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伊藤詩織さん勝訴!山口敬之に330万円賠償命令 ~性行為に「同意はなかった」ことが認められた

竹下雅敏氏からの情報です。
 伊藤詩織さんが、元TBS記者の山口敬之を訴えた裁判で、勝訴。裁判長は330万円の支払いを命じたとのことです。とりあえず安堵しました。しかし、安倍政権が続く限り、上に行くほどひっくり返される可能性が高くなるので、気が抜けません。当たり前の判決が確定するためにも、安倍政権には早々に退いてもらって、政権交代を実現しなければならないと思います。
 要点は、性行為に「同意はなかった」ことが認められたということらしいのですが、山口敬之はこの判決に「まったく納得できない」として控訴するようです。しかも、彼にすれば、詩織さんの方が自分をはめた犯罪者という認識らしい。ここまで正邪が逆転すると、違う宇宙に住んでいるのではないかとすら思ってしまいます。
 気になるのは、記事の中で「山口敬之さん」となっていること。山口敬之は、「私は伊藤詩織さんを虚偽告訴と名誉棄損で刑事告訴しています…伊藤詩織容疑者と書いていただきたい」と記者会見で語ったようです。
 山口敬之が正直者か嘘つきかは、尾張おっぺけぺーさんの動画をご覧になると即座にわかります。動画を見て驚くのは、「誰も見たことのない谷FAXを使い出鱈目嘘解説」を平気で行う様子です。
(竹下雅敏)

注)以下、文中の赤字・太字はシャンティ・フーラによるものです。

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元TBS記者に賠償命令 伊藤詩織さん勝訴
配信元)
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伊藤詩織さん勝訴 「性暴力被害」裁判、山口敬之さんに330万円賠償命令
引用元)
(前略)
ジャーナリストの伊藤詩織さんが、元TBS記者のジャーナリスト・山口敬之さんから性暴力被害にあったとして、慰謝料など1100万円の損害賠償を求めた訴訟の判決が12月18日、東京地裁であり、鈴木昭洋裁判長は330万円の支払いを命じた。
(中略)
判決は、山口さんの供述について「不合理に変遷しており、信用性には重大な疑念がある」と指摘。伊藤さんの供述から、山口さんが合意のないまま性行為に及んだと認定した。
 
また、伊藤さんがおこなった記者会見などについて、山口さんは名誉毀損だとして反訴していたが、「公共性および公益目的がある」との判断を示した。
 
地裁では、伊藤さんの記者会見での発言などで名誉を毀損されたとして、山口さんが伊藤さんに1億3000万円の損害賠償と謝罪広告を求めた訴訟も併合して審理されたが、山口さんの反訴は棄却された。
(以下略)
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配信元)





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日本軍にアジアの金塊を略奪させた理由は、金塊を埋蔵し、米ドルを不換紙幣に移行するため!〜 発掘され「秘密の宇宙プログラム」の財源になった金塊!

