ままぴよ日記 99 「母の入所を前に思う事」

 今の社会の目指すものは、個人の幸せではなく、生産性の向上です。手のかかる子ども、高齢者、障がい者は施設や園に預けて、働きなさいという制度ばかり作られています。

 そして、子育ても介護も家で看ようとしたら個人の負担が増すばかりです。結果的に、子どもは愛情要求が満たされず、高齢者も長生きすればするほど社会のお荷物になります。

 長生きって何だろう。

 動物の世界を見たら、子どもが親を介護している動物を見たことがありません。そんなものなのでしょうか?
(かんなまま)
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母の入所についての話し合い


涙が止まりません。
こうなることはわかっていたのに、いざ母が入所すると決まってから私の決心とは裏腹に涙が出てくるのです。

常々、身口意が一致する生き方をしたいと思っているのですが、私の感情が置いて行かれています。多分、溢れる思いとは裏腹に何もできない事が悲しいのでしょう。

今の世の中、そんなことばかりです。ワクチンにしてもウクライナとロシアの戦争や参議院選挙の事も、私の思いは世の中の流れと逆行しています。私個人がどれだけ心を痛めても、できる事が少なすぎて、どこから始めたらいいのかわかりません。でも、目の前の仕事や日常の暮らしだけは良心に沿って生きて行きたいと思っています。

でも、母の介護のように私一人で決められない場合は歩み寄らなければいけません。

母は、兄たちの疲れが出てきたので、2週間前から週に4泊5日のショートステイを利用する事になりました。兄たちが楽になったので、これでよかったと納得したのもつかの間、施設の方から「介護5なので優先的に入所しましょう。来週から大丈夫ですよ」と言われたのです。

「えっ?そんなに早く?」と言うのが正直な気持ちでした。やっと愛犬が元気になったので、私も週末は泊まって介護ができると思っていた矢先でした。

「すぐに返事を下さい」との事。兄が即答しそうになっていたのを待ってもらって、義姉が知らせてくれました。

実は前回のショートステイの時、夜中に「ここはどこ?」「家に帰る」とベッドの柵を掴んで起き上がり、床に落ちてしまった母。



ベッドのアラームが鳴ってスタッフが駆けつけてくれたのですが、興奮した母は「家に帰る」「息子に電話して」ときかなかったそうです。電話で「迎えに来て!」と訴えたらしいのですが「明日、迎えに行くから」と説得したそうです。

日頃、明るく、おとなしい母。そんな母がベッドから降りるほどの抵抗をしたのがショックでした。

兄たちは、施設が「受け入れます」と言われた途端、エネルギーがそちらの方に流れ始めたようです。施設からも「これを断ると、順番待ちの最後に回します」と言われたとの事。業者はいつも焦らせて決めさせるのよね、と思いつつ、今大切なのは業者の都合ではなく、母の事だと思いました。

とにかく、4人兄弟で話し合う事にしました。

他の2人の兄たちは「自分が直接介護していないから何も言えない」と言うスタンスです。長兄は「施設に入ると栄養管理が行き届いた流動食を作ってくれて、母が自分で食べられるように機能訓練してくれるし、入浴も寝たまましてくれる。家ではそんなことできないから専門家に任せた方がいい」と一生懸命説得します。

今更機能回復は望んでいない。それより家で皆に会えた方が母は幸せなのに…と心でつぶやきました。一呼吸おいて「母が施設にいた方が母のためかもしれないと思うよね。でも私は99歳の母がリハビリして機能回復してほしいと思ってない。この年まで1人で頑張って来たからもういいよ」「それより、母が動けなくなった今、母が何を望んでいるかみんなで想像してあげたい」と、言いました。

専門家って何だろうと思います。ママ達も「子育ての事を知らない私のそばに居るより、園で社会性を学んだり、お歌を習ったりする方が、子どものためになる」と思っています。とんでもない!子どもはママのそばに居る方が何倍も幸せなのです。それと同じです。

特に、今はコロナ禍。面会はお互いにマスクして玄関ロビーで10分だけ。そして、どんな施設なのか、どんな部屋で過ごすのか?見学することも叶いません。


もうそれだけで胸が苦しくなります。母はきっと自分がどこにいるのか?なぜ家に帰らないのかもわからないでしょう。だんだん意識を閉じていくのではないかと思います。

そんなに心配なら、自分の家に引き取る覚悟はあるのか?何度も自分に問いました。市の特別養護老人ホームも調べました。でも、長兄は地元の高齢者介護のリーダー的存在。他市に入所させたらいい気持ちはしないでしょう。長兄には感謝しているのです。正直、どうしたらいいのかわかりません。

