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ユダヤ問題のポイント(近・現代編) ― 特別編(アラビアのロレンス)2 ― バルフォア宣言 ―

 アラブ代表メッカの太守フサインに、アラブ人参戦と引き替えに、アラブ人の独立国家支援を約束するとの英国政府の約定フサイン=マクマホン協定。そしてその約定と全く矛盾するオスマン領土分割の約定サイクス・ピコ協定。この相容れない約定が今日までの中東の災厄を呼び込む大元になったのですが、更なる猛毒の秘密協定もありました。今回取り上げる「バルフォア宣言」です。パレスチナでのシオニスト国家建設の誓約です。
 パレスチナのイスラエル建設、これはたとえるならば一人の人間、その肉体の重要箇所に無理矢理他者のがん細胞を移植するようなものです。異物であり常に毒を出し続ける危険物、身体破壊の元凶となります。
(seiryuu)
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ユダヤ問題のポイント(近・現代編) ― 特別編(アラビアのロレンス)2 ― バルフォア宣言 ―

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仕組まれていた米国の第1次世界大戦への参戦


ロレンスたちの苦悩話の前に確認だ。お前さん、第1次世界大戦の敗戦国は知っていなさるね?

へい、同盟国側のドイツ、オーストリア、オスマンでさ。

確かにその3国は敗戦により帝国として崩壊した。しかし、それだと、どこか抜けてねえかい?

あっ、帝政ロシアか。1917年2月革命で皇帝は退位、10月革命で帝政ロシアは滅亡してやすね。

そうだ、帝政ロシアは間違いなく敗戦国で大戦から退却離脱した。だからあのオスマン領土分割の猛毒仕込みのサイクス・ピコ協定からロシアは外れている。付け加えるとレーニンは革命直後このサイクス・ピコ協定の存在をバラしている。ともあれ戦争としてはロシアはドイツに負けたんだ。

てぇことは、敗戦国のドイツが途中までは世界大戦で勝っていたと言うことで?

そうさ、この大戦の主戦場はヨーロッパ戦線、ここでドイツは勝利していた。協商国側は大苦戦だ。

そうか、思い出したぞ。確かその風向きが変わったのは米国の参戦からでやしたね?

そうだ、米国の参戦が戦局逆転の決定打になるが、それは1917年4月からだ。

あれっ!? それだとまるでロシアと入れ替わりじゃねぇですかい?

おや、気づいたね。3月にロシア皇帝が退位し4月に参戦。この米国の参戦とは実は大変なことだった。

どうしてですかい?

まず米国内の世論、米国世論はドイツを応援していたんだぜ。そして何よりも憲法違反だ。米国憲法は州兵の外国派兵を禁じている。しかしその憲法違反を時の大統領ウッドロー・ウイルソンは強行した。

ええー!! 米国の参戦が憲法違反?? でもず~っと、米国は世界中に軍隊出してやすぜ・・・?

元来は違憲だ。一度見逃すと連中は図に乗る。憲法違反を当然としやがる。ウイルソンは1913年3月に大統領就任、1916年3月再任。なんと再任のスローガンは「米国の若者を戦地に行かさない」だ。

嘘つき野郎だ。あれ?何だ? 安倍ぴょんにそっくりだ! でも、どうやって違憲の強行ができたんで?

ふむ、その前に、ウイルソンが大統領就任の1913年に米国で何が起きていたか知っているかい?

確か・・・、春にADL設立、そしてクリスマスにFRB設立、誰かが「米国の乗っ取り」だと・・・。


その通り、ウイルソンはそのためにFRBの所有者たちによって米国大統領に据えられた。無論ウイルソンは操られていた。ジョン・コールマン博士によると、終始ウイルソンを操っていた一人が、顧問で側近のマンデル・ハウス大佐だ。また米国参戦には最高裁判事ルイス・ブライダンスが道を付けた。憲法破壊のね。そしてマスコミだ。プロパガンダをまき散らし、米国民を参戦へと煽りに煽った。

政権に最高裁とマスコミがグルになって憲法違反の海外派兵? ますます安倍政権そっくりだ! 危ねえ!それと、もしかして、ハウス大佐、ルイス・ブライダンスも例の誰かの子分なんてことは?