竹下雅敏氏からの情報です。
 「1966年、フィリピンのマルコス大統領は欧米から違法な手続きでM1に“任命"され、その地位を1986年まで占めた」わけですが、この間の1971年8月に、ニクソン・ショックが起こりました。それまでは“金と交換できる唯一の通貨がドル”であり、基軸通貨ドルの裏付けとなる金(ゴールド)は、ドラゴン・ファミリーが米国に預けたものでした。アメリカ以外の国は、貿易でドルを得て、それを金に交換します。米国の金の保有量が減ってきたため、“米ドル紙幣と金の兌換を一時停止”せざるを得なくなったわけです。
 アメリカは、基軸通貨の地位を守るため、サウジアラビアと密約を交わし、石油をドルのみで売る代わりに、米軍が王室を守ることになったわけです。このことで、ドルは不換紙幣になりました。
 ニール・キーナン氏によれば、これこそが、日本軍にアジアの金塊を略奪させた理由だということです。金塊が埋蔵され、表に出なくなってしまったために、不換紙幣にせざるを得なくなったわけです。また、そうなることで、銀行はいくらでも通貨を発行することができるようになり、株式市場は博打場に変わりました。
 しかし、インドネシア、フィリピンなどに埋められた金塊の発掘作業は秘密裏に進められていたようです。フィリピンのマルコス大統領は、そうした金塊の一部を密かに入手したらしい。しかしアメリカにクーデターを仕掛けられ、すべての金塊を持って行かれました。アメリカに奪われた金塊は、その後、ソ連を崩壊させる工作に使われたようです。
 その後も、発掘作業は進められ、最終的には「黄金の百合」作戦で埋められた金塊の75%以上が掘り出されたようです。吉備太秦は、80%が掘り出されたと言っていたように思います。
 これらの金塊は、あくまで私の直観ですが、日本、カナダ、ニュージーランド、パラグアイ、旧満州に持ち込まれ、隠されたのではないかと思います。
 ディビッド・ウィルコック氏の情報などを考慮すると、これらの金塊は、「秘密の宇宙プログラム」の財源になったと思われます。
(竹下雅敏)

注)以下、文中の赤字・太字はシャンティ・フーラによるものです。

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金塊の歴史年表4:本物のM1(口座管財人)を排除し、偽M1にすげ替えたCIA
転載元)
(前略)

Kグループ 15/12/22付け

(中略)

1966年、フィリピンのマルコス大統領は欧米から違法な手続きでM1に“任命"され、その地位を1986年まで占めた。(中略)... 【しかし5.04~6.03の政権転覆工作などにより】全世界の金塊や金貨の供給が引き揚げられ、連邦準備不換通貨が出回るのが通常となってしまった。
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ニクソン・ショック
転載元)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

ニクソン・ショック(ドル・ショック)とは、1971年8月15日日本標準時1971年(昭和46年)8月16日アメリカ合衆国連邦政府が、それまでの固定比率(1オンス=35ドル)による米ドル紙幣と兌換を一時停止したことによる、世界経済の枠組みの大幅な変化を指す。当時のリチャード・ニクソン大統領がこの政策転換を発表したことにより、ニクソンの名を冠する。

ショックと呼ぶのは、それまで金と交換できる唯一の通貨がドルであり、それ故にドルが基軸通貨としてIMF(国際通貨基金)を支えてきたのがブレトン・ウッズ体制であったが、ドルの金交換に応じられないほど米国の金保有量が減ったことにより、戦後の金とドルを中心とした通貨体制を維持することが困難になったこと、そしてこの兌換一時停止は諸外国にも事前に知らされておらず、突然の発表で極めて大きな驚きとともに、その後世界経済に大きな影響を与えたことによる。
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[新しい明日 ]パート2:簿外の闇経済史 〜日本軍によってフィリピンに隠された通称「山下財宝」を
(前略)

フェルディナンド・マルコス元大統領
Wikimedia_Commons [Public Domain]

(中略)

フィリピン大統領官邸マラカニアン宮殿の中に隠された金塊の山は、アメリカが自由に利用できるようにならなければならない。そこで、革命の種が蒔かれ、当時自分たちの大統領として君臨していた男に反旗を翻すよう、大衆は煽動されたのだ。

本【シーグレーブ夫妻の『Gold Warriors (金塊の侍たち)』】によると、

「市街に人々の抗議の声が溢れ返るようになった頃、(CIAのスパイ、ウィリアム・)ケイシーは財務長官の(ドナルド・)リーガン、CIAの経済学者フランク・ヒグドン教授、そしてローレンス・クリーガー弁護士と共にマニラへ飛んだそうだ。マルコス側の側近の一人によると、会合の目的はマルコスに73,000トンの金塊を引き渡すよう説得することだったという。(中略)... その頃には、マルコスはマラカニアン宮殿の中に事実上包囲されていた…マルコスは音を上げ、アメリカ空軍のヘリで救出してもらう代わりに“彼の"金塊を差し出した。

