検索結果: ユダヤ問題のポイント(近・現代編) 外伝 (109 件)

ユダヤ問題のポイント(近・現代編) ― 外伝45 ― アメリカの南北分割、内戦へ

 1773年にフランクフルト秘密会合でマイヤー・アムシェル・ロスチャイルドが示した世界革命行動計画、改めてですがその25箇条の第22は次のとおりです。

「最終的には、我々の運動に尽くす少数の金持ち、および我々の利益を守る警察と兵士と、プロレタリアートの大衆が残ればいい。ゴイムに殺し合いをさせるため、大々規模の武器増強が開始されなければならない。」

 ロスチャイルド初代の示す「ゴイムどうしの殺し合い」は、革命や戦争で次々と現実化してきました。そしてアメリカで最大規模でこれが具現化してしまったのが南北戦争でした。
 南北戦争はいわば南部と北部との産業構造のどうしようもない断絶がその背景にあったのですが、その断絶の裏にはロスチャイルドたち国際金融団や英国秘密スパイ団の存在があったのです。
 南部州の主要産業は黒人奴隷を使った農業プランテーションでの綿花栽培で、これを英国を始め欧州に輸出していたのです。この産業構造は当然ながら黒人奴隷貿易、綿織物貿易がその元にあったのは明らかでしょう。そしてこれらは東インド会社の主要事業だったのです。
 従って南部州と東インド会社が深い関わりがあったであろうことは見て取れるでしょう。そして国際金融団や英国秘密スパイ団と言っても、彼らは元をただせば東インド会社から出てきています。
 歴史は途絶えず繋がっているのです。東インド会社は悪魔崇拝の組織です。南北戦争の裏にはやはり悪魔崇拝があったのです。
(seiryuu)
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ユダヤ問題のポイント(近・現代編) ― 外伝45 ― アメリカの南北分割、内戦へ

南北戦争の犠牲者 〜ディズレーリの幇間発言


1861年の北部諸州と南部諸州の状況
Author:Júlio Reis [CC BY-SA]

1861年に勃発し1865年にようやく終結した南北戦争は、アメリカ史上最大のアメリカ人犠牲者を出した戦争でした。文献によりその数は異なりますが、概ねは北軍と南軍を合わせて犠牲者は60万人強とされます。

ただし、民間人犠牲者と合わせて70万人を超えるとの説もあり、コールマン博士は犠牲者は80万(『ロスチャイルドの密謀』)としています。

アメリカ人戦死者は第一次世界大戦では約12万人、第二次世界大戦が約40万人、ベトナム戦争は6万人とされていますから、いかに南北戦争での死者が突出して多かったかです。

最大の犠牲者を出したこのアメリカの「同胞殺し」の戦争を、アメリカ人が自らの意思で能動的に始めたのか?といえば、違うでしょう。『闇の世界史』162-3頁に次の記述があります。

「1857年、ライオネル・ロスチャイルドの娘のレオノラと従兄弟であるパリ家のアルフォンスとの結婚式が行われた。(中略)...接待客の中には1868年ならびに1874年に英国首相となる有名な英国政治家ベンジャミン・ディズレーリも含まれていた。この記念すべき祝宴の際、祝辞でディズレーリは以下のように語ったと記録されている――

「ここに会しておられるのはヨーロッパ諸国の首都および地球上のあらゆる地域で知られた名門、ロスチャイルド一族の家長たちであります。お望みとあらば、私どもは合衆国を、一方をジェームズに、一方をライオネルに、二分して差し上げましょう。私の進言のままに、私の進言のすべてをナポレオンに実行させましょう。そしてビスマルクには狂喜させるような計画を提案し、かの男を我々の奴隷にしてしまいましょう。」」

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ライオネル・ロスチャイルドはネイサン・ロスチャイルドの長男、ジェームズはロスチャイルド初代の5名の息子の末弟です。そして後の英国首相となるベンジャミン・ディズレーリは『ロスチャイルドの密謀』では「ロスチャイルド家の最功労「操り人形」ディズレーリ」との題で記述され、ライオネル・ロスチャイルドの「側仕え」とされているのです。

