日本近代史の真相
陸軍の裏側を見た吉園周蔵の手記
落合 莞爾
近代史の核心に触れる第一級資料
『陸軍特務吉薗周蔵の手記』は、元帥上原勇作付の陸軍特務吉薗周蔵が自らの経験と見聞を記した手記を、ある月刊誌のために落合が解読して解説を加えたものである。
(中略)
周蔵の血筋はしかし、吉薗家代々のものではない。
父は吉薗家のギンヅルが生んだ公家堤哲長の子で、吉薗林次郎と称した。
(中略)…母のキクノは隼人系の
木下家から嫁いできたが、その母系は未詳である。
(中略)
周蔵の人生路線の始点は、時の陸軍大臣上原勇作との関わりである。その路線を敷いた
祖母ギンヅルのことは今日まで全く世に
知られてはいないが、大正・昭和初期の
陸軍を二〇年にもわたって支配した上原元帥の叔母に当たり幼少から育てた上原を通じて日本近代史を裏から動かしていた人物なので、ここにその背景を詳述しておきたい。
ギンヅルは天保七年(一八三八)に生まれ、昭和六年(一九三一)に他界した。
父は都城藩士の
四位次兵衛
昌張、母は後妻の
岩切氏(名不明)である。
(中略)…岩切某女は、双子の女児を生んだため畜生腹として四位家を逐われ、妹娘のツルを抱いて入水を遂げた。
(中略)… 六歳になった天保一二年(一八四一)、
ギンヅルは吉薗喜佐に嫁入りする叔母岩切某女の連れ子と成り、喜佐夫妻
の養女となった。
(中略)…
翌年、弟の萬助(一八四二~一九〇一)が生まれた。
(中略)…吉薗家に居づらかった
ギンヅルは、自ら志し、
一五歳にもならぬ身で単身京に上り、実家岩切氏の縁を辿って京の薩摩屋敷に出仕した。
(中略)…そこで公家の堤哲長と知り合う。直ぐに哲長の妾となったギンヅルは薩摩藩邸を出て京の市中に一家を構えた。
(以下略、続きは引用元でご覧下さい)
そこで、この動画のようにスタジオで月面着陸の映像を作り、本物の映像は人々に提供せず、スタジオ映像をまるで中継画像であるかのように放送したわけです。
全世界の人々を騙したと言って良いでしょう。このように、人類は支配層に常に騙されバカにされているわけです。