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ユダヤ問題のポイント(日本 明治編) ― 第29話 ― 日清戦争の背後

 行為者に対して、どうしても「それを断ることができない」状況に置いておきながら、「自らが誓った」形にてその行為をさせるのが日本社会ではよく見られるよう感じます。実質は行為の強要なのに、行為の実行を自ら誓わせているのです。
 「自らが誓った」というのがミソで、その行為によってどのような酷い結果となったところで、その責任は自ら誓ってその行為を為した者にのみ負わされます。実質的に追い込み、強要させた側は責任追求を逃れます。支配する側と支配される側でこの関係が成立しており、支配する側の狡猾で卑劣な行状でしょう。
 実際日本の支配層は、上に行けば行くほど責任が追求されないシステムになっているのです。何か事があってもその真相は明らかにされず闇に葬り去られ、上は責任を取らずトカゲの尻尾切りで事は済まされます。
 日本の今日ではこの光景を目にするのは日常茶飯事です。為政者が当然責任を負わなければならないことを、すべからく国民の「自己責任」にしているなどです。
 なぜこのような虚偽隠蔽が横行するようになったのか? 一つの原点は間違いなく日本の大陸進出からの戦争と敗戦の事実の隠蔽でしょう。
 日本が大陸に進出していき日清・日露戦争、韓国併合に突き進み、最後は日中戦争から太平洋戦争で敗北に至ったこと、この全容は日本国民に対して闇にふされたまま全体の総括、責任の所在が全く明らかにされず現在にまで至っているのです。
 その闇にふされていた戦争の亡霊たちが再び復活してきたのが安倍政権ともいえるでしょう。彼らの体質は昔と同じままでした。
(seiryuu)
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ユダヤ問題のポイント(日本 明治編) ― 第29話 ― 日清戦争の背後


国民の生と死まで支配管理する国家神道 〜実験カルト国家皇国日本


改めて、の内容をしばし記します。

死して護国の鬼と誓いし…」、このフレーズが入った軍歌「元寇」は1894年から始まった日清戦争の少し前に作られ、戦意向上のため戦時中に盛んに歌われたとされます。

「死して護国の鬼となる」。これは皇国日本における美しいフレーズとして日本国民に刷り込まれたものですが、美しいどころか非常に恐ろしいフレーズです。

「護国の鬼」とは辞書に「国をまもるために命をすてた人。戦死した人」とあります。国のため戦死することを「自ら誓う」という形にして、国民に戦死という最大限の犠牲を強いる歌詞なのです。

それだけではなく「鬼」とは「鬼神」のことです。日本 明治編第1話に記しましたが、鬼神とは成仏させてもらえない「荒御魂」で招魂祭と一体です。非業の戦死をした「荒ぶる魂」を招魂 し、「護国の鬼神」となすのがこの歌詞の意味です。


日本国民に生前はその生命を「お国のため」として戦死の犠牲を強いる。しかも死後も鬼神として自らの都合の良いように利用するのです。

この国民犠牲からの利益を得るのは国家を管理する支配者達です。国家の支配層が日本の国民を生きている時のみならず、死んでからも永遠に支配管理する、これが皇国日本の思想だったのです。

明治早々に建設されていった東京招魂社(後の靖国神社)を代表とする「護国神社」群、これによって成立した国家神道皇国日本、それに軍国主義日本帝国は一体のものです。

靖国神社など招魂社をもとにする護国神社は、それまでの伝統的神道の神社とは全く異質なものです。国家神道とは新興宗教であり、カルトといって差し支えないでしょう。日本国民の生と死までも支配管理するのです。日本国家そのものがカルトに嵌まり込んだのです。

事実として、日本ほど自国兵士の生命を極端に軽視して、使い捨ての消耗品とした国は無いでしょう。そうやって国民の生命とその死さえも利用管理しようとしてきたこの国家姿勢、並びに日本支配層の本音は、決して単に過去のものではないことは多くの方が気づいてきている通りです。

近・現代編の第3話第4話第5話で、ナチス・ファシズム、ソ連革命共産主義、イスラエル建国のそれぞれが、世界統一政府樹立に向けた実験だったと記しました。この実験によって無数の悲惨な犠牲者が生まれました。しかしその凄惨な犠牲者たちであってさえも、死後までは支配管理の檻の中に閉じ込められはしなかったでしょう。

Wikimedia_Commons [Public Domain]
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ところが日本は違っていたのです。明治以降の日本も世界統一政府樹立に向けた実験国家であった点は同じでしょうが、日本の場合は悲惨な犠牲者を出しただけでなく、その死さえも管理・利用したのです。

日清戦争の日本兵(1895年)
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ユダヤ問題のポイント(日本 明治編) ― 第1話 ― ヤスクニのウソから

