ずいぶんと間を空けてしまいましたが、前回の続きです。
————————————————————————
山口の自宅を出発して7日目に福井の友人宅に到着しました。
友人の彼は、前の職場で一緒に働いていた元同僚です。元整備士にして元大工という経歴の持ち主で、時々ぺりどっと号の整備にも相談にのってもらっています。
僕から彼にシャンティ・フーラのことをお伝えした頃、彼はアパートに住んでいたのですが、いつの間にやら田舎の一軒家で畑を持ち、ソーラーを自力で設置し、冬は薪ストーブで暖を取っていました。家の中は、ナディー・チャート 風水キットでしっかりと守られておりました。
週末には、一緒に食事に行ったりしました。二人で食べて忘れられないのは、谷口屋の油揚げ定食です。低温圧搾法で搾った太白純正胡麻油だけで揚げた、14cm×14cm×厚み4cmのジャンボおあげ。正直、おあげ何ぞには微塵も期待していなかったのですが、こんなにも美味しいものだとは思いもしませんでした。多い日には、1日1300人もの人が押し寄せるのもうなづけます。
その後もバイクでツーリングしたり、なぜか福井県が猛アピールしてる恐竜博物館に赴いたりしました。
建物の外観は、恐竜の卵の形をイメージしてるそうです。
展示されている綺麗なペリドット石にも出会いました。ペリドットは8月の誕生石ですが、ぺりどっとは2月生まれです。
それから石川県羽咋市(はくいし)を訪れました。
以前にもご紹介しましたが、羽咋市にある千里浜なぎさドライブウェイは、日本で唯一、車で走ることができる全長8kmの砂浜道路です。普通の砂浜ですと、タイヤが空転して、まともに前に進めません。
そして、ここ羽咋市はある意味、日本で最もコズミック・ディスクロージャーが進んでいるところだと思われます。
というのも、実は羽咋市はUFOの町として有名でして、市全体が総出でUFO推しをしてるので、町のあちこちでそのUFO推しっぷりを垣間見ることが出来ます。こちらは街角に普通に貼られているポスター。
なんでも、羽咋市にはUFOなんて言葉もイメージもない江戸時代の頃から、空飛ぶ円盤が目撃されていたという伝説があり、当時の人たちは、その「空飛ぶ円盤」のことを「そうはちぼん」と呼んでいました。「そうはちぼん」とは仏教の真言宗で使われるシンバルのような仏具のことです。
伝承によれば、「そうはちぼん」は羽咋市の北側に位置する眉丈山(びじょうざん)の辺りをよく飛んでいたそうな。また、羽咋市にある正覚院には、自由自在に空を飛ぶ物体について書かれた「気多古縁起」という文献が残っていたり、鍋が空から降ってきて人をさらう神隠し伝説があったりと、羽咋市はUFOとは切っても切れないご縁があったようです。
そんなUFOの町の真っ只中にある、宇宙科学博物館コスモアイル羽咋に行ってみました。
そもそも、この博物館そのものの外観が、巨大なUFOのようですよね。そして、この博物館の入り口に天高く佇んでいる、マーキュリー・レッドストーン・ロケット(MR7)。なんと、このロケット、1段目と2段目は実際に発射された本物の実機なんですって。。。
メインの展示室は2階にあるのですが、絶対にエレベーターに乗り込むことをオススメします。その理由は、、、乗れば分かる。どうしても知りたい人は空白を反転させてね↓↓↓
エレベーターに乗り込むと、突然真っ暗になり、そして、そこに宇宙空間が映し出されるという粋な演出が施されます。一緒に行く人にはぜひ黙っておきましょう♪
下は、1961年旧ソ連のガガーリンが、人類初の宇宙飛行を成し遂げたボストーク宇宙船。実はコレ、その実際に大気圏に突入し地球に帰還した実物そのもの!!外観には焼け焦げたあとまで。。。
続いては、アポロ司令船。この司令船に使用してあるモノは実際に使用されたものと同一の部品・素材を用いて組み上げているとのこと。(銀色のシールドは本物!)
