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伊藤貫氏の「思想的な観点から、アメリカ人の考え方をマネしてはいけない」 ~心理学者や教育学者のいうセルフ・リアライゼーション(自己実現)とは、単に社会的成功を意味しており、非常にレベルの低い価値観

竹下雅敏氏からの情報です。
 伊藤貫セミナーの3回目です。1回目は「政治的・軍事的な拝米主義は日本の自滅に繋がる」、2回目は「経済政策における拝米主義は間違い」という話でした。
 今回は「思想的な観点から、アメリカ人の考え方をマネしてはいけない」ということを説明しています。
 長い動画なので、印象に残った部分を抜き出し、その事について私の感想や見解を述べていこうと思います。
 28分7秒のところで、“アメリカの心理学者と教育学者が言い出した「教育というのはハイ・セルフ・エスティーム(高い自尊心)とハイ・セルフ・リアライゼーション(高い自己実現)を目指せばいい」というのは、一見もっともらしく聴こえる。しかしこれは、競争することよって社会全体の生産性が上ってみんなうまくいくはずだという、最終的には「自分だけ良ければいい」という行動に繋がり、この思想は誤りである”というような事を話しています。
 心理学者や教育学者のいうセルフ・リアライゼーション(自己実現)とは、単に社会的成功を意味しており、非常にレベルの低い価値観です。宗教における自己実現は、真我(ジーヴァ)を実現する事を意味します。百歩譲って「悟り」を得ることだと言っても良いです。
 こうした低い価値観に踊らされて努力し成功を収めたとしても、“能力主義的な競争に勝った人たちは、負けた6割~8割の人を馬鹿にする(30分)”ようになると伊藤貫氏は話しています。
 私は本当の意味で「高い自尊心」を持つ人というのは学歴や年収、社会的地位とは無関係に、人そのものを見ていると思います。そういう人は賢者であり、社会のあらゆるレベルに存在します。
 分かりやすい例えでは、どんなに高い社会的成功を収めても自分を偉いとは思わず、また学歴や年収や社会的地位が低くても自分を愚かだと思わない人は賢者だと言えます。「賢者は自己に安らい、愚者は理想を追い求める」のです。
 31分34秒では、“トランプを支持している人たちは圧倒的にボトム7割、上手く立ちまわるのが下手な人達”だと話しています。自分が不幸なのは社会が不公正だからであり、トランプが正してくれると信じているのでしょう。
 「社会が不公正」なのは事実ですが、「自分が不幸」なのは自分の中に問題があるからです。自分自身の心の中にある問題を見つめて解決しようとせず、社会の不公正を問題にすれば、その人が幸福になる事はないでしょう。
 1時間10分38秒で伊藤貫氏が影響を受けた人たちは、みんな古典主義者で正統主義者だったと話しています。“人間には大切にすべき古典的な良い考え方がある。最近の200~300年の言論人の薄っぺらな思想ではなく、過去2500年の思想の中で今でも光を放ち続けるのが、「尊敬すべき人達」なのであって、そういう人たちの思想を尊重するのが古典主義であり正統主義である”と言っています。
 1時間18分40秒のところでは、“実を言いますと、安倍さんの外交政策、軍事政策も評価してなかった。結局はアメリカの一極覇権主義の政策に利用されているだけ。彼の経済政策にしても外交政策にしても軍事政策にしても、結局は岸とか佐藤栄作とか中曽根と同じようにアメリカの覇権主義的なグランド・ストラテジーに都合のいいように利用されていただけではないか。安倍さんは日本の国益にとってマイナスの存在だった。ただし、安倍さんのことをちょっと弁護すると、過去79年間の日本の政治家の中で拝米主義は間違いだと本気で考えて行動しようとした人は、重光葵(しげみつまもる)さんと石橋湛山(いしばしたんざん)の2人ですから、安倍さんがその他大勢の拝米主義者として行動したのも、まあそんなものかなという風に考えております”と話しています。
 1時間31分50秒では、哲学者にとって一番大切な問題は「人間が生きる意味」と「人生の目的」の二つである。アメリカ人は実利主義者であり、自分にとって利益があるかどうかで判断するだけで、深い思想は持っていない、と言っています。
 「人生の目的」は愛を学ぶことです。「愛」は感情ではありません。それは真の自己(ジーヴァ)のヴァイブレーションなのです。至高の本質であり、存在そのものです。あなたが目的を持たないとき、愛はそこにあります。
 哲学者が「生きる意味」を問うとき、自分が正しく生きていないことを自覚しているのです。なぜ、正しく生きられないのかと言うと、目的を追求し理想を追い求めているからです。
 目的を追求し理想を追い求めている人は、「今」を否定しているのです。彼の中では、変わらなければならない自分、変わらなければならない世界があるのです。しかし、それはありのままの自分を否定することであり、世界を否定することなのです。そこに「愛」はありません。
 「人生の目的」は何か? それは愛を体現することです。そして、その状態は目的を持たないことなのです。
(竹下雅敏)
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アメリカ文明のモラル崩壊と日本への警告
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教育において一番に求められるのは教師の人格。教師よりもさらに重要なのは母親 〜 幼い子どもにとって、母親は最初の、そして最大の教師 |「家庭に愛がない」「夫婦に愛がない」「ハートに愛がない」地球の人々 〜 哲学も宗教も本当の探究の段階に入る際に最も重要な本質は「愛」