ベンジャミン・ディズレーリ
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ユダヤ問題のポイント(近・現代編) ― 外伝44 ― 「銀行は私を殺したいだろうが、私が銀行を殺す」

 今から190年前の1829年、アメリカで大統領に就任した男が、銀行家へ、もっとはっきり言えばロスチャイルド家に敢然と戦いを挑みました。
 彼は大統領就任早々に、当時米国で設立されていた2番めの中央銀行、第二合衆国銀行廃止に向け、まず内部からの危険分子の排除に取り組みます。なんと政府職員の約2割近くの2000人を解雇したのです。アメリカにとてつもない嵐が吹き荒れたことは想像に固くありません。
 その男の肖像画は現在トランプ大統領の執務室に飾られています。2017年2月20日日本経済新聞電子版に次の記事があります。

「1月20日に就任したトランプ米大統領はホワイトハウスの執務室に、第7代大統領アンドリュー・ジャクソン(在任期間1829~37年)の肖像画を飾った。「庶民のための政治」を唱えて圧倒的な支持を得たが、「アンドリュー1世」と呼ばれるほどの強権ぶりや先住民の強制移住で物議を醸した異端児だ。軍人出身のジャクソンは有名な言葉を残している。「私は嵐を呼ぶために生まれてきた。静寂など似つかわしくない」。」

 アンドリュー・ジャクソンの戦いによって、1836年に第二合衆国銀行は廃止され、その後長く(1913年のFRB設立まで)米国では中央銀行の設立は許されなかったのです。
 ジャクソンは大衆の支持を得ていました。それが故にジャクソンの戦いを通じてアメリカ大衆も中央銀行の危険さを認識できていたと思えます。
 現在、トランプ大統領も戦闘中です。戦いの帰趨は大衆の目覚めにかかっているでしょう。
(seiryuu)
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ユダヤ問題のポイント(近・現代編) ― 外伝44 ― 「銀行は私を殺したいだろうが、私が銀行を殺す」


アンドリュー・ジャクソンの登場 〜銀行家へ宣戦布告


1815年12月、第4代大統領マディソンは中央銀行創設を支持し、1816年に「第二合衆国銀行」が設立されました。無論、第3代大統領トーマス・ジェファーソンは猛烈に反対していました。しかし、米国の債務は米英戦争で膨大に膨らんでいたのです。

『ロスチャイルド、通貨強奪の歴史とそのシナリオ』63頁では「結局、アメリカ政府の債務は4500万ドルから1兆2700万ドルまで膨らみ、アメリカ政府は1815年に降伏した」としています。

この結果は、米英戦争をしかけたネイサン・ロスチャイルドの思惑通りでした。米国は英国に戦闘の意味では敗北したわけではありませんが、通貨戦争の意味ではロスチャイルド一族に降伏したわけです。

第二合衆国銀行の免許期間は第一合衆国銀行と同様、やはり20年間です。しかしここでも、ロスチャイルドの金融支配に抵抗し反撃する人物がアメリカには登場してきます。その人物は米英戦争で英雄となっていたアンドリュー・ジャクソンです。

アンドリュー・ジャクソン
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元来アメリカ共和国を形成してきたのはアメリカン・フリーメーソンで、それはポジティブなテンプル騎士団の流れから来ていること、そしてポジティブなテンプル騎士団の拠点がスコットランドにあったことをこれまで見てきました。

アンドリュー・ジャクソンが、テンプル騎士団に関係していたかどうかは文献的には言及がないので不明です。ただし、ウィキペディアの記事を見るとアンドリュー・ジャクソンはスコットランド系移民の家系にあって、13歳にして米革命(独立)戦争(米側はポジティブなテンプル騎士団が中核にあった)に参加していたことが記されています。

彼について「世界史の窓」では次のように記されています。

「アメリカ合衆国の第7代の大統領(在任1829~37年)。サウスカロライナ出身で14歳で孤児となり、苦学して弁護士となった。さらに上院議員・下院議員として活動し、テネシー州最高裁判事もつとめた。

