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ユダヤ問題のポイント(日本 昭和編) ― 第51話 ― 統一教会の創設(下)

 08/22 まのじ編集長の記事にて、最高裁が「統一教会の伝道・教化活動そのものが違法行為」との判決を2003年に出していたことが紹介されています。本文の中で別に少し示しますが、実のところ統一教会は普通に「犯罪組織そのもの」でもあったのです。
 この統一教会の伝道・教化活動の教義とは、サタンの血の人類を神側に「血統転換」「復帰」させるというものです。これの前提が『聖書』「アダムとエバの楽園追放」の解釈ですが、それ以前の大前提が、キリスト教から世界に流通している「アダムとエバが全ての人類の始祖」との『聖書』概念にあるのは当然です。…この大前提が崩れたとすれば、統一教会の教義も土台から雲散霧消で当然でしょう。そして、大前提は最初から実は成立していません。他ならぬ『聖書』の記述そのものがそれを示しています。
 アダムとエバの子がカインとアベルの男兄弟、カインにアベルが殺されたあとに、アダムとエバにセツという男子が誕生。『聖書』にはカインとセツの子孫の名前が連なっていき、現在に至っていることになっています。
  • ところで、このカインとセツの子をそれぞれ生んだ女性は?
  • その女性はアダムとエバの娘か?
違います。別家庭の娘です。つまり、当時にもアダムとエバ以外の複数の人間家族がいたことになります。
 『聖書』を素直に読めば、アダムとエバが全ての人類の始祖などでないのは当然。無論これにて全ての人間が「原罪を負っている」という信仰など不成立です。サタンの血の原罪を負っていないなら、キリスト教全般も関連しますが、統一教会の教義はその最初から崩れているのは明白。
 それだけではありません。統一教会は自分たちが作った教義そのものを自分で否定し、壊す行為をもしています。自分を守るつもりの卑劣な行為によって、です。
(seiryuu)
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ユダヤ問題のポイント(日本 昭和編) ― 第51話 ― 統一教会の創設(下)

盗みで成立した教義


文鮮明(1982年)
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前回に、統一教会の根幹核心にあるのは文鮮明の「血分け儀式」であることを見ました。「血分け儀式」とは、
  • “神である”文鮮明の肉体の血=精子を性交を通じて女性に分け与え、その女性のサタンの血は浄められ、神の血統に「血統転換」され、神側に「復帰」。
  • 次に、この「復帰」した女性と男性が性交することでその男性のサタンの血も浄められ、「血統転換」「復帰」が成立する、
というものでした。「血分け儀式」とは、文鮮明との性交から始まる「SEXリレー」でもあったのです。

この周辺事情を知るのにウィキペディアの「世界基督教統一神霊協会の年表」を紹介し、その一部を取り上げました。そこの1945年の欄に次の記述がありました。

  • (文鮮明は)イスラエル修道院 の金百文(キム・ペンムン)のもとで学ぶ。
  • 文鮮明の著作『原理原本』(1952年発行)は、この金百文の著作『基督教根本原理』(1946年3月2日起草、1958年3月2日発行)の執筆中に文鮮明が盗作したという証言がある。

要は、文鮮明の師匠が金百文(キム・ペンムン)であり、文鮮明の説く教義のもとには、金百文の著作『基督教根本原理』があったということです。

『六マリアの悲劇』サイトの『神学』欄に「淫教のメシア • 文鮮明伝」という著書が紹介され、文鮮明に対する師匠の金百文の影響が記され、最後に次のように結論づけしています。

金百文の理論は、禁じられていた木の実を食うという淫乱行為によって堕落し、その堕落の血を後世の子々孫々にまでうけつがせた堕落人間を、神が性交によって聖化させると説く血分け教の教義にほかならなかった。

これはこの通りで、「血分け」を教義化したのは金百文で、文鮮明がそれを受け継いだ(盗んだ)のは間違いないでしょう。

また、統一教会の教義の前提であった『聖書』の解釈“サタン=ルシファーとエバが霊的姦淫、その状態でエバはアダムを誘い、それで子孫ができたので人類はサタンの血に汚れ原罪を負った”、これも間違いなく文鮮明が金百文から受け継いだ(盗んだ)ものでしょう。ただし、金百文の解釈も古くからの「ユダヤ聖典」の解釈を受け継いだものだと考えられます。

この「アダムとエバの楽園追放」と「アダムとエバの子孫」という『聖書』の事実はどうだったのか?