竹下雅敏氏からの情報です。
 2月13日の記事で『キッシンジャーの栄光と残虐!!! Part①|伊藤貫×室伏謙一』を紹介しました。Part①で伊藤貫氏は、“彼が国際政治学で、どういうパラダイムを広めようとしたかと。どういうパラダイムを提唱したかと。その裏にはどういう哲学観、人間観、それから世界観があったのか、ということまできちんと勉強しないと、キッシンジャーっていうのはどういう人間だったのか、ということを正確に捉えることはできない”と言っていました。
 Part②では、“キッシンジャーは「高校と大学の教育が全然ダメだ」という風に言ってますね(8分40秒)。…何でも平等にしなきゃ駄目だと。それから何でも、とにかく大衆の利益になればいいと。もう1つは、何でもとにかく利益になるものじゃなきゃ駄目だと。お金儲けに繋がるものばかり教えれば、それで十分なんだと。お金儲からなくてどうすると。みんなお金持ちになりたいんだと。大学に行くのも将来の生涯所得を最大化する為に大学に行くんだと。こういう風になっちゃった訳ね(14分10秒)。…学校の試験で高い点数を取る能力というのは、人間の能力のせいぜい半分なんですよ。…独立してものをじっくり考える能力があるかっていうのはペーパーテストでは絶対測れないんですよ(15分10秒)”と言っています。
 私は小・中学校を含めて「教育が全然ダメだ」と思っています。教育において一番に求められるのは教師の人格で、学年が下がるほど教師の人格は高くなければならないと思っています。子供に「廊下を走ってはいけません」と言いながら、自分は廊下を走るような教師はいない方が良い。
 そして教師よりもさらに重要なのが親です。重要性で言えば、父親よりも母親がより重要です。幼い子どもにとって、父親は遊び相手にすぎませんが、母親は最初の、そして最大の教師です。そして父親は、母親がすべてのエネルギーを子どもに集中できる場を提供する重要な役割があります。
 幼い子どもを保育園にいれて、スマホに子守りをさせるというような行為は、育児放棄や虐待に近いものです。この当たり前の感覚が分からない人たちは親の資格がないのです。こうした愚かな子育ては、いずれ反抗期や家庭の崩壊という報いを受ける可能性が高いのです。
 要は「家庭に愛がない」のです。「夫婦に愛がない」のです。それは「ハートに愛がない」からです。お金が一番大切だと思っている親に育てられ、お金が一番大切だと思っている教師に教われば、まともな感覚が育つはずがありません。
 Part③では、“みんなね、自分がお金持ちになりたいと。それから自分が高いself esteem(自己評価)を持ちたいと。高いself esteemを持って、self realization(自己実現)のために生きることと。これは、もっともらしいように思えるけど、高いself esteemとか…self realizationとか言っても…中身は空っぽなのよ。…自己評価って言うけど「あなたの評価基準の基盤となっているのはどういう考えなんですか?」と。「あなたに哲学とか宗教とかあるんですか?」と。「あなたの人生感は一体何を基盤として言っているんですか?」と。「あなたにとって一番大切な価値判断というのは何なんですか?」と。「その根拠は何なんですか?」と言うと答えられないのよ(3分41秒)
”と言っています。
 伊藤貫氏がどのような意味で「自己実現」と言っているのかは、よく分かりませんが、宗教の世界で「自己実現」という場合は、真我(ジーヴァ)を実現することを意味します。残念ながら、仏教の開祖ゴータマ・シッダールタですら実現していません。彼の宗教の本質が「空」であるのはその為です。
 古代インドの哲人ヤージュニャヴァルキヤから、不二一元論(アドヴァイタ)を提唱したシャンカラ、近代インドの聖者ラーマクリシュナとその弟子ヴィヴェーカーナンダ、そしてもう一人の聖者ラマナ・マハリシに至る誰一人として、真我(ジーヴァ)を実現した者はいません。
 私の知る限り、真我(ジーヴァ)を実現したのは、『ヨーガ・スートラ』の編纂者とされるパタンジャリのみです。
 地球は宗教のレベルから、とても混乱しており、そしてその程度は低いのです。哲学も宗教も「言葉遊び」の段階を超えて、ようやく本当の探究の段階に入るのです。その際に、最も重要な本質は「愛」だということを忘れないように。
(竹下雅敏)
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キッシンジャーの栄光と残虐!!! Part②|伊藤貫×室伏謙一
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キッシンジャーの栄光と残虐!!! Part③|伊藤貫×室伏謙一
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尼僧の叡敦(えいちょう)さんは、天台宗の寺で約14年にわたり僧侶から性暴力や恫喝などを繰り返し受けたとして、寺を所管する天台宗務庁に対し、問題の僧侶と加害行為の手助けをした大僧正の僧籍の剝奪を求める申立書を提出 ~「天台宗はこれを放置しておくほどの邪宗なのか?」

