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エノクはいくつかの歴史的な事実を元に、まるで自分が当時その事件に立ち会ったかのようなフィクションをエノク書として創造した

竹下雅敏氏からの情報です。
 これまで、約6万年前に南極に不時着したプリ・アダマイトという宇宙人とエノク書の関係を見てきました。「エノク書の文脈」で見ると、約6万年前に堕天使が地球に降り立ち、人間の娘との間にネフィリム(巨人)を生み、約1万5,000年前にノアの大洪水として知られる大災害が起こったということになります。
 ただ、私はエノク書は偽書だと思っていて、エノク書に描かれていることは、いくつかのポイントになる事実を元に創作されたフィクションだと思っています。
 冒頭の記事では、エノク書の成立年代が書かれていますが、私の直観とほぼ合致します。エノク書が事実を記載したものであれば、エノクが生まれたのは少なくとも大洪水の前であり、エノク書で描かれているヴィジョンもその時に見たはずです。
 ところが私が調べると、エノクはBC 6654年に生まれており、 BC 6617年に37歳で地上から消えています。
 創世記第5章の記述では、“エノクは神と共に歩み、神が彼を取られたのでいなくなった”と書かれており、エノクの年は365歳だと書かれています。今で言えば、エノクは365歳の時に宇宙船に乗って地球からいなくなったというところでしょうか。
 いずれにしても、私の直観と創世記の記述はまったく合致しません。こういう場合、私は自分の直観の方を重視しています。
 下の記事をご覧ください。見張りの天使たちが堕天し、大洪水の後に見張りの裁きが行われたわけですが、“アザゼルのとりなしで、シェムナーイルらは許された”とする別の伝承があるのです。エノク書では、アザゼルは縛られて闇の中に閉じ込められ、シェムナーイル(シェミハザ)らは丘の下に繋がれたということでした。
 事実はどうだったのかですが、アザゼル、シェミハザらは、大洪水の後、BC 7596年に許され、天界に戻っているのです。エノクは、彼らが許された後に生まれており、エノク書には彼らが許されたことが記述されていません。しかも、私の見るところ、エノクがエノク書に記述されている幻を見たのは、BC 365年です。
 要するに、エノクはいくつかの歴史的な事実を元に、まるで自分が当時その事件に立ち会ったかのようなフィクションをエノク書として創造したのです。この意味で、私はエノク書は偽書だと考えているのです。
 また、以前のコメントで「エノク書の文脈」ではノアの大洪水は約1万5,000年前( BC 13,035年)だとしましたが、なぜこんな書き方をしたのかというと、ノアの大洪水に象徴されるような地球規模の大洪水は、これまで何度も起きているのです。なので、旧約聖書の「創世記の文脈」でのノアの洪水がいつ起きたのかというと、私はBC 5,500年頃だと考えています。
 エノク書もヨハネの黙示録と同様に、彼らが計画している終末と裁きを人々に伝えるためのものになっています。しかし、天界の改革によって、実際に裁かれたのは彼らの方だったということなのです。
(竹下雅敏)

