ユダヤ問題のポイント(日本 昭和編) ― 第50話 ― 統一教会の創設(中)

「キリストとはメシアのギリシャ語読みで、キリストとメシアは全く同じ語です。」
↪こう話すと例外なく聞いた人は怪訝な表情。
続いて「でも、キリストとメシアでは語感イメージが全く違うでしょ?」
↪これには“確かに”との同意の表情となります。
そして「キリストとメシアはごく簡単には“ユダヤ王”や“油塗られたもの”を指し、本来は世界救世主などの意味はありません。」
↪こう伝えると一様に“えっ!?”との表情になります。
 前回に、世界民衆は『聖書』に対する埋め込みを長年深く受けてきたと指摘しました。それと同様、いやそれ以上に、世界民衆がその内部に深いイメージ埋め込みをされてきたのが「キリスト」という語になるでしょう。
 人々が「キリスト」の語で浮かぶイメージは「十字架」「世界の救世主」「聖なる自己犠牲」「神聖」「晴明」と言ったものでしょう。これらはキリスト教を世界に拡げていく中で意図的に植え付けたもので、これには賛美歌の役割が大きかったはずです。
 さて、文鮮明は自らをキリストとも自称、これは「世界救世主」の意味で使っていたでしょうが、これや自己犠牲、晴明といった、どうも通常の植え付けられたキリストのイメージは文鮮明には重なりません。しかし、キリストの原語の「クリストス」の次の元来意味から見ると、不思議にそのイメージが文鮮明とピッタリと重なるのです。
「油を塗られた者」の意。christosはギリシア語で、ラテン語ではchristus、英語ではchrist。中東地方の生贄になった多くの神々の添え名である。アッティスアドーニス、ウシル〔オシーリス〕などがその例である。「油を塗る」ということは、オリエントの聖婚の儀式に由来することであった。東方諸国では神の男根像lingam、すなわち神像の勃起した男根は聖なる油(ギリシア語ではchrism、ラテン語でchrisma)を塗られた。それは神の花嫁である女神の膣への挿入を容易にするためであった。神殿に仕える乙女の1人がその女神の役を務めたのであった。油を塗られる前に、その神の男根は、顔料かブドウ酒か血(とくに、花嫁の経血menstrual blood)で赤く塗られて、いかにも生身であるかのような色にされた。昔は聖なる結婚によって王権が保たれたために、実際の王であろうと、その正式の叙位式として塗油が行われるようになったのであった。油を塗ることによって、その王が神になることが約束されたのであった。
(seiryuu)
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ユダヤ問題のポイント(日本 昭和編) ― 第50話 ― 統一教会の創設(中)

「血分け儀式」が統一教会の根幹


先に結論を示しておきます。宗教組織を名乗る統一教会教義の根幹核心は「血分け儀式」です。「血分け」とは、文鮮明の肉体の精子=血を分け渡すことです。無論、これは性交によってです。この「血分け儀式」が後の「合同結婚式」になっているのです。

合同結婚式の様子
Wikimedia_Commons [Public Domain]

『聖書』にあるように人類の始祖はアダムとエバ、そのエバはサタン=ルシファーとの霊的姦淫状態でアダムとセックスし、それで子供が誕生、つまり全人類はサタンの血を引いてしまった。これが文鮮明の教義の前提。この原罪を負ったいわばサタン人間を救済するというのが統一教会の教義。

その救済とは、イエスの「イエスの復活を信じるもの達に霊的救済のみを約束」というものから踏み込み、文鮮明が再臨主・神として「人類の肉体も含めた完全な救済(復帰の摂理)」を実現。より具体的には、全人類に流れるサタンの血を浄め転換し、神の血を人類に引かせ「地上天国」を実現すると宣言。この人類の「サタンの血から神の血へ転換」を統一教会は「血統転換」「復帰」と表現、これが教義の核心部分。

以上が前回に見た統一教会の教義内容でした。繰り返しになりますが、この教義における救済は「霊的な救済」のみならず「人類の肉体の救済」でもあり、新たな人類の創造にもなります。それで文鮮明は自分を救世主キリストと称し、新たな人類の始祖アダムだとも称しているはずなのです。

Wikimedia_Commons [Public Domain]

さて、こうとなると次の段階です。

統一教会のいう具体的な肉体も含めた人類救済、人類の「サタンの血から神の血へ転換」「血統転換」「復帰」はどうすれば成せられるのか?

これこそが、教義の具体的中身実践の最重要の核心であるのは当然でしょう。そしてこの答は自明です。人類の「血統転換」には、物理的肉体的に「神の血を分け与える」、これ以外の方法はありえません。ここに異論の余地はないでしょう。

そして統一教会いわく、その神が現世にいたのです。文鮮明です。この受肉した神である文鮮明の肉体から、血=精液を性交を通じて分け与えるというのが「血分け儀式」です。この「血分け儀式」の内容は「SEXリレー」でもあったようです。

『六マリアの悲劇・真のサタンは、文鮮明だ!!』というサイトがあります。そこに「私が目撃した統一教会・文鮮明教祖の『SEXリレー』のすべて」という1993.11.13 の「週刊現代 42−45頁」に掲載された記事があります。文鮮明の元側近中の側近で、統一協会の創立者の一人だった朴正華氏と中村敦夫氏との対談記事です。そこで具体的な「血分け儀式」の実際が生々しく語られています。

「血分け」とは、文鮮明との性交によってサタンの血に汚れた女性が浄められ(復帰)、次にその「血分け」で浄められた女性と男性が性交することで、その男性の汚れたサタンの血が浄められる(復帰)とするリレー実践で、「SEXリレー」の実態と「乱交パーティ」のようだったなどと語られています。実態として「血分け」は、ウィキペディアの「血分け」記事にも次のようにある通りです。