竹下雅敏氏からの情報です。
 読者の方からの情報提供です。尼僧の叡敦(えいちょう)さんは記者会見で、天台宗の寺で約14年にわたり僧侶から性暴力や恫喝などを繰り返し受けたとして、“寺を所管する天台宗務庁に対し、問題の僧侶と加害行為の手助けをした大僧正の僧籍の剝奪を求める申立書を提出した”ということです。
 FNNは「僧侶と出会うきっかけを作ったのは、2009年に叡敦さんの母親が他界した際に、その遺言で頼った親戚の大僧正だった。」と報じていますが、この親戚の大僧正は、“現在6人しかいない比叡山での千日回峰行を満行した「北嶺大行満大阿闍梨(ほくれいだいぎょうまんだいあじゃり)」の一人”だということなので、いずれネットの人肉検索で寺の名称と加害者の名前が特定されることでしょう。
 “続きはこちらから”の動画は記者会見の様子です。続く記事の内容から、加害者の僧侶は性行為や人格を否定するような言動や暴力、どう喝などを繰り返していたことが分かります。
 「天台宗はこれを放置しておくほどの邪宗なのか?」というのは、本質的な問いですね。地球上に邪宗ではなく、まともな宗教がどのくらいあるのかは疑問です。少なくとも日本で仏教と信じられている様々な宗派は、本来の意味での仏教とは全く異なります。密教はさらに異質で、これはもはや仏教とは言えない別の宗教です。
 「悟ってる人は僧侶じゃなく一般人に多いって研究ありますね」というコメントがありましたが、その通りです。
 2017年12月26日の記事で、「わずか9歳で、悟りを得ている男の子」を特集したスプートニクの記事を紹介しました。この男の子は「自分で自分をいじめなくなって 自分を大切にしはじめたら、僕をいじめるひとは居なくなった。」と言っていました。
 地球が平和になる最短コースの道筋は、“自分で自分をいじめなくなって、自分を大切にしはじめる”ことではないでしょうか。
 「結局どれだけ修行しようが人間は人間、欲をなくすことは不可能です。」というコメントがあります。これは「お腹がすいた」「眠たい」というのも欲ですから、その意味で正しいわけですが、貪欲はなくすことができます。
 さて、修行の大敵である「性欲」は、無くさなければならない貪欲なのでしょうか、それとも食欲や睡眠欲のように自然なものでしょうか。仏教はこれを煩悩として無くさなければならないものと見做しています。ここが誤りであったなら悲惨ですね。どれほど多くの無知と苦しみを宗教の名の下に、人類に植え付けていることか。
 密教の修行で「自分で自分をいじめる」ことを続ければ、例えば冒頭の動画の僧侶のように「エッチで悩んでいる人がおったら、代わりにお前がエッチしてやらんといかん」というような変態が生まれ、今度は周りの人々をいじめるようになるのです。こうしておかしな宗教が負の連鎖を作り出します。
 キリスト教も本質は同じです。誘惑に負けてリンゴを食べたことで、エデンの園から追い出されたという伝承になっているわけですから、本質的なところで「性欲」を否定しているのです。
 自然を否定しているわけですから、男性ホモルン(ホルモンともいう)の異常が起こるのでしょうか、一部のカトリックの司祭のように少年を愛する変態がたくさん出てきます。
 もうこういうことは止めて、“普通に結婚して夫婦で愛を育むために、性欲は自然(すなわち神)から与えられたとても大切なもの”という感覚になりませんかね。
(竹下雅敏)