無論そうだ。ハウス大佐、ルイス・ブライダンスもロスチャイルドの工作員、代理人だ。

やっぱり! サイクスにピコ太郎、ハウスにブライダンス、重要人物みんな子分じゃねぇですかい!?

弥次:その手の重要人物はもう一人いる。時の英国外相バルフォアだ。以下の「バルフォア宣言」を読んでみておくれ。これがロレンスたちを驚愕させ更に苦悩に追い込むことになるものだ。

へい、わかりやした。1917年11月の英国外相バルフォアの宣言か。早速読ませてもらいやす。

外務省
1917年11月2日

親愛なるロスチャイルド卿

私は、英国政府に代わり、以下のユダヤ人のシオニスト運動に共感する宣言が内閣に提案され、そして承認されたことを、喜びをもって貴殿に伝えます。

英国政府は、ユダヤ人がパレスチナの地に国民的郷土を樹立することにつき好意をもって見ることとし、その目的の達成のために最大限の努力を払うものとする。ただし、これは、パレスチナに在住する非ユダヤ人の市民権、宗教的権利、及び他の諸国に住むユダヤ人が享受している諸権利と政治的地位を、害するものではないことが明白に了解されるものとする。」

貴殿によって、この宣言をシオニスト連盟にお伝えいただければ、有り難く思います。

敬具
アーサー・ジェームズ・バルフォア

Wikipediaより

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ユダヤ問題のポイント(近・現代編) ― 特別編(アラビアのロレンス)1 ― アラブの蜂起 ―

 直接的にはユダヤ問題のポイントとしてはヒットしているとはいえないにしても、イスラエル建国にはそのための前提となった中東における数々のポイントとなる出来事があります。それらの事実を外してはなぜ中東が「世界の火薬庫」と呼ばれるような紛争と大混乱の現実に至ったか理解できないと思えます。
 特に第1次世界大戦の非常に入り込んだ出来事が中東の構造を生みだし、それが現在に通じています。
 そこで第1次世界大戦時オスマン帝国相手にアラブ反乱部隊を率いて大活躍した通称「アラビアのロレンス」を追いながらポイントを押さえていきたいと思います。
 出来事自体は非常に複雑な上、面白いことではないので、ぴょんぴょん先生に倣い、肩の力を抜いて弥次喜多道中の会話方式で記述を進めていきます。
(seiryuu)
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ユダヤ問題のポイント(近・現代編) ― 特別編(アラビアのロレンス)1 ― アラブの蜂起 ―

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アラビアのロレンスの葛藤から見る中東問題


やあ、久しぶり。元気だったかい? 今回もお前さんと同伴の旅路になったね。よろしく頼むよ。

へい、「旅は道連れ、世は情け」っていいますからね。こちらこそよろしく頼みます。ところでご隠居、騒々しい世の中は相変わらずですが、近頃は例のトランプの野郎のエルサレム首都発言で中東が蜂の巣をつついたみたいになってやすが、これのもとの原因はどのあたりにあるんですかい?


お前さん、「アラビアのロレンス」って知っているかい?

へい、随分と古い映画で、砂漠を横断しての戦闘シーンが印象に残ってやすが、中身は忘れていやす。何か関係があるんですかい? 映画なんか作り話では?

ふむ、確かに創作部分はあるが、この映画、基本的には史実に基づいて作られている。主人公のロレンスの葛藤を理解できれば、中東のいりくんだ複雑で深刻な問題も見えてくるよ。

へー、主人公のモデルはトーマス・E・ロレンス(1888年~1935年)、英国の情報局の将校でしたね。確かに複雑な物語で単なるハッピーエンドなんて映画ではなかったような・・・。

そう、状況も入り組んで複雑。主人公のモデルのE・ロレンスも複雑なものを抱えた男だった。そもそもサライエヴォ事件を契機に1914年から始まった戦争が、なぜあんな世界戦争にまで発展したか? どうも分からないような戦争で、気がつけば世界中の国々が巻き込まれていたという感じだった。