米英戦争(1812年戦争)の司令官として活躍して人気を博し、西部農民層を基盤として、1828年の大統領選で当選した。最初の西部の農民出身の大統領としてジャクソニアン=デモクラシーといわれる民主主義の原則を定着させたが、反面インディアンに対する苛酷な排除を行い、アメリカ産業の興隆を実現させた。その支持者層が結成したのが民主党であった。良くも悪くも現代のアメリカの原型を創った一人と言える。」

ポイントになる1828年の大統領選は彼にとり二度目の挑戦でしたが、その様子を『ロスチャイルド、通貨強奪の歴史とそのシナリオ』64頁で次のように記しています。

1828年、アンドリュー・ジャクソンが大統領に立候補し、銀行家を相手に講演会で次のように強く表明した。「君らはマムシのような輩だ。君らを根っこから引き抜くつもりでいる。キリストの名の下に、必ず君らを徹底的に取り除く。」」

第二合衆国銀行を破壊するジャクソンのキャンペーンを示す風刺漫画。
中央のシルクハットの人物は最期の銀行総裁ニコラス・ビドル。
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ユダヤ問題のポイント(近・現代編) ― 外伝43 ― ウィーン会議

私有銀行がアメリカ合衆国の通貨の発行権を握ったならば、彼らはまずインフレを作り出し、それから一変してデフレにすることで、国民の財産を奪うだろう。…

 このトーマス・ジェファーソン第3代米国大統領が指摘する、銀行家がインフレとデフレを意図的に作り出して市民の財産を奪う方法、これを業界では「羊毛刈り」と言います。日本でこの「羊毛刈り」が大々的に実行されたのが、言うまでもなくバブルの創出とその崩壊でした。
 この「羊毛刈り」の「鋏」の役割を果たしたのが「BIS規制」です。バブル期、銀行はあらゆる企業にあらん限りの融資を続けていました。ところがこのBIS規制は、その従来の貸出の基準を破壊し、銀行の自己資本率なるものを持ち出してきて厳しい融資規制をはめ込んだのです。
 これで市中銀行は貸し渋り、貸し剥がしを融資してきた企業にせざるを得なくなったのです。融資の途絶えた企業は怒涛のごとく次々に倒産、銀行の融資債権も同じように必然的に不良債権と化したのです。
 全ては意図と計算のもと仕組まれたのです。倒産や外国資本に乗っ取られた企業群は当然として、日本の市中銀行もこの仕組まれた渦に巻き込まれたのです。
 仕組んだのは当然ながら中央銀行ですが、その大本をたどれば「BIS規制」の名が示すようにBIS、つまり国際決済銀行です。中央銀行の中央銀行と称される存在です。
 この世界の金融を支配するBISは1930年に設立され、本部はスイスのバーゼルにあります。世界の金融をコントロールし、支配する拠点は“永世中立国スイス”にあると言えるでしょう。第1次世界大戦後に発足された国際連盟もスイスのジュネーブに置かれていたのです。
 地上世界支配の拠点としての“永世中立国スイス”の成立、これは1814年9月から翌年6月まで続いた「ウィーン会議」によってでした。
 この会議を裏から主導したのはやはりあのネイサン・マイヤー・ロスチャイルドでした。
(seiryuu)
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ユダヤ問題のポイント(近・現代編) ― 外伝43 ― ウィーン会議


ウィーン会議の表の主役 〜「神聖同盟」を呼びかけたアレクサンドル1世


1815年の「ワーテルローの戦い」の前年1814年9月から、オーストリアの首都ウィーンで欧州各国の首脳代表者が一堂に会し、ウィーン会議」が開催されます。本編の第6話で既に少し取り上げていますが、それはヨーロッパ全土を席巻してきたナポレオン戦争が終結し、その戦後処理、ヨーロッパ新秩序を取り決める国際会議でした。

その出席者と表向きの会議の目的と結果は「世界史の窓」で次のように記すとおりです。

ロシア皇帝アレクサンドル1世、プロイセン王フリードリヒ=ヴィルヘルム3世、イギリス代表カスルレー、ウェリントン、オーストリア代表メッテルニヒ、プロイセン代表ハルデンベルク、フランスのタレーランらが出席。議長はメッテルニヒが務めた。

