注)以下、文中の赤字・太字はシャンティ・フーラによるものです。
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平和への道/2025.7.30 パイレーツラジオ
配信元)
YouTube 25/7/30
【要点を書き出し】
今日は、沖縄からの配信。
戦後80年の沖縄、8月15日を迎えるにあたって「戦争の体験者に語ってもらって戦争の悲惨さを伝えよう」という報道や作品がどんどん増えるだろう。
そこにずっと違和感があった。
本当に大事なことが伝えられていない。それが何かと言うと、戦争の悲惨さを伝えたところで戦争は無くならない。
そこではない。なぜ戦争が起きるのか、その政治的なメカニズムとか、金、ビジネスの構造そのもの、そこにしっかりとメスを入れないと戦争は無くならない。そこに対する報道や振り返りは本当に少ない。これが一番の問題ではないか。
7:00
戦争体験を語り継ぐことを否定はしない。
「命の大切さ」を情緒的に伝えると、「だから国を守らなきゃ」というふうにもって行かれやすい。
戦争の悲惨さや恐怖は、プロパガンダの格好の餌食になりやすい。
概念的な「愛、平和、命の大切さ」、リアルではないステレオタイプな「幸せ、愛、平和」がメディアに刷り込まれると、それを守るための国防はプロパガンダに騙されやすくなる。
9:00
我々が本当に振り返らないといけないのは、戦争という空気が醸成された時に、個々人がどう反応したか、何を言ったか、何を言わなかったか。
要するに、その時代はみんなが加担していたはずだ、その時代をみんなが作っていたはずだ。
そこに対する自戒の念とか、どういう行動をし、しなかったか、口をつぐんでしまったとか、従ってしまったとか、そういうことが戦争に繋がっていったということを、みんなが自戒を込めて語り継ぐ必要があったのではないか。
「なんでその悲惨な戦争をしてしまったのか」について話さないと、戦争をしない国にはなれないのではないか。
戦争に関しては、情緒的な報道や表現が多い。
「戦争が悪、平和が善」というような、善と悪の単純な概念的な二項対立が戦争を起こす、一番の要因になっているのではないか。
リアルが欠けている。
11:00
戦後80年で、国を守ろうとか軍備を増強しようとか、なんなら核武装をしようという人たちまで出てきている中で、ステレオタイプな「家族とか愛国とかの美しい物語」はけっこう使われやすい。
そういった概念にとらわれると、単純に「国を守る」と言ってしまいがちで危険かなと思う。
今こそリアルな我々の普段の生活、普段の言動から、どうやってものが言えなくなるか、を見る時。
まさに新型コロナの時と同じだったのではないか。
あの時「命が大切」「命を守らなければならない」という言説で多くの人が口をつぐまざるを得なかった。
「命を守る必要がない」とはなかなか言えない。
「むしろそれ、しないほうがいいよね」という声はかき消される。
戦争に向かう時の、もの言えぬ雰囲気を振り返らなかったからこそ、今も残っていて、それが露呈したのが新型コロナだった。
有る意味、武器もワクチンも一緒だなと思う。どこまでも対処療法でしかないし、戦争も病気も我々が起こしてきたもの。
それを根本的になんとかしようとする根本治療よりも、外側の武器やワクチンでなんとかしようとする。しかし、それをやればやるほどおそらく激化する、悪化する。
「(核の)抑止力」は人を脅して恐怖で人をコントロールするもの。猜疑心が勝ち始めると、当然、暴発する可能性は高い。
武器で命を守ると言いながら、残念ながら人類は武器をコントロールできない。
平和を作るためには武器を手放すしかない。人間は丸腰で生まれて丸腰で死んでいく。
もしかしたら犠牲を伴う苦難の道かもしれないが、そこが本当に平和への道ではないか。
16:20
「丸腰ダメだ」と言う人たちは大抵、自分が武装して戦うつもりはない、誰かに守ってもらおうと思っている。
軍備は必要という人は自分が軍隊に入るつもりはないのが9割方と言う現状だ。
そういう人任せが今の沖縄を作っているし、原発も一番電力を使っている東京都民が福島に押し付けてきたことが原発事故の背景にある。
自分は犠牲を払うつもりはない、何もするつもりはないけれど、誰かになんとかしてほしいというのは、この国の多くの人の精神構造に入ってしまっていて、そこが今の政治の問題点の一つだ。
新型コロナも戦争も、なす術もなく翻弄される中で、自分たちがどうすべきか選択できるのに、「命を守る」とか大義を振りかざされると、「おかしい」と思っても「おかしい」と言えなくなる。
19:00
それで多くの人が、従って口をつぐんでしまって、みんなマスクしてワクチンを打つ雰囲気が作られた。それは我々が作った。
あれを見て、戦争の時はこうだったのだろうなと容易に想像できたのは、多分そこに類似性があるからだ。
戦争をちゃんと終わらせなかった、戦争をちゃんと振り返ってこなかった、ただ悲惨さだけを伝えて、戦争を起こしてきた精神構造とか資本主義だとか、献金だとか利権が生まれる構造だとかを正してこなかった結果だ。