注)以下、文中の赤字・太字はシャンティ・フーラによるものです。

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3章 『第一エノク書』とその概要
引用元)
■成立過程について 
(前略)
起源は古く、古代バビロニア語の賢人の文書やバビロニアの神話『アトラ・ハシース』、それにバビロニアの天文学へさかのぼると見られています(紀元前1800~600年)。(中略)… 上記の古代バビロニアの伝承から、ヘブライ語の創世記6~9章が書かれました(前10世紀か)。
(中略)
創世記のこの部分とバビロニアの天文学から、『第一エノク書』の「ノア書」にあたる部分(6~11章/同65~67章/同83~84章/同106~7章)が成立し(前4世紀)、さらにこれらバビロニア語とヘブライ語の諸文書から、「エノクの旅」(同17~36章)と「エノクの幻」(同6~16章)と「エノクの天文の書」(同2~5章/同72~82章)がアラム語で書かれました(紀元前3世紀)。エノク伝承のこれら三つの書から、「見張りの天使たちの書」(同1~36章)がアラム語で書かれ(前4世紀末?~前3世紀)、「見張りの天使たちの書」を始め上記の諸書から「巨人の書」が書かれ、また「エノク書簡」(同91~105章/108章)と「エノクの夢」(同83~90章)と「エノクのたとえ」(同37~71章)が、やはりアラム語で書かれました(前2世紀)。これら三つのエノク文書をもとにして、ギリシア語で「エノク諸書」が書かれます(紀元1世紀頃)。ただし、「巨人の書」だけは、上にあげた三つのエノク文書とは別個に伝えられて、この「巨人の書」と「エノク諸書」とから、マニ教の聖典となったペルシア語の「巨人の書」(紀元250年頃)が成立したと考えられます。
(以下略)
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堕天使伝承と黙示録神話の比較研究
――天上の叛乱、見張りの堕天、そして世の終わりについての比較研究――
引用元)
(前略)
伝承
 以下は、正典『真二宗経』『大力士経』による。
(中略)  
見張りの堕天
 シェムナーイルを長とする200名の見張りと呼ばれる天使たちは地上に降りて、人類を導く仕事についた。しかし、見張りたちは、人間の娘と交わり、巨人族を生んでしまった。巨人族は、たちまち村の食物を食べ尽くし、人間まで食べ始めた。そこで、神(ミトラ)はエノクを使者として遣わし、巨人族に警告を与えた。巨人族のうち、再三の警告を受け入れた者たちは、ミトラが中央アジアに築いた36の壮麗な都市に移り住んだ。残った者たちは、徹底抗戦を唱えた。ミトラは、ダルダーイルを人間に変身させて都市に潜入させ、人間たちを集め武装蜂起の準備をさせた。準備が整うと、ミトラはイスラーフィールの一隊を派遣し、巨人族を征伐させた。ミトラは、巨人族の血でけがれた大地を洗い清めることにし、イスラーフィールをノアのもとに遣わして、箱舟を作らせ避難させた。すべてが終わった後、見張りの裁きがおこなわれた。アザゼルのとりなしで、シェムナーイルらは許された。見張りの責任者だったシェムナーイルは、アザゼルのもとに預けられ、他の天使がいやがる仕事(神の敵を暗殺する仕事)をするようになった。
(以下略)  

スティーブン・べン・ナン氏の考察によると、エノク書18章の「昼と夜が燃えていた」場所の描写は夏場の南極で、天使たちが落ちたのは南極大陸! ~コーリー・グッド氏の情報とエノク書を結びつける別の視点

竹下雅敏氏からの情報です。
 コーリー・グッド氏は、約6万年前に南極に不時着したETの宇宙船が氷の下で発見されたと報じました。その地球人をプリ・アダマイトと名付け、彼らは人間の娘との間にハイブリッドを作り、それが現在の王家に繋がっているとのことでした。
 コーリー・グッド氏によれば、カバールは、この南極での発見をゆっくりと公開し、王家の血筋はこのプリ・アダマイトの子孫であるとして、自分たちを崇拝させる計画だとのことです。
 しかし、コーリー・グッド氏やディビッド・ウィルコック氏が、プリ・アダマイトとハイブリッドが、エノク書に出てくる堕天使とネフィリム(巨人)に対応することを指摘しています。コーリー・グッド氏の証言の正確さが今後明らかになるにつれ、カバールの目論見は失敗する運命にありそうです。
 この南極の件に関して、TOCANAが面白い記事を書いています。冒頭の動画は、TOCANAの記事の全文を紹介するものです。
 2006年に、NASAは南極の雪原の下に巨大な電磁気異常を検出したことを発表しました。このことに関して、あるYouTubeチャンネルのコメンテーターであるスティーブン・べン・ナン氏は、エノク書18章の「昼と夜が燃えていた」場所の描写は夏場の南極ではないかとし、天使たちが落ちたのは南極大陸ではないかと考察しました。
 スティーブン・べン・ナン氏の考察は、コーリー・グッド氏の情報とエノク書を結びつける別の視点を提供しており、非常に興味深いものです。
 “続きはこちらから”は、この件に関するマイケル・サラ博士の報告です。2人の匿名の海軍内通者によると、南極の重力異常付近には、ポータルが存在するということです。記事では、“この特定のポータルは地下の構造物の内部にあります”と語っており、“その構造物から大気圏外の別の宇宙船に移動できるポータルです”と言っています。
 冒頭のTOCANAの記事では、「堕天使は南極大陸に囚われの身となっており、今なお生きている」と書かれていますが、コーリー・グッド氏は、プリ・アダマイトはステイシス(生命の休止状態)に入っていて、いつでも目覚めさせることができると言っていたようなので、先の表現はそれほど間違っているわけではないと思います。
(竹下雅敏)