フランス革命とナポレオン戦争後のヨーロッパを、それ以前の状態に戻すこと(フランスのタレーランが唱えた正統主義)【を】理念として会議が始まったが、実際には各国とも領土の拡張と有利な条件の獲得を狙って腹を探り合い、なかなか進捗せず、代表たちは舞踏会などでいたずらに時間を浪費したため『会議は踊る、されど進まず』と揶揄された。

しかし、ナポレオンのエルバ島脱出の報を受けて、列国は合意の形成を急ぐこととなり、1815年にウィーン議定書の調印にこぎつけた。

Wikimedia Commons [Public Domain]

編集者註:ウィーン会議の「会議は踊る、されど進まず」の風刺画
左から、フランスのタレーラン、イギリスのカスルレー、オーストリア皇帝フランツ1世、ロシア皇帝アレクサンドル1世、プロイセン王フリードリヒ・ヴィルヘルム3世、ザクセン王アウグスト1世、ジェノヴァ共和国を擬人化した婦人。

表向きの会議での主役となったのは、ナポレオンをロシアから敗退させたアレクサンドル1世です。「ウィキペディア」の記事ではナポレオンを敗退させた経験がアレクサンドル1世の内面を変化させたようで次のようにあります。

「モスクワ炎上後の様々な出来事は、アレクサンドル1世の精神を昂揚させ、後にドイツ人牧師アイレルトに対して、「モスクワの大火は私の魂を照らし出した。その時、私は初めて神を知ることができ、別人となった」と述べ、「我が魂は今や光明を見出し、神の啓示により自分はヨーロッパの調停者という使命を帯びることとなった」と断言するようになった。」

そして同記事では続いて 「アレクサンドル1世は、ヨーロッパに新たな国際秩序を再建すべく「ヨーロッパの救済者」としての自負を持ってウィーン会議に臨んだ」としています。

ロシア皇帝アレクサンドル1世
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戦後秩序の指導者を自認していたアレクサンドル1世は、欧州の戦乱・混乱の諸悪の元凶は、国家の無神論反宗教性にあると見ていた様子です。そこで自身が敬虔なロシア正教徒の彼は、キリスト教国による「神聖同盟」を呼びかけました。これに対する各国の反応は概ね次の通りだったようです。

「アレクサンドル1世は真剣ではあったが、それ故に列強首脳は神聖同盟を言葉通り受け取ることはなく、ロシアの一層の覇権確立のための手段と受け取っていた。」(「ウイキペディア」)

ただし欧州最強国となったロシア皇帝の彼の影響力が強かったのも事実でしょう。

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ユダヤ問題のポイント(近・現代編) ― 外伝42 ― ロスチャイルド金融帝国の実現

 「ハゲタカが日本に飛来」、このフレーズが日本に踊っていた時期がありました。バブル崩壊後の2000年代の初め頃でしょうか、外国ファンドがバブル崩壊で株価の暴落した日本企業をさらに買いたたきに殺到したのです。
 こういったハゲタカファンドを呼び寄せたのが、当時小泉政権下で経済財政政策担当大臣、金融担当大臣などを歴任した“政商納言”竹中平蔵氏といって間違いないでしょう。
 国際金融団や英国秘密スパイ団が国家中枢に代理人を送りこみ、内部から破壊させる手口を常套手段にしてきた事実は、これまでこのシリーズで見てきたとおりです。
 さて、ハゲタカファンドの本家がネイサン・マイヤー・ロスチャイルドです。彼は暴落したイギリス公債(コンソル債)を買い占めることでイングランド銀行を手中にし、次の有名な発言をしています。

「イングランドの王座に座って、日の没すること無き帝国を統治する傀儡など、誰でも構わない。イギリスの貨幣供給を掌握する者が大英帝国を支配するのだ。そしてイギリスの貨幣供給を掌握しているのは、この私だ」

