アーカイブ: かんなまま

ままぴよ日記 141 「フィンランドの森」

 あっという間に7月になりました。家の片づけと県との交渉、新しい病院と家の設計を同時進行で進めていますが、息子の結婚式も迫り、毎日が慌ただしく過ぎていきます。
 そんな中でも、庭の木々や仕事で出会う赤ちゃんの存在は大きく、私の心を落ち着かせてくれます。どんなに忙しくても、いえ、忙しいからこそ辞めたくない仕事です。
(かんなまま)
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大不況に見舞われるフィンランド


息子の結婚式に参列するためにフィンランドに行ってきました。

息子は13年前フィンランドの大学を卒業してITデザインの仕事をしていましたが去年リストラに遭って失業しました。

世界一幸福度の高い国と言われているフィンランドですがウクライナとロシアの戦争が始まって大不況に陥り、大学を卒業しても仕事がない若者が増えています。特にIT関係の仕事はAIに取って代わられています。

息子も例外ではなく、所属する部署そのものがAIに奪われました。それでも、あきらめずに仕事を探していましたが、一向に見つかりません。300社は応募したようです。

これまでは外国人にも無償で教育を受けさせ、平等に雇用してきた国でしたが、外国人の学費が有料になり、日本人の名前で仕事を応募しても面接すら受けられない状態です。

去年結婚していたので在留許可はもらえましたが、失業する人が増えたので失業保険も減額されていきました。その上、物価や家賃が高騰して、これからの生活を考えると不安な毎日でした。

一日中暗くて長い冬。家にこもり自信を無くす息子に「稼ぐことが人の価値基準ではない。こんな時こそ今を誠実に生きる」と励ましてきました。腐らなかった息子を褒めてやりたいと思います。

そんな中、転機が訪れました。今年の4月、わが家の移転話が動き始めたと同時に、息子の職探しも動き始めたのです。ご縁があって日本の企業に応募したらとんとん拍子に採用されました。

どんなに願っても動かないときは動かない。受け入れて時が来るのを真摯に待つしかありません。動き出したら波に乗る!今まで何度も同じようなことを経験してきました。

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ままぴよ日記 140 「4軒の家を解体して2軒の家を作る話」

 桜が咲く野山にワラビを採りに行きました。夢中で摘んで灰汁を抜き、日頃お世話になっている方々に配ります。家に戻ると大きなタケノコがゴロンと勝手口に置いてありました。誰が届けてくれたのかな?
 朝ご飯を食べていると隣人が裏口からスナップエンドウを届けてくれます。昨日は袋いっぱいの甘夏を貰いました。お礼にマーマレードジャムを作って持っていきます。
 今年の玉ねぎは豊作でした。さて、誰に上げましょうか?
 幸せな物々交換の田舎暮らしです。    
(かんなまま)
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落ち着かない日々が続く毎日


長年、動かなかったことが一気に動き始めました。次から次に関連の連絡が入りだして台風の目の中に居る気分です。人生ってこんなものなのでしょうか?

自分を落ち着かせるために『私の身に何が起こっているのか』時系列で書きたいと思います。

7年前、わが家と病院が県の計画道路に掛かり立ち退きを通告されました。


その後、査定のために庭木一本一本、家の中も設計図を見ながらメジャーで計りながら材質や家具、家電等を調べられました。病院に至っては材質、医療機器はもちろん決算書、給料明細、リース代、電気代、電話代まで徹底的に調べられました。

5年後には新しい敷地に引っ越して全ての明け渡しが完了する計画でした。でも、その前に移転先の土地を見つけなければいけません。不動産会社に頼んで探しましたが不思議なくらい見つかりませんでした。

道路も、一向に工事が始まりません。焦るけれども先が見えません。神様に祈りながら目の前の生活に追われていました。

やがて義母が亡くなり、家を相続しました。老朽化した家を片付けて庭木を管理しなければいけません。この土地は広いのですが道路が狭くて病院には向きません。

1年後、お世話をしていた叔母が亡くなって家を相続しました。この家は駐車場がないので病院には向きません。

初め、叔母の家を産後ケアの家にしようと助産師さん達と話し合いましたが人不足で叶いませんでした。叔母の家を売ることにして不動産会社に頼みました。安くて環境もいいのですが一向に売れませんでした。