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かいつまんで記述します。
「アダムとエバの楽園追放」に関し、蛇とエバが関係を持ったのは事実です。しかしここにアダムの関与はありません。蛇とはサナット・クマーラであり、「ホツマの神」であった彼が天照大神の妾の候補のエバと性交渉したため、天照大神の激怒をかってサナット・クマーラは「神霊」に格下げされて地球に叩き落とされ、エバは地球に人類としての転生を余儀なくされた。

これが事実で、詳細は「天界の改革19 大天使アズラーイルとイヴの結婚、サナト・クマーラとの関係」を参照されますように。「アダムとエバの子孫」については「宗教学講座 初級コース 第144回」をご視聴ください。真相が分かります。

いずれにしても冒頭文で示したように、『聖書』記述からもアダムとエバが全人類の始祖であることや、人類すべてが原罪を負っているという解釈や信仰は成立不能なのです。


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ユダヤ問題のポイント(日本 昭和編) ― 第50話 ― 統一教会の創設(中)

「キリストとはメシアのギリシャ語読みで、キリストとメシアは全く同じ語です。」
↪こう話すと例外なく聞いた人は怪訝な表情。
続いて「でも、キリストとメシアでは語感イメージが全く違うでしょ?」
↪これには“確かに”との同意の表情となります。
そして「キリストとメシアはごく簡単には“ユダヤ王”や“油塗られたもの”を指し、本来は世界救世主などの意味はありません。」
↪こう伝えると一様に“えっ!?”との表情になります。
 前回に、世界民衆は『聖書』に対する埋め込みを長年深く受けてきたと指摘しました。それと同様、いやそれ以上に、世界民衆がその内部に深いイメージ埋め込みをされてきたのが「キリスト」という語になるでしょう。
 人々が「キリスト」の語で浮かぶイメージは「十字架」「世界の救世主」「聖なる自己犠牲」「神聖」「晴明」と言ったものでしょう。これらはキリスト教を世界に拡げていく中で意図的に植え付けたもので、これには賛美歌の役割が大きかったはずです。
 さて、文鮮明は自らをキリストとも自称、これは「世界救世主」の意味で使っていたでしょうが、これや自己犠牲、晴明といった、どうも通常の植え付けられたキリストのイメージは文鮮明には重なりません。しかし、キリストの原語の「クリストス」の次の元来意味から見ると、不思議にそのイメージが文鮮明とピッタリと重なるのです。
「油を塗られた者」の意。christosはギリシア語で、ラテン語ではchristus、英語ではchrist。中東地方の生贄になった多くの神々の添え名である。アッティスアドーニス、ウシル〔オシーリス〕などがその例である。「油を塗る」ということは、オリエントの聖婚の儀式に由来することであった。東方諸国では神の男根像lingam、すなわち神像の勃起した男根は聖なる油(ギリシア語ではchrism、ラテン語でchrisma)を塗られた。それは神の花嫁である女神の膣への挿入を容易にするためであった。神殿に仕える乙女の1人がその女神の役を務めたのであった。油を塗られる前に、その神の男根は、顔料かブドウ酒か血(とくに、花嫁の経血menstrual blood)で赤く塗られて、いかにも生身であるかのような色にされた。昔は聖なる結婚によって王権が保たれたために、実際の王であろうと、その正式の叙位式として塗油が行われるようになったのであった。油を塗ることによって、その王が神になることが約束されたのであった。
(seiryuu)
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ユダヤ問題のポイント(日本 昭和編) ― 第50話 ― 統一教会の創設(中)

「血分け儀式」が統一教会の根幹


先に結論を示しておきます。宗教組織を名乗る統一教会教義の根幹核心は「血分け儀式」です。「血分け」とは、文鮮明の肉体の精子=血を分け渡すことです。無論、これは性交によってです。この「血分け儀式」が後の「合同結婚式」になっているのです。

合同結婚式の様子
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『聖書』にあるように人類の始祖はアダムとエバ、そのエバはサタン=ルシファーとの霊的姦淫状態でアダムとセックスし、それで子供が誕生、つまり全人類はサタンの血を引いてしまった。これが文鮮明の教義の前提。この原罪を負ったいわばサタン人間を救済するというのが統一教会の教義。

その救済とは、イエスの「イエスの復活を信じるもの達に霊的救済のみを約束」というものから踏み込み、文鮮明が再臨主・神として「人類の肉体も含めた完全な救済(復帰の摂理)」を実現。より具体的には、全人類に流れるサタンの血を浄め転換し、神の血を人類に引かせ「地上天国」を実現すると宣言。この人類の「サタンの血から神の血へ転換」を統一教会は「血統転換」「復帰」と表現、これが教義の核心部分。