(以下略)

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ユダヤ問題のポイント(日本 明治編) ― 第10話 ― 英領中国に

 「英領日本」、これは日本人には受け入れがたいものでしょう。しかし、中国がイギリスの植民地であったと言えばいかがでしょうか?
 インドは英国女王がインド皇帝になっていますから、表向きにもはっきりと英領でした。中国は表向きその全土は英領とはなっていません。しかしアヘン戦争等で敗戦し、散々蹂躙され、収奪され、主権を奪われているので、実質的にはイギリスなどの植民地であったことには否定されないででしょう。
 中国とは異なるとはいえ日本も同じような部分があり、日英修好通商条約が英領日本に当たる条約になっていると思っています。
 「本物黒酒」さんが提示されたそれを示す資料、1874年8月11日英国官報「英国女王陛下は、«中略»と日本の帝の領土における権限と管轄権を過去も現在も持っている」
 この «中略» 部分ですが、英国官報のガゼット紙の該当部分「Mikado of japan」の前に「Enperor of China」とあります。つまり正式には「英国女王陛下は、中国皇帝と日本の帝の領土における権限と管轄権を過去も現在も持っている」となるでしょう。
 1858年の日英修好通商条約締結の直前に、清国がイギリス側と締結させられた条約があります。天津条約です。英側からすれば天津条約と日英修好通商条約は、連動というかセットになっているのでしょう。別名「第2次アヘン戦争」ともいわれる英側から仕掛けられたアロー戦争によって天津条約が結ばれているのです。
 アロー戦争でイギリス軍を率いて天津条約を結ばせたのがジェイムズ・ブルース(エルギン伯爵)です。ジェイムズ・ブルースがその直後に軍艦を率いて江戸にやってきて、日英修好通商条約を結ばせているのです。
(seiryuu)
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ユダヤ問題のポイント(日本 明治編) ― 第10話 ― 英領中国に


仕掛けられた「第2次アヘン戦争」〜不法でっち上げのアロー号事件


すでにアヘン貿易で中国から富を収奪していたイギリス東インド会社(後の300人委員会)は、1839年に勃発させたアヘン戦争にて中国を蹂躙し、アヘン貿易等にてさらなる暴利を貪っていきます。アヘン戦争で香港島を英国女王に割譲させてもいます。

中国におけるインド産アヘンの輸入量の推移
Author:Philg88 [CC BY]

編集者註:グラフでは1835年以降アヘンの輸入量が急増。それに伴い、清とイギリスの間で1840年から2年間にわたり行われたのがアヘン戦争。
1856年から1860年にかけて、再び清とイギリス・フランス連合軍との間でアロー戦争(第2次アヘン戦争)が勃発。1860年の北京条約締結以降、一層アヘンの輸入量が増加。

アヘン戦争の主体者は大英帝国ではなく、悪魔崇拝海賊会社イギリス東インド会社のオーナーたちです。イギリス東インド会社のオーナー ≒イングランド銀行のオーナーでもあります。

幾度も見てきたように、1600年台をかけて英国は悪魔崇拝の海賊団たちに乗っ取られています。英国という国家の上に悪魔崇拝の海賊団が位置していて、彼らが世界中を植民地支配してきて、現地人の生き血を貪ってきたのです。

pixabay [CC0]
pixabay [CC0]
Wikimedia Commons [Public Domain]

香港島が英国女王に割譲されていますが、英国女王は悪魔崇拝海賊団の仲間であり、彼らの看板としての代表なのです。従って香港島の割譲にしても、英国女王を代表として悪魔崇拝海賊団が香港島を収奪しているのです。悪魔崇拝海賊団の大ボスの一人がロスチャイルドということでもあります。