注)以下、文中の赤字・太字はシャンティ・フーラによるものです。

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【衝撃】南極に封印された「堕天使」に世界が震えた!
配信元)
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【衝撃】南極に堕天使が閉じ込められていることが“謎の重力異常”で判明か!? 禁断の聖典『エノク書』の記述と完全一致!
引用元)
(前略)
2006年、NASAは人工衛星を使った調査で、雪原の下に巨大な電磁気異常を検出したと発表した。重力異常が見つかったのは、凍結した地表から848メートルの深さで、直径は約243キロメートルにも及ぶという。
(中略)
YouTubeのチャンネル「Israeli News Live」で報じられた「堕天使は南極大陸に囚われの身となっており、今なお生きている」(中略)… では、コメンテーターのスティーブン・ベン・ナン氏が興味深い考察を披露している。

「最近、『エノク書』を読んでいて発見したんです。18章に、エノクは『昼と夜が燃えていた』場所を描写していますが、夏場の南極を示唆するようです。また、『7つの山脈』にしても、南極のセンチネル山脈を意味していると直感しました」(スティーブン・ベン・ナン氏)
(中略)
ベン・ナン氏の推理が正しければ、天使たちが堕ちていった先は、あろうことか南極大陸ということになる。
(以下略)

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まみむのメモ(17)〈野生の本能〉

タカキウチュウノヒカリノヒメミコ様、ミサキタカクノボルヒメミコ様の二柱は、2021年5月22日午前0時に魂(ジーヴァ)が消滅しました。二柱の御名(両方、あるいはどちらか一方)を唱えていた方は、御名を唱えるのを中止してください。(詳細はこちら)


 飼い猫がけんかして肉球をかまれ、足が腫れてびっこをひいていました。
 3月22日の外出中の出来事で、その日から25日の朝まで、水も飲まず何も食べず、トイレにもいきませんでした。27日になってほんの少しだけ食べ物を口にしました。
(まみむ)
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まみむのメモ(17)〈野生の本能〉

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まぁ

最初はどこを怪我しているのかわからなくて、24日の夜、マタタビの焼酎漬けの焼酎をかけたら、痛がった。25日の朝も焼酎をかけたら痛がって、逃げるように家の外の日当たりのいい木のそばで1日寝ていた。25日夜に見ると赤く傷が目立っていた。


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みぃ

生蜂蜜なら痛がらないし、効くかもしれないよ。


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まぁ

二人で生蜂蜜をつけて、ヨモギの葉を当てて包帯した。生蜂蜜もなめさせたよ。


ヨモギ


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むぅ

一晩で随分腫れがひいていましたね。


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まぁ

包帯をいやがって朝には口で外してしまったけど、26日の夜も同じようにして2晩でかなり楽そうになった。


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みぃ

生蜂蜜とヨモギ、すごいね。


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ままぴよ日記 23

 今、ミサキタカクノボルヒメミコ様タカキウチュウノヒカリノヒメミコ様の御光が降り注いでいます。唱名(ジャパ)の方法も詳しく教えていただきました。

 そしてハルカナウチュウノヒカリノミコト様から当面の心配や不安は、「ガヤトリー・マントラ」と「愛のマントラ」を3回ずつ繰り返し唱える事ですみやかに解消されていきます(最後に“オーム シャンティ シャンティ シャンティヒー”はいりません)と教えていただきました。

 又、体、心、意識を癒す救済の日輪の効果的な飾り方や眺め方の情報も開示されました。

 なんとタイムリーな恩寵でしょう!これからますます格差社会が広がり、災害を含めて混乱が予想される一方で神様の愛の恩寵も確実に増しています。

 個人的な問題に関しても本当に救われています。ありがとうございます。
(かんなまま)
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渡米する娘と、入院する認知症の義母