同盟国と協商国に分かれての戦争でやしたね。確か同盟国側がドイツ帝国、オーストリア=ハンガリー帝国、オスマン帝国協商国側大英帝国、フランス、帝政ロシアでやしたね。


英国はスエズ運河の利権を握っており、[それを脅かすオスマン帝国に対峙するにあたり、外務省カイロ情報局の下にアラブ局を新設し計略と指揮に当たることにした。そこに集まっていた中東の専門家の中に考古学者だったE・ロレンスがいた。他にはハリー・シンジョン・フィルビー、マーク・サイクスなど。彼らの計略はアラブ人を蜂起させ、オスマン帝国をその内部から揺るがせようというものだった。

その中東の専門家の中で、アラブ人の反乱軍を指揮したのがE・ロレンスというわけでやすね。

その通り、彼がその難しい役を担当した。アラブ人の蜂起、その実情は厳しいものだった。アラブ人と一口に言っても多くの部族に分かれる。反乱の軍と称してもバラバラでまとまりがなかった。これでは戦闘には勝てない。それをロレンスがまとめ大成功に導いた。

1917年末に英国アレンビー将軍によってエルサレムが占領された。しかし、それに先立つロレンスとアラブ反乱軍の活躍無しにはそれは達成できなかった。お前さんが映画で印象に残っている「砂漠を横断しての戦闘シーン」それはオスマン軍の要衝アカバ港攻略だよ。

7月にこれが落とされたので英軍は北方に進撃できた。また戦争の要である兵站の最重要ラインのヒジャス鉄道に大損害を与えている。アカバ攻略と兵站ヒジャス鉄道の戦闘、これはロレンスとアラブ反乱軍のみで行った。そして彼らは最終的にシリアの首都ダマスカスに入城する。

祖国英国を勝利へと導いたロレンスは大ヒーローでやすね。鼻高々でしょう?

いや、逆だよ。ロレンスは大ヒーローに祭り上げられるの拒んだ。そして自身に対し深く恥じ入っていた・・・。事実としてロレンスは英王室からのナイト爵の叙勲を拒み、名も栄誉も捨て2等兵として英空軍に入隊している。彼は自責の念から生涯逃れる事ができなかったようだ。良心があったんだね。

なぜ、ロレンスは生涯にわたりそんな重い葛藤を抱え込んでたんですかい?

それは、彼自身の心境の変化によるものもあるな、当初ロレンスは、諜報局員として冷徹に祖国英国の利益を追求しており、アラブ人の蜂起はそのための利用の対象だった。しかし、アラブ人たちと寝食を共にし命がけの戦闘を続ける中、本当にアラブ人たちの独立を目差す心境に変化していたようだ。しかし、結果として「独立国家樹立」を目差し行動してきた自身とアラブ人たちを裏切ってしまった。

アラブの独立と裏切り・・・?

そう。英国は非常に卑劣なやり方でアラブ人を裏切った。それがロレンスの苦悩となった。

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ユダヤ問題のポイント(近・現代編) ― 外伝2 ― 胎動を始めた世界支配計画

 外伝1の「サバタイ-フランキストの支援者ロスチャイルド家」欄で、ロスチャイルド家初代マイヤー・アムシェル・ロスチャイルドとサタニック・メシアのヤコブ・フランクは親交があり、両者は「ある組織設立に共同出資したとの話もありますが・・・」と触れていました。この組織とは1776年アダム・ヴァイスハウプトが結成したバーバリアンイルミナティ(以下Bイルミナティと表示)です。
 ヤコブ・フランクがBイルミナティ設立に出資したかは判然としませんが、深く関わっているのは間違いなく、そしてアムシェル・ロスチャイルドが財政援助したというかアダム・ヴァイスハウプトを雇い入れたのは、様々な資料やその後の出来事を総合判断すれば確実です。
 アムシェル・ロスチャイルドは息子たちに「自分たちの計画の実行には必ず代理人を立てるように」と遺訓しているよう、自らの計画の実行代理人としてヴァイスハウプトにBイルミナティを設立させているのです。その際その組織の綱領は指示していたでしょう。
 さて、こうやって結成されたBイルミナティは、後にある出来事でバイエルン政府に実態を知られます。そこで姿を隠すためフリーメイソンの中に潜り込みます。そしてフリーメイソンと一緒になって「フランス革命」を引き起こし、その後の世界史を変えていきます。
(seiryuu)
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ユダヤ問題のポイント(近・現代編) ― 外伝2 ― 胎動を始めた世界支配計画

