注)以下、文中の赤字・太字はシャンティ・フーラによるものです。

”周りの人に迷惑をかけたくない”、”ワクチンを打つのは国民の義務”
— kazuchan-cocone (@kazuchancocone) February 7, 2023
これはまさに国が国民にそう思わしめたこと。
何だか、昨日話題になっていた順天堂大学の小論課題の「特攻隊」と重なってしまいました。 https://t.co/kJKr6Yhz85
mRNAワクチンを「思いやりワクチン」と言って若い人に打たせた医療関係者は全員懺悔すべきだ。感染予防効果は薄かったのだから、打っても他人を守れない。若者は殆んど重症化しないのだから重症化予防のメリットもない。その上若い人は深刻な副反応が多い。意味もなく高いリスクを負わせた責任は重い。 https://t.co/eX2T6l9aoD
— Hideki Kakeya, Dr.Eng. (@hkakeya) February 5, 2023
「他人のために自分にとってのリスクを許容する」という精神を「利他」と誤解する単純な思考の人々が,同じような発言をメディアで次々発信して,この問題を一層増幅させています。先日この欄で取り上げた忽那賢志医師も,子どもへのワクチン接種を利他の点から進めるべきと堂々と述べています。しかし,他者のために,相手に対してリスクを許容せよというのは,自分も相手には他者の一人なので,利他的どころか,最も利己的な行為です。
もしも,子どもたちが大人を守るために,自らリスクを引き受けてワクチンを打とうとするならば,大人たちは,自分のためにならないなら(コロナでは子どもはほとんど重症化しません),ワクチンを打つ必要はないと言わなければなりません。それこそが子どもを思う利他の精神です。
したがって,「社会のために〇〇しましょう」ということを「利他」の名で語っている人たちは,他者を利用しようとしていることに気づかなければなりません。ところが,厄介なことに,この本末転倒した「利他」の考えを,本気で信じている素朴な善人が本当に多すぎます。本人には悪意はないのでしょうが,放っておくと,「地獄への道は善意で敷き詰められている」というヨーロッパの格言どおりの世界になってしまいます。
(以下略)
政府・メディアの常套手段である「社会のために〇〇しましょう(例えば「あなたとあなたの大切な人を守るためにも、ワクチン接種をご検討ください)」というフレーズや宣伝は「私のためのワクチンを打て」と言っていることと同値であると言うことは、とても示唆的です。
メディアにも大きな責任はありますが、メディアを信じるのも市民ですので、やはり、市民全員に責任があります。
"地獄への道は善意で敷き詰められている"は正しく、その様に感じます。
しかし、世界の流れは必ずしも悲観的ではない動きも多々あることは一抹の希望を抱けます。