ちなみに、あのアポロチョコの形はこのアポロからきてます。
それから、本物の予備機である旧ソ連の月面探査機「ルナ24号」。他のルナシリーズがソ連崩壊前後にバラバラにされてしまい、この予備機が地球上で唯一残る最後の1機であるため、国内外の宇宙関係者が視察に訪れるほど貴重なものだそうです。(画像は失念してましたので、こちらでご覧ください)
なぜこんな小さな町の博物館に本物の宇宙船がゴロゴロあるのか不思議に思っていましたら、置いてあったパンフにそのことが書かれていました。
羽咋市の元職員である高野誠鮮氏が、アメリカのNASAやロシア宇宙局を訪ね回り、安価で購入したり、宇宙船を実際に作っている業者にお願いして、本物と同じ素材かつ同じ模型を作ってもらったそうです。
また、NASAに月面車の試作機を無償で貸してくれるようにお願いしに行ったときには、通常1年単位で借りるものを、高野氏は100年貸してほしいとお願いしたとのこと。するとNASAのスタッフたちは大笑いしながらも、「今までこんなやつ一人もいなかった」と気に入ってくれて、本当に100年間無償で貸してくれたのだそうです。
展示室の最後には、UFO目撃情報が綴られたファイルが自由に閲覧できました。
そして、自分でもそのUFO目撃情報を書き残すことが出来るようにもなっています。
UFOと言えば、「奇跡のりんご」の木村秋則さんがUFOと縁があることは有名で、何度もUFOに遭遇し、拉致された逸話さえあります。
2010年にはココ羽咋市で、北陸で初となる木村さんの講演を開催しており、その後2015年にも木村さんの自然栽培セミナーを開いています。
そんなつながりなのか、羽咋市では日本初となる画期的なことが。。。
石川県羽咋市は2016年1月29日、日本で初めて、自然栽培の米と野菜を使った給食を市内全小中学校の児童・生徒1455人に提供されたそうです。
そのときのメニューは、「ごはん、菊いもとにんじんのキンピラ、能登の里山汁」で、使用された米、菊いも、にんじん、里いもは全て自然栽培農法で収穫されたものを使用したそう。これは一日だけとはいえ、スゴイことですよね。
そんなことこんなことを体験してゆったりと過ごしながら、福井の友人宅を後にしました。
(まの爺)
少年心をくすぐる楽しい旅ぢゃのう!
油揚げで胃袋がキュウ〜と鳴ったかと思うと、誕生石でズッコケ、
野郎二人のMR-Sに遠い昔の爆音を思い出し、
ガガーリンの宇宙船を見て「繋ぎ目はやめて」と、昔の勇者の胆力に敬服し、
グレーの出てきそうなトイレに大笑い。
しかも、まの爺が目をつけておった羽咋市の給食まで登場し、全身丸ごと充実ぢゃ。
日本海側の暗いイメージを覆して光を呼び、笑いを招くような人々の思いに、
ぺりさんも共鳴したようなレポートであったよ。
・・・ところで、ぺりさんのご友人は、地球人?
行きはよいよい、帰りは。。。
友人の彼は、前の職場で一緒に働いていた元同僚です。元整備士にして元大工という経歴の持ち主で、時々ぺりどっと号の整備にも相談にのってもらっています。
僕から彼にシャンティ・フーラのことをお伝えした頃、彼はアパートに住んでいたのですが、いつの間にやら田舎の一軒家で畑を持ち、ソーラーを自力で設置し、冬は薪ストーブで暖を取っていました。家の中は、ナディー・チャート 風水キットでしっかりと守られておりました。
週末には、一緒に食事に行ったりしました。二人で食べて忘れられないのは、谷口屋の油揚げ定食です。低温圧搾法で搾った太白純正胡麻油だけで揚げた、14cm×14cm×厚み4cmのジャンボおあげ。正直、おあげ何ぞには微塵も期待していなかったのですが、こんなにも美味しいものだとは思いもしませんでした。多い日には、1日1300人もの人が押し寄せるのもうなづけます。
その後もバイクでツーリングしたり、なぜか福井県が猛アピールしてる恐竜博物館に赴いたりしました。
建物の外観は、恐竜の卵の形をイメージしてるそうです。
展示されている綺麗なペリドット石にも出会いました。ペリドットは8月の誕生石ですが、ぺりどっとは2月生まれです。
それから石川県羽咋市(はくいし)を訪れました。
以前にもご紹介しましたが、羽咋市にある千里浜なぎさドライブウェイは、日本で唯一、車で走ることができる全長8kmの砂浜道路です。普通の砂浜ですと、タイヤが空転して、まともに前に進めません。
そして、ここ羽咋市はある意味、日本で最もコズミック・ディスクロージャーが進んでいるところだと思われます。
というのも、実は羽咋市はUFOの町として有名でして、市全体が総出でUFO推しをしてるので、町のあちこちでそのUFO推しっぷりを垣間見ることが出来ます。こちらは街角に普通に貼られているポスター。
なんでも、羽咋市にはUFOなんて言葉もイメージもない江戸時代の頃から、空飛ぶ円盤が目撃されていたという伝説があり、当時の人たちは、その「空飛ぶ円盤」のことを「そうはちぼん」と呼んでいました。「そうはちぼん」とは仏教の真言宗で使われるシンバルのような仏具のことです。
「未確認飛行妖怪出現?—そうはちぼん—」
— 神代えぼ (@maasiiii_evo) 2019年4月30日
