アーカイブ: かんなまま

ままぴよ日記 131 「これからの放課後をつくりたい 後編」

 102歳の母が救急車で病院に運ばれました。施設で呼吸困難になったとの事。覚悟して病院に駆けつけるとそこには兄弟全員の姿がありました。病名は肺炎と尿路感染症と胆道感染症でした。とりあえず治療はするけれど延命はしないと確認し合いました。
 面会は午後から30分。身内のみ。
 母の顔を見に行くのが日課になり「おかあさ~ん!」と耳元で呼びかけます。「はーい」と、その時だけ目を開けます。愛を込めた点呼の日々です。
(かんなまま)
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20年間願い続けてきた事なのでやるしかない!


前回の続きです。
年度末に来年度の子育て事業について行政と協議していた時、いつものように「放課後に自由に遊べる場所を作ってあげたい」と話しました。子育て支援課は、すでに学童保育所があると言うし、生涯学習課は国が推進している放課後児童健全育成事業として公民館で学習支援を始めたばかりでこれ以上は無理だと言われました。

放課後児童健全育成事業として子どもの遊び場を作る事もできたでしょうが、行政だけで考えたようで、学習支援の場にすり替わってしまいました。これは大人側の発想であって、ますます子ども達の自由な時間を奪ってしまいます。子どもまんなかの視点が抜けているのです。


事業は予算がないと言われればそれでおしまいです。でも、20年前から子どもの遊びの大切さを伝え続けて実践していることを知っている生涯学習課の課長が「市に、こんな事業をしてくれと要望されても無理ですが、市民主導で子どもの居場所をつくる協議会を立ち上げるなら、行政として何ができるか一緒に考える事は出来ます。私達は現場を知らないし勉強不足です。国からの要請もこの町に合わないことが多いです。我が町の子どものために何ができるか一緒に考えて行く価値はあると思っています」と言ってくれたのです。これは奇跡に近い展開です。

でも、時はもう3月。行政は異動があります。この課長がいるうちに動かなければ元の木阿弥になってしまいます。私も暇じゃない!アレもコレも事業を抱えている!でも今なのです!

半月で準備して、人選をして、協議会を立ち上げることができるのか?20年間願い続けてきた事なのでやるしかない!と思いました。「神様!私に子どもの居場所のための協議会を立ち上げる才能をください」と祈りました。そして動き始めました。


コアになってくれる人材


まずコアになる人探しです。今までのように仲間だけで集まっても進まないと直感しました。教育委員会や公民館に顔が利く人で、なおかつ私たちの話に賛同してくれる人が必要です。

時間がないので課長に「私は本気です。課長はどんな人がいいと思いますか?」と聞きました。課長が推薦してくれた人は確かに適任です。元教育長。今は公民館長であると同時に学童保育所の所長です。私も教育委員会で4年間一緒に仕事をした方だったのでよく知っています

すぐに話しに行きました。今の子ども達の現状を伝えて子どもの放課後を考えたいと話しました。初めはびっくりされましたが「退職して社会貢献したいと思っていました。自分で役に立つのなら参加しましょう」と賛同してもらえました。いい感触です。でも他の人が思いつきません。

ところが、別件で子育て支援ガイドを一緒に作っているママ達と打ち合わせをしていた時に、偶然そのお子さんが放課後に利用しているお店の話をしてくれました。何と民間で子どもの居場所を作っている方がいたのです。

とにかく会ってみようと思って訪ねました。子どもの居場所という看板はなく、子どもが入りたくなる駄菓子屋さんです。中から出てきた人は普通のお姉さん。

でも、その方は発達支援員の資格を持ち、不登校の親子や先生方の相談事業もしている方でした。家族の介護のために学校を退職して故郷に帰ってきて子どもの居場所を始めたとの事。あえて相談所の看板をおかず口コミで広がっているようです。


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ままぴよ日記 130 「これからの放課後をつくりたい 前編」

 懐かしいなあ~
 40年も前ですが、私の子ども達が小学生だった頃は、学校から2キロの道をそれぞれ道草しながら帰っていました。途中に叔父の畑があったので、もらった大根を引きずりながら帰ってきたり、田んぼで遊んで泥だらけになって帰ってきたこともありました。魚屋さんに寄って可愛がられていた事は後で教えてもらいました。