22:22
「命が大事」に、言い返せない。
うん、命が大事じゃないと思っている人は、ほとんどいないだろう。
「命が大事」という概念だけで決めつけると、具体が見えない。
命の時間が延びることだけがを「命を守る」ことではなくて、生きている間全てが命で、その間にどんな行動をするか、思い通りに生きられるかどうかも命。
だから「命が大事」と言って、命を伸ばすために死なないためにとやっていると、自由が束縛されて思うように生きられないまま時間だけが流れるということが起きる。
だから「命が大事」という言葉だけでは表現できない、いろんな側面をリアルに考える必要があるし、そういうリアルに従って議論する必要がある。
それを言おうとすると「じゃあ死んでもいいのか」と浅いところで切り取られて批判されてしまう。
これでは議論が深まらないし、危険だ。
究極的に人は皆死ぬ。実際には守れない。
「命を守る」ために、マスクをし、ワクチンを打って、本当に守られたのかはわからない。
また、死者が減れば命を守れたことになるのか、そうとも限らない。
高齢者を守るために制限された若い人たちの発育への影響は検証されたのか、など冷静な議論ができなくなった。
そういうことは政治がきちんと線を引かなければならない。
「命を守る」という具体的な言葉の意味をちゃんとイメージして、いろんなケースを具体的に念頭において議論しないと、「命を守る」「国を守る」「愛」「平和」など紋切り型の浅い言葉で感情を操ろうとされる。
仮に悲惨なことが起きたとしても、起きたことは起きたこと。それについて感情を引きずらずに、起きたメカニズム、構造にしっかりと冷静にスポットを当てて、考えて、その状況を変えて行かないと、残念ながら何も変わらない。
32:00
戦争に向かうときは「国民感情」がエサになる。「戦争やむなし」という感情だ。
殺戮や破壊行為を正当化しなければならないから。
「愛するものを守る」ために内と外の境界を作って争っている。「愛するものを失う恨みや怒り」が連鎖する。
自国、他国、家族とそれ以外と分けて、崇高な愛として語り継がれてきた人類のストーリー、それが一番利用されやすい。
本当の愛は境界を作らない。
その感情をフラットにするのが人類の課題だと思う。
世界の人と実際にリアルで会ってみると、悪の権化みたいな人はいない。
みんな普通に幸せに生きて死んでいきたい人が70億人、80億人いるだけ。
リアルに付き合ってしまえば殺したい人などいないのに「正義」とか「愛国」とか「善悪」とかの概念で殺人ができてしまう。
この概念をマスコミで流されて正しいものとされ、それ以外を認めないと、言論が萎縮して自由な議論ができなくなる。
しかし誰かが硬直した世界を打破するのを期待して依存するのではなく、自分が思う通りに生きていい。
今年は戦後80年の節目にあたり、沖縄では戦争を風化させないために、8月15日に向けて戦争体験者による戦争の悲惨さを伝える報道や番組や映画が例年以上に増えると見られます。
そのような風潮に対して大西つねき氏は「ずっと違和感があった」「本当に大事なことが伝えられていない」「戦争の悲惨さを伝えたところで戦争は無くならない。そこではない。」「なぜ戦争が起きるのか、その政治的なメカニズムとか、利権、ビジネスの構造そのもの、そこにしっかりとメスを入れないと戦争は無くならない。」と述べました。
「戦争体験を語り継ぐことを否定はしないが、戦争の悲惨さや恐怖は、プロパガンダの格好の餌食になりやすい。」「我々が本当に振り返らないといけないのは、戦争という空気が醸成された時に個々人がどう反応したか、何を言ったか、何を言わなかったか。要するに、その時代はみんなが加担していたはずだ、その時代をみんなが作っていたはずだ。」と指摘しました。
「それはまさに新型コロナの時と同じではないか」「あの時『命が大切』『命を守らなければならない』という言説で多くの人が口をつぐまざるを得なかった。」「新型コロナも戦争も、なす術もなく翻弄される中で、自分たちがどうすべきか選択できるのに『命を守る』とか大義を振りかざされると、『おかしい』と思っても『おかしい』と言えなくなる。」
「命が大事」と言われると、言い返せずに固まりますが、大西氏は「命が大事じゃないと思っている人はほとんどいないだろう」「命の時間を延ばすことだけが『命を守る』ことではなくて、生きている間全てが命で、その間にどんな行動をするか、思い通りに生きられるかどうかも命。命を伸ばすために死なないために、自由が束縛されて、思うように生きられないまま時間だけが流れるということは『命を守っている』のか。」
「戦争に向かう時は『愛するものを守る』ために内と外の境界を作って争い、『愛するものを失う恨みや怒り』が連鎖する、それが一番利用されやすい。本当の愛は境界を作らない。感情をフラットにするのが人類の課題だと思う。」ここにも丸腰宣言につながる死生観がありました。