(前略)
Kグループ社 13/6/8
マイケル・ヘンリー・ダン
2013年6月8日
(中略)
黄金の百合作戦とは、明確に文書化されていることだが、
アジア(主に中国)に溜め込まれた何千何万トンもの黄金を掠奪するという目的に特化し、中国や他の国々に
軍事侵攻する以前からそれら黄金を保有する
主要な国家へと潜入して行った日本人の黄金探索集団の話だ。ナチスの黄金探索活動はよく知られているが、
欧洲の銀行家利権による協力と情報提供によって、日本がかき集めた量はそれを遥かに凌ぐものだった。
【現在も東南アジアに眠る金塊の一例】
【現在も東南アジアに眠る金塊の一例】
(中略)
いわゆる公式発表においては、人類がこれまでに掘り出した黄金は全部で約16万トンだと言われている。しかし今分っているところでは、
200万トンを余裕で超えると見るのが正しいようだ。
第二次世界大戦中、日本は東南アジアのあちこち、特にインドネシアとタイとフィリピン諸島にトンネルや地下壕を掘っては黄金を埋蔵して行った。
(中略)
戦後になると、連合国側によってこれらの黄金が探し当てられ、まさしくこの目的のために
戦前から欧洲の中央銀行の銀行家たちが練り上げていたシステムの中に組み込まれて行った。(中略)… 1944年の
ブレトン・ウッズ協定において、勝利目前の連合国は新たな国際金融体制を構築するため、
国際通貨基金を立ち上げた。
(中略)
訳者解説
日本とナチスが掠奪した財宝は、42か国の172の影の口座に振り分けられ、その内の大半は、連邦準備制度理事会と国際決済銀行の複数の口座に運び入れられた。これらの中で一番大きな口座の1つが、「M資金」と呼ばれたもの(こちらのMは戦後日本の経済統制を指揮したGHQのマーカット局長の頭文字)。
(資産の大半がインドネシアの地下壕に隠されていたことから)
インドネシアのスカルノ大統領は【国連決議により1945年に】
Monetary Controller of the Accounts(=口座管財人)つまり通称M1に任命されていた。
(以下略)
デヴィ・スカルノ
Dewi Sukarno
デヴィ・スカルノ(Dewi Sukarno、
1940年(
昭和15年)
2月6日 - )は、
日本生まれで
インドネシア国籍の
タレント、
YouTuber。
インドネシアのスカルノ元大統領第3夫人。
NPO法人アースエイドソサエティ総裁。株式会社デヴィーナ・ソサエティ代表取締役。本名・インドネシア名:ラトナ・サリ・デヴィ・スカルノ(Ratna Sari Dewi Sukarno)、旧名・日本名:根本 七保子(ねもと なおこ)、通称はデヴィ夫人。
生い立ち
東京府東京市麻布区霞町(現在の
東京都港区西麻布)に父・兵七郎と母・政子(
福島県双葉郡浪江町出身)の間に生まれる。父は麻布区霞町界隈の
大工の
棟梁であり、弟が1人いた(八曾男)。
太平洋戦争中は、母・弟の3人で
福島県浪江に
疎開していた。家庭は裕福ではなかった。
無名エキストラ女優~高級クラブ
1955年(
昭和30年)、15歳の時、
新東宝制作の映画『
青ヶ島の子供たち 女教師の記録』(白黒映画)に
エキストラ出演。
中学卒業後は、
東京都立三田高等学校定時制部に進学すると同時に、150倍の難関を突破して
千代田生命保険(現・
ジブラルタ生命保険)に入社したが、昼休みや休日にも貧しい家計を維持するため、喫茶店などでのアルバイトを掛け持ちする日々を送った。
1956年に父が亡くなった事に伴い高校を中退した後、
赤坂の有名
高級クラブ「コパカバーナ」で働く。
1959年(昭和34年)、19歳のときに、インドネシアへの開発援助に伴い「東日貿易の秘書」という名目で、スカルノ大統領のもとに送り込まれた。この一件に当時「
昭和の
フィクサー」と呼ばれた暴力団関係者の
児玉誉士夫が関わっていたとされる。
スカルノ大統領夫人
スカルノ
独立後間もない上に、東西
冷戦下にあったインドネシアにおいて、当時スカルノ大統領は日本外交や資金援助の取り付け等を非常に重要視していた。
インドネシアに渡って数年は愛人の1人であったが、1962年(昭和37年)にスカルノと正式に結婚、4人の夫人のうちの第3夫人になる。
(以下略)
“続きはこちらから”をご覧ください。銅子正人容疑者と経営陣ら10人が逮捕された「テキシアジャパンホールディングス」ですが、箱コネマンさんがリンクしている記事によると、日本会議代表委員の加瀬英明氏とのつながりが出てくるようです。
最後のツイートの中に出てくるハココネ図に、以前紹介した「ジャパンライフ・コネクション」があります。これを拡大してご覧になると、加瀬英明氏とジャパンライフの山口隆祥氏は、文化日本協会でつながっていることがわかります。
要するに、テキシアのような詐欺商法は、何らかの形でジャパンライフの山口隆祥氏に繋がっているようなのです。こうした怪しい人脈は、私には、裏天皇人脈だとしか思えません。
八咫烏には、修験者で戸籍はなく表に出てこない人たちと、表に出ていて経済活動を行い、仲間の八咫烏の生活を助けているメンバーが居ると聞いたことがあります。山口隆祥氏は八咫烏のメンバーだと考えるとしっくりきます。
リテラのこの記事をご覧になると、山口隆祥氏と安倍晋太郎氏の1984年の会話が出てきます。この中で、安倍晋太郎氏から商売のコツを聞かれた山口会長は、「自分の仕事は世の中の仕事であることを忘れたら、必ず商売は失敗します」と言っています。この発言から、山口会長は自分が悪いことをしている意識がなかったのだと思います。仲間のために奉仕をしているというつもりだったのではないでしょうか。