 当時は専業主婦が7割の時代です。働いている親の子どもを預かる学童保育所はなく、家の勝手口にランドセルを置いてすぐに友達と遊んでいました。家にも友達が遊びに来ていましたが外で遊ぶ時はどこにいるのかわかりません。今では考えられない事ですが、本当に子ども任せ。でも地域の目があり、子どもの顔と名前を知っていましたので気にかけてくれていました。

 子ども達に学校の思い出を聞くと、今でも放課後の楽しかった話で盛り上がります。
(かんなまま)
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放課後は子どもにとって特別な居場所


新学期が始まりました。小学生の子ども達が放課後をどのように過ごしているかご存じでしょうか?

放課後は子どもにとって自由な時と、仲と、居場所(空)がそろっている特別な居場所です。これをサンマ(三つの間)といいます。

学校で思い通りにならない事があっても、そこで自分を取り戻せました。好きなことに没頭したり冒険する時間があったのです。そしてお腹がすいて家に帰ると粗食ですが、おいしいご飯と家族団らんがありました。喧嘩もしたけれど人と関わる経験を積みました。


教育は学校だけでするものではありません。日常の会話や生活そのものから学ぶ事の方が多いのです。特に自分で体験する遊びは子どもの成長に欠かせないものです。

今急速に進化しているAIは人間の発達の過程を解明することによって創られています。AIは様々な体験学習を重ねて重ねて日々進化しているのに、今の子ども達は体験を減らして減らしてどこに行くのでしょうか?


学童保育での問題点


現に、赤ちゃんの時は親子カプセルの中で過ごし、1歳前から保育園等に預けられ、車や自転車で送迎されて歩くこともありません。

6歳になったらいきなり学校まで歩いていき、45分間授業を5時限まで受けます。給食も20分間で食べて、放課後はそのまま学童保育に預けられます。本当に夢中で遊ぶ体験も、ぼ~っとする時間も無いのです。

自由で楽しい学童保育なら喜んでいく事でしょう。でも決まりごとが多くて、ここでも指導される場所だったらどうでしょう?子どもにとって自由がないというのは無罪刑務所です。


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ままぴよ日記 129 「子連れで選挙に行くぞ!」

 幼稚園の卒業式があるため、年少組の孫はお休みです。仕事を休めないお嫁ちゃんから預かってほしいと連絡が来ました。一番小さな孫です。もう4歳。いつの間にか私達と対等におしゃべりをするようになりました。
 ビーズにひもを通しながらママのことを考えているのでしょう。「これはね、ママにプセレントするの」と嬉しそうです。「じゃあ、ばあばはママにコロッケ持って行ってあげようか」と言ったら「やすこくげんまん嘘ついたら針千本の~ます」と、小さな小指を絡ませて大声で歌い始めました。
 言葉を聞こえたとおりに発音しているのでしょう。でも、全体的な様子を統合して意味を感じ取り、適材適所で使っているからすごい!
 ばあばは、それに感動しながら、今日も遊んでもらってよかった!と思うのです。
(かんなまま)
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「やってもやっても終わらない名もなき家事」


我が町の市長選挙が始まりました。
3期務めてきた現市長が退き、3人の新しい候補者が名乗りをあげました。どなたも全く知らない人。誰に投票したらいいのかさっぱりわかりません。


ママ達に聞いても情報がないようで「子どもがいるので選挙に行かないかも~ 」と、投票所で迷惑をかける方が気になるようです。

「どうせ、誰に入れても同じ。何も変わらない」「組織で動くので結果は決まっている」「政治には関心がない」という声も聞こえてきます。


そういえば、私も赤ちゃんを育てている時は市長の名前も知らず、政治とは一番遠いところにいました。新聞もテレビも見ない生活で、家の中で「やってもやっても終わらない名もなき家事」に追われていました。

実は最近「やってもやっても終わらない名もなき家事に名前を付けたらその多さに驚いた」(梅田悟司著 サンマーク出版)という本を読んで笑ってしまいました。

「家事というのは料理、洗濯、掃除、買い物と思って育児休暇を取ったら、名もなき家事が多すぎ!!しかも終わりがない、達成感も無い、誰かに褒められることも無い。この事実に気づいてから家事に対する見方が激変しました」と書いてあります。なるほど名もなき家事に名前を付ける発想が面白い!と思いました。