以上が前回に見た統一教会の教義内容でした。繰り返しになりますが、この教義における救済は「霊的な救済」のみならず「人類の肉体の救済」でもあり、新たな人類の創造にもなります。それで文鮮明は自分を救世主キリストと称し、新たな人類の始祖アダムだとも称しているはずなのです。

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さて、こうとなると次の段階です。

統一教会のいう具体的な肉体も含めた人類救済、人類の「サタンの血から神の血へ転換」「血統転換」「復帰」はどうすれば成せられるのか?

これこそが、教義の具体的中身実践の最重要の核心であるのは当然でしょう。そしてこの答は自明です。人類の「血統転換」には、物理的肉体的に「神の血を分け与える」、これ以外の方法はありえません。ここに異論の余地はないでしょう。

そして統一教会いわく、その神が現世にいたのです。文鮮明です。この受肉した神である文鮮明の肉体から、血=精液を性交を通じて分け与えるというのが「血分け儀式」です。この「血分け儀式」の内容は「SEXリレー」でもあったようです。

『六マリアの悲劇・真のサタンは、文鮮明だ!!』というサイトがあります。そこに「私が目撃した統一教会・文鮮明教祖の『SEXリレー』のすべて」という1993.11.13 の「週刊現代 42−45頁」に掲載された記事があります。文鮮明の元側近中の側近で、統一協会の創立者の一人だった朴正華氏と中村敦夫氏との対談記事です。そこで具体的な「血分け儀式」の実際が生々しく語られています。

「血分け」とは、文鮮明との性交によってサタンの血に汚れた女性が浄められ(復帰)、次にその「血分け」で浄められた女性と男性が性交することで、その男性の汚れたサタンの血が浄められる(復帰)とするリレー実践で、「SEXリレー」の実態と「乱交パーティ」のようだったなどと語られています。実態として「血分け」は、ウィキペディアの「血分け」記事にも次のようにある通りです。

この行為は「女性の改宗者による救世主的指導者との儀式的な性交」から成り、「その目的は女性の性的純潔を—逐語的にあるいは象徴的に—回復することである」。(中略)...このようなイニシエーションを受けた人物が次に自身の配偶者と性交することで、救世主的指導者から獲得した純潔が配偶者と子孫へと伝わるとされている。


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ユダヤ問題のポイント(日本 昭和編) ― 第49話 ― 統一教会の創設(上)

 統一教会がアベシ銃殺事件以降の大きな話題となっています。通常は、私達が統一教会と聞いてただちに連想するのは、「霊感商法」「合同結婚式」といったところでしょう。
 統一教会について、日本国内ではその不法な活動によって莫大な資金を獲得していたことが明らかになってきていますが、日本だけでなく、世界で統一教会はその活動を拡げていました。2022/08/25のまのじ編集長の記事では、八木啓代さんの報告を取り上げながら、
1990年代から統一教会は、文鮮明教祖の「地上天国を築くプロジェクト」の号令で、パラグアイ、ブラジル、ウルグアイなどの大規模な土地を買収し、それだけでなく企業やメディアをも莫大な資金力で買収していました。
との記述をされています。
 このような統一教会の世界に拡大した活動の背景には、統一教会創設後の日米の政治家の動きなどもありましたが、実は統一教会創設以前の段階での下地が大きかったはずなのです。
 それは『聖書』です。『聖書』の内容は「神聖にして侵すべからず」「聖で真実である」との長期間の世界民衆に対する仕込みという下地があり、その上に統一教会の活動が成立しているのです。
 具体的には、教祖の文鮮明が説く教義の大前提として『旧約聖書』の「アダムとエバ(イブ)の楽園追放の物語」と「人類の原罪」があったのです。この神話が「聖にて真実だ」と世界民衆の内部の深くに埋め込まれているからこそ、これを大前提とする統一教会の活動が世界で展開できたのは、間違いないところでしょう。
 実際にこの「アダムとエバ(イブ)の物語」の埋め込み・刷り込みは根深いものだと感じます。寺に生まれ育った私であっても「アダムとエバ(イブ)の物語」は首を傾げながらも、心のどこかでは「もしかしたら本当なのかも?」との思いが15年ぐらい前にはあったのですから…。
(seiryuu)
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ユダヤ問題のポイント(日本 昭和編) ― 第49話 ― 統一教会の創設(上)