注)以下、文中の赤字・太字はシャンティ・フーラによるものです。

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「見えない牢屋に閉じ込め人格を破壊」僧侶が14年間にわたり性暴力繰り返すか 女性が会見で僧籍の剥奪求める
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@calmare20022
織田信長に始末されるべき坊主だな

@ain4459
海外で通訳として日本の僧侶団体をお世話した事があります。位が高そうな年配のお坊さんが、ホテルのロビーのソファで寝そべって下っ端のお坊さんにマッサージさせ始めてビックリしました。さらに、現地の女の子連れて来れないのかと言い始め、耳を疑いました😅

@positiveplus9811
確か浄土真宗もお手伝いさんに手をつけて生まれた子供が跡取りになっていたな… 結局どれだけ修行しようが人間は人間、欲をなくすことは不可能です。

@takehase9896
天台宗はこれを放置しておくほどの邪宗なのか?

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1月14日の前後でキンバリーさんの「波動」が実際に変化 / キンバリーさん「ディープステートも、過去に宇宙人や他のグループからの命令を受けていたかもしれませんが、条約の相手がいなければ意味がなくなります。」 ~黙示録、ハルマゲドンが取り消されたことは確実

竹下雅敏氏からの情報です。
 1月14日の記事で、この日の正午あたりからキンバリーさんの波動が戻ったために、“1月14日以降に収録された世界情勢レポートでは、とても綺麗な波動のキンバリーさんの姿を見ることができるはずです”とコメントしました。
 また、トム・メルヴィル氏の語る「マイケルというアーカイビストの波動もうまくいけば、明日には戻るかも知れません。」と予測しましたが、これは予想通りになりました。
 1月14日の前後でキンバリーさんの「波動」が実際に変化したことを示すために、YouTubeの1月19日と1月15日、そして1月12日と1月8日の動画を上から順に並べてみました。1月12日と1月8日は同じ波動ですが、1月15日の波動は明らかに上がっています。1月19日の波動は、15日よりもさらに上がっています。波動の上がったキンバリーさんの姿は、スッキリとしたように見えると思います。
 “続きはこちらから”は、1月10日の世界情勢レポートの要約です。「古い予言、新しい予言」というとても重要なメッセージがありました。動画の28分50秒以降をご覧ください。
 “話しておきたいことがもう1つあります。それは、古代の文献や予言、現代の予言、宗教書やインターネット上の教えについてです。…エドガー・ケイシーやノストラダムスのような有名な例がありますし、シュメールの古文書やヴェーダ宇宙論、カバラ、聖書などもあります。予言を書いた時から時間が経つほど、またそれを実現しようとする人が多いほど、予言がいつ、どのように実現するかを予測するのは難しくなります。SSPが読む古文書に関しても同様です。彼らは、例えばアブラクサスからの条約や合意、司令を持っているかもしれませんが、アブラクサスがもはや存在しない場合、条約は成立しません。条約は二者間の合意です。従って、アブラクサスから与えられた文書に書かれたことが満月や新月、来週に起こるとしても、それを実行する相手がいなければ意味がありません。…黙示録は未来を見ることができたかもしれない予言者によって昔書かれましたが、神が黙示録を望まなければ、それは起こりません。…ディープステートも、過去に宇宙人や他のグループからの命令を受けていたかもしれませんが、条約の相手がいなければ意味がなくなります。…神が考えを変えた可能性があり、宗教的な予言者たちは書物の修正が必要かもしれません。”と言っています。
 記事には「啓示はキャンセルされ、黙示録とハルマゲドンもキャンセルされました。」とありますが、南ドイツ在住の方のこの部分の翻訳では、“神様の考えが変わったのかもしれません。宗教的な予言の本を修正する必要があるかもしれません。黙示録は取り消され、黙示録、ハルマゲドンも取り消されました。良い日を。ソースが T シャツか何かを出すかもしれません。わかりません。情報を広めてください。”となっています。黙示録、ハルマゲドンが取り消されたことは確実なようです。
