ぴょんぴょんの「秋の夜長と宮沢賢治」

 東京に住んでいた頃は年に1〜2回、花巻に聖地巡礼していました。
 景色が美しい、お米が美味しい、お酒が美味しい!
 のんびり温泉に入って、宮沢賢治ゆかりの場所を巡るのが楽しみでした。
 九州に越して、さらに震災があって、岩手から遠のいてしまいましたが、今でも懐かしい場所です。
(ぴょんぴょん)
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ぴょんぴょんの「秋の夜長と宮沢賢治」


命日9月21日に行われてきた「賢治祭」


今ごろの季節になると、「賢治祭」を思い出すなあ。

賢治祭って、今ごろだっけ?

毎年、賢治の命日、9月21日に行われてきたんだよ。

賢治の故郷、花巻でやるの?

ああ。
賢治の生家から徒歩で5分位、桜という地名の場所があるが、そこが会場だ。
そこにはかつて、宮沢家の別荘があった。

生家跡 Author:663highland[CC BY-SA]


別荘って、お金持ちだったんだね。

賢治の家は質屋で、当時は裕福な方だったからな。
ま、別荘というか、離れという感じかな?
その家は、賢治の妹のトシさんが、結核で療養していた場所でもあり、賢治が住みこんで、「羅須地人協会」という農民芸術の会を組織したり、畑を耕しながら文筆活動をした場所でもある。

トシさんは若くして、結核で亡くなったんだよね。

「永訣の朝」が、有名だよな。

学校の教科書で読んだ記憶があるよ。

トシさんは、賢治とよく似た世界観をもっていて、よい話し相手だったそうだ。
賢治が病床のトシさんのために、当時珍しいアイスクリームを、実家から別荘まで走って届けたという逸話は有名だ。

溶けちゃいそうだね。

今は家はなく、空き地に詩碑が立っているだけだが、かつて賢治が住んだ家は今でも残されている。

へえ? どこにあるの?

花巻農業高校。

それってもしや、賢治が教鞭を取っていた花巻農学校のこと?

その通り!
Wikiによると、「校内に『賢治先生の家』と呼ばれる建物が保存されている。これは、もとは宮沢家の別宅だったもので賢治が独居自炊していたこともある(羅須地人協会)。賢治の生前は現在の花巻市桜町にあったが賢治の没後に売却されて現在地に民家として移築され、その後1969年に本校が移転した際に偶然にもそこに建っていたという曰くがある。 」

羅須地人協会に使われた建物 Author:FITM[Public Domain]


つまり、賢治ゆかりの家が、母校が移転してくるのを先に待っていた!?

初めて花巻に行った時を思い出すなあ。
新花巻駅の外に出た瞬間、賢治の世界に入った感覚がしたんだよ。

まるで、そこはイーハトーヴ?

イーハトーヴ、賢治はエスペラント語でふるさとをそう呼んだが、たしかにあそこはただの花巻市じゃなくて、イーハトーヴだな。
賢治の作品に触れた人なら誰でも、作品の空気感を感じられる場所だ。

賢治の作品はどれも、異次元のかおりを持っているからね。

賢治祭が開催される桜という場所も、なにか違う空気が流れてるところで、一人静かに座っていたくなる場所だったな。

賢治が住んでいたから?

さあ、それはわからない。
その空き地には、かの高村光太郎が揮毫(きごう)した「雨ニモマケズ」の詩碑が立っていて、
その詩碑の前で賢治祭が行われる。

夜のとばりが下りる頃、裸電球の明かりの下で、地元の小中学生が賢治の詩を朗読し、賢治の童話劇を演じたり、賢治が好きだった鹿(しし)踊りや剣舞(けんばい)が披露されたりするんだ。

鹿踊り Author:Yoshi Canopus[CC BY-SA]


ずいぶん素朴なお祭りだね。
大きなホールとかで、有名人を呼んだりするんじゃないんだ。

純朴な子どもたちが懸命に演じる、童話劇は感動ものだぜ。
初めて目のする、大迫力の鹿踊りや剣舞にも感激したな。

剣舞 Author:Yoshi Canopus[CC BY-SA]


賢治の世界にかんたんに、トリップしそうな雰囲気だねえ。

現在も同じ場所で、同じようなプログラムで行われているらしい。(2018賢治祭)
おれが参加した頃に賢治祭を主催していたのは、賢治の教え子の照井謹二郎氏だった。

教え子がまだ存命だったんだね?!


