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ユダヤ問題のポイント(日本 明治編) ― 第12話 ― 民衆の犠牲を求める者たち
「分かち合い」の指す意味 〜中国共産化の先駆け
「太平天国の乱」は1837年に洪秀全という客家の一人の青年が、夢の中で神の声を聞き、その神を聖書の絶対神として「拝上帝会」を組織したところから始まり、1851年に「太平天国」の国号で独立国家を樹立し、1853年には南京を占領して首都としているのです。
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短期間に一人の青年や少数の仲間の力で、このような途方もない大事を成し遂げられるはずもなく、秘密結社が背後で働いていたのは間違いのないところです。客家は客家同士の連携した組織もあったことでしょう。
この「太平天国の乱」を背後で導いたであろう秘密結社などのさらなるバックには、ミトラやマイトレーヤのホワイト・ロッジの存在があったのではないか?と見ているのです。いくつかの理由があります。
まず、洪秀全が組織した「拝上帝会」はキリスト教系とされますが、上帝とは道教の絶対神に相当します。つまり「拝上帝会」は道教とキリスト教が習合したものと取れます。東方ミトラ教も道教も取り込んだ一神教なので、同じような匂いを感じるのです。
道教における最高神・玉皇上帝(玉皇大帝)
Wikimedia_Commons [Public Domain]
そして何よりも「拝上帝会」が掲げた「天朝田畝制度」です。天朝田畝制度はウィキペディアの「太平天国の乱」の記事の中で以下のように記されています。
「特筆すべきなのは天朝田畝制度である。これは田畝があれば誰もがそこで耕し、収穫物は皆で分け合い、豊かな衣食を手に入れる、という目標のために考案された制度である。
具体的には、田をその質の良し悪しによって九階級に分け、質に応じて男女問わず田を分配し、生産物は個々人の消費分以外は国庫に保管し私有は認めない。そのかわり婚姻や葬儀のような儀礼の費用、孤児・老人の扶養については国庫より支出する。そして二十五戸ごとに両司馬という官と礼拝堂をおき、管理させるというものである。」
具体的には、田をその質の良し悪しによって九階級に分け、質に応じて男女問わず田を分配し、生産物は個々人の消費分以外は国庫に保管し私有は認めない。そのかわり婚姻や葬儀のような儀礼の費用、孤児・老人の扶養については国庫より支出する。そして二十五戸ごとに両司馬という官と礼拝堂をおき、管理させるというものである。」
この制度は現実にはほぼ機能しなかったようです。ただ掲げたこのスローガンは、シェア・ジャパン公式サイト「分かち合いが世界を救う」(世界教師マイトレーヤ出現についての情報)と通じているように感じるのです。これらのそのスローガンは言葉としては美しくはあるのですが…。
それと天朝田畝制度は共産社会制度でしょう。その意味で太平天国の乱は後の中国共産党の先駆けとなる事案でもありました。また、共産社会の原型は特殊稿11で見たように、洗礼者ヨハネ、イエス、マグダラのマリアたちが所属した原始エルサレム教会(クムラン宗団)でした。
原始エルサレム教会は ≒ミトラ教であり、イエスにはマイトレーヤがオーバーシャドウしていたのです。太平天国の乱は中国共産社会成立の実験という要素も強くあり、こういった面からも、ミトラやマイトレーヤのホワイト・ロッジの関与が強く匂うのです。
用済みは消せ 〜ホワイト・ロッジの民族差別性
太平天国の乱を好機と捕らえ、英側はアロー戦争(第2次アヘン戦争)を清朝に仕掛けて屈服させ、天津条約そして北京条約を締結させて中国を実質植民地としました。そしてそうやって目的を果たしてから、英側は清朝と協力して軍を差し向けて太平天国の乱を制圧したのです。太平天国の乱が制圧されたのは洪秀全の堕落や指導者たちの間の内乱といった自滅の要素もあります。
ただし、実態としては中国の植民地化を目論む勢力が太平天国の乱を起こさせ、その上で「利用し、すでに用無しになった邪魔者は消せ」というところでしょう。そして無論この際にも数十万人の中国人が犠牲になっています。
アロー戦争の英軍の司令官で天津条約および北京条約を調印したのは、ミトラやマイトレーヤのホワイト・ロッジに所属するジェイムズ・ブルース(エルギン伯爵)だったのです。
北京に入城するエルギン伯
Wikimedia Commons [Public Domain]
全体の流れからもそのアロー戦争の前段となった太平天国の乱のバックにもミトラやマイトレーヤのホワイト・ロッジの存在があっと見受けられるのです。ただし、太平天国の乱に関してはホワイト・ロッジのその関与は強い疑いに留まります。
しかし、アヘン戦争のお膳立てを整えたのは明らかに彼らです。ミトラ・マイトレーヤ信仰の白蓮教の存在が中国の破壊からの略奪を招いているのですから。
白蓮教の乱 ➡ アヘン戦争 ➡ 太平天国の乱 ➡ アロー戦争(第2次アヘン戦争)➡ 天津条約・北京条約の締結 = 中国の植民地化
この一連の流れから見て、歴史の舞台裏で中国の植民地化を目論む一大勢力にホワイト・ロッジがあったのであり、中国の植民地化は彼の計画の一端であったのは明瞭でしょう。
それにしても…彼らは無数の中国人の甚だしい痛みや苦しみをなんとも感じず、全く平気なようです。悪魔崇拝海賊団が中国人民を殺し、傷つけ略奪するのは分かります。悪魔崇拝なのですから。