そうこうしているうちに県の土木事務所から電話が来て、山の別荘(12年前に建てた)も県の計画道路に掛かるため移転してくださいと言われました。耳を疑いました。同時に2軒の家の立ち退きを迫られたのです。この家は築150年の古民家を今後の備えのためにリノベーションした家でした。隣に畑があり湧き水も出ています。ショックでした。


でも、移転先が決まらない事には何もできません。とりあえず義母と叔母の家を片付け始めました。義母は認知症、叔母は骨折して何も片づけないまま逝ってしまったので、どちらの家も荷物の山です。

同時に私の母の介護をしながら実家の片づけも始めました。

落ち着かない日々。ストレスを抱え続けるのはエネルギーが要ります。季節の移ろいと孫や猫達が癒しでした。忙しいけれど子育て支援の仕事もママや赤ちゃんがかわいいから続けられました。

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ままぴよ日記 139 「びっくりの学校給食事情」

 今年も2月に24家族でジャガイモを植えました。子ども達もしっかり手伝ってくれます。というより遊びと思っているようです。畑を貸してくれている農家さんも「麦をしっかり踏んでください」と言ってくれるので作業が終わっってから麦畑で凧あげをして遊びました。
 昨日、畑の草取りに行きましたが、あぜ道にオオイヌノフグリやほとけの座、タンポポが咲きほこり、ひばりが鳴いていました。帰り道につくしを摘んで春を頂きました。
 同じ時間に爆撃を受けている人々がいるのを知っています。辛いです。だからこそ、この平和な時間がいつまでも続きますようにと祈らずにはいられません。
(かんなまま)
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前例のない学校給食に挑戦


オーストラリアの娘家族が夏休みを利用して1ヵ月間帰ってきました。

娘のパートナーはシェフでしたが小学校の先生になるために大学に入り直しました。でも、コロナ禍で実習の授業ができなくなり、おまけに半数近くいた海外からの留学生も帰国したまま戻れなくなって大学自体が大変な状態になりました。


その間、授業がないので生活のために私立高校の寮の料理長になりました。その仕事ぶりが認められて去年できた公立小学校の給食の料理長に抜擢されたのです。シェフを辞めて小学校の先生を目指していたのになぜか小学校のシェフになるという思いもしない展開になりました。

さて、オーストラリアは学校給食がありません。孫も毎日お弁当を持っていきます。もちろんパパの手づくり弁当です。休みの日に息子と一緒におかずを作り置きしているようです。パートナーは家の食事も楽しそうに作るので、本当に料理が好きなのでしょう。

その公立小学校は新しくできたユニークな学校です。校長先生は40歳。フィンランドの学校給食制度に感銘を受けて立ち上げた小学校だそうです。

フィンランドでは第二次世界大戦が終わった後の1948年から小学校前のプレスクールから高校までの学校給食が始まりました。「よい給食は未来への投資」というコンセプトのもと学校給食無料化が法律で決められました。ベジタリアンやビーガンへの対応もしているそうです。

その校長先生と意気投合した娘のパートナーは初めての学校給食に挑戦しています。小さな学校で生徒は150人。先生が30人。フィンランド方式で校長先生も含めて全員が食堂に集まってテーブルを囲んで食べます。全員が一緒に食べるというのも初めての試みだそうです。

何と給食だけではありません。10時にモーニングスナック(フルーツ)を教室で食べて、11時半にランチ、14時にアフタヌーンスナック(手作りケーキ)を提供するそうです。全て手作り。

給食費は一日5ドル。足りない分は寄付で賄っています。まだフィンランドのように国の政策で無料にする段階ではないので一週間25ドルを保護者が払っています。でもオーストラリアの物価を考えると家で作るより格安で安全でおいしい給食が食べられるので保護者には人気です。この学校を選んで引っ越して来る家族も増えたそうです。

給食を作るスタッフは7時に出勤します。パートナーのほかに助手が2人です。年に1回、生徒たちにメニューの希望を聞きます。そして3週間分のメニューを決めながら作っているそうです。

土日は休み、夏休みなどの長期休暇もありますが朝6時に家を出て8時に帰宅というハードな毎日です。前例がないので食材集めも苦労しているようです。食育のために学校の庭でハーブや野菜も作り始めました。

全て試行錯誤ですが、オーストラリアの学校で給食を始めるというチャレンジをしているのでやりがいを感じているようです。

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ままぴよ日記 138 「学校の中に子育て広場を作ってみた」