統一教会で認識しておくべきこと


1945(昭和20)年: 第2次世界大戦終了。日本はGHQの統治下に。
1947(昭和22)年: 米ソ冷戦が始まる。
1948(昭和23)年: 韓国と北朝鮮が建国。イスラエル建国宣言、中東戦争に。
1949(昭和24)年: 共産中国が建国。中国国民党は台湾へ。
1950(昭和25)年: 朝鮮戦争が始まる。1953年まで激しい戦闘。
1951(昭和26)年: サンフランシスコ講和条約・日米安保条約。日本は形式上独立。
1953(昭和28)年: スターリン暗殺。
1954(昭和29)年: ビキニでの米水爆実験で「第五福竜丸」被爆。統一教会創設。
1955(昭和30)年: 自民党結党(CIAの手引による)。

1954年、韓国で世界基督教統一神霊協会(以下「統一教会」と表記)が文鮮明により創設されました。

文鮮明(1982年)
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統一教会でまず認識しておくべきが、2022/07/15の竹下さんの記事の題名の中にある統一教会や国際勝共連合などはCIAの工作組織でしょう。CIAとは米国の諜報機関ではなく、米国支配のためのイギリス諜報機関の米国支部であるのを踏まえた上で、これは明瞭な事実と見るべきです。

文鮮明」のウィキペディア記事には、

1968年に(統一教会の)下部組織として、「国際勝共連合」を設立した

とあり、その「国際勝共連合」のウィキペディア記事の中には、国際勝共連合について、

統一教会(現:家庭連合)を母体として韓国の文鮮明を教祖としKCIAによって組織育成された

とあるぐらいです。KCIAは一口言えば、1961年に創設されたCIAの韓国支部、でよいでしょう。

また、1976年から1978年に開かれたアメリカ下院の委員会であるフレイザー委員会の報告もあります。同ウィキペディア記事では以下のようにある通りです。

この報告書は大韓民国中央情報部(KCIA)による、アメリカの関係機関への秘密工作活動について報告した。同委員会は中央情報局(CIA)機密文章を紹介し、1954年に文鮮明によって設立された統一教会は、1961年に大韓民国中央情報部(KCIA)部長の金鍾泌の指示で「韓国政府機関」として再組織され、アメリカや日本で政治工作を行っていることを明らかにした。

「統一教会や国際勝共連合などはCIAの工作組織 」は基本知識として認識しておくべきですが、このところ半ば常識になっているのが、トレンドとなったハッシュタグ「#自民党って統一教会だったんだな」、統一教会と自民党がズブズブの関係にあることです。これに伴って、次のような事柄も認識しておくべきでしょう。

  • 日本に統一教会を招き入れたと言えるのが岸信介であり、岸信介、安倍晋太郎、安倍晋三は3代に渡り統一教会とは切っても切れない仲。


  • 文鮮明の日本での盟友と呼ぶべきは岸信介は当然として、その他に笹川良一、児玉誉士夫となる。彼らが統一教会の下部組織ともされる国際勝共連合連合発足に深く関与。
  • つまり、文鮮明も彼らと同様に裏天皇グループに属していて、統一教会は白龍会に所属していた。2022/07/19の竹下さんの記事にて、創価学会と共に統一教会も裏天皇グループから既に排除されている、とあります。)

    裏天皇に仕える五龍会直属の秦氏系企業(一部)

  • また文鮮明、岸、笹川、児玉、彼らはCIA工作員として名を連ねている。


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ユダヤ問題のポイント(日本 昭和編) ― 第48話 ― スターリンの死

 1945年、第2次世界大戦は英・米・露・仏・中国等の連合国側の勝利で終了。しかし、その後早々に連合国側の中で対立闘争が起きます。1947年には米ソ冷戦・東西対立が始まったとされます。また、中国内では国民党と共産党の内戦が続き、共産党が勝利し1949年に共産中国が成立し、東西対立の東側に位置するようになります。このように地上世界は、米ソ冷戦・東西対立の構図で彩られていきます。実際に米ソは核開発・宇宙開発を巡って鎬を削る争いを演じてもいました。そのような中、1953年に米ソ冷戦の一方の雄であるはずのソ連のスターリンが死去します。
 米ソ冷戦・東西対立は自由主義思想と共産主義思想の闘争とされますが、これは形式上の見せかけに過ぎません。中身を覗けばその実態は、自由主義でも共産主義でも少数の権力者が民衆の生殺与奪権を握り、自分たちの勝手都合でその権力を振るい、民衆支配をしていたのです。いずれにしてもイルミナティによる民衆支配です。
 ただしざっくりとは、自由主義圏は裏のイルミナティつまりホワイト・ロッジ、共産主義圏は表のイルミナティのブラックロッジ側となるでしょう。彼らは敵対関係ながら裏では密約があり、手を結んでおり、その中で共産主義圏の世界は、裏のイルミナティ側の意図によって凄惨な社会実験の場にさせられていたともいえるでしょう。スターリンの死の周辺からはこういった実態が垣間見られます。
(seiryuu)
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ユダヤ問題のポイント(日本 昭和編) ― 第48話 ― スターリンの死