しかし、ミトラやマイトレーヤのホワイト・ロッジは救世主を自称し、表向きは美しいスローガンと教えをたれているのです。
TRADCATKNIGHT: VIDEO: MAITREYA, THE "WORLD TEACHER" IS HERE https://t.co/kwiyG9P0gG pic.twitter.com/9vxmVZNnvY
— TradCatKnight (@TradCatKnight) 2018年2月26日
ところが、実際には彼らは一般中国人の犠牲に対して頓着せず、全く平気なのです。彼らの説く「救い」とは一体何なのか?と思わざるを得ないのです。偽善者ではないか?と。
彼らにしては、目的が正しければその手段がいかに不法で卑劣でも正当化されるようです。全て「善巧方便」だと。しかしその目的の「大計画」自体がサナット・クマラの復讐心と野望から発せられたものでもあるのですが…。
ともあれホワイト・ロッジには非常に強い「民族差別主義」が覆っていたのは間違いないでしょう。
「日本の帝(ミカド)の領土」??〜孝明天皇のスタンス
1858年夏、アロー戦争で清朝を屈服させ天津条約を締結させたジェイムズ・ブルースは、その直後に江戸に襲来し、日英修好通商条約を締結させています。この頃から日本は国を挙げての蜂の巣をつついたような大騒動となります。そしてこの日英条約から10年たたずの1867年に大政奉還となっているのです。
江戸幕府と条約交渉を行うエルギン伯
Wikimedia Commons [Public Domain]
この1858年の日英条約の裏にある本旨こそが、英国官報ガゼット紙に出されている「英国女王陛下は、…日本の帝の領土における権限と管轄権を過去も現在も持っている」であり、江戸幕府はこれを突きつけられ、飲まされたと見ています。その結果が日本 明治編 第9話で見たような朝廷と幕府の異様な行動と大騒動になっているでしょう。
しかしこの日英条約、そして英領日本の条文内容には明らかに穴があります。根本的にはガゼット紙の内容で表される「日本の帝(ミカド)の領土」です。これは何を、どこをどれだけ指すでしょうか? ミカドは天皇を指しますが、日本全体が天皇の領土との認識は誰も、一般庶民から大名までも、天皇自身も持ってはいなかったでしょう。
天皇は既にその実権を失って非常に長い年数が暮れていたのです。日本を動かす実権を有していたのは江戸の将軍です。だからこそこの状況を打破すべく、光格天皇は建武の新政(中興)をモデルとして、天皇の実権を取り戻すべく倒幕の勅令を発しているのです。
そしてそれを受けて八咫烏が倒幕組織の天忠党を組織し、彼らは「尊皇攘夷」を旗印に倒幕運動を展開しました。無論この八咫烏のバックにもミトラやマイトレーヤのホワイト・ロッジの存在がありました。しかしその倒幕運動は結実しておらず、1858年時点で実権を有していたのは徳川将軍です。
ただし、それでは日本全土が徳川将軍の領土か?と言えばそれも違います。実権を有していないとしても将軍の上位にあるのはあくまでも天皇です。だからこそ幕府側は日米修好通商条約(日英修好通商条約もでしょう)の際に朝廷側に勅許を求めているのです。
そして重大な留意点ですが、確かに光格天皇とその背後の八咫烏は天皇に日本支配の実権を戻すことを求めました。しかし光格天皇の孫であった孝明天皇は肌合いが異なっていました。当時のあらゆる資料が、孝明天皇は外国勢力を打ち払う攘夷を支持しながらも、討幕派ではなく佐幕派だったことを示します。
御物 孝明天皇御肖像
— 如意袢 (@kumaboon) 2016年2月28日
明治11年 五姓田義松
維新後の皇室依頼らしいが、リアルかどうかは不明。
孝明天皇を守っていた会津藩は賊軍として滅ぼされ、内裏事情に詳しい藩士や孝明天皇に関する記録は消滅した。 pic.twitter.com/7QjWO5pUFk
五姓田義松による「御物 孝明天皇御肖像」
孝明天皇が攘夷を唱えて英国女王の統括管理下に入るのを拒むのは当然ではあるのですが、同時にこの国難に関して、孝明天皇は幕府と共に協力し合いながらことに当たろうとしていました。この意味で、孝明天皇は天皇に日本支配の実権を戻そうとはしておらず、八咫烏とその背後勢力、そして英国女王を代表にする悪魔崇拝海賊団とその背後勢力、そのそれぞれから邪魔になっていたでしょう。
このことこそが明治維新の最大のポイントになるでしょう。年明けの次回以降この点を検討していく予定です。
しかし、戦争や革命はそれを利用しようとする存在によって意図的に起こされてきました。地球上に起きたほぼ全ての戦争等の底流には「ハルマゲドン・救世主降臨計画」があったと見ています。これはサナット・クマラの「大計画」から派生したものです。
「大計画」とはサナット・クマラが全大宇宙を支配する唯一絶対神として君臨する計画です。これには無論ホツマの神をその支配下に置くというホツマの神を滅ぼす意味も含まれます。サナット・クマラの復讐心と野望がその原動力となっています。
地球世界に凄まじい影響を与え、背後から歴史を形成したのが「大計画」、この影響で中国でも無数の人々がその犠牲となり、大きく傷つけられました。そしてその矛先はもとより、日本に向けられていたものです。
「大計画」に基づく「ハルマゲドン・救世主降臨計画」の影響がより具体的に明瞭にその姿を表してきたのが「明治維新」だとも言えるでしょう。