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インドのナレンドラ・モディ首相の日本訪問については、日印両国で、また世界で、今後も長く議論がなされるだろう。ロシア戦略研究所のボリス・ヴォルホンスキイの見るところでは、どうやらアジア太平洋地域には新たな安保構造、協力構造が創設されようとしている。それは今後10年間のアジアの行く末を決定するものとなるはずだ。
インド首相が日本訪問のなかで行ったことの数々、また、ナレンドラ・モディ首相と安倍晋三首相が今回結んだ合意の数々を単純に列挙すれば、それだけで途方もなく長いリストになる。中でも、インド首相が古い仏教寺院を訪問したこと、インド首相が日本の首相にインドの歴史や哲学についての本を贈呈したことは、象徴的な意味合いを持つだろう。
日本訪問がどのような雰囲気のもとで行われたかを知るには、インド首相が発した次のフレーズがよい手がかりとなるだろう。
モディ首相は決然と述べた。一部の国家の「拡張主義的政治」に反対する、と。具体的な国名は示されなかったが、ウォッチャーならふつう、中国を指したものとこれを解するだろう。インドも日本も対中関係で問題をかかえている。
ところで、
中国の「拡張主義」に対抗するために、いま米国が、同盟国としてのインド・日本を大きく見直し始めている。
しかし、米国のこの方針が大成功を収めるとは考え難い。長らくアジアにおける米国の最重要同盟国と考えられてきた日本でさえ、このごろ頻繁に、その役割を重荷と感じている素振りを見せている。
たとえば日本の外交官たちはロシアの公人や政治学者らとの懇談で、米国のアンチ・ロシア制裁キャンペーンに加わることを余儀なくされたことについて、何度も頭を下げていた。
米国の外交方針は、インドではなおさら、不首尾である。8月初頭に米国の3閣僚がデリーを訪れ、また今月、モディ・オバマ印米首脳会談が予定されているとはいえ、二国間関係における諸々の問題はまだ片付いていない。
インド首相の拡張主義批判は、中国と同時に、米国にも向けられていたと考えることも可能だ。
形成過程の日印同盟、これは、米中によるグローバルな競争に直接的には参加していない国々による、
新たなる「力の中心」を打ち立てようとする試みなのだ。この国々には、それぞれ独自の利害があり、米中の思惑と必ずしも常に一致はしない。そして、
この新たなる力の中心は、それを構成する国の利益のみを考慮するのであって、局外のプレイヤーとは独立である。
インドと日本の間にいま架けられようとしている「橋」は、ひとつの求心力となり、アジアの
外部からアジアに強制されるお仕着せの政治方針から自らの国益を損ねることなく
抜け出すための、アジア諸国にとってのひとつの
模範となるかも知れない。
これらの人脈と下の記事を見ると、日本はこの手の連中に乗っ取られているのではないかという気すらします。しかも不正選挙であったことを考えると、これはクーデターだと言っても良いのかも知れません。状況は違いますが、まるでウクライナのキエフのナチ政権のようで、背後に居る連中がネオコンだとすれば、これは当然なのかも知れません。
日本の国会議員が、ナチスの旗を掲げる連中の代表と一緒に写真に写っている姿を見ると、信じられない思いがします。しかし、ネオコンや日本を牛耳っている戦略国際問題研究所(CSIS)が、実質的にナチスだと言ってよい存在なので、彼らの言いなりである安倍政権がこのような姿であるというのは、ある意味で必然なのかも知れません。
ウクライナのキエフ政権を支持する市民が、東部の親ロシア派の人たちをウクライナ軍が攻撃するのを支持したように、極右政権が将来韓国人あるいは共産主義者と見なした人間を弾圧し始めた時に、多くの国民はそれに拍手するのでしょうか。民族、人種、そして右翼、左翼という区別ではなく、罪を犯している者が裁かれるべきなので、他人に左翼などのレッテルを勝手に貼り付けて攻撃をするということ自体が暴挙だという事に、どうして多くの人は気づかないのでしょう。
経済事情が悪くなると不満を内に溜めた人々が増えることから、より弱い立場の人をスケープゴート(生贄)にしてうっぷんを晴らす人々が出てくるのは必然なのですが、政府の策略に見事に乗せられてしまっているのです。このような愚かな行為をするべきではありません。