作家のエドワード・グリフィンです。 真面目な本で物議を醸しています。銀行の歴史、健康、国連、米の外交政策 など、熱論になってしまう話題を扱っています。意見はありますが、良き歴史家の研究者であるよう努めていますので、事実を書くようにしています。社会人になってからずっとで、1959年に興味が芽生え、1960年にはもう没頭していました。保険会社の社員を止め、こういう話題の著作、 講演に従事するようになりました。
右翼左翼の枠組みとは政治的策略、と悟ることが肝心
ティーパーティーと右翼左翼の枠組みはある意味絡んでいますが、頭で理解するには全く別の項目ですよね。
まず初めに、右翼左翼の枠組みについて理解することが大切だと思います。私が若い頃には、自分も含めて、特に学のある人は、政治的に右か左か 選択すべきと教えられてきました。
その頃は、
極右とはファシズムやナチズムで、そして極左とはもちろん、共産主義、 次いで社会主義、と思っていました。当時、こういう枠組みを「あっそうか」 と納得していましたが、いろいろ勉強するにつれ共産主義や社会主義のいわゆる極左の思想とファシズムやナチズムのいわゆる極右の思想とは実は基本的には同じだと気付きはじめました。
「対照的な筈では?」って初め思ったけど、教わってこなかった所には
実は共通点がいくつもあることに気が付きました。それが集団主義思想で、集団主義という思想が双方に共通してあるのですが、この言葉、現代の人々の語彙にあまりありません。
でも百年前はよく使われていて、書物によく載っていたと分かりました。対義語は個人主義です。 どちらも現代では忘れ去られた言葉ですが、現代に取り戻し、より一層理解・使用されるべき単語だと思います。
まず対峙するとされる共産主義もファシズムも実は集団主義の派生に過ぎないと気づいてください。例えば、
双方とも個人より集団を重視し、最大多数の最大幸福のため個人は犠牲になるべきと考え、どちらも、国家は強力で、最大多数の最大幸福のため 国民は国家に従うべきと考えます。権利は国家が付与すべき、と双方とも考え、人間の一部、産まれながらのもの、身心に宿るもの、とは捉えません。
こう見ていくと、共産主義者もファシストもナチスも社会主義者も皆同じことを信じてるのです。
「じゃ、何で争ってるの?」って思って来るでしょ。で、私は、ダマシだ、と分かったんです。
実は壮大な詐欺です。
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