二つのイルミナティ組織



早熟の天才、インゴルシュタット大学実践哲学教授アダム・ヴァイスハウプト(1748-1830年)と、マイヤー・アムシェル・ロスチャイルド(1744-1812年)は同世代のドイツのユダヤ人です。情報網が密なユダヤ社会です。当然互いによく知っていたでしょう。

そしてこの時代のドイツのユダヤ人でもう一人重要な人物がいます。「結婚行進曲」で知られるF・メンデルスゾーンの祖父ユダヤ人哲学者・啓蒙思想家モーゼス・メンデルスゾーン(1729-1786年)です。彼は劇作家レッシングから「賢者ナータン」のモデルとして描かれ、カント哲学を論難する人物として知られています。しかし彼にはこれら聖者賢者の顔とは全く違った顔がありました。


天野統康氏のブログでユダヤ教ラビのM・Sアンテルマンの情報として、モーゼス・メンデルスゾーンはサバタイ派7代目首長であり彼がヤコブ・フランクアムシェル・ロスチャイルドを結び付けた。」と紹介しています。

一般にモーゼス・メンデルスゾーンは、ユダヤ人社会に啓蒙思想とキリスト教文化への「同化主義」を進めたとされます。しかしこの同化とはキリスト教偽装改宗だと見れば辻褄が合います。彼がサバタイ派首長だったのは事実でしょう。ここに「偽ユダヤ」の首魁となるロスチャイルド家とサバタイ-フランキストが合流一体化したことになります。

モーゼス・メンデルスゾーンとヤコブ・フランクとアムシェル・ロスチャイルドの三者はそれぞれの役割分担があったでしょう。不明ながら預言者がモーゼス・メンデルスゾーン、祭司のメシアがヤコブ・フランク、王のメシアがマイヤー・アムシェル・ロスチャイルド、とも見えます。

天野統康氏は「この3人が中心となって作られた組織が、ヴァイスハウプトが創設したフリーメーソン・イルミナティーと結びついた時に西欧の秘密結社によって操作される自由民主制のモデルの起源が出来上がったと推測する。」としています。

確かにこの3人は同じ組織に所属し、自分たちの計画の代行者としてアダム・ヴァイスハウプトにBイルミナティを設立させたのでしょう。彼らが指示したであろうBイルミナティの行動綱領は以下の通りとされます。(これは後の革命・共産主義の原型でしょう。)

 1. すべての既成政府の廃絶とイルミナティの統括する世界単一政府の樹立
 2. 私有財産と遺産相続の撤廃
 3. 愛国心と民族意識の根絶。
 4. 家族制度と結婚制度の撤廃と、子供のコミューン教育の実現。
 5. すべての宗教の撤廃

Bイルミナティはこの行為綱領に沿って「フランス革命」を引き起こします。そしてその後、世界で起こされた種々の革命や戦争などに深く関わっていきます。しかし、その背後にはロスチャイルド、サバタイ-フランキストたちがいたのです。

Bイルミナティと、その設立を命じたロスチャイルドたち、これは実は別組織です。時事ブログ映像配信で詳説されているように、Bイルミナティは「表のイルミナティ」、ロスチャイルド(ヤコブ・フランクとモーゼス・メンデルスゾーンもそうでしょう)「裏のイルミナティ」となります。

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ユダヤ問題のポイント(近・現代編) ― 第14話 ― ナチスとシオニズム、コインの裏表 ―消えたナチスの行方-