賢治の素顔


照井氏とは個人的にお話しする機会があり、賢治の話もじかに聞くことができた。
照井氏は、いかにもまっすぐという感じの紳士で、「賢治先生」と語る時、心からの尊敬の念があふれていたよ。

学校の先生を、そんなふうに尊敬したことないなあ。

賢治先生の授業は、いつも非常におもしろかったそうだ。
別の本で知ったことだが、思春期の少年たちを相手に、性教育もしてくれたと。

賢治自身は生涯、独身を貫いたはずだけど?

若者にとって、性の知識がどれほど重要か、教育者として理解していたんだと思う。
彼自身も、性欲の処理に悩まされていたからな。

結婚すればよかったのに。

「賢治はなぜ、一生独身だったのですか?」
一度、照井氏に質問した
ことがある。

なんて、答だった?

よくわからないって言ってた。
ただ、賢治は熱心な法華経の信者だったから、宗教的なネックがあったんじゃないかとおっしゃってた。

法華経の写本 Author:C8/9 brushwork[CC BY-SA]


ハイアラーキーの影響かあ。

夜中に性欲が湧いてくると、一晩中歩きまわって詩を作り、性欲を発散していたそうだ。

そうやって、性エネルギーを文学に昇華していたんだね。

だから、彼自身にとっても性は、大きなテーマだったわけだ。
晩年、と言っても彼はわずか37歳でこの世を去ったわけだが、結核が発病する前、お見合いをしに東京の大島まで行ったことがある。結婚するつもりだったらしい。

結局、独身のまま、亡くなっちゃったけどね。

病床に伏せっていた賢治を、照井氏と同級生が見舞いに行ったときの話も聞いた。
先生は結核が伝染らないようにと、1メートルくらい離れるようにと言われた。
帰り際に、先生は起き上がって本棚から本を取り、それぞれに渡された。
数カ月、日光に当てて消毒してから読むようにと言われた。

結核は当時、非常に恐れられていたからね。

照井氏が受け取ったのは、妹のトシさんの蔵書「エマソン論文集」だった。
トシさんのサインが入ったその本を、おれは手に取らせてもらったよ。

エマソンとか、難しい本読んでたんだなあ〜!

照井氏がくれた「宮沢賢治・農民芸術概論・綱要」、その序論にあの有名な言葉がある。
「世界がぜんたい幸福にならないうちは 個人の幸福はあり得ない」

この言葉は、今のぼくたちの心にビンビン響いてくるね。

自我の意識は 個人から集団 社会 宇宙と次第に進化する
・・・・・新たな時代は世界が一の意識になり 生物となる方向にある

pixabay[CC0]


むつかしい〜!!

正しく強く生きるとは 銀河系を自らの中に意識して これに応じて行くことである
われらは世界のまことの幸福を策(たず)ねよう。求道すでに道である


「銀河系を自らの中に意識して」って、スゴくない??

2018/09/15の時事ブログの、トワニカガヤクヒメミコ様のメッセージ、読んだか?
その時、とてつもないほどの強い光が体に入り込み、体全体が果てしなく膨張し、体のすみずみまで細胞のすべてが光なのだと感じていました。
・・・・・“私は宇宙になったのだ”と実感出来た時、喜びに満たされ、とても幸せでした。

なんか、似てる・・・・・・?

また、賢治はこう言う。
まずもろともに かがやく宇宙の微塵となりて 無方の空にちらばろう

なんか、似てる・・・・・?

賢治も、その次元まで到達していたのだろうか?

だとしたら、すごいことだね。
だけど、羅須地人協会って、会員は農民ばかりなんでしょう?
こんな哲学的で抽象的な文言を理解できる人、いたんだろうか?

たぶん、賢治のことを理解できた人なんて、妹のトシさんくらいじゃねえのか?

しかもその唯一の理解者を、まっ先に失って、寂しかっただろうなあ。

いや、彼はいつでも自然や、精霊や、妖精たちと語ることができたから、寂しくはなかったと思う。
そういう空想の世界で生きていれば長生きしたものを、彼はあえて過酷な道を選んだ。

6種で肺の弱い体癖なのに、農業を選んだもんねえ。

pxhere[CC0]


農学校の教師の給料は、十二分だったそうだが、農民たちは苦しい生活を強いられているのに、自分だけが楽してお金をもらうのは申し訳ないと。
そこで、自分が学んだ土壌改良の知識を生かして、肥料のアドバイスなどもしていたが、それでも彼らと同じ位置に立てないと感じ、とうとう自ら農民になる決意をしたんだ。

無茶だよね。

実家からの差し入れには一切手を付けない。
周囲の農民が、米とナスと味噌しか食べていないと聞くと、自分も同じにする。
でも周囲は、賢治の家が裕福なことを知ってるから、どんなにみんなと同じにしたくても、彼らの仲間になれるはずがない。

結局、道楽にしか見られないのにね。

ストイックで純粋。
だから、あれほど美しい物語や詩を書くことができたんだと思うよ。

それに、あの美しい日本語!