操作不能になったスターリン


1945(昭和20)年: 第2次世界大戦終了。日本はGHQの統治下に。
1947(昭和22)年: 米ソ冷戦が始まる。
1948(昭和23)年: 韓国と北朝鮮が建国。イスラエル建国宣言、中東戦争に。
1949(昭和24)年: 共産中国が建国。中国国民党は台湾へ。
1950(昭和25)年: 朝鮮戦争が始まる。1953年まで激しい戦闘。
1951(昭和26)年: サンフランシスコ講和条約・日米安保条約。日本は形式上独立。
1953(昭和28)年: スターリン暗殺。
1954(昭和29)年: ビキニでの米水爆実験で「第五福竜丸」被爆。統一教会創設。
1955(昭和30)年: 自民党結党(CIAの手引による)。

日本敗戦の1945年からの10年間、日本および日本の進路に大きな影響のあった主な出来事を並べてみました。

第2次世界大戦終了後の地上世界の構図となる米ソ冷戦・東西対立の始まりは、1947年の「トルーマン・ドクトリン」「マーシャル・プラン」の発表からとされます。その路線から1948年の韓国と北朝鮮の分断国家が成立したともいえるでしょう。

1960年頃のソ連の影響力の最大領土範囲

ただし、同年のイスラエル建国宣言では、ただちにイスラエルの国家承認した米国に続き、ソ連もイスラエルの国家承認をしています。この時点では、イスラエル建国に対する米ソ対立はなかったのです。むしろソ連もイスラエル建国に尽力していたのです。

当時のソ連はスターリンの独裁国家とされますが、実際にはスターリンは操作されていました。スターリンを操作していたのはスターリンの右腕とも称されたラーザリ・カガノヴィッチと、スターリンに影のごとく常に添っていたラヴレンチー・ベリヤです。

スターリン
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カガノヴィッチ
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ベリヤ
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近・現代編 第7話で見たように、カガノヴィッチはハザール王国の皇帝(カガン)の血筋、ベリヤはカガノヴィッチの従兄弟であり、彼らの関係はハザール皇帝(カガン)と執事(ビャク)の関係であったとのことです。

彼らが操縦していたスターリンが1953年3月に死去します。ベリヤによる毒殺でした。操作していたスターリンが操作不能になったのです。『ヘブライの館2』の「第二次世界大戦後に実行されたスターリンの反ユダヤ政策」記事に「第二次世界大戦後のスターリン体制最後の数年間(1948~1953年)は、ユダヤ人にとって暗黒期であった。」と指摘。この時期に生じた数々の「反ユダヤ的事件 」が挙げられています。スターリンはこの時期には、明瞭にハザール・ユダヤ、ハザール・マフィアに対する嫌悪を政策として具体化していたのです。

『新版 300人委員会[下]』p269にも、1950年時、

「命令に従え」という300人委員会の再三の要求にスターリンは屈せず、彼の言う「ワシントンの世界主義者と、ロシアを支配しようとする彼らの動き」を非難しつづけた。

ともある通りです。

1950年時点でスターリンは、“闇の権力”(カバール、300人委員会)からの排除の対象になりつつあったのです。また、特に毒殺実行者のベリヤには、差し迫った状況があったのです。


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ユダヤ問題のポイント(日本 昭和編) ― 第47話 ― 日本独立?

