まみむのメモ(50)〈稲作ができる田んぼの条件(体験談)〉

 新米の季節になりましたね。
食べられる野草図鑑シリーズでおなじみのまみむさんは、お米作りチャレンジャーでもあります。
これまで稲作のいろんな試行錯誤を重ねてこられ、今また新たな挑戦が始まったらしい。私たちの暮らしの範囲でできるかもしれないお米作り、そのヒントをいただけるかも!というわけで、野草図鑑シリーズのコーヒーブレイクとして、お米作り秘話を書いていただくことになりました。
皆さまご存知の、あの方も登場するようです。
(編集部)
 今年の稲作には間に合いませんでしたが、新しく田んぼが借りられて、来春に向けて準備を始めようと思っています。
 経験から学んだ田んぼの条件、日当たり、水の確保、保水力、動物被害防止の観点から稲作が可能かみていきます。
 まずは、これまでの数々の失敗体験談を・・・、振り返ってみましょう。
(まみむ)
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まみむのメモ(50)〈稲作ができる田んぼの条件(体験談)〉
一番最初に借りた田んぼは、水を取り込む水路が泥で埋まっていて、何人もで1時間以上かかる田舎に通いながら、水路の泥を除去しました。

田に水を引き込む水路が泥と草に


by る代表


川から水を取り込む工夫も素人には大変でした。

川から水の取り入れ口、石や土嚢で水かさを上げて


そして秋なんとか育った古代米でしたが、なんとその田んぼの横の植林された杉林の影になり、1日中陽が当たらなくなりました。

秋になって太陽運行が低くなるに連れて1日中陽陰に



そこで田を紹介してくださった方のお家の日当たりの良い木製テラスの手すりにかけて稲を干しました。水路も度々落ち葉などがつまり、田んぼに水が入らないと、稲よりも草が威勢良く伸びてしまいます。

次に借りた田んぼでは、水利権の問題があることを後で知りました。その地域には水が少なく、山の向こうの川から隧道を掘って水を引いているとの事。みんなでかなりの額の出資をしたと。

おまけに長く放置された田んぼの石垣が所々水で濡れ始め、田んぼの周囲に溝を掘って代掻きしても(田に水を入れた状態で、土の塊を細かく砕く作業。通常の田んぼでは周囲だけでなく、全体を代掻きします。)、深いモグラの穴があちこちあいていて水が抜けて、修復が大変で、

後に水漏れを防ぐためにセメンで修復されている


一番下の2m以上ある石垣は膨らんできて崩れそうになり、水を入れられなくなりました。

膨らんで崩れそうになり修復された石垣


その下には隣の方の田んぼがあるのでした。といって畑稲(陸稲)に挑戦したのですが、草の勢いがすばらしく・・・稲はほんのわずかしかできませんでした。

畑稲(陸稲)に挑戦した休耕田


他にも水利権があり、水を入れないで陸稲なら作っても良いという田がありました。家から車で1時間くらい離れている上、草刈りが大変で、実りは少なく、ほとんど徒労に終わりました。

その後に借りた田んぼでは実際に大雨で畔が崩れて、道路に土砂が落ちて、地域の方のお世話になりました。それ以来バケツ稲作になりました。

バケツ稲


稲の花が咲いている時に草取りに入って、受粉を妨げて実りを悪くしたり、遅くから田植えをして、育ちきっていない柔らかな稲穂を全部鹿に食べられたり、イノシシに収穫直前やハゼ干しした稲を食べられたことも・・・。種籾を田舎の小屋に放置していて、冬の間に全部ネズミに食べられたり・・・。

稲の花


極め付けは、一番最初畑で稲作に挑戦してみたのですが、育った苗の半分はヒエで、元気がいい苗が出来たと喜んでいましたが、穂が出てみてビックリでした。稲とそっくりですが、ヒエの苗の方がしっかりと良く育っていました。(参考:やまがた米づくり塾 イネとヒエの見分け

ヒエ


当時知り合ったばかりのる代表と食糧危機への備えも兼ねて、有志を集めて田畑を借り、自給自足を目指すという「百姓の会」を立ち上げました。そこで、初めて借りた畑で稲作をしてみようという挑戦でした。

それにしても自然農の稲作を教えてくださったり、種籾を分けてくださった方々は、きちんと毎年稲を育てておられました。今も続けておられるでしょう。

「百姓の会」は主に情報交換のためにメーリングリストを作って紹介のみでメンバーを募っていました。全くの素人がほとんどでしたが、田や畑を紹介してくださったり、作り方を教えてくださったり、いろいろな方にお世話になりました。自立と助け合いがテーマでしたが、今思うと我ながらあまりの素人っぷりに苦笑します。る代表をはじめ皆さんを振り回してしまった感を否めません。

 (る代表:はい、とにかく、畑をあちこちバラバラと遠くに借りすぎましたね(笑)車で1時間以上走らないと着かない場所ばかりで、ガソリン代と移動時間の累積が今思えば凄かったですよね。全然行けなくて、貸主さんから催促されて、後手後手に世話をしに行くことが多かったようにも。自給自足は、普段目の届く田畑で、無理ない規模で着実に、ということを学びました。とはいえ、自然の音だけがこだまする山あいで、仲間と共に過ごした時間の豊かさは、街暮らしをしていた当時の私たちにはとても貴重な時間だったと思います。

だけどどうしてなのでしょう?こんなに失敗ばかりなのに不思議と苦労したとは感じてなくて、むしろ楽しかったような・・・?

自立と助け合いってこんなに楽しいんだという感覚でしょうか?本来搾取のない労働とはこういうことなのではないかと、今でしたら思えます。自給自足って本当に大変だけど、だからこそ助けられた時の感謝の気持ちは大きいです。

以前とは比べものにならないほど人との出会いも環境との出会いも楽しかった。食べるものが無いとか、お金を稼ぐためとか、失敗できないという追い詰められた状態ではなくて、失敗できる気楽さもあったと思います。草も食べれますしね。

稲の実り


写真:まみむ

Writer

まみむ

以前「地球の鼓動・野草便り」を書かせていただき、現在「食べられる野草図鑑」連載中です。
まぁは、普通のことを普通に話しているだけなのですが、普通かどうかは基準が人それぞれですね。この頃、特に関心があるのは、これからの地球の自然と人間の関わり方。
みぃは、時々神様のお話や植物たちのお話をしてくれます。とにかくこれから良くなっていくことを信じて、ガヤトリー・マントラを日々唱えています。
むぅは、以前から知っていたのですが、最近やっと会いました。あまりおしゃべりではないけど、とってもピュアな感じ。神の存在に対する認識がこの頃できてきて、自分の良心にしたがって生きることの大切さを感じています。


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