 しかもネイサンは「ワーテルローの戦い」を通したあの有名な「逆売り」によって、本来は高騰するコンソル債を逆に大暴落させた上で、代理人にそのコンソル債を買い占めさせたのです。これで逆転高騰したコンソル債を一手に引き受けたネイサンは、やがて英国のみならず、欧州に金融帝国を築きあげたのです。
(seiryuu)
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ユダヤ問題のポイント(近・現代編) ― 外伝42 ― ロスチャイルド金融帝国の実現

主人の資金を横領、ロスチャイルド初代 ~ネイサン“シティ”の盟主へ


ネイサン・ロスチャイルドの意向によって1812年に始められた米英戦争これはアメリカの第二の独立戦争とも呼ばれています。この米英戦争について『ユダヤ・ロスチャイルド 世界冷酷支配年表』の54頁は次のように記しています。

ロスチャイルド家の計画では、この戦争によってアメリカに多額の債務を負わせ、アメリカはイギリスに降伏して、ロスチャイルド家が所有する第一合衆国銀行の認可更新を認めざるを得なくなる予定だった。しかしながら、イギリスはまだナポレオンとの戦争に忙しく、大規模な攻撃をしかけることができなかったので、アメリカを打ち負かすことができないまま、この戦争は1814年に終結を迎える。」

ここでは、戦闘としては米国側の敗北とならなかったとしています。しかし本来の通貨戦争としての米英戦争の意味では、やはりネイサンが勝利しています。1816年に第二合衆国銀行が発足しているからです。

ツイート:1816年に、(第4代)マディソン大統領は、第二合衆国銀行設立法案に署名しました。

このようにロスチャイルド一族は着々と金融帝国を築いていきます。ロスチャイルド一族が金融帝国を築く決定的な“種銭”を手に入れたのは、1806年のことのようです。

複数の情報によると、ナポレオンが軍を率いて攻めてくるとの情報に、ヘッセン=カッセル方伯はドイツからデンマークへと逃れます。その際に自らの資産運用を任せていたマネージャーのロスチャイルド初代に、60万ポンド約(300万ドル)の資産の管理を委ねます。ところがこの巨大な資産はヘッセン=カッセル方伯に返却されることは無く、ロスチャイルド一族によって金融帝国構築の資産として運用されます。

ヘッセン=カッセル方伯
ヴィルヘルム9世
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マイアー・アムシェル
・ロスチャイルド
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ようは、主人であったヘッセン=カッセル方伯からロスチャイルド初代が巨大資産を“横領”したようなのです。この横領金を最大限に効率的に運用したのがネイサンです。

ロンドンに移住していたネイサンは、1810年に世界金融中心地となるシティの盟主の座を築きつつありました。幸運にもこの年、シティを支配していたベアリング社のフランシス・ベアリングが、またシティの大物エイブラハム・ゴールドシュミットも死去していたのです。

シティの支配者となったネイサンは、ナポレオンの動きも逐次捉えながらコントロールしていた様子です。ナポレオンはその軍内部の裏切り者(ロスチャイルドの配下)によって、1812年のロシア遠征に失敗し、年末にはモスクワから撤退、その後皇帝の座から退位を余儀なくされ、エルバ島に送られます。

しかしナポレオンは復権を目指していました。このナポレオンの動きをもネイサンは最大限に利用するのです。ネイサンは「ワーテルローの戦い」が起こることを予想?し(ネイサンがそのように戦争を導いたのが真相のような気がしますが)東インド会社の金に投資し、莫大な資産を形成していくのです。

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ユダヤ問題のポイント(近・現代編) ― 外伝41 ― 通貨発行戦争再び