 今年もあの8月15日を迎えようとしています。毎年この時期に取り沙汰されるのが、首相の「ヤスクニ」への参拝です。
 「靖国神社は日本古来の伝統ある神道の神社で、そこではお国のため死んでいかれた多くの方々が祀られ、鎮魂と慰霊の祈りが捧げられている」。日本人の多くはこのように漠然と思っておられるようにも感じます。それで「その参拝に文句を言う近隣諸国は内政干渉だ」と…。
 しかしその認識は完全に誤りです。「ヤスクニ」は国家神道の象徴となる神社です。ところが本質から見れば、国家神道は本来の神道とは全く異質、そして「ヤスクニ」は本来では神社ではありえない代物です。
 神社と称している「ヤスクニ」の実体を日本会議・神道政治連盟の議員である稲田朋美元防衛相が言い表しています。WiLL2006年9月号特集で彼女はこう主張しています。

「靖国神社というのは不戦の誓いをするところではなくて、『祖国に何かあれば後に続きます』と誓うところでないといけない」

 この発言は彼女のウィキペディア記事に出ていますが、意味は分かるでしょうか?
 「ヤスクニ」の祭神?は戦死者です。太平洋戦争での戦死者はその多くが餓死であり、戦死者の殆どは苦しく無念の思いで亡くられた方々でしょう。その彼らの前で「申し訳なかった。貴方方のように苦しく無念の思いをされて死んでいく方たちを二度と出さないように戦争はいたしません」、このように誓ってはならない、と主張しているのです。
 そして「お国のため苦しく無念の思いを抱かれ戦死した貴方方は後続の鑑です。どうぞその怨念をお持ち続け下さい。そしてその怨念で貴方方の後に続く者たちを募って下さい。私達もそれに大いに助力します。」、「ヤスクニ」ではこのようにお誓いしなければならない、このように稲田元防衛相は主張したのです。これが「ヤスクニ」の実体です。「ヤスクニ」はこういう装置として設立されたのです。
 今日でも「ヤスクニ」では戦死者への「招魂祭」を執り行っています。しかしこの死者への招魂祭は、古来から日本では禁じられていた儀式です。国家神道の靖国神社とは、本来の日本の神道と神社に「成りすまし」「乗っ取り」、日本国民に呪詛をかけ続けている。こう表現するのが正しいように思えるのです。
(seiryuu)
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ユダヤ問題のポイント(日本 明治編) ― 第1話 ― ヤスクニのウソから

日本全国に招魂社が設立 〜明治天皇の命名の問題


天皇は大神官であり、日本の最高神官である。このことを否定する方はいないでしょう。明治維新もそうですが日本の歴史を見るには、天皇は最高神官であるとのこの超重要事項を踏まえた上で見ていく必要があるでしょう。

日本では明治以降は天皇を政治的な側面で見ていく傾向が強いように感じますが、天皇の原点、本来の役割は神官なのであってこの視点を欠くと日本の歴史観は歪曲を生じると見ています。そして天皇は大神官であるとの当たり前の原点から見るならば、天皇を担いだ明治新政府が、日本の伝統的文化や宗教的慣例に対していかに“異様な行為”を断行したかが見えてきます。

明治以降日本は「国家神道」に傾いていくのですが、それの象徴というか手始めが「招魂社」の設立です。明治に入って早々に岩倉具視の発布によって日本全国に招魂社が設立されていきます。


官祭招魂社(かんさいしょうこんしゃ)」で検索してみてください。そうすると「官祭招魂社は、政府が管理を行った招魂社」で、この政府管理の招魂社だけでも日本全国に114、とりわけ旧長州の山口県には21もの官祭招魂社があることが分かります。

このうち東京九段の招魂社が明治天皇の命名によって国家神道の象徴たる「靖国神社」になります。他の招魂社の多くは「護国神社」の名となっているのです。

実は日本全国における招魂社の設立が明治新政府からの国家事業の一つであったのです。しかしこの招魂社は普通の日本人的な常識や語感からは大いな”違和感”がいくつもあるのです。

ウィキペディアの「招魂社」を見れば、招魂社は「明治維新前後から、また以降に国家のために殉難した死者を奉祀した各地の神社」、そしてそのルーツは「1863年(文久3年)に高杉晋作は、下関戦争での戦没者の霊を慰めるため、また、今後の戦いに臨むに当たって自分たちの生墳(生前にあらかじめ建てておく墓)が必要であると発起し、奇兵隊の賛同を得て隊員共同の招魂場を設置することになった。日本初の招魂社となる櫻山招魂場(現・櫻山神社)は1864年(元治元年)5月に山口県下関市に築かれ、翌年8月に社殿が完成した」とのこと。


招魂場は幕末まで日本に存在しない新しい施設ですが、要するに、主に戊辰戦争以降の戦死者を祀る施設と見なせます。もとは招魂場の招魂社は墓や霊園と見なすのが自然なのです。従ってこの時点では招魂社は“社”の文字があっても“神社”ではありません。