アヘン戦争からの暴利、しかし彼らはこの莫大な収奪にも満足できていなかったのです。彼らは中国に当時の清朝に武力行使を仕掛ける機会を常に窺っていました。戦争に持ちこみ、さらなる収奪を加算できる条約締結を目論んでいたのです。そのような状況下に都合よく?中国で1851年大農民反乱「太平天国の乱」が起きます。これで1853年には南京を占領するなど中国内での独立国家を設立したのです。

この非常事態の対応に苦悶する清朝、イギリス側はこれを武力行使の絶好の好機と捕らえます。1856年にでっち上げの言いがかりのいちゃもんにて戦争の口実を作り上げます。これがアロー号事件です。アロー号事件を口実にイギリス側が清朝に卑劣に仕掛けた戦争がアロー戦争です。

アロー戦争とは別名「第2次アヘン戦争」です。イギリス軍を率いる司令官はジェイムズ・ブルース(エルギン伯爵)でした。またイギリス側はフランスのナポレオン3世に共同出兵を求め、英仏連合軍として清国に襲いかかり蹂躙したのです。

ジェイムズ・ブルース(第8代エルギン伯爵)
Wikimedia Commons [Public Domain]

なお、1858年に日英修好通商条約の前に日米修好通商条約が締結させられていますが、交渉に当たった米側のタウンゼンド・ハリスが江戸幕府を強請るネタに用いたのもこのアロー戦争だったのです。英国、米国、フランスなど国名は違いますがみんな「お仲間」と見たほうが早いでしょう。海賊団の仲間です。

さて、ジェイムズ・ブルースらが率いる連合軍は1857年末には広州を占領し、この地方の総督兼皇帝の特命大臣を捕縛します。そして翌1858年、再び北上して天津を占領し、清国に天津条約を締結させたのです。この締結直後にジェイムズ・ブルースが返す刀で艦隊を率いて江戸に襲来し、日本側に締結させた条約が日英修好通商条約だったのです。

江戸幕府と条約交渉を行うエルギン伯
Wikimedia Commons [Public Domain]

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実際の「1921年国家間条約」は、ウォルター・ロスチャイルド、エドゥアール・ド・ロチルド、ジョン・ロックフェラー、そして堀川辰吉郎との間の合意だった ~金塊を略奪することが戦争の目的

竹下雅敏氏からの情報です。
 延々と金塊の話をしているのは、新金融システムへの移行に際して、「世界を動かす本当の金融の仕組み」を知らなければいけないからです。ようやく、「金塊の歴史」に関する大きな流れがわかってきました。その内容をお伝えするために、これまでに時事ブログで紹介された記事を編集しています。
 冒頭の記事では驚くべきことが書かれており、冒頭の数行が事実だとすると、先の大戦で、日本と英国、米国は裏で手を結んでいたことになると思います。ただ、この記述ではフリーメーソンの陰謀だったという話になりますが、ここに出てきている人物は、みな操り人形だったと思います。
 実際の「1921年国家間条約」は、彼らの背後にいたウォルター・ロスチャイルドエドゥアール・ド・ロチルドジョン・ロックフェラー、そして堀川辰吉郎との間の合意だったと思います。おそらく、堀川辰吉郎はロスチャイルド家の血が入っており、合意に従って、金塊を略奪することが戦争の目的だったはずです。
 記事によると、“自分たちの金銀財宝が掠奪されていく”のを恐れたアジアの王族たちが、財宝をアメリカに預けたということで、記事から読み取れるその財宝の量は、“約200万トンの金塊”のようです。
 日本軍はアジアから金銀財宝を略奪し、主にインドネシア・フィリピンに埋めたのですが、私の直感では、おそらく600万トンを下らない量ではないかと思われます。
 最大の争点は、この日本が略奪した金塊の所有権が誰にあるのかだと思います。板垣英憲氏の情報源である吉備太秦や張勝植氏などは、金塊の所有者は「神」であって、金塊は誰のものでもないというスタンスのようです。しかし、その金塊の管理権、運用権、使用権は「選ばれた者」にあると考えているようです。
 しかし、ドラゴンファミリーがこの主張を受け入れているようには見えません。ニール・キーナン氏の発言などを見ると、これらの金塊の85%はドラゴンファミリーのものであると言っているように見えます。
 ここの部分の折り合いがつかない限り、新金融システムはなかなかうまく始動しないように見えます。私たち庶民からすれば、誰が所有者でも、はっきり言って関係ありません。人類のために正しく運用してくれる人であれば、誰でもいいわけです。
 しかし、金塊の歴史がここまで隠蔽されていると、誰が正しいことを主張しているのかがわかりません。知っている人が何も語らない、あるいははっきりしたことを語らないのでは、先へ進めません。
(竹下雅敏)