 ナチス組織は歴史の表面上ドイツの敗戦によって消滅します。しかしそのナチスのファシズムは、下劣に、より凶暴に、そして巨大に、変化して現在に至っています。ナチス・ファシズムはどこに行ったか?
 それはイスラエルを支配してきたリクードへ。リクードと同調しながら米国支配してきたネオコンへと姿を変えて流入しています。
 元々ナチス自体が、「偽ユダヤ」シオニストの計画と育成によってドイツで政権を握ったのであり、ナチスの背後にはブッシュ家、ロックフェラー家、ウオバーグ家、ロスチャイルド家等が動いていたのです。新世界の到来、統一世界政府設立を目差すNWOが悪魔主義フランキズムであり、それが広義の真のシオニズムです。(NWOがなぜ広義の真のシオニズムか? NWOの新世界とは「新たなエルサレム」を現出させる運動だからです。これはいずれ取り上げます。)広義のシオニズムの底流の上に狭義のシオニズム、革命共産運動、そしてナチス・ファシズムが形成されているのです。
 この意味でナチスは広義のシオニズムの一端であり、広義のシオニズムの一部に、ナチスとの名称のマスクを被せたものだといえるのです。しかし、ナチスはその名称での活動が用済みになった時、「人道に対する罪」全てを背負う形で歴史の表舞台から消されました。ユダヤ人に対する加害、ナチス党員は実行犯として責はありますが、真犯人は「偽ユダヤ」らシオニストです。
 ところが、彼らはユダヤ人の代表、被害者に「成りすまし」て「反ユダヤ」を叫ぶのです。シオニストは自らが犯した行状その罪全てをナチスに負わせたのです。 
(seiryuu)
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ユダヤ問題のポイント(近・現代編) ― 第14話 ― ナチスとシオニズム、コインの裏表 ―消えたナチスの行方-

ハーヴァラ協定下のナチスとシオニストの蜜月



ナチスが支配するドイツに、白地に青の線で描かれた六芒星の旗がひらめく場所がありました。ユダヤ人がパレスチナに移住し、キブツ(共産村、開拓共同農園)で生活していくための40もの開拓訓練キャンプ場がそうです。それはナチスの全面協力の下、1930年代を通してシオニスト団体によってドイツ国内に設立されたのです。

ナチスとシオニストの移送に関する秘密協定ハーヴァラ協定の下、ドイツからはパレスチナに向けてシオニストタイプのユダヤ人たちとドイツ製品が盛んに送り込まれました。1935年ドイツの港からパレスチナ移住者を輸送する「テル・アビブ号」は、シオニストがドイツ客船を購入した船で船長はナチス党員、船尾にはヘブライ語で船名が書かれ、マストにはナチスの鈎十字の旗がひらめく代物でした。このナチスによるユダヤ人の移送に関しては驚愕します。

『アウシュヴィッツ/判事の証拠調べ』では、次のような驚くべき事実が紹介されている。「1944年(ドイツ敗戦前年)という遅い時期に至ってさえ、ドイツ海軍の援護の下に数隻の船がルーマニアから黒海をぬけて、ユダヤ人移住者を運んでいた。」(「ヘブライの館2」)。


いかにナチスがハーヴァラ協定を重視していたかが窺えます。物品面ではパレスチナにはドイツ製品があふれ、シオニストはその製品を他国に転売するというような状態となっていました。ハーヴァラ協定下のナチスとシオニストの関係は蜜月関係以上ともいえます。このナチスの協力がイスラエル建国のための決定的要素でした。

1922年では、委任統治を開始した英国の調査によると、パレスチナ人67万人、ベドウィン7万人に対してユダヤ人は6万人であった。そしてヒトラー政権の誕生以降に移民のラッシュが始まる。1933年に3万人、34年に4万2千人、35年には6万1千人の入植者が新たにやって来たのである。そして第2次世界大戦が開始する1939年にはパレスチナのユダヤ人人口は44万5千に膨らんだ。イスラエル建国の1948年のユダヤ人人口がほぼ65万人であるので、この時期の移民がいかに重要なものだったのか容易に察しがつく。(童子丸開氏)。

