娘夫婦に親スイッチが入って、私は半分失業中。予備要員なので外出するわけにもいかず、何かすることはないかなあと思って、娘が持っている本を片っ端から読み始めました。ご苦労な事に2-5種体癖の私は、何もすることがないと落ち着かなくなるし、リラックスすると本を読みたくなるのです。
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娘の本棚とおんぶ
娘の本棚を覗くと、おばあちゃん助産師の坂本フジエさんの「大丈夫やで」(産業編集センター)や清水悦子著、神山潤監修「赤ちゃんにもママにも優しい安眠ガイド」(かんき出版)などがあり、英語の子育ての本もたくさん並んでいました。娘と同じ親の立場で話せる日が来たのかと嬉しくなりました。
私もラゲージの中に何冊も本を持ってきていました。日頃、子育てセミナーのテキストとして使っている子育て文化研究所のAKAGOという冊子を1から4まで。この冊子は「NPO法人子育てを楽しむ会」の母親達が抱っこ紐やおんぶ紐を研究して、赤ちゃんが安定し、発達を促し、体幹や主体性を育てるためにはどんな抱っこの仕方やおんぶの仕方がいいのかを伝えるために作られたものです。(月刊誌クーヨン9月号にも掲載されています)その他に産前産後の母体のケア、赤ちゃんとの関わり方などもイラストや写真を使ってコンパクトにまとめられています。
赤ちゃんはグングン成長して行きます。私が孫に関わられるのはほんの1ヶ月。今は首が座っていないのでおんぶの仕方まで教える事はできません。そしてオーストラリアにはおんぶの文化は無いようです。是非この本を使って親子で共同追視できるおんぶをマスターしてほしいと思って持ってきたのです。だってこの娘はおんぶで育った娘でしたから(笑)。
感動のジル・ボルト・テイラー著「脳の奇跡」
さて、もう1冊。いつかは読みたいと思っていた脳科学者のジル・ボルト・テイラーの「脳の奇跡」(新潮文庫)という本を読み始めました。
読み進むうちに胸の奥から探し物を見つけたような感動が湧き上がってくるのを感じました。もしかして、これは赤ちゃんの成長と同じではないか?・・・と
この本は赤ちゃんの事を書いた本ではありません。脳科学者のジルが、37歳の時に先天的な脳動静脈奇形のために脳卒中になり、左脳の大半の機能を失った事から始まる実話です。
左脳の機能を無くすという事は、感じたものを整理、分類して、認識することが出来なくなるという事。目に見えているものがいったい何なのか?聞こえているものが何を意味しているのか?それを言葉で表現することも数字の意味も理解できません。色も匂いも「ある」のはわかるけど、意味が解らないし、人に伝える手段を持たないという事なのです。
片や、残された右脳の世界では全てが「ある」のです。全ての音が響き、光がまぶしく、洪水のように押し寄せてきます。自分の体がどんな位置関係にあるのか?その境界線もわかりません。自分が広大な宇宙と一体になった感覚。それはとても幸せな感覚で、このままずっとこうしていたいと思うほどだそうです。
ジルは脳科学者でもあり、意識を失くしたわけではなかったので自分に起こったことを客観的に観察していました。そして右脳の世界の中で私達人間は同じ全体の一部であり、その生命エネルギーは宇宙の力を含んでいる!という事に気が付いたそうです。
でも、外界の知覚と外界との関係が脳の神経回路の産物であった事もわかったのです。私と思っていたものは私の想像の産物に過ぎなかったという事が。
ただ、脳は同時に進行する多数のプログラムによってつくられているので、左脳の意識は失ったけれども右脳の意識と体を作り上げている細胞の意識を保ったまま、脳の他の部分が目覚め始めます。
それは、あたかも新生児のように・・・
初めは押し寄せてくる全ての感覚的な刺激におびえ、落ち着かなくて混乱します。体も思うように動かない!すぐに疲れて眠る。眠ってエネルギーを充電しなければ新しいことが出来ないくらい疲れるのです。このままそっとしておいて!という気分です。
そんなジルがこの時期に一番幸せを感じたのは母親が来てくれた時だったそうです。彼女が誰なのか理解できないけれど、その人は病室に入ってジルを一目見るなり他の医者をかき分けて彼女の傍に行き、ベッドのシーツを持ち上げ、ベッドに潜り込んで両腕でジルをギュッと抱きしめたのです。
ゆらゆら揺れて、髪を撫で、歌を歌ってくれました。肌から伝わってくる懐かしいぬくもりにとろけそうになり、初めて安心しました。この人は信じられる。彼女が傍にいてくれたら大丈夫だと思えたというのです。母親も、赤ちゃんのように怯えて寝ている37歳の娘を見るなり、自分にしてあげられることはこれしかないと直感的に思ったそうです。
やがて騒音の中から聞き取れる音があるのに気が付きます。それは優しく、しずかに自分に向かって話しかけられた声。やがて話したい衝動に駆られて、その音が出る唇の動きを真似て、ただの音を意味のある言葉として理解し始めます。
黙っているから何もわからないのではないのです。ただ横たわっているだけのジルを、傷ついた1人の人間として尊重し、優しく言葉で説明しながら世話をしてくれる看護師がいました。その人はジルに生きるエネルギーをくれました。一方、ジルを何もわからない人として義務のように扱う人はエネルギーを吸い取る嫌な人でした。
やがてジルは奇跡的によみがえるのです。右脳の芸術的な才能も花開かせながら・・・。
これは、まるで赤ちゃんがたどる道?・・・私にはそう思えました。
赤ちゃんはおなかの中でお母さんと一体で境界線を感じていません。でも、この世に生まれた途端、眩しい光や様々な音、強い匂いなどの刺激が一気に押し寄せてきます。その中で聞いた事のある声、自分に向けられた優しい言葉かけや関わりによって安心と信頼が生まれます。
やがて、この世界に繋がりたいという衝動が生まれ、生きていくために必要なものを選別し、取り入れ、認識し始めます。まずは自分中心に。そして思春期を迎える頃には前頭前野の機能がピークになり、自我の目覚めと共に社会性や他者とのコミュニケーションをとることが出来るようになって自立して行きます。
別の言い方をすれば、その小さき命は神様と、宇宙と、親と、あらゆるものと一体でありながら、見えたり聞こえたり体験したものを選別して自分の世界を作っていくのでしょう。
そう!赤ちゃんは全てと一体を感じている存在であり、その大いなるものを内在しながらスリリングな冒険の旅に来たのです。
それが愛に満ちた世界であるのか、苦痛の世界であるのかは私達に委ねられています。
私達はそのことにあまりにも無知で失礼なことばかりしていると思いました。早くこの事に気付き、私達の方こそ細胞の隅々まで宇宙と一体であるという原点に戻り、目の前の小さき命を慈しみ、愛でお互いを創造し合っていかなければいけないと切に思いました。
感動のまま本を閉じて・・・あらためて孫を見たら「生まれて来てくれてありがとう!よろしくお願いします」と言わずにはおれませんでした。