注)以下、文中の赤字・太字はシャンティ・フーラによるものです。

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金塊の歴史年表2:アメリカ合衆国の乗っ取り完成編/東洋の金塊ぶんどり編/世界の乗っ取り着手編
転載元)
(前略)
Kグループ 15/12/22付け
(中略)
1921年に日本の昭和天皇はイギリスのジョージ五世国王やウォレン・ハーディング米国大統領、フランスのジョルジュ・クレマンソー首相(全員がフリーメーソン)と会うためにロンドンへ飛んだ。(中略)… 日本は「1921年国家間条約」で昭和天皇が当初合意した内容に沿って、金塊の大半を1924年から1945年の間に日本が建設したインドネシア(当時はオランダ植民地)やフィリピン諸島(当時はアメリカ植民地)の秘密の掩蔽壕の中へと運び込んだ。
(中略)
1927年から1938年の間、宋子文(中国の財務大臣)とヘンリー・モーゲンソウ(アメリカ合衆国財務長官)との間で交わされた取決めにより、アメリカは蔣介石率いる国民党政権の中国から5000万オンスの銀を購入し、大量の金を借りている。
(中略)
この当時、中国は部分的に日本軍によって占領されており、中国側は国土を蹂躙されることを怖れていた。中国から届けられた貴金属に対して、中国とアメリカの間で交わされた極秘の合意により証明書が発行された。この証明書はまずは1928年の債券、そして【後述する】1934年の連邦準備券という形で、国民党政権の原資産となり、台湾の中国国民政府を経済的に延命させる手段となった。
(以下略)
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[Kグループ社]複数の国際担保口座と、それを解放しようとするキーナン氏の活動に関する簡単なまとめ 【第一弾・後編】
転載元)
(前略)
Kグループ社 13/6/8
二ール・キーナンとは何者か?そして、口座との彼の関連は?
(中略)
キーナン氏は現在インドネシアに滞在し、口座資産の大半に対する権利を継承しているインドネシアの長老たちや中国人担当者たちとの合意を詰めている最中である。
(中略)
ここでいきなり「中国人」が登場するのは、戦後台湾に移った中国国民党政権下の1928年と1934年にルーズベルト大統領の命令で巨額の連邦準備券や連邦準備債券が発行されたため。

(実際の連邦準備券。額面額がほんとに巨額…左から1億ドル、5億ドル、そして10億ドル。金と同じくらい貴重なのに償還できた試しが殆どない。大概はニセモノとして取り上げられて投獄されるか、銀行に申請した後になぜか盗難に遭って紛失する模様。)

第二次世界大戦の開戦以前から、日本軍の掠奪と戦争が避けられないことを察知していた蒋介石が国の資産を、そして中国全土の富豪たちもその個人資産を、スイスUBSや国際決済銀行を経由して連邦準備制度理事会に安全確保のために大量に預けたという証書である。

アメリカから代わりに渡された準備券や債券は、戦火を免れるためにフィリピン諸島などに隠された(ここら辺が黄金の百合作戦と似ている)。加えて1968年と1998年にも、それまでの利息を支払う代わりにケネディ債券が譲渡された(1998年のAシリーズは、1968年のZシリーズとの交換だったらしい)。←ケネディ債券を含む全ての債券は年4%の利回りなので、何にせよ利息だけでとんでもない額になる。