生後6か月の赤ちゃんを含めた子ども4人を連れて渡米する娘。長期滞在なので空港の税関でいろいろな審査と手続きが必要です。パートナーは一足先に発ったので全てを1人でしなければいけません。その上、アメリカに着いてからも新しい家のこと、子ども達の学校のこと等も大変です。それで、暮らしが落ち着くまで私が付いていくことになりました。去年オーストラリアに二女のお産の手伝いに行った時と全く同じ日程で日本を留守にします。こんなことになるとは想像もしていませんでした。

さて、今まで娘の渡航準備を手伝っていましたが、ひと段落したので今度は自分の準備です。去年と同じように留守にする家業の事務処理。夫への激励(笑)。子育て支援の仕事の段取り・・・。渡航まで2週間!と思っていた矢先に義母がグループホームで腹痛を訴えました。病院で急性胆嚢炎と診断され、外科的な処置ができる総合病院に救急車で運ばれました。


駆けつけると胆のうにドレーンを入れられて胆汁を排出する処置がされていました。義母は認知症です。説明しても今の状況が理解できずに何度も管を抜こうとします。足が悪くて自力で歩けないのにそれも忘れてベッドから起き上がって歩こうとします。

治療を優先するために拘束衣着用の許可を求められました。手足を縛るわけではないファスナーのつなぎ服です(自分で管を抜けないようにするためのパジャマ)。看護師さんも朝から晩まで一瞬のスキなく見守っていることはできないし、ドレーンを抜かないためには仕方ありません。かわいそうにと思うこちらの心配をよそに義母はあっさり受け入れました。と言ってもすぐに忘れてファスナーを壊してまでも抜こうとしますが。

炎症が収まったら手術して胆のうを全摘しなければ再発するとのこと。でもその前に心臓の機能がかなり低下しているので別の病院に転院して心臓カテーテルをして、場合によってはステントを入れて、心機能が上がってから胆のうの全摘手術をします、と言われました。聞いていて苦しくなってきました。義母は91歳。


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アダムが誕生して何年後にノアの大洪水が起きたのか ~聖書の記述を一貫して正しいとする立場では、うまく説明できず、旧約聖書も総合的に見て矛盾だらけであり、文字通り受け止めてはならない

竹下雅敏氏からの情報です。
 創世記の第5章には、アダムからノアに到る系図があります。この記述から、アダムが誕生して何年後にノアの大洪水が起きたのかがわかります。
 “続きはこちらから”は、それを計算したもの。記事の赤字にした部分を絵に描いてみると、簡単に計算できることがわかります。計算すると、大洪水はアダム誕生の1,656年後になります。
 ノアの大洪水がいつ起きたのかが問題ですが、昨日の記事で、“ノアの大洪水が起こったのは、15,050年前(BC13,035年)のこと”と指摘しました。
 秘教徒のベンジャミン・クレーム氏は、「マイトレーヤの使命第二巻」のp256で、“ノアの箱舟と大洪水の話は、アトランティス大陸と文明の最後の名残であったポセイドン(今日のアゾレス諸島)の大破壊(1万6千年前)の象徴的な記録です”と言っています。
 また、「マイトレーヤの使命第三巻」のp162で、“ノアの洪水の物語は約一万五千五百年前の、聖書で述べられている洪水に関連しています…中東地域と地中海は影響を受けましたが、別の所には影響を受けない広大な陸地がありました”と言っています。下の記事では、大洪水の発生年をBC11,000年としていますが、これは誤りだと思います。
 計算式を用いると、大洪水の発生年から逆にアダムの誕生年を割り出すことができます。しかし、聖書をそのまま信じると、アダムの誕生年は、大洪水発生年(BC13,035年)の1,656年前になってしまいます。
 これは、私たちの常識にあまりにも反するので、補正が必要です。引用元では、旧約聖書の数を100倍したアラン・F・アルフォード氏の説も出ていますが、ここでは、ゼカリヤ・シッチン氏の説を取り上げました。シュメールは60進法なので、シッチン氏は1,656を60倍した99,360年が、アダム誕生から大洪水までに経過した時間であるとしました。記事では、大洪水の発生年をBC 11,000年だと考えているので、これだとアダムの誕生年はBC 110,360年になります。
 ベンジャミン・クレーム氏は、「マイトレーヤの使命第三巻」のp 387で、現在の我々の種族はアーリア種族で、“まだつくられてから十万年しか経っておらず、非常に初期の段階にある”と言っています。なので、アダムの誕生をアーリア種族の誕生と考えれば、ゼカリヤ・シッチン氏の説は、まずまずのところが出ていると言えます。
 ところが、ことはそう簡単ではないのです。冒頭の記事の引用元である創世記第11章をご覧になると、ノアの息子のセムの系図が出てきます。セムからアブラハムまでの系図です。これを、アダムからノアまでの系図と同じように計算してみると、アブラハムは、大洪水のわずか290年後に生まれたことになります。わずか290年で文明が復興するはずがないので、ゼカリヤ・シッチン氏の説に従って60倍してみます。すると、290×60=17,400年となり、アブラハムは未だに生まれていないことになります。
 要するに、聖書の記述を一貫して正しいとする立場では、うまく説明できないのです。旧約聖書自体はいくつかの異なる伝承をまとめたもので、ポイントになる史実は間違っていないものの、総合的に見て矛盾だらけであり、文字通り受け止めてはならないものだということがわかります。
(竹下雅敏)