 米国の歴史はその舞台裏では通貨発行権を巡る戦争、暗闘の歴史だった、と断じても間違いはないでしょう。1913年のFRB設立で、この戦争は完全決着となったように見えていましたが、実はこの戦争は米国内で現在も継続中です。
 そもそも米革命戦争は、この通貨発行権が真因で勃発したのです。この通貨発行を巡る戦争は一旦はその終結を見ます。一つの明確な結果が出たのです。ロスチャイルド初代の采配によって、1791年に第一合衆国銀行が設立されたのです。
 彼の前年の言葉「私に一国の通貨発行権と管理権を与えよ。そうすれば誰が法律を作ろうとも構いはしない」。これをロスチャイルド初代は実現したのです。
 しかしこれで終わりではありません。米国大統領が反撃にでます。「米国独立宣言」を起草したトーマス・ジェファーソンが大統領に就任したのです。
 彼は国家にとって中央銀行制度がいかに危険な代物であったかを知っていました。彼にとり銀行は軍隊以上に危険だったのです。ジェファーソンは第一合衆国銀行の設立に本来から反対しており、その特許更新の阻止に動きます。
 これに対し米国を分割して完全支配を目論んでいたロスチャイルドたちカバール側は、ジェファーソン政権に刺客を送りこみ、国家転覆を試みます。
 その刺客が「厄介者」となっていたアレグサンダー・ハミルトンを「始末」したアーロン・バーでした。彼は実際に大逆罪を起こしていたのです。
(seiryuu)
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ユダヤ問題のポイント(近・現代編) ― 外伝41 ― 通貨発行戦争再び


「米国独立宣言」の意味 ~銀行の危険を熟知する大統領


ロスチャイルド初代は、念願の中央銀行を米国に設立させることに成功。1791年の第一合衆国銀行です。

第一合衆国銀行
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ロスチャイルド一族は、欧州ではフランス革命、そして引き続きナポレオンを操作しての戦争で、王政とカソリック教会を破壊、三男ネイサン・ロスチャイルドの台頭もあって、金融帝国を着々と築いていきます。

しかし、新国家米国はそう一筋縄で思い通りになったわけでもありません。欧州でも飼い慣らしていたはずのナポレオンが牙を向けてきたことが、金融帝国完成の障害となった部分もあります。

ロスチャイルドを中心とする国際金融団、そして英国秘密スパイ団のバックにはカナン族の「黒い貴族」、カバールがいたのですが、彼らが1600年代を通して完全にイギリスを掌握したようにはアメリカの場合は行かなかったのです。

アメリカを共和国として建国に導いたのがアメリカン・フリーメーソンです。アメリカが国家として成立していくルーツを辿ると、1398年のヘンリー・シンクレアの一団がアメリカ大陸に上陸し、入植を始めたところに遡ります。

彼らは、マグダラのマリアや洗礼者ヨハネ、ナザレのイエスが所属していたクムラン宗団の「秘密文献」が「星の指し示すメリカ」とする地で、彼らなりの理想国家建設を目指していたのです。彼らは悪魔崇拝でないポジティブなテンプル騎士団で、この末裔がアメリカン・フリーメーソンになっていたのです。


彼らの理想国家建設の思想が「米国独立宣言」に現れているのです。テンプル騎士団は、カナン族の「黒い貴族」と協働して地中海を中心に国債金融業を営んでいたのです。テンプル騎士団員であったシンクレア一族は当然ながら、そして彼らの末裔であるアメリカン・フリーメーソンも国際金融団の手口はよく分かっていたはずです。

米国に中央銀行を設立した上で国を分割してその国力を割くことによって、米国の完全支配を目論んでいたロスチャイルドを中心とする国際金融団、そしてシェルバーン卿をボスとする英国秘密スパイ団たちにとって厄介な人物が米国大統領に就任したのです。

1801年就任から8年間の米国大統領を勤めたのが「米国独立宣言」を起草したトーマス・ジェファーソンです。ジェファーソンは第一合衆国銀行設立に反対して、ハミルトンたちと激しく対立していたのです。彼は、駐フランス公使も勤め、欧州の歴史と実態からも銀行の正体をよく知っていた模様です。後に次のような言葉を残しています。

「銀行は軍隊よりも危険である。アメリカ人が一度でも私営銀行に貨幣発行の支配を許したのなら・・・銀行や企業は、私たちの資産を奪い成長するだろう。祖先たちが打ち勝った大陸で、子供たちがホームレスになるまで・・・」

米国で再び通貨発行権を巡る戦争が再燃していたのです。


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