例えば、片方だけの靴下にもう片方がどこに行ったか探し回る家事。新たなゴミが出て、ゴミ袋をきつく縛った事を後悔する家事。子どもが盛大に引き出したトイレットペーパーを地道に巻きなおす家事・・・。「当たり前のように家事を頑張っている方々への尊敬」「育児休暇ではなく、もはや育児労働。仕事の方が楽!」と続きます。

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ままぴよ日記 128 「オーストラリアの学校と働き方」

 オーストラリアの大自然の中でのんびりした20日間。帰国して自分の感覚がおかしいのに気が付きました。緩んだ身体を日本の生活モードに戻せなくて戸惑っている感じです。自分で忙しくしてしまう私。このまま突き進んではいけないと教えてくれているようです。
 さて、今回はオーストラリアの旅行記の後編として日本人の働きすぎと学校の宿題について書きたいと思います。
(かんなまま)
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こんなに休むのは開業以来初めて


古い話ですが、45年前カナダに暮らしていた頃、夫は5時帰宅でした。土日も休み、その上、夏休みが1か月取れました。乳児を2人抱えて社会から孤立していましたが夫がいてくれるから幸せでした。

そんな生活が当たり前だと思って帰国したら、夫は深夜まで帰ってこなくなり、母子家庭同然の生活にストレスと疑問を感じてきました。

その後、小児科医院を開業しましたが定年がないので77歳になった今も働き続けています。旅行に行きたいと思っても、まとまった休みを取ることができませんでした。

今回、意を決して、3週間の休みを取り、オーストラリアに住む次女のところに行く事にしました。こんなに休むのは開業以来初めてです。従業員は大喜びでしたが、周りでは「先生が入院したのでは?」「閉院するのでは?」と噂になっていたようです。

ちょうどインフルエンザが猛威を振るっている時期でしたので、出発の直前まで連日夜の7時まで診察していた夫は疲れ果て、倒れるのではないかと心配しました。出発の日も逃げるように家を出ました。

今回の旅は息子家族、お嫁ちゃんのご両親、そして長女の孫2人も一緒でしたが、息子も同様、勤務している大きな病院の小児科医を急に減らされたので予定していた旅行に行けなくなったと言い出しました。みんながっかりです。

話し合って、息子家族は日程を6日間に減らして行く事になりました。帰国したらすぐに当直です。行く意味があるのか?とため息が出ます。

さあ、そんな思いを振り切って出発です!


ところが、行きの飛行機の中で中2のお兄ちゃんが宿題をしていました。「間に合わない~」と悲痛な顔です。そうなのです。子ども達も冬休みの宿題を抱えての旅でした。


オーストラリアの小学校の様子


迎え入れてくれるオーストラリアの次女家族は親子とも1か月半の夏休み中。久しぶりに会う孫は6歳の男の子ですが娘の肩くらいまで身長が伸びていました。

夏休みが明けたら小学2年生です。クラス替えがあるけど一緒になりたいお友達を3人選べるそうです。そのうち1人は一緒のクラスになり、新しい担任の先生もわかっているので楽しみにしていました。

次女の家の近くに住んでいる姪の子ども達は4年生と6年生の女の子。いい機会なので次女と姪にそれぞれの小学校の様子を聞いてみました。

オーストラリアは子どもを褒めて伸ばす教育方針。2人が住んでいる州は休みの日は宿題を出してはいけないと決まっています。平日の宿題は書き取りと計算を1題ずつ。でも、読書だけは赤ちゃんの時から推奨されているので一日一冊読むように勧められるそうです。

学校への持ち物は弁当と水筒、おやつのみ。筆記用具とノート、教材は学校に用意されています。そもそも教科書がありません。

これを日本の子ども達が聞いたらひっくり返りそう。

孫の学校は700人規模なので校長先生と3人の副校長先生がいて、副校長先生は授業のカリキュラム担当、生徒や先生のウェルビーイング担当、経営担当に分かれているそうです。学校の話し合いには生徒代表、保護者代表も参加するとのこと。