ナチス無しにイスラエルの建国は無かったのです。これは二重の意味があります。この欄で見たように蜜月関係でのナチスの協力。そしてもう一つはホロコーストです。

シオニストはナチスによるユダヤ人大虐殺ホロコーストを叫び、被害者に成りすまし、ナチスに極悪非道のレッテルを貼り利用することでイスラエル建国につなげたのです。ユダヤ人被害とナチスの悪名、これは現在まで最大限利用しています。

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ユダヤ問題のポイント(近・現代編) ― 第13話 ― ナチスとシオニズム、コインの裏表 ―アイヒマンの処刑―

 ご覧のように奇妙なコインがあります。表がナチスのハーケンクロイツの紋章、裏が六芒星シオニスト・イスラエルの紋章が刻印されています。幾つかの情報では、ナチス宣伝大臣ゲッペルズによって作られたメダルもしくは発行されたコインです。
 1933年1月末にヒットラーが政権を握って早々に、ドイツシオニスト協会のリーダーがナチ親衛隊員、後のSSユダヤ局の主となるミルデンシュタインに接触して、共に半年間パレスチナに滞在します。ミルデンシュタインは、ナチスの機関誌にその体験記親シオニズムの記事を連載、その記念として、宣伝大臣のゲッペルズが表示のコインを作らせたのです。
 ヒットラーが政権を握るやいなや、シオニストたちはその勢力をたちまち拡大させました。そして世界シオニスト機構はナチ政権誕生同年の1933年に、ナチスとの秘密協定を早くも締結させています。ドイツとパレスチナ間のユダヤ人と物資の移送に関する協定で、「ハーヴァラ協定」(シオニスト=ナチ通商協定)と称されます。ナチス政権発足からたちまちの出来事です。事前の計画と準備なしにはあり得ません。「偽ユダヤ」によって計画と準備は施されていたのです。ヒットラーのナチス政権自身が「偽ユダヤ」の計画のもとで発足に至っているのです。
 前回見たように、シオニストによって建てられたイスラエルは事実として「鉄の壁」のファシスト国家です。優生学の差別思想、他民族排他主義、武力暴力手段行使による統治のナチス・ファシズムと全く同質です。表と裏、相手によって見せる顔は異なりますが本質としては文字通りナチスとシオニズムはコインの裏表でした。表裏は一体だったのです。
(seiryuu)
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ユダヤ問題のポイント(近・現代編) ― 第13話 ― ナチスとシオニズム、コインの裏表 ―アイヒマンの処刑―


知りすぎた男アドルフ・アイヒマン


アドルフ・アイヒマン
1961年のエルサレムでの裁判にて [Public Domain]


1962年5月末イスラエルでアドルフ・アイヒマンが処刑されました。1961年4月にエルサレム地裁で始まった裁判と死刑判決によるものです。敗戦後アルゼンチンに潜んでいたアイヒマンは、モサドによる超合法的手段(つまり犯罪)でイスラエルに拉致され裁判にかけられたのです。死刑判決の主たる罪状は「人道に対する罪」なる不明な名目によってです。

人道に対する罪? 誰が定義できるのでしょう? 確たる罪状名目が立てられなかったのです。「人道に対する罪」が公平に全ての人間に問われ、アイヒマンの行為が死刑に値するならば、過去から現在に至る米英やイスラエルなどの支配層で、死刑を免れる者はほぼ皆無でしょう。アイヒマン処刑は“見せしめ”でした。

拉致される前にアイヒマンは自らの果たした役割についてのインタビューに答えていました。そのナチスとシオニストの関係が暴露されたインタビュー記事がイスラエル当局の手に渡りその内容の正確さに慌てた当局が、モサドに拉致を命じたのです。(アイヒマンの足跡を執拗に追いかけモサドに通報した「ナチ・ハンター」が、ガリチア出身のサイモン・ヴィーゼンタールで、これらの功績で1977年米国に「サイモン・ヴィーゼンタール・センター(SWC)」が創設。SWCが「ホロコースト博物館」を運営しています。)