それにしても、母はずっと人のお世話をしてきた人でした。4人の子どもはもちろん、住み込みの看護師さん、入院患者さん、厳しいお姑さん、父の弟家族も同居でしたから1つ屋根の下に21人も暮らしていた家族の世話をしていました。

その上、本家なので正月やお盆は親戚が40人ほど集まります。私はそんな中で育ってきたのですが、母は裏表のない人で、人の文句も言わず、働き通しでした。姑を家で介護して、母の腕の中で見送りました。そして、父と2歳しか違わないのですが、老老介護をして10キロもやせました。父が入院しても病室のソファで寝泊まりして世話をしていました。


そして父を見送った後、ぽつりと「子ども達には悪いけど、私は夫が一番大切な人だった」と言いました。それを行動して見せた母。私達は母の言葉に感動したものです。

それから99歳まで人に頼らず生きてきた母です。それなのに母自身は施設に入り、コロナ禍で誰にも会えなくなるのか・・・と切なくなります。

兄弟の会議で、そんな私の思いを話して、週末は私が介護するから、と言いましたが、長兄が「もう限界。疲れた」と言い、他の兄たちも「仕方ない」と同意しました。

私は「仕方ない」と簡単に同意した兄たちに怒りを感じました。男は相手の身になって感じる感性や想像力が足りない。母は自分を無にして兄たちを愛してきたのに、兄たちは自分の行動を変えてまで介護しようと思っていない、と思いました。

兄たちは、私がイエスと言うのを待っていました。結論は決まっていたのです。私は母の入所を受け入れるしかできませんでした。


「大丈夫。鷹揚に構えていなさい」


あと一週間後に入所します。私は母にきちんと話したほうがいいと思いました。騙して入所させたくありません。

母を訪ねて、手を握りました。眠っていた母はびっくりして目を開けました。「誰かわかる?」と聞いたら「わかるよ。私の娘」と言いました。「あーあったかい手。ホッとする」と母が言ったので、もう涙が出ます。


「もうすぐ施設に入所するよ。ゴメンね。必ず会いに行くからね。大丈夫?」と、母の耳元で言いました。母は私をまっすぐ見て「大丈夫。鷹揚に構えていなさい」とはっきり言いました。そして眠ってしまいました。

えっ?夢現の世界にいて何もわかっていないと思っていたので一瞬、母の言葉の意味が分かりませんでした。

鷹揚?「小さな事にこだわらずゆったりとしているさま、おっとりとして上品なさま」(デジタル大辞泉)です。この言葉は私の心の奥にズドーンと入って行きました。私が小さなことに囚われていることもお見通し。「心配しなくていいよ、私は大丈夫。品格を持ち、物事をもっとおおらかに捕らえなさい」と言われたようでした。

そうです。本物の愛は見返りを求めません。小さなことに囚われて愛を見失うところでした。

私は母の横で、この言葉の意味を噛み締めていました。本当に母が言ったのか?もしかしたら神様が母の口を通して私に言ってくださったのかもしれません。

まさに、母はそんな生き方をした人でした。こんな母だから、きっとどこに居ようと大丈夫。私はこの言葉に救われました。そして、この言葉を胸に、生きて行こうと思いました。

涙が溢れてきました。今度は深い感動の涙です。この愛の涙で私の迷いや怒りを洗い流せた気がしました。

ちょっとでも怒りを持った兄達へ謝ります。私がジャッジする事ではありませんでした。そして祝福を送ります。
神様、どうか母に祝福をお与えくださいませ。


Writer

かんなまま様プロフィール

かんなまま

男女女男の4人の子育てを終わり、そのうち3人が海外で暮らしている。孫は9人。
今は夫と愛犬とで静かに暮らしているが週末に孫が遊びに来る+義理母の介護の日々。
仕事は目の前の暮らし全て。でも、いつの間にか専業主婦のキャリアを活かしてベビーマッサージを教えたり、子育て支援をしたり、学校や行政の子育てや教育施策に参画するようになった。

趣味は夫曰く「備蓄とマントラ」(笑)
体癖 2-5
月のヴァータ
年を重ねて人生一巡りを過ぎてしまった。
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