先生は学年固定のスペシャリストで、どの先生も優しいそうです。人と比較するテストや成績表は無いけれど、子どもの様子をよく観察して年に2回生徒個人のレポートを書いて面談の時に専門家としてのアドバイスをくれるそうです。

先生は8時くらいに来て4時には帰る。教え方は先生の裁量に任されているので、プランニングデイを設けて同学年の先生が集まって授業のプランを立てるそうです。その間、生徒は別の先生が教えてくれるそうです。学校のカリキュラムデイは学校をお休みにして先生達が話し合うとのこと。先生の労働時間も配慮されているのでしょう。

生徒も先生も秋休み、冬休み、春休みが2週間ずつ。夏休みは1か月半。残業は少しあるけれど休暇中に仕事をすることはないそうです。アメリカの先生は休みの間は給料が出ないけどオーストラリアは保障されているそうです。

これを日本の先生が聞いたらひっくり返りそう。

ただ、最近はタイガーペアレントと言って子どもに過度な期待をするクレーマーが増えたので保護者対応に苦労しているそうです。そんな時、ウェルビーイング専門職の副校長先生が対応してくれるとのこと。

朝8時半に学校が始まりますが、親の仕事の都合で朝と放課後、長期休みに学童保育があります。学童の先生が優しくて自由に外遊びもできるので孫は楽しみにしているそうです。


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ままぴよ日記 127 「オーストラリア旅行記 野生動物たち」

毎年、中1の孫に干支の絵を描いてもらうのですが、そっけなく「引退します」と返事がきました。「そうよね、いつまでもばあばの相手はできないよね」とあきらめていたら突然この絵が送られてきました。

お正月の絵にふさわしいのかわからないけれど「人間よ、おごることなかれ!」と、カツを入れられたような気がしました。
そうです、私達は本気で愛と平和への道に舵を切らなければいけません。
まずは足元からです。

毎回、自分ごとの記事で恐縮ですが今年もよろしくお願いいたします。
(かんなまま)
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我が家は何をやるのも大人数


昨年のクリスマスから今月中旬まで娘が暮らすオーストラリアに行ってきました。今回は私たち夫婦のほかに長男夫婦と中2、小5、小3,4歳の孫達、お嫁ちゃんの両親、長女の高1、中1の孫達を連れての大移動でした。

オーストラリアで迎え入れてくれるのは次女夫婦と小1の孫ですが、偶然近くに住んでいる姪夫婦と小3、小5の子ども達も合流です。全員で19人の登場人物!我が家は何をやるのも大人数。私にとってはこれが当たり前の家族ですが、世間から見たらびっくり家族かもしれません。

20日間の旅でしたが、オーストラリアの旅行記を2編に分けて書こうと思います。まず前編はオーストラリアのブッシュで出会った動物と娘の仕事について。後編はオーストラリアの学校と働き方です。


この旅の2つの目的


さて、久しぶりの海外旅行はデジタル化が進み、ネットでフライトのチケットはもちろんビザ申請、事前チェックイン、パスポートも全身もスキャンされて顔写真を撮られて入国するまで私の情報が強引に開示された気分になりました。これに抵抗したら娘にも会いに行けない時代だなと思いながら最後の入国審査の列に並びました。

ここが最後の関所です。大きな男性が無言で私とパスポートを見比べて、いきなり「行ってらっしゃい!」と言ってくれたのです。驚いてその方の顔を見ると満面の笑みで「日本に留学していました。楽しんで!」と言ってくれたのです。この一言で歓迎されている気持ちになりました。

キャッシュレスも進みオーストラリアドルを見ることもありませんでした。いろいろな事情でクレジットカードが作れない人や子ども達はどうするのだろうと素朴な疑問が湧いてきました。

着いたら娘が小型バスを運転して迎えに来てくれていました。この人数が泊まれる大きな家を借りて合宿です。ベッドルームが6つ。シャワーが3つ。ランドリー、キッチン、リビングがあるひろーい家。自然あふれる庭。スケールが違います。次女のパートナーが料理をを作ってくれて、積る話をしながらゆっくりワインを飲んで、ここに居るだけで楽しくなってきました。


ここでは2人のじいじも積極的にお片付けをしていたので記念写真を撮りました(笑)。

この旅の目的は、次女と姪の家族に会ってのんびりする事。そしてオーストラリアの自然を満喫する事です。

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