’Plandemic’ Full Documentary (約26分)の(0分~4分あたり)の意訳
マイコヴィッツ博士(分子生物学者 / 医学研究者)は、博士の世代で、最も成功した科学者の一人です。マイコヴィッツ博士の1991年の博士論文は、HIV / エイズの治療に革命をもたらしました。マイコヴィッツ博士はキャリアの絶頂期に、雑誌サイエンスで大ヒット記事を発表しました。この論争を呼ぶ記事は、動物や人間の胎児の組織の一般的使用が、慢性疾患の破壊的な疫病を解き放していたというもので、科学界に衝撃波を流しました。博士が致命的な秘密を暴露したため、多くの大手製薬会社は、マイコヴィッツ博士の評判、キャリア、私生活を破壊し戦争を仕掛けてきました。国家の運命が危うい今、マイコヴィッツ博士は、すべての人々の命を危険にさらしている汚職という疫病の背後にいる人物の名前を挙げています。
M : ミッキ・ウィリス(2児の父親 / 映画製作者)
Dr.: マイコヴィッツ博士(分子生物学者 / 医学研究者)
M :「あなたは、合意されていたストーリーと矛盾する発見をしたのですね?!」
Dr.:「はっはぁ~(笑)そうです!」
M :「そのため彼らはあなたの人生を破壊するために、彼らができる事はすべてしたのですね?」
Dr.:「そうです。」
M :「あなたは逮捕されていたのですか?」
Dr.:「そうです。」
M :「そして、あなたは発言禁止命令下にあったのですか?!」
Dr.:「この5年間、もし私がソーシャルメディアで少しでも何かを発言したら、彼らは新たな証拠を見つけて、私を刑務所に戻しました。はじめて証拠がないことが知ったとき、私はあまり泣いたことがないのですが、そのときばかりは泣きました。強制的なパワーを利用し(私のように)クレジットカードのスコアが完璧な人を無理やり破産に追い込むことで、私たちが全く無罪であることを証言しなければならなかったトニー・ファウチ、イアン・リプキン、公衆衛生やHHS(保健社会福祉省)のトップらを含む97名の証言者を連れてくることができないようにしたのです。」
M :「それであなたはどんな容疑をかけられたのですか?」
Dr.: 「容疑は何もなかったのです。」
M :「でもあなたは刑務所にいましたよね?」
Dr.:「私は何の容疑もなく刑務所にいました。私は法から逃げている逃亡者と呼ばれていました。令状なしで、文字通り私を家から引きずり出し、近所の人はそれを見ていました。令状なしに私の家を家宅捜査し、実際に私の夫を5日間脅しました。あのノートが見つからなかったら、あの資料が見つからなかったらと。。。それらは私のものではなく、彼らが私の家に忍び持ち込んだものだったのです。」
M :「まるであなたが研究室から知的財産を奪ったかのように?!」
Dr.:「そうなんです。まるで私が研修室から機密資料の名前と知的財産を奪ったかのように見せたものでした。私は無実であることを確実に証明できます。HHS(保健社会福祉省)のトップらは共謀し私の評判を破壊し、司法省とFBIはその事件を伏せ封印しました。封印とは、その事件があったということが言えなくなり、さもないと弁護士らは法廷侮辱罪を課され、自分を弁護してくれる弁護士もつけられなくなり、ありとあらゆる正当な法的手続きの権利が奪われました。そして未だに同じ状況が続いています。私には憲法で保障された自由や権利が一切ありません。
M :「でも、あなたはここに座っていて。。。」
Dr.: 「はっはっは(笑)」
M :「おそらく多くの人は早期退職し、身を隠すのではと思うのですが、あなたは発言禁止命令が解除された時点で、科学への信頼と希望を取り戻すために「汚職という疫病」という本を書き、世に出てきて(悪人らの)名前を暴露しています。」
Dr.:「全くその通りです。」
M :「どうやら彼らがあなたを沈黙させようとした試みは失敗したようですね。では、ちょっとどうしてもこの質問をさせてください。あなたは、このビルを出るときに命の心配をすることもなく、ここに自信を持って座り、これらの偉大な権力者らに決闘を申し込んでいますが、どうやったらそんなことができるのですか?」
Dr.:「今、私たちがこれを止めなければ、私たちの自由のもとにある共和国を忘れてしまう可能性があるだけでなく、人類をも忘れてしまう可能性があるからです。なぜなら私たちはこの陰謀に殺されてしまうから。。。」
(By popoちゃん)
他方、日本にはホワイト・ロッジに所属する裏のイルミナティの高位者はいなかったことを竹下さんはコメントされています。これに対し表のイルミナティ、ブラック・ロッジの強い影響下に日本はありました。
具体的には、ブラック・ロッジの武闘組織であるイエズス会が侵入し、バテレン大名も広がり、危うく日本が乗っ取られそうな段階にまできたこともあります。
それでいわゆる鎖国体制を引いたのですが、その状況下に貿易をしていたオランダ東インド会社、アムステルダムを本拠とするオランダ東インド会社もまたブラック・ロッジを主力とする組織でした。
明治維新は英領日本の完成で、英国女王を代表とする300人員会の管轄下に日本が入ったことを意味します。しかし、実際に明治日本の骨組みづくりを指導していったのは、イエズス会の別働隊のカルヴァン派のグイド・フルベッキでした。実際に日本の運営管理を担ったのはイエズス会とも見て取れます。
日本はホワイト・ロッジの関与があった反面、ブラック・ロッジの強い影響下にあったのですが、なぜ日本にブラック・ロッジの強い関与が絶えずあったのか? その原点は645年の「乙巳の変」の主役である藤原鎌足に、そして鎌足の子孫である藤原氏による日本支配に求められそうです。
通史はともかく、藤原鎌足が「百済の皇子の扶余 豊璋である」との説は、幾人の方も唱え、多くの同意もあります。鎌足は豊璋で間違いないでしょう。
ところがもっと重要なことがあったのです。実は鎌足はブラック・ロッジの首領だったことが竹下さんによって明かされています。その鎌足の子孫の藤原氏が朝堂を独占し、日本を牛耳ったのです。おまけにその藤原氏をホツマの武神である武甕槌命(タケミカヅチノミコト)が守護したのです。
日本がブラック・ロッジの強い影響下に晒されるのは必然だったと言えるでしょう。