2024年10月6日 の記事

[日本航空123便墜落]青山透子氏や森永卓郎氏の主張する「自衛隊のミサイル」説および「自衛隊の標的機」説についての解説

竹下雅敏氏からの情報です。
 JALの元職員が「日航機123便墜落の真実」を語るというので、全くどんな期待もなしに動画を見たのですが、動画のコメント欄は面白いです。
 123便墜落は「事故」ではなくて、「事件」ではないかという「いろいろな説」に対して、“事故というのは、運輸省の事故調査委員会で答えは出ている(1分25秒)”として、事故調査報告書の圧力隔壁破壊説が正しいのだという立場で、青山透子氏の著作『日航123便墜落の新事実 目撃証言から真相に迫る』への反論という形で話を進めています。
 「この焦りさえ感じる話し方は何なんだろう。ボイスレコーダーは表に出すものではない、出さない、と言いにきただけのように感じました。この二人の登場で、森永卓郎さんの言ってることは正しいのだろうな、と益々思えてきました。」というコメントは、この動画の感想として的確だと思います。
 ただ、青山透子氏や森永卓郎氏の主張する「自衛隊のミサイル」、あるいは「自衛隊の標的機」が123便の尾翼に当たったという説はあやしいと思っています。二つ目の動画が、この辺りのことを詳しく説明しています。
 「自衛隊のミサイル」説については、“「まつゆき」を含む「はつゆき」型護衛艦にはシースパローという対空ミサイルが搭載されています(3分26秒)。…このシースパローを誤射してしまったのではないかという説が、昔からささやかれているようですが、これはあり得ません(3分40秒)。…「自艦に向かってくる」+「比較的低高度を飛ぶ」目標を撃墜するためのミサイルが…シースパローであるということ(5分9秒)。…123便は後部に高度7000mくらいで飛行している時に衝撃を受けています。後部に損傷を受けていることから常識的に考えて背後からの発射となりますが、仮に123便の進路上に「まつゆき」がいてシースパローを発射したとしても、遠ざかる123便に命中しません。「自艦から遠ざかる」+「比較的高高度を飛ぶ」目標だからですね。対空ミサイルは射程という届く距離の他に射高という届く高さがありますが、シースパローは7000mの射高に届くように作られていません。(5分28秒)”と説明しています。
 「自衛隊の標的機」説については、“無人標的機が誤って123便に当たったという説もあるようですが、それも不可(10分13秒)。…対艦ミサイルは亜音速で飛ぶミサイルですから、それを模した無人標的機も亜音速。となると後ろから追う形では到底ジェット機には追いつけません(10分45秒)…何より無人標的機は訓練支援艦という艦種の艦からしか飛ばせませんが、1985年当時に存在していた訓練支援艦「あづま」は広島県の呉を母港としており、8月12日に相模湾周辺にいたという記録はありません。ちなみにファイアービーはジェット旅客機と同程度のスピードで飛ぶことはできますが、飛行可能時間は1時間未満です(11分3秒)。…なにより1985年当時の「まつゆき」は、非武装の「船」に過ぎませんでした。護衛艦を作っているのは民間の企業で、防衛省は発注しているだけ。…性能のチェックなどを行った後、正式に防衛省に引き渡されて海自の「艦艇」として「就役」します。この工事やチェックのことを「ぎ装」と言い…性能のチェックをすると言っても、それは「船」としての性能であって、主砲やミサイルといった武器を使用する「艦」としてのチェックは就役後に行われますから、「ぎ装中の船」に過ぎない「まつゆき」は非武装の民間船舶と同じ。弾薬を一切積んでいませんのでミサイルのランチャーはあってもミサイルを撃つことができないわけです。(13分5秒)”と説明しています。
 詳しい説明は動画をご覧ください。私は、自衛隊ではなく米軍機のミサイルが尾翼を破壊したと思っています。
(竹下雅敏)
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元日航社員が語る「日航機123便 墜落の真実」空花正人 × 山本優美子 × 深田萌絵 No.129
配信元)
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【元海上自衛隊幹部が解説】日本航空123便墜落事故と自衛隊
配信元)

[X]配達員さんへのお願い

竹下雅敏氏からの情報です。
配達員さんへの信頼がなければできない。
(竹下雅敏)
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配信元)

ままぴよ日記 123 「赤ちゃんは自分で自分を育てている」

 私の両親が孫のために買ってくれた七段飾りのお雛様が箱に入れられたままでしたので、市に寄付することにしました。ちょうど、9月9日は重陽の節句。菊の節句とも言いますが、不老長寿を願う節句だそうです。この地方ではお雛様の虫干しも兼ねて、雛飾りをする風習があります。
 わが家のお雛様が市の玄関口で、黄色の毛氈の上に飾られて嬉しそうにおすまし顔をしています。感動して母に写真を見せました。おしゃべりをしなくなった母が「まあ、きれい!」と言ってくれたのでほっとしました。
 もうすぐ102歳になる母の不老長寿は願いませんが、目の前に生きていてくれる日々を感謝で満たしてあげたいと思いました。
(かんなまま)
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五感を磨きながら主体的に自分を作ろうとしている赤ちゃん


長年、ベビーマッサージと乳幼児のメディア接触についてのアドバイザーをしている関係で、赤ちゃんの五感について改めて学びなおしてみたくなりました。


AIを研究している科学者が、その目的を聞かれたときに「人間を知りたかった」と答えていました。それを解明するには生物学分野、遺伝子工学や物理化学分野へと研究が進んでもなお限界があるようです。

なるほど、人は今やっと赤ちゃんはどのようにして体を作り、自分の感覚をつかんで体を動かし、思考したり、言葉を獲得したり、人とコミュニケーションをとれるように成長していくのか?を総合的に研究し始めたのでしょう。

しかし、その研究も目に見える形で実験して証明するという肉体レベルの研究で、東洋医学セミナーで学ぶような次元には到達できそうもありません。魂を抜かれた状態で人間の研究をしても本質には近づけないと思うのですが、それでも赤ちゃんはどんな存在なのか?子育てとは何か?の入り口には立ち始めた気がします。

もっと残念なのは、今の子育てが目に見える数字に支配されていることです。体重、哺乳の量や時間、尿や便の回数、離乳食を始める時期やお座りする時期を月齢を目安にしています。

これらは赤ちゃんが決めるものです。赤ちゃん自身が五感を磨きながら主体的に自分を作ろうとしているのを無視して、混乱させて、やる気を摘み、あきらめさせる育児です。お母さんも赤ちゃんと繋がっている直感的育児ができなくなってしまいました。このままでは人類滅亡・・・とさえ思うほどです。

本屋さんの育児コーナーには「頭のいい子を育てる」「有名大学に合格させる」「天才を育てる」「赤ちゃんの時から始める教育実践法」などの本がずらりと並んでいます。

このような価値観で育てられてきた親がボタンをかけ違えたまま一生懸命我が子を育てようとしているのです。


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