(上の巨額債券がまとめて収められてある箱の一部)
 
多くの債券を所有し、加えて国民党の債券の警護を任されたのが、共産党の中国本土や台湾政府の上に存在する秘密結社ドラゴン・ファミリー(1つの家系なのではなく、中国や台湾に散らばる様々な裕福な家系の集合体。東洋の結社は基本的には西洋と異なり、血縁ではなく実力重視で運営されているそう)。現在そのトップはハーン将軍なる人物で、もう一人の重要人物はウォン・ロン・ショウ将軍。後者は中国皇帝とも目されている。

「中国の鉄の女」と評される呉儀女史(2007年に副総理まで登り詰めた後に引退し、表舞台から姿を消している)も、ドラゴン・ファミリーを代表する一人だそう。
(以下略)

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世界発展のために使われることはなく、IMFによる国家の破壊と略奪、そして戦争経済を回すことに用いられた「M資金」

竹下雅敏氏からの情報です。
 Yutikaさんが翻訳した「金塊の歴史年表」から記事を編集しました。冒頭の記事によると、“日本とナチスが掠奪した財宝は、42か国の172の影の口座に振り分けられ…これらの中で一番大きな口座の1つが、「M資金」と呼ばれたもの”だということです。こうした「国際担保口座群」を監視し運用する任に就いたのが、インドネシアのスカルノ大統領だということです。
 スカルノ大統領は、デヴィ夫人とセットで覚えてください。 Wikipediaによると、1959年、デヴィ夫人が19歳の時に「東日貿易の秘書」という名目で、スカルノ大統領のもとに送り込まれたとのことです。この一件に児玉誉士夫が関わっていたということなので、日本の裏社会から、秘密の簿外資金の口座管財人(M1)であるスカルノ大統領へのプレゼントだと考えたらよいのでしょうか。デヴィ夫人の経歴を見る限り、スパイとは考えにくいからです。
 この「国際担保口座群」は、“世界発展のために資金を使用”するはずだったのですが、連邦準備制度を支配する者たちは、この約束を守らなかったようです。
 1963年、ケネディ大統領とスカルノ大統領は、アメリカ財務省が金に裏付けられた政府紙幣を発行するために、59,000トンの金塊を提供する「グリーンヒルトン協定」を結びます。この合意により、ケネディ大統領は暗殺(1963年11月22日)され、スカルノ大統領もその後クーデターを仕掛けられ、スハルト将軍に実権を奪われてしまいます。
 連邦準備制度の支配者たちは、1966年に、フィリピンのマルコス大統領を違法な手続きで口座管財人(M1)に任命し、マルコス大統領はその地位を、1986年まで占めたと書かれています。
 11日の記事で、“中曽根元首相とその指名者らが(M資金の)管理権を握った”のが、1986年以降でした。時期の一致は偶然なのでしょうか。
 いずれにせよ、世界発展のためにこの秘密資金が使われることはなく、IMFによる国家の破壊と略奪、そして戦争経済を回すことに用いられたようです。
(竹下雅敏)

注)以下、文中の赤字・太字はシャンティ・フーラによるものです。

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[Kグループ社]複数の国際担保口座と、それを解放しようとするキーナン氏の活動に関する簡単なまとめ 【第一弾・前編】
転載元)
(前略)
Kグループ社 13/6/8
マイケル・ヘンリー・ダン
2013年6月8日 
(中略)
黄金の百合作戦とは、明確に文書化されていることだが、アジア(主に中国)に溜め込まれた何千何万トンもの黄金を掠奪するという目的に特化し、中国や他の国々に軍事侵攻する以前からそれら黄金を保有する主要な国家へと潜入して行った日本人の黄金探索集団の話だ。ナチスの黄金探索活動はよく知られているが、欧洲の銀行家利権による協力と情報提供によって、日本がかき集めた量はそれを遥かに凌ぐものだった。