翻訳では絶対に伝わらない、日本語の美しさ。
おれも賢治の作品を読みながら、母国語が日本語で良かったと思った。
たとえば「茨海(ばらうみ)小学校」で、きつねの先生が生徒たちに「正直」について話すシーンがある。

pixabay[CC0]


きつねって言えば、ウソついてだますのに「正直」?

黒板には『最高の偽(うそ)は正直なり』と書いてあり、先生は説明をつづけました。
『そこで、元来偽というものは、いけないものです。いくら上手に偽をついてもだめなのです。賢い人がききますと、ちゃんと見わけがつくのです。・・・・・ですからうそというものは、ほんの一時はうまいように思われることがあっても、必ずまもなくだめになるものです。・・・・・
こんな工合にして一生けん命考えて行きますと、とうとうしまいはほんとうのことになってしまうのです。そんならそのほんとうのことを云ったら、実際どうなるかと云うと、実はかえってうまく偽をついたよりは、いいことになる、たとえすぐにいけないことになったようでも、結局は、結局は、いいことになる。だからこの格言はまた《正直は最良の方便なり》とも云われます。』」

これ、よっぽど、今使われてる道徳の教科書よりいいんじゃない?

きれいな日本語を身につけるためにも、もっと子どもたちに賢治作品を読んでもらいたいね。

ところでくろちゃんは、賢治作品で何が好きなの?

今は「よだかの星」とか、好きだな。
実物を見たら吹き出しそうになる「よだか」から、なんでこんな美しい物語が生まれるんだろってな。

Wikimedia[CC BY-SA]


ぼくは「猫の事務所」。
猫がたくさん出てくるのが好き。
イジメの話なんだけど、イジメのくだらなさをカラッとコミカルに描いている所がいい。

pixabay[CC0]


宮沢賢治は現在、天界のどこかで高い地位についてるんだろ?

イーハトーヴ、日本、いや宇宙全体を見守ってくれているんだね。

彼の作品は、時代によって廃れることなく、世界中で愛されている。

彼の訴えたことが、いかに普遍的なものだったかがわかるね。


イーハトーヴの神秘


ほんじゃここで、おれがイーハトーヴで体験したこと、話そうかな。

へえ、なになに?

イーハトーヴでは、いつもレンタカーで動いていたが、
一日小岩井農場で過ごしたある日、宿に帰る頃にはとっぷり日が暮れて、当たりは薄暗くなっていた。
高速を下りてしばらく走ると、突然、車がドタンバタン揺れ始めて、妙な音がしだしたんだ。
なんとかそのまま走り続けたが、民家のほとんどないところで車は止まってしまった。
あたりはもう真っ暗。
恐る恐る、下りて見ると、後ろのタイヤがぺちゃんこになってるじゃねえか。

小岩井農場 Author: 掬茶[CC BY-SA]


うわあ〜、夜道でパンクかあ。
まあ、高速じゃなくてよかったけど。

そのころのおれは運転し始めたばかりで、パンクの経験もなく、しかも知らない土地でレンタカー・・・・・頭が真っ白。

そのころは、携帯電話もない。

とにかくパンクを修理してもらう所を探さなきゃ、とあたりを見回すと・・・・・頭の上に看板が・・・・・なんと、その看板には、「タイヤ」の文字が!

Author:Nih131[CC BY-SA]


つまり車を止めたのが、タイヤ屋さんのちょうど真ん前だった!?

すぐに駆け込んで、タイヤを交換してもらったが、なんかふしぎな感覚だったぜ。
付近に家はまったくないのに、なぜかタイヤ屋だけがぽつんとあったんだよ。
きつねに化かされたんじゃなくて、救われたってのかな?

おおお、イーハトーヴの神秘だ・・・・・。


Writer

ぴょんぴょんDr.

白木 るい子(ぴょんぴょん先生)

1955年、大阪生まれ。うお座。
幼少期から学生時代を東京で過ごす。1979年東京女子医大卒業。
1985年、大分県別府市に移住。
1988年、別府市で、はくちょう会クリニックを開業。
以後26年半、主に漢方診療に携わった。
2014年11月末、クリニック閉院。
現在、豊後高田市で、田舎暮らしをエンジョイしている。
体癖7-3。エニアグラム4番(芸術家)

東洋医学セミナー受講者の声

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