この行為は「女性の改宗者による救世主的指導者との儀式的な性交」から成り、「その目的は女性の性的純潔を—逐語的にあるいは象徴的に—回復することである」。(中略)...このようなイニシエーションを受けた人物が次に自身の配偶者と性交することで、救世主的指導者から獲得した純潔が配偶者と子孫へと伝わるとされている。


文鮮明の「血分け」の周辺状況


文鮮明による「血分け」の実践について、元側近の朴正華氏が語られた内容は、事実そのものと見る以外にはないのです。文鮮明が自分の「神の血」を分けるから、文鮮明は「天の父(真の父)」となり、その妻つまり性交相手は「天の母(真の母)」になるのです。

統一教会は文鮮明夫妻を「天の父(真の父)」「天の母(真の母)」と称し、この父母で「地上天国」が実現すると称しているのです。否定しようがありません。文鮮明がキリストやアダムまたは再臨主と自称した意味も、これですべて辻褄があうのです。逆に「血分け儀式」実践を否定するならば、「天の父」などの自称や教義もすべて矛盾破綻します。

また「血分け」は、文鮮明の登場以前から朝鮮半島の(カソリックなどからは異端扱いされる)キリスト教では多く実践されていたようです。そして文鮮明の両親は、一家をあげ長老派教会と呼ばれるキリスト教に改宗・所属。文鮮明は、血分けを行うキリスト教とは初めから縁があったと見ることができるでしょう。

また「血分け」は、詳細は後にしますが「聖婚」儀礼とも見なせます。このあたりに関わる文鮮明の歴史を、ウィキペディアの「世界基督教統一神霊協会の年表」から一部抜粋してみましょう。統一教会創設が1954年、そこに至るまでの年表からも、文鮮明と「血分け」が切り離せないのが見えてくるでしょう。

文鮮明(1941年 21歳当時)
Wikimedia Commons
[Public Domain]

  • 1943年
  • 12月 23歳の文鮮明が18歳の崔先吉(チェ・ソンギル、教団では「真の母」としての第一候補だったとされる)と婚約。
  • 1944年
  • 5月 崔先吉と「聖婚式」を挙げる「血分け」を行う混淫派とも言われる李龍道(イ・ヨンド)派の「イエス教会」の幹部である李浩彬(イ・ホビン)の司式により行われたとも言われる)。
  • 1945年
  • 4月28日 崔先吉との婚姻届を提出。
    10月 京畿道の坡州のイスラエル修道院の金百文(キム・ペンムン)のもとで学ぶ。(中略)...文鮮明の著作『原理原本』(1952年発行)は、この金百文の著作『基督教根本原理』(1946年3月2日起草、1958年3月2日発行)の執筆中に文鮮明が盗作したという証言がある。
    10月25日 イスラエル修道院で金百文から「ソロモン王の祝福」を受けたと言う。その後、「自分はソロモン王の直系の子孫の末裔だ」と信じるようになる。
  • 1946年
  • 4月 「金百文が自分の弟子たちに降りた『文鮮明がソロモン王である』という啓示を信じず受け入れなかった」として文鮮明はイスラエル修道院を去ったとされる。
    6月6日 天啓により、妻と3ヶ月の息子「文聖進」(ムン・ソンジン)を置き去りにして、朝鮮キリスト教布教の中心地であったソ連占領下の平壌へ行く(神が用意した神霊集団を統合し直すためとされる。それらの集団は「混淫派」や「霊体交換派」と呼ばれる「血分け」を行う者達だとも言われる。)。


聖婚の亜種としての「血分け」


上の年表にも、文鮮明が最初の妻を相手に「聖婚」を行った、と記されていますが、「血分け」は少なくとも「聖婚儀礼」の亜種であったのは間違いないでしょう。

「聖婚」は「死と再生」儀礼の一つでもありました。統一教会によれば、「血分け儀式」は「サタン人間が死し、神の血の人間として再生」するのですから、壮大な「死と再生」儀礼とも言えるでしょう。

太陽と月の結婚(1578年)
Wikimedia Commons [Public Domain]

現代の地上世界における「聖婚」のルーツは、メソポタミアの「イシュタル神殿」でのそれでした。聖婚は毎年イシュタル神殿で、神殿娼婦である女祭司と王にて営まれました。その際のイシュタル(イナンナ)に憑依された女祭司の異様な行動は特殊稿3で見ています。聖婚は原則、女祭司と王の間の行為ですが国家事業でもあり、性的狂宴が国に広がっていたことが窺えました。

文鮮明の「血分け儀式」は年中・毎日・連日のように行われており、メソポタミアの聖婚とは規模も全く異なります。ただし、その質としては元側近の朴正華氏が語られた内容から、また「血分け」の本質に「SEXリレー」があることから、そこには性的狂宴の要素が色濃くあったのは当然となるでしょう。朴氏の談でも、その場では女性たちを含め「精神がおかしくなっていた。」と語っている通りです。

聖婚の目的は、王権の維持など支配層の権力基盤の確定にありました。そのために性が利用され、性乱交もあったのです。文鮮明の「血分け」は「王権の獲得」のためのものであり、聖婚と同様にそのために性を利用していたのは、控えめに言っても客観的事実と言って間違いないでしょう。

統一教会の根幹には性の利用があり、これは種々の信者獲得のための手段の中核にあったことも同様です。


Writer

seiryuu様プロフィール

seiryuu

・兵庫県出身在住
・いちおう浄土真宗の住職
・体癖はたぶん7-2。(自分の体癖判定が最も難しかった。)
・基本、暇人。(したくないことはしない。)
・特徴、酒飲み。アルコールには強い。
・歯が32本全て生えそろっている(親不知全て)原始人並み。

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