 時事ブログの古くからの読者の方や、映像配信をご覧になっている方は、黙示録などの予言はハイアラーキーの計画書であり、彼らは「天界の改革」で滅びた事をご存じだと思います。滅びた連中の計画が実現するはずはないのですが、今でも多くの宇宙人やライトワーカーを自称する人々などが、サナット・クマーラやイエス、その他のアセンデッドマスターが一掃されたことを理解せずに、こうした滅ぼされた連中の古い計画を信じて、地球の破壊に手を貸し続けています。
 彼らは自分たちが善を成していると思い込んでいるのですが、“地球上の悪を一掃するために、ソーラーフラッシュを待ち望む”という矛盾には気付かないふりをします。“ソーラーフラッシュを待ち望む”ことは、地球の破壊を待ち望むことと同じです。
 こうした偽善者は、いずれ「計画」の実現のために悪を成し、宇宙から消えてゆくのです。キンバリーさんが「ディープステートも、過去に宇宙人や他のグループからの命令を受けていたかもしれませんが、条約の相手がいなければ意味がなくなります。」と言っている通りです。
(竹下雅敏)

注)以下、文中の赤字・太字はシャンティ・フーラによるものです。

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19 JAN 24 NEWS
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※37分25秒よりスタートします
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15 JAN 24 NEWS
配信元)
※44分45秒よりスタートします
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12 JAN 24 NEWS
配信元)
※39分よりスタートします
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08 JAN 24 NEWS
配信元)
※39分よりスタートします

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ユダヤ問題のポイント(終編) ― 第9話 ― 虚偽の渦

 日本では、「砂上楼閣」ならぬ「ゴミ山の楼閣」の大阪万博にしがみつく維新の面々が、現在状況の一つの象徴に感じます。虚偽の上にしつらえた権威の数々が壮絶に転覆中、それでも虚偽と権威にしがみつくしかない面々といった具合です。
 虚偽にまみれた地上世界が建設されていった原点の一つとも言えるのが、ユダヤ問題でしょう。ユダヤ問題は虚偽に塗れ、それが故に複雑です。ユダヤ人を名乗る連中の言い分を聞いていけば、そもそもユダヤ人の規定さえもが不可能なのです。言っていることが支離滅裂なのです。
 ユダヤ人を名乗るシオニストなどは、ハザール人(アシュケナジ)をユダヤ人だとします。血統はユダヤとは繋がりませんが、ハザール人はユダヤ教に改宗したというのが理由です。その理屈ならば、どのような人種でもユダヤ教徒になればユダヤ人ということになり、ユダヤ教がユダヤ人を規定することになります。それではそのユダヤ教は?となりますが、これがぐちゃぐちゃなのです。
 ユダヤ教は『旧約聖書』抜きには成立せず、『旧約聖書』は“旧約の主”とイスラエル・ユダヤ民族(血統ユダヤ人)との契約が柱になっています。この契約を遵守するのが律法(トーラー)で、これがユダヤ教の根本としかいいようがありません。ユダヤ人が「旧約の民」とされる所以です。
 ところが前回見たように、イエスの時代では既にタルムードを奉じるパリサイ派がユダヤ教の権威であり、多数派になっていたのです。タルムードは“旧約の主”との契約を否定・破壊するものです。トーラーとタルムードは同居できないのに、同じユダヤ教の名で相矛盾するものが同居してしまったのです。もうこうなってしまえば支離滅裂で、「何でもあり」になってしまい、それが現在にまで繋がってしまったのです。本来のトーラー・ユダヤ教のみをユダヤ教と規定すれば、大多数のユダヤ教もユダヤ人も偽ユダヤです。
(seiryuu)
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ユダヤ問題のポイント(終編) ― 第9話 ― 虚偽の渦