【現在も東南アジアに眠る金塊の一例】



【現在も東南アジアに眠る金塊の一例】

(中略)
いわゆる公式発表においては、人類がこれまでに掘り出した黄金は全部で約16万トンだと言われている。しかし今分っているところでは、200万トンを余裕で超えると見るのが正しいようだ。第二次世界大戦中、日本は東南アジアのあちこち、特にインドネシアとタイとフィリピン諸島にトンネルや地下壕を掘っては黄金を埋蔵して行った。
(中略)
戦後になると、連合国側によってこれらの黄金が探し当てられ、まさしくこの目的のために戦前から欧洲の中央銀行の銀行家たちが練り上げていたシステムの中に組み込まれて行った。(中略)… 1944年のブレトン・ウッズ協定において、勝利目前の連合国は新たな国際金融体制を構築するため、国際通貨基金を立ち上げた。
(中略)
訳者解説
日本とナチスが掠奪した財宝は、42か国の172の影の口座に振り分けられ、その内の大半は、連邦準備制度理事会と国際決済銀行の複数の口座に運び入れられた。これらの中で一番大きな口座の1つが、「M資金」と呼ばれたもの(こちらのMは戦後日本の経済統制を指揮したGHQのマーカット局長の頭文字)。

(資産の大半がインドネシアの地下壕に隠されていたことから)インドネシアのスカルノ大統領【国連決議により1945年に】Monetary Controller of the Accounts(=口座管財人)つまり通称M1に任命されていた。
(以下略)
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デヴィ・スカルノ
デヴィ・スカルノ
Dewi Sukarno

デヴィ・スカルノ(Dewi Sukarno、1940年昭和15年)2月6日 - )は、日本生まれでインドネシア国籍のタレントYouTuberインドネシアスカルノ元大統領第3夫人NPO法人アースエイドソサエティ総裁。株式会社デヴィーナ・ソサエティ代表取締役。本名・インドネシア名:ラトナ・サリ・デヴィ・スカルノ(Ratna Sari Dewi Sukarno)、旧名・日本名:根本 七保子(ねもと なおこ)、通称はデヴィ夫人。
 
生い立ち
東京府東京市麻布区霞町(現在の東京都港区西麻布)に父・兵七郎と母・政子(福島県双葉郡浪江町出身)の間に生まれる。父は麻布区霞町界隈の大工棟梁であり、弟が1人いた(八曾男)。太平洋戦争中は、母・弟の3人で福島県浪江疎開していた。家庭は裕福ではなかった。
 
無名エキストラ女優~高級クラブ
1955年昭和30年)、15歳の時、新東宝制作の映画『青ヶ島の子供たち 女教師の記録』(白黒映画)にエキストラ出演。
中学卒業後は、東京都立三田高等学校定時制部に進学すると同時に、150倍の難関を突破して千代田生命保険(現・ジブラルタ生命保険)に入社したが、昼休みや休日にも貧しい家計を維持するため、喫茶店などでのアルバイトを掛け持ちする日々を送った。
1956年に父が亡くなった事に伴い高校を中退した後、赤坂の有名高級クラブ「コパカバーナ」で働く。
1959年(昭和34年)、19歳のときに、インドネシアへの開発援助に伴い「東日貿易の秘書」という名目で、スカルノ大統領のもとに送り込まれた。この一件に当時「昭和フィクサー」と呼ばれた暴力団関係者の児玉誉士夫が関わっていたとされる。
 
スカルノ大統領夫人

Wikimedia_Commons[Public Domain]
スカルノ

独立後間もない上に、東西冷戦下にあったインドネシアにおいて、当時スカルノ大統領は日本外交や資金援助の取り付け等を非常に重要視していた。インドネシアに渡って数年は愛人の1人であったが、1962年昭和37年)にスカルノと正式に結婚、4人の夫人のうちの第3夫人になる。 
(以下略)
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配信元)

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