 あっという馬に年が明けました。
 わが家はオーストラリアの娘家族が1ヵ月間帰国して賑やかなお正月でした。オーストラリアの夏休みは2ヵ月あります。その間宿題なし。大学勤務の娘と小学校の給食のシェフをしているパートナーも同じように休みです。その上、娘は来年で勤務10周年になるのでそれプラス3か月の休みを有給でもらえるとか!なんてこった!  
 今回は、中学校に子育て広場を立ち上げたお話しです。
(かんなまま)
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「それ、うちの学校でやってみませんか?」


16年前、私が市の教育委員をしていた頃、県の社会教育センターに出向していた先生が地元に戻ってきて中学校の教頭先生になりました。教育センターで、学校を地域とのコミュニケーションの場として活用する事を学んできたそうです。

毎年、新学期を迎えて学校の管理職の先生と教育委員会の懇親会が開かれます。私はお酒も飲まないし、偉い方にお酌して回るような場が苦手です。いつも席を立たず、じっと座っています。

偶然、その先生の隣に座った私。先生もお酒も飲まず、他の先生のように挨拶して回るのが苦手のようでした。二人で静かに話していくうちに意気投合していつの間にか私の夢を話していました。

「中学校に親子の居場所を作って中学生と赤ちゃんが触れ合う機会を作りたい。でも学校の壁は厚くて『空いている教室はない』『安全管理は?』『誰が責任取るの?』と言われます」と。

始め、先生はその発想にびっくりされましたが私が具体的な案を話すと目の色が変わっていきました。

実は先生も社会教育を学んできたものの何をどう実践したらいいのか考えあぐねていたようなのです。「それ、うちの学校でやってみませんか?ちょうど空き教室を利用して地域ルームを作ったばかりです」と言われました。

「えっ?本当ですか?」「月に一度でいいです。赤ちゃん連れの親子がその教室で過ごしているところに中学生が昼休みに遊びに来るのはどうですか?」「おもちゃは持っていきます。スタッフも集められます」と畳み込む私に「校長先生に話してみます。時間をください」という展開になっていきました。

私が今までしてきた事のほとんどがこのような展開で始まります。アイデアが浮かんでも1人ではできません。だから釣り糸を垂れて漂いながら魚が引くのを待っていると、予期せぬときに引きが来るのです。

5種体癖でヴァータの私は、いいも悪いも直感ですぐ行動します。エネルギーがぐんぐん動くので難儀だなあと思う時もあります。

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ままぴよ日記 137 「暮らしの中に畑仕事と遊びと備蓄」

 10月は冒険広場、11月は味噌づくり、その2週間後に玉ねぎ植え・・・と忙しい秋です。年を重ねるたびに新しい子育て家族が入ってくるので大きな家族のようになりました。
 そこには当然、0歳の赤ちゃんも83歳の高齢者もいます。子ども達は色々な大人に見守られて遊びます。仕事も遊び感覚で覚えます。高齢者は頼られる喜びと、小さな子ども達が遊んでいる姿を見て元気になります。もちろん親も大助かりです。

 だからやめられないのです。人生、食べる事と遊ぶことは大事だなあ~とつくづく思います。
(かんなまま)
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今日は玉ねぎ植えの日


稲刈りが終わった畑は広々として空が高く見えます。

今日は子育て家族の玉ねぎ植えの日。晴天に恵まれて清々しい朝です。集まってきた車からは長靴、帽子、軍手を装備した子ども達が飛び出してきます。


親はシート、鍋、薪など畑作業と言うよりキャンプのような荷物をもって畑に向かいます。今年で18年目を迎える「わんぱく農園」です。

毎年、11月に1家族400本の玉ねぎを植えて、2月に1年分のジャガイモを植えます。途中、草抜きをしながら5月に収穫です。


30年来、無農薬でお米を作ってくださっている農家さんと知り合って「子ども達と玉ねぎやジャガイモを植えたいので畑を貸してもらえませんか?」と相談したのが始まりです。

安全な食べ物を自分達で作りたい。備蓄したい。農作業しながら子どもを畑で遊ばせたい。という思いからです。結果は快諾どころか無償で畑を貸して土づくりまでしてくださっています。

18年間続けているので、当時赤ちゃんだった子ども達が青年になり手際よく手伝ってくれます。毎年参加する家族が増えて今年は24家族です。

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