古今東西の妖怪情報が集まるサイトに記事を投稿しました。昨日に続いて石川県羽咋市の話です。UFOの町として知られる羽咋市には、実は江戸時代の頃から、数々の逸話に裏打ちされた未確認飛行「妖怪」の伝説がありました。https://t.co/e08QnU40Te … pic.twitter.com/71j10nJXeH
伝承によれば、「そうはちぼん」は羽咋市の北側に位置する眉丈山(びじょうざん)の辺りをよく飛んでいたそうな。また、羽咋市にある正覚院には、自由自在に空を飛ぶ物体について書かれた「気多古縁起」という文献が残っていたり、鍋が空から降ってきて人をさらう神隠し伝説があったりと、羽咋市はUFOとは切っても切れないご縁があったようです。
そんなUFOの町の真っ只中にある、宇宙科学博物館コスモアイル羽咋に行ってみました。
そもそも、この博物館そのものの外観が、巨大なUFOのようですよね。そして、この博物館の入り口に天高く佇んでいる、マーキュリー・レッドストーン・ロケット(MR7)。なんと、このロケット、1段目と2段目は実際に発射された本物の実機なんですって。。。
メインの展示室は2階にあるのですが、絶対にエレベーターに乗り込むことをオススメします。その理由は、、、乗れば分かる。どうしても知りたい人は空白を反転させてね↓↓↓
エレベーターに乗り込むと、突然真っ暗になり、そして、そこに宇宙空間が映し出されるという粋な演出が施されます。一緒に行く人にはぜひ黙っておきましょう♪
下は、1961年旧ソ連のガガーリンが、人類初の宇宙飛行を成し遂げたボストーク宇宙船。実はコレ、その実際に大気圏に突入し地球に帰還した実物そのもの!!外観には焼け焦げたあとまで。。。
続いては、アポロ司令船。この司令船に使用してあるモノは実際に使用されたものと同一の部品・素材を用いて組み上げているとのこと。(銀色のシールドは本物!)
ちなみに、あのアポロチョコの形はこのアポロからきてます。
それから、本物の予備機である旧ソ連の月面探査機「ルナ24号」。他のルナシリーズがソ連崩壊前後にバラバラにされてしまい、この予備機が地球上で唯一残る最後の1機であるため、国内外の宇宙関係者が視察に訪れるほど貴重なものだそうです。(画像は失念してましたので、こちらでご覧ください)
なぜこんな小さな町の博物館に本物の宇宙船がゴロゴロあるのか不思議に思っていましたら、置いてあったパンフにそのことが書かれていました。
羽咋市の元職員である高野誠鮮氏が、アメリカのNASAやロシア宇宙局を訪ね回り、安価で購入したり、宇宙船を実際に作っている業者にお願いして、本物と同じ素材かつ同じ模型を作ってもらったそうです。
また、NASAに月面車の試作機を無償で貸してくれるようにお願いしに行ったときには、通常1年単位で借りるものを、高野氏は100年貸してほしいとお願いしたとのこと。するとNASAのスタッフたちは大笑いしながらも、「今までこんなやつ一人もいなかった」と気に入ってくれて、本当に100年間無償で貸してくれたのだそうです。
展示室の最後には、UFO目撃情報が綴られたファイルが自由に閲覧できました。
そして、自分でもそのUFO目撃情報を書き残すことが出来るようにもなっています。
UFOと言えば、「奇跡のりんご」の木村秋則さんがUFOと縁があることは有名で、何度もUFOに遭遇し、拉致された逸話さえあります。
2010年にはココ羽咋市で、北陸で初となる木村さんの講演を開催しており、その後2015年にも木村さんの自然栽培セミナーを開いています。
そんなつながりなのか、羽咋市では日本初となる画期的なことが。。。
日本ではじめて自然栽培の給食を取り入れた学校「羽咋市」。
— IN YOU (@inyou_magazine) 2019年6月14日
農薬に頼らず、自然栽培を選ぶことは、戦争に反対する意思表明でもある。https://t.co/QUqkuEds4H
石川県羽咋市は2016年1月29日、日本で初めて、自然栽培の米と野菜を使った給食を市内全小中学校の児童・生徒1455人に提供されたそうです。
そのときのメニューは、「ごはん、菊いもとにんじんのキンピラ、能登の里山汁」で、使用された米、菊いも、にんじん、里いもは全て自然栽培農法で収穫されたものを使用したそう。これは一日だけとはいえ、スゴイことですよね。
そんなことこんなことを体験してゆったりと過ごしながら、福井の友人宅を後にしました。
(まの爺)
少年心をくすぐる楽しい旅ぢゃのう!
油揚げで胃袋がキュウ〜と鳴ったかと思うと、誕生石でズッコケ、
野郎二人のMR-Sに遠い昔の爆音を思い出し、
ガガーリンの宇宙船を見て「繋ぎ目はやめて」と、昔の勇者の胆力に敬服し、
グレーの出てきそうなトイレに大笑い。
しかも、まの爺が目をつけておった羽咋市の給食まで登場し、全身丸ごと充実ぢゃ。
日本海側の暗いイメージを覆して光を呼び、笑いを招くような人々の思いに、
ぺりさんも共鳴したようなレポートであったよ。
・・・ところで、ぺりさんのご友人は、地球人?
Writer
■ 勝手に編集後記 ■
行きはよいよい、帰りは。。。