ところがこの招魂社を明治天皇は「神社」と命名したのです。これが大変な問題なのです。1879年(明治12年)に東京招魂社を「靖国神社」と命名した明治天皇のふるまいは、大神官、国家の最高神官としてのふるまいとしては大変な違和感があるのです。善悪は別として全くおかしいのです。

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[思索の日記]初詣や神前結婚式や見合い結婚や天皇現人神は、日本の伝統!?みな真っ赤なウソです。

竹下雅敏氏からの情報です。
 これは〜とってもわかりやすい。やはり、靖国神社は田布施神社と名付けるべきなのです。権力者に騙されないようにしましょう。
 連中の一部は、天皇がイスラエル人だという妄説を信じさせようとしています。
(竹下雅敏)

注)以下、文中の赤字・太字はシャンティ・フーラによるものです。

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初詣や神前結婚式や見合い結婚や天皇現人神は、日本の伝統!?みな真っ赤なウソです。
記事配信元)
本記事文章は現在公開を停止しております。 (2016/4/23)
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[Sputnikほか]安倍首相が田布施村の守護社・靖国神社に供え物 / 神社本庁は「日本神話韓国起源説」を支持していた 〜 日本の支配層は田布施村出身の朝鮮民族

竹下雅敏氏からの情報です。
 神社本庁が、上田正昭京大名誉教授の「日本神話は韓国が起源」という珍説を支持したという記事が2つ目です。
 これは八咫烏を含め、日本の支配層が渡来人であるということでしょう。明治以降の天皇のすり替わりで、“田布施村出身の朝鮮民族”による日本支配がすすんだということだと思います。
 “続きはこちらから”以降の記事は、孝明天皇は謀略で殺されたとしていますが、私の直感では孝明天皇は暗殺されておらず、“孝明天皇は息子、睦仁親王と共に堀川御所に移って「京都ウラ天皇」となり、その息子が堀川辰吉郎である”という落合莞爾氏の説が正しいのではないかと思います。
 ネトウヨは、日本で正直に働いている在日の方を攻撃するのではなく、安倍一族に代表される“田布施村出身の朝鮮民族”を攻撃すべきではありませんか?
(竹下雅敏)

注)以下、文中の赤字・太字はシャンティ・フーラによるものです。

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安倍首相、靖国神社に供え物
転載元より抜粋)
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安倍晋三首相が靖国神社に供え物を行った。

首相は中韓の反応を考慮し、個人参拝は控えた。11月初頭に予定されている3か国サミットの開催が中止されるのを恐れた形だ。

靖国神社は第二次世界大戦における日本の軍国主義を連想させ、それを日本の政治家が参拝することは日本が地域帝国主義を再興させる意図をもっていることを懸念させる。靖国には日本が行った様々な戦争で死亡した250万人の兵士・将校の名を記したリストが保管されており、その中には14人の第二次世界大戦における戦争犯罪者も含まれている。
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[神社本庁をめぐる売国疑惑いろいろ]  神社本庁が「日本神話韓国起源説」を指示・戸隠修験・丹生都比売神社
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[LITERA]靖国神社の本質に政治学者・白井聡が切り込む 問題は歴史的大義がないことだ! 〜 本質は田布施システムのために死んだ者たちの招魂社

竹下雅敏氏からの情報です。
 気鋭の政治学者・白井聡氏が、靖国神社の本質を“近代的な国家カルトの施設”と結論付けています。確かに靖国神社は神社本庁に属していません。その靖国神社に対する公式参拝を神社本庁が政府に要請している異様さは、注目に値します。
 記事では、“明治政府と朝廷のために死んだ人だけを選んで祀った”とあり、安倍首相も“国のために戦い、尊い命を犠牲にされた御英霊に対して”と発言しています。政治学者の白井聡氏が気付いていないのは、安倍一族は田布施の出身であることです。田布施システムで検索をかけてみてください。実際のところ、明治政府と朝廷のためでも国のためでもなく、田布施システムあるいは田布施一味のために騙されて死んで行った者たちの招魂社として、靖国神社があるのだとわかるはずです。要するに、靖国神社ではなく、田布施神社と名付けるべきなのです。
 この本質を捉えていないため、白井聡氏の論説はどうしても中途半端にならざるを得ないもので、神社本庁が、憲法を改正して神道国家を目指して自民党に働きかけていることの問題点を、糾弾出来ないように思います。
(竹下雅敏)

注)以下、文中の赤字・太字はシャンティ・フーラによるものです。

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靖国神社の本質に気鋭の政治学者・白井聡が切り込む! 問題はA級戦犯合祀や中韓の反応ではない、靖国に歴史的大義がないことだ!
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