アイヒマンはSSユダヤ局の主であったミルデンシュタインから、後継としてその座を受け継ぎ任務に当たりました。1937年彼は「(初代首相となる)ベングリオンとベルリンで会談。この時に2人は合意に達し、アイヒマンは書面で「ドイツのユダヤ人を代表する組織は、ドイツを去るユダヤ人がパレスチナにのみ移住するように圧力をかけるものとする」と約束していたのである。

また同年、アイヒマンはパレスチナに招待されており、彼の帰途の報告によると、「シオニスト・ユダヤ人たちは、ドイツのユダヤ政策に非常に喜んでいる。その理由は、それによってパレスチナのユダヤ人口を数倍に増大させたから」であった。ゲシュタポとパレスチナのユダヤ人(シオニスト)の協力関係は、アイヒマンの努力によって緊密になったのである。」(「ヘブライの館2」)。

アイヒマンはその任務上、ユダヤ人移送に関する全ての情報を把握していました。欧州のユダヤ人取り扱いに関するナチス首脳と米国や英国高官らとの会議の書記、パレスチナのシオニスト指導者たちとの折衝、全てアイヒマンが担い、各国の高官やシオニストの代表者たちが「いつ、どこで、どのような」発言をしたか克明に記録していたのです。

これらが表に出ることをイスラエルは(英・米国も)絶対に容認するわけにはいかなかったのです。アイヒマンは事実を明かしかけたため、見せしめとして公開処刑されたわけです。


ホロコーストの実際


少し脱線しますが、ナチスとシオニストの関係の言及上は避けて通れないのでホロコーストについて。

前述のSWCが主体となって「ナチに『ガス室』は無かった」との記事を掲載した日本の雑誌を攻撃し廃刊に追い込んでいます。SWCらが提唱するホロコーストの要点は次のようです。

「ユダヤ人廃絶の絶滅収容所があった。(アイヒマンらによって)絶滅収容所に送り込まれた600万人のユダヤ人は主にガス室で毒殺された。その遺体は焼却炉で焼かれた」。

この定説ですが、①数年で600万人を主にガス室で毒ガスにて殺害②その600万の死体を焼却、全くありえません。

まず毒ガスとガス室ですが、毒ガス兵器を最初に開発使用したのはドイツです。第1次世界大戦で使用の毒ガスは臭いが似ていたのでマスタードガスと呼ばれます。大変な威力の細胞毒でした。

この毒ガス兵器は“薬”に転用されています。「抗がん剤」です。現在でも多くの抗がん剤に入っています。抗がん剤は殺人兵器の毒ガスを薄めた薬剤と解釈しても間違いではないのです。当然医療関係者は吸入や皮膚付着の“被曝”を避けるため細心注意を払います。注意書きには「皮膚に微量でも付着すれば、ただちに大量の水で洗い流すように」とあります。

このような代物を患者に薬物療法と称し体内に注入する狂気の沙汰はさておき、毒ガスの取り扱い非常な危険困難と大変な手間がつきまといます。絶滅収容所のガス室で使用されたとされる青酸ガスも同様です。専用の密閉された堅牢なガス室以外で毒ガス使用すると使用する側が“殺られ”ます。本来の目的が異なる収容所はそのような設計では建設されていません。専用ガス室に転用するのは無理です。

しかし定説ではアウシュビッツでは毎日6000人が毒ガス処理されたとのこと。あり得ませんが、譲って仮に本当だとするとこの全身致死量の毒ガスまみれの6000もの死体どうするのでしょうか?


死体に下手に近づくと毒ガスを吸い込み“殺られ”ます。もちろん触れません。また毎日6000の死体を焼却できる焼却炉?? 無いです!! 焼く大量のガソリンは? ドイツは石油を産出しません。当時戦争中です。石油がなければナチス自慢の飛行機も戦車も潜水艦も「張りぼてのトラ」巨大なガラクタです。定説の大虐殺、あり得ないのです。詳細は映像配信の宗教学259回(神智学「エスタンジア」)をご視聴ください。

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