ネオ・ナチが主導するクーデターで暫定政権がキエフに出現、それに反発するかのようにウクライナの東部や南部ではロシアへの復帰を望む声が高まっている。その先陣を切る形で
3月16日にはクリミアで住民投票が実施された。
投票率は83.1%。96.7%はロシアへの編入に賛成したという。
アメリカ政府など「西側」がクリミアで住民投票が実施されることを嫌がった大きな理由のひとつは、ロシアへの編入に賛成する人が圧倒的に多いことが予想できていたからだろうが、今回の投票結果はそうした
予想以上に賛成は多かった。非ロシア系住民の人口は41.7%だからだ。
暫定政権ではネオ・ナチの影響力が大きく、東部の工業地帯ではオリガルヒ(一種の政商)が知事として乗り込んで略奪の準備を始めている。そうした状況に対する危機感が編入に賛成する人を増やしたと考えるのが自然だ。ウクライナ系もタタール系もネオ・ナチとオリガルヒの体制を望んでいない。
しかし、
キエフのクーデターを正当化したい「西側」の政府やメディアは、「民主化を望む人びとをビクトル・ヤヌコビッチ政権が弾圧した」というストーリーを変更するわけにはいかない。クーデターの結果と「民意」は一致するということにしないと、クーデターの正当性は崩壊してしまう。
これまで「西側」のメディアは、つい最近まで自分たちが言っていたことまで否定して「民主化幻想」を広めてきたが、
クリミアの住民投票はその工作を台無しにしかねない。そのため、「ロシアの武力による脅しと威嚇」のためだと言わざるをえないわけだ。嘘は嘘で支えるしかない。
暫定政権で治安や軍を統括するポジションはネオ・ナチが支配している。
少数の支持者で体制を転覆しようとすれば、暴力を使うしかなく、数の不足は強度で補うことになる。そこで、
「西側」はファシストを使い、その代償としてポストを提供したのだが、その副作用はすでに現れ始めている。
それでも、
カネ勘定はオリガルヒが押さえている。言うまでもなく、
オルガルヒの背後は「西側」の「国境なき巨大資本」。そのオリガルヒを象徴する人物が暫定政権で首相を名乗るアルセニー・ヤツェニュクだ。ビクトリア・ヌランド米国務次官補が高く評価*していた人物で、「祖国」に所属する前、
ウクライナ国立銀行の頭取や外相を務めている。
ヌランドはネオコン(アメリカの親イスラエル派)に属し、話し合いで問題を解決しよとしていたEUに対し、「EUなんかくそくらえ(F*ck the EU)」と口にするほど下品で暴力好き。そうした考え方の人物がアメリカの
ウクライナ政策を動かしているようで、ネオ・ナチに頼ることになった。その結果、キエフは火と血の海になったわけだ。
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例えて言うと、軽自動車とバスの2台から部品をそれぞれ取って来て、新しく一台の車を作るとした時、どんなに上手に部品を組み合わせても、スーパーカーには成りえないということだと思います。性格や才能がどの程度両親から遺伝的に引き継がれるのかはわかりませんが、まったくそうした事が無いとも考えられません。
従って才能という意味合いに於いては、私の子供時代のように、幼い頃から春日八郎を聞かされ、水戸黄門で育った者に、芸術的才能が花開くはずがありません。やはりこれは両親の素質と家庭環境が決定的な影響を与えると思います。ですからサラ・ブライトマンの言う通り、最も重要なのはやはり才能なのかも知れません。努力は先の例で言えば、せいぜい車種の改造というような意味合いになるのかも知れません。
このように捉えると身も蓋もないわけですが、人間本来の幸福と才能は何の関係もないのです。血統書付きの犬というのはある意味で大変人為的で、人間の都合によって人工的に作られた犬種だと思います。狩りをする、泳ぐ、羊を追う、戦うといったそれぞれの目的に最もよく叶う犬が作られてきたというわけなので、確かにそういった人間の都合という観点から見た才能は、純血種が色濃く持っていると考えることが出来ます。ですが今回のこのユーモラスな犬たちを見て、どの犬があるいはどの犬種が、最も犬として幸せか愛されるかは、おそらくなんの関係もないと思うのです。大切に育てられ愛された犬は犬種・血統に関わらず、心が美しく幸せだろうと思います。ですから多くの人たちは、幸せとは何の関係も無いものにとらわれて、人生を無駄に過ごしていると言えそうです。