タルムード侵入経緯


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『旧約』によれば、”旧約の主”とイスラエル・ユダヤ民族(血統ユダヤ人)全体との契約が成立したのは、シナイ山でモーセに与えられた十戒によってです。当然ながらこの十戒の律法(トーラー)がユダヤ教の本来で、トーラー・ユダヤ教が正統ユダヤ教となります。十戒の内容は以下となります。

  •  (1) ヤハウェのほかなにものをも神としないこと,
  •  (2) 主なる神の名をみだりに呼ばないこと,
  •  (3) 安息日を記憶してこれを聖とすること,
  •  (4) 父母を敬うこと,
  •  (5) 殺さないこと,
  •  (6) 姦淫しないこと
  •  (7) 盗まないこと
  •  (8) 偽証しないこと
  •  (9) 他人の妻を恋慕しないこと,
  • (10) 他人の所有物を貪らないこと。
    (『コトバンク』より)

この十戒に対してバビロニア・タルムードの源泉である「カナンの遺言」は以下となります。

  • (同族のみ)互いを愛すること。
  • 2.盗みを愛すること
  • 3.姦淫を愛すること
  • 4.主人を憎むこと。
  • 5.真実を語らないこと
    (『カナンの呪い』より)

十戒とカナンの遺言が全く相容れないのは一目瞭然です。つまり、正統ユダヤ教とタルムードは同居できず、タルムードはユダヤ教の本来を破壊するものです。


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実際にタルムードには次のようなものがあり、“旧約の主”よりも、タルムードを語るラビのほうが完全に上位になっています。タルムード・ユダヤ教では“旧約の主”とイスラエル・ユダヤ民族(血統ユダヤ人)の契約など破壊されています。

  • 吾々はタルムードがモーゼの律法書に対して絶対的優越性を有することを認むるものなり。
  • 律法(聖書)は多少とも重要ではあるが、長老方が聖典に記された言葉は常に重要である。
  • 掟の言葉より法師の言葉を敬え。
  • 教法師の言葉は、生ける神の言葉なり。
  • タルムードの決定は生ける神の言葉である。エホバも天国で問題が起きたときは、現世のラビに意見を聞き給う。

古代イスラエルの民は、モーセの「出エジプト」を経て紀元前1000年頃には、現在のアシール地方に統一イスラエル王国を建設し繁栄。しかし、その後に王国は南北に分裂、やがて北イスラエル王国が滅び「失われた十支族」へ。更に南ユダ王国は新バビロニアからの攻撃を受け、民は「バビロンの捕囚」となり、ユダ王国も滅亡します。

バビロニアは悪魔崇拝国家であり、「バビロンの捕囚」のこの半世紀あまりの間にユダヤ教は悪魔崇拝に汚染されます。キュロス王による解放で、現在のパレスチナに多くのユダヤの民は移りますが、ユダヤ教はタルムードに汚染され、カナン人も多く紛れ込んでいたのです。

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翻って、カナンの一族がなぜ同族同士では認識し合いながら出自を隠し、イスラエル民族などに紛れ込み、成りすましを行ってきたのか?

それは、カナンおよびカナンの一族に「ノアの呪い」がかけられていたからです。「カナンの遺言」とは「ノアの呪い」に対抗する呪い返しで、カナンの一族が地上で生き残り、繁栄するためのものであり、タルムードはそのための処世術でもあったのです。


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