鳥居があるのです。ただし現在では湧き水が枯渇してしまったようです。
     さて、八咫烏の仮本宗ではなく、本宗はどこでしょうか?実は元伊勢と言われる籠神社です。要するに表の神道は伊勢神宮が頂点にあり、裏の神道では、元伊勢の籠神社が彼らの中で頂点にあるのです。よく霊能者が、“伊勢神宮よりもずっとパワーがあるのが籠神社”と言うのはこういう理由です。私から見て、自分は闇の組織の一員だというのを暴露しているのに等しい発言です。
    (竹下雅敏)

    注)以下、文中の赤字・太字はシャンティ・フーラによるものです。

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    八咫烏 (結社)
    転載元より抜粋)
    八咫烏(やたがらす)とは古代氏族の賀茂氏の一部が日本における神道、陰陽道、宮中祭祀を裏で仕切っているとされる組織。正式名称は八咫烏陰陽道。

    概要

    八咫烏の代表者とされる林裕之によると八咫烏は賀茂氏の祖とされる吉備真備天平十六年十一月(西暦744年)に藤原氏の朝堂独占に対抗するために 聖武天皇の密勅により丹波国で結成したのが始まりという。

    八咫烏は天平時代から幕末にかけて主に迦波羅(かばら)と呼ばれる秘術を核とした神道陰陽道宮中祭祀を執り行い、 京都御所における食事や掃除、湯浴みに至るまで天皇や内廷皇族の日常的な事柄を一手に引き受けていたとされる。

    その他、天皇の身に危険が及ぶ自体が起こった場合、聖護院に連れて行き自体が収束せずに更に危険が拡大すれば聖護院から あらかじめ決められた極秘の道に従って神社や寺等を点々として、最終的に天皇を奈良吉野に逃がす役割を担っていた。 この間に滞在する神社と寺の主はすべて八咫烏の構成委員またはその血族者で固められていたという。

    八咫烏は下鴨神社境内にある糺の森河合神社を仮本宗と位置づけており、 組織内では八咫烏神、賀茂建角身命秦伊呂具役小角聖武天皇 八咫烏開祖の吉備真備を祭神として奉っている。また八咫烏は大烏と呼ばれる3人の実質的指導者がいるとされ、三位一体で金鵄という称号で呼ばれ、 俗称で裏天皇ともいわれているとされる。

    近代の八咫烏

    八咫烏は江戸後期、徳川家定の時代から幕府や朝廷が次第に陰陽道や八咫烏の祭祀儀礼に頼らなくなっていったことから、 八咫烏の影響力は退潮傾向にあった。 幕末に孝明天皇父子が暗殺され、替え玉として長州藩出身の大室寅之祐が明治天皇としてすり替えられて即位したことで、宮中祭祀と天皇・内廷皇族の葬式の分野を除いて朝廷や皇室における八咫烏の影響力は殆ど失われたとされる。

    続く明治時代では八咫烏とは縁が無い土肥薩長出身者が主導する明治藩閥政府が神仏判然令神社合祀令、 天社禁止令修験禁止令等の形で直接間接の弾圧を行ったことで、大日本帝国憲法が公布される頃には解体寸前まで追い込まれるほど衰退の危機に瀕した。

    しかしその後も八咫烏は存続し、岡山県総社市上原や高知県香美市で上原大夫いざなぎ流と呼ばれる陰陽師村を築いたり、 頭山満や内田良平などの人物を代理人として反体制的な政治活動をさせることで勢力拡大を図ったとされる。

    戦後の八咫烏

    戦後、GHQ占領軍の神道指令や境内地の接収、国家主義団体とみなされた結社の解散などの 社会政策や神社本庁創設による神社界の締め付けが原因で八咫烏の財力や影響力は戦前よりもまして大きく削がれ零細化したとされる。現在八咫烏は天皇・内定皇族の葬儀を担う八瀬童子の大半、皇室の際し実務を担う内定職員の一部、 上賀茂神社、下賀茂神社の非公式神職や民族派団体幹部の一部にメンバーがいたとされる。

    特に21世紀になってから八咫烏は存続を図るために、スターシードと呼ばれる独自に「神童」とみなした 青少年を少人数スカウトして神道学を基本として特殊な教育を受けさせており、任意で次世代のメンバーに登用しているとされ、 その中から2011年10月に八咫烏の代表者(但し指導者ではない)に補命された林裕之が「sound.jp/yatakarasu/」のURLで未完成の八咫烏の公式サイトを開設している。

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