竹下雅敏氏からの情報です。
文章中に誤りがありました (2015/09/14)
「華屋火砕流」→「幸屋火砕流」
「華屋火砕流」→「幸屋火砕流」
――――――――――――――――――――――――
中西征子さんの天界通信11
<通信者:中西征子>
<2015年9月8日>
先回、家にあるクロガネモチの木から、世界最古の樹木と考えられるのが、屋久島にある“縄文杉”で、樹齢7,321才だと言う事を聞きました。
ところが、最近の説によると、“約7,300年前、鹿児島湾に相当する鬼界カルデラの噴火によって発生した幸屋火砕流により、屋久島を含む九州南部諸島は壊滅的な被害を受け…縄文杉の樹齢は少なくとも4,000年以前にはさかのぼらない…”というのが通説になっているようです。
一体どちらが事実なのか、直接“縄文杉”から聞いてみる事にしました。
〔突然の呼びかけでごめんなさいね。あなたは縄文杉さんですか?〕
そうです!あなたは中西征子さんですね!
〔驚きました!!私の名前を知っているのですか!?〕
もちろん知っています。
新しい愛のマントラ、ありがとうございます!
私の仲間からすぐに情報が届くので、早くから知っているのです。
〔すごい情報網があるんですね!
今日は折り入ってあなたに尋ねたい事があるのです。
あなたの樹齢に関して、約4,000年~約7千数百年と、ずいぶんと開きがあるのですが、本当はあなたは何才になるのですか?〕
私は今年で7,321才になりました。
〔では、約7,300年前の火山噴火の時に壊滅したのではなかったのですね?〕
当時、この周りのごく一部分ですが、火砕流に被われませんでした。
すでにその時20才位だった私は、何とかその状態で持ちこたえる事が出来たのです。
私を守るように、周りに何本か生えてきた仲間と一緒にこれまで生きてきました。
〔奇跡的に助かったのですね!
その後の長い時間をあなたはどのような気持で過してきたのでしょう!
何か長生きの秘訣でもあるのですか?(笑)〕
秘訣という訳でもありませんが、世界中から送られてくる情報で、私はいつも活発に知識欲を満足させる事ができ、とても充実した生活を楽しんできました。
もちろん、悲しく苦しい知らせもたくさん入ってきます。
人類の戦争の歴史を私はずーっと眺めてきたようなものです。
でも、いつ迄も悲しみや苦しみは続きません。
ほんのひと時でも、世界中から争いが無くなる一瞬があるのです。
そのひと時、私の全身は安堵と平安に、そして喜びに満たされるので、次の悲しみに耐え続ける事が出来たようです。
〔素晴しく積極的な忍耐の仕方ですね!!
きっと、悲しみや苦しみがどんなに辛くても、あなたの心の平安や平和の希望を打ち砕く事は出来なかったのですね…!〕
その通りです!
私は悲しみのエネルギーを喜びと希望のエネルギーに変える努力をしてきました。
きっと平和な世界になると信じて、毎日を真剣に生きてきました。
だから、今、私は幸せです。
あなたとこうして話が出来る事も信じていました。
やっと実現して、こんなに嬉しい事はありません。
今、あなたの愛が私に注がれているのがわかります。
私の姿を見ておられるのですか…?
〔よくおわかりですね!
今、インターネットの画像で、あなたの幹や枝、葉などを見ながら、話しているところです。〕
あなたの愛は私の喜びです!
本当に嬉しい!!
私に会いに来て下さるなら、どんなにか嬉しい事でしょう!!!
あなたに私から“愛のマントラ”を送ります。
〔本当に!?私に!?
すごく嬉しい…。ありがとう!!!〕
<彼との通信を終えて>
何という崇高な精神の輝き…。
彼の高度な知性、信じ難い程の忍耐力、柔軟で積極的な思考に接して、これ迄何十年という長い間、自然界に対して抱いていた常識は完全に破られてしまいました。
さらに悲しみのエネルギーを喜びと希望のエネルギーに変換出来る事、平和な世界になる事を信じ、日々真剣に生きる事の大切さを、置かれた環境の中で精一杯実践してきた姿は、私にとって、樹という姿を借りた偉大な魂の様に感じられました。
今、彼の意識と一つに繋がっている事を実感出来る事は、私にとって本当に大きな喜びです。
通信文は以上でした。
よろしくお願い致します。
中西征子
通信文を見ると、彼らに魂が存在するとわかるはずです。神智学では動植物は群魂であり、個々の魂は人間以上の存在に限るとしていますが、これは誤りです。神智学関係者は、私たちの第1システムより下にある6つのシステムについては、何も知りませんでした。またそのシステムにアクセスすることも出来なかったため、動植物、まして鉱物に魂があるとは思いもよらなかったのです。
このように、これまで地上で教えられて来た宗教の多くが、その根本において誤っています。確かに多くの魂は、鉱物、植物、動物、そして人間へと膨大な時間をかけて進化します。人間は終には神々となります。さらに果てしなく高い水準へと進化して行くのです。
しかし、例えば昔に作られた性能の低いクラシックカーと、高度に進化した現代の車のどちらの価値が高いかは、答えることが出来ません。大切に扱われたクラシックカーは、1台数億円することすらあります。要するに、進化の程度とその存在の価値は、ある意味で無関係だということです。
測れないものを敢えて測ろうとすれば、あなたがどれだけ真剣に、そして誠実に日々の暮らしを生きているのか、ということに尽きるかも知れません。それが、あなたの価値を決めているのです。