 吉田元首相に続く、戦後2回目となる安倍元首相の国葬が大問題となっています。当然です。他にもありますが、主には国益(日本国民の利益)に反することばかりしてきた人間の国葬だからです。ただしアベシだけではなく、先の吉田茂の国葬がそもそも全くおかしいのです。
 吉田茂は関東軍が中国大陸侵攻するのを後押しをし、戦時中は日本の機密情報を米国に流し、あまつさえ原爆の日本投下を誘導した人物です。日本国民が大量に死亡し、日本の国土が焦土と化する、この誘導を行ったのが彼です。その彼は、戦後は長く日本国首相を務めます。その中で日本が独立とは形式の名ばかりで、現実には、米国に隷従していく今日にまで続く路線を敷いたのが彼でもあります。
 その米国に隷従し、自身は利益を得るという路線に乗っかったのがアベシでした。吉田元首相、安倍元首相の国葬はどちらにしても「皆殺しのルメイ」を叙勲するのと同一の文脈です。国民を殺し傷つけ疲弊させ、国益を差し出す者こそが称賛されるという倒錯の文脈です。
 ただし、勿論悪魔崇拝に完全支配されるようになった米国相手に交渉をする困難さという一面は分かります。…情状酌量の部分も否めない…それでも倒錯の現実は変わらず、それで行為が肯定されるわけでもないでしょう。日本における倒錯の現実を変えるには、日本民衆がその現実をあるがままに認識していくことからでしょう。
 今回は、戦後から今日に至る路線を孫崎享氏の『戦後史の正体』を参考文献として見ていきます。
(seiryuu)
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ユダヤ問題のポイント(日本 昭和編) ― 第47話 ― 日本独立?

日本統治の路線変更と確定


  • 「主権在民? 民主主義? 日本国憲法? …そんなもの知ったことかクソ喰らえ! 民衆などすぐに記憶喪失するバカの烏合、騙して黙って従わせればそれでいい。
  •  憲法などは邪魔だから、“緊急事態条項”を盛り込んで憲法の中身を骨抜きにすれば良い。
  •  まずは米国から出される指令を最優先にして…」

この十数年、こういった政府姿勢が誰の目にも明瞭になっていった現在日本。この現在日本に繋がる基本路線を確定させたのが1950年に始まった「朝鮮戦争」と言えるでしょう。『戦後史の正体』p98に、

朝鮮戦争が起こり米国の対日政策の変化が確定します。米国は日本に経済力をつけさせ、その軍事力も利用しようと考えるようになりました

と示されている通りです。

1945年から始まったGHQによる日本統治、ただし、その日本統治は僅か数年の間に全く相反する2つの路線が現れたのです。そして、戦後日本に施行される路線の確定をさせたのが朝鮮戦争だったのです。

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この2つの路線とその変化は『戦後史の正体』をもとに、植草一秀氏の『知られざる真実』に今年8月19日の「はしご外された右翼の人々」の題にて、以下のように要点がまとめられています。

1947年以降、米国の対日占領政策の基本路線が転換した。1947年は日本国憲法が施行された年。
日本国憲法は転向した米国にとって鬼子の存在だった。
日本国憲法を生んだ米国と1947年以降の米国との間に大きな断絶がある。
対米従属主義者が日本国憲法を敵視し、戦後民主主義支持者が日本国憲法を尊重する理由がここにある。
敗戦直後の1945年から1947年にかけて一気呵成に日本民主化が断行された。
日本民主化を主導したのはGHQ・GS=民政局。
しかし、1947年に米国の外交政策路線が転向した。「ソ連封じ込め」が米外交政策の基本に据えられた。
連動して米国の対日占領政策の基本が転向した。GHQの主導権がGSからG2=参謀2部に移行。
参謀2部を取り仕切ったのがウイロビー少将である。ウイロビーと結託したのが吉田茂氏であり、岸信介氏はウイロビー少将の強い働きかけにより戦犯容疑者から釈放されたと見られる。
GHQは日本民主化を中止し、日本非民主化、日本再軍備化、日本反共化を推進した。

『戦後史の正体』では、「無条件降伏」の日本はGHQ最高司令官ダグラス・マッカーサーの命令どおりにする以外になかったこと、そのダグラス・マッカーサーは日本の民主化と共に特に「非軍事化」を再重視していたことが指摘されています。これは、米国が米ソ東西冷戦にて外交政策路線が転向した後も基本はそうだったようです。

ところが、朝鮮戦争にてそのダグラス・マッカーサーは1951年4月に罷免されます。これは、マッカーサーが進めた「①非軍事化 ②戦争犯罪人の処分 ③民主化の最優先」(p112)を軸とした日本占領政策の終わりを意味していたとも指摘されています。

退任演説を行うマッカーサー(1951年)
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朝鮮戦争によるマッカーサー罷免が決定打になって、植草氏が記すように「GHQは日本民主化を中止し、日本非民主化、日本再軍備化、日本反共化を推進」。これは現在に至る日本の対米従属路線そのものです。


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