注)以下、文中の赤字・太字はシャンティ・フーラによるものです。

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創世記(口語訳)
転載元)
(前略)
第5章
1 アダムの系図は次のとおりである。神が人を創造された時、神をかたどって造り、
2 彼らを男と女とに創造された。彼らが創造された時、神は彼らを祝福して、その名をアダムと名づけられた。
3 アダムは百三十歳になって、自分にかたどり、自分のかたちのような男の子を生み、その名をセツと名づけた。 
4 アダムがセツを生んで後、生きた年は八百年であって、ほかに男子と女子を生んだ。
5 アダムの生きた年は合わせて九百三十歳であった。そして彼は死んだ。
6 セツは百五歳になって、エノスを生んだ。 
7 セツはエノスを生んだ後、八百七年生きて、男子と女子を生んだ。
8 セツの年は合わせて九百十二歳であった。そして彼は死んだ。
9 エノスは九十歳になって、カイナンを生んだ。 
10 エノスはカイナンを生んだ後、八百十五年生きて、男子と女子を生んだ。
11 エノスの年は合わせて九百五歳であった。そして彼は死んだ。
12 カイナンは七十歳になって、マハラレルを生んだ。
13 カイナンはマハラレルを生んだ後、八百四十年生きて、男子と女子を生んだ。
14 カイナンの年は合わせて九百十歳であった。そして彼は死んだ。
15 マハラレルは六十五歳になって、ヤレドを生んだ。 
16 マハラレルはヤレドを生んだ後、八百三十年生きて、男子と女子を生んだ。
17 マハラレルの年は合わせて八百九十五歳であった。そして彼は死んだ。
18 ヤレドは百六十二歳になって、エノクを生んだ。 
19 ヤレドはエノクを生んだ後、八百年生きて、男子と女子を生んだ。
20 ヤレドの年は合わせて九百六十二歳であった。そして彼は死んだ。
21 エノクは六十五歳になって、メトセラを生んだ。 
22 エノクはメトセラを生んだ後、三百年、神とともに歩み、男子と女子を生んだ。
23 エノクの年は合わせて三百六十五歳であった。
24 エノクは神とともに歩み、神が彼を取られたので、いなくなった。
25 メトセラは百八十七歳になって、レメクを生んだ。 
26 メトセラはレメクを生んだ後、七百八十二年生きて、男子と女子を生んだ。
27 メトセラの年は合わせて九百六十九歳であった。そして彼は死んだ。
28 レメクは百八十二歳になって、男の子を生み、 
29 「この子こそ、主が地をのろわれたため、骨折り働くわれわれを慰めるもの」と言って、その名をノアと名づけた。 
30 レメクはノアを生んだ後、五百九十五年生きて、男子と女子を生んだ。
31 レメクの年は合わせて七百七十七歳であった。そして彼は死んだ。
32 ノアは五百歳になって、セム、ハム、ヤペテを生んだ。
(以下略)

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