ままぴよ日記 100 「日常を生きる」

ままぴよ日記も100回目。
長らくお付き合いいただいてありがとうございます。2週間があっという間に過ぎ、記事も個人的な話題ばかりになってしまっていますが、特に最近は辛いニュースが増えて、私の日常にも影響しています。
でも、それが私に与えられたテーマ。
日常こそが生きる場所だから専念しようと思います。
(かんなまま)
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子どもであっても私の価値観を押し付けられません


毎日心がざわついています。

ニュースを見ていたらアメリカでコロナワクチンが生後6ヶ月から承認⁉まさかと思っていたら娘から3歳の孫にも早速ワクチンを打ったとの報告。帰国に向けて入国がスムーズにいくように準備しているとの事。衝撃が走ります。


オーストラリアの娘のパートナーもコロナに感染。娘に送っていたイベルメクチンを飲むように言っても返事が来ません。逆に娘同志のやり取りで「オーストラリアは5歳から打てるよ。あと1年」などと言うコメントが。

夫が「今の変異株にはワクチンは効かないよ。まして子どもには打つ必要ないと思うよ」と言っても返事なし。

国によってコロナに関する情報や政策が違うし、感染状況も違うので一概には言えませんが、もうコロナに関しては全く無視されている母親です。

きちんと伝えたいと思う一方で無力感にさいなまれます。子どもであっても私の価値観を押し付けられません。こんな時は私の欲を捨て、愛を増やすしかありません。


解雇されたフィンランドの息子


フィンランドの息子が突然会社から「明日、7人解雇します」と言われたとの事。正規雇用の20人のうちの7人解雇です。息子から「明日の事を考えたら眠れない」と言うメールが来ました。励ますしかありません。

「誠実に仕事をした結果がそうなら、必要なことが起こるだけよ。大丈夫。」とメールしました。

結果はやはり解雇。コロナで会社の経営が悪化したらしいのです。そして退職金なし。失業保険なし。えっ?フィンランドって働き方も充実しているのではなかったの?と愕然としました。


国の組合に入っていたから、そこから少しは保障が出るようですが、早く仕事を探さないと就労ビザも切れるし、家賃や物価はどんどん上がって大変です。

2年間一緒に住んでいる彼女と結婚を考えていると話していた矢先で、日本に帰る選択肢はないようです。若い2人に祝福を!と祈らずにいられません。

それを受けて、アメリカの娘も「こちらの労働環境も酷いよ」と言いました。娘のマンションの事務を20年続けていた人が、仕事が終わって帰ろうとしたらいきなり「明日から来なくていいよ」と言われたらしいのです。もちろん退職金なし。泣き寝入りだそうです。

家賃も3年前に比べて3倍になったそうです。格差が広がって娘家族が住んでいる地区はますますお金持ちの居住区になり、学校もその寄付金で賄われるので質の高い教育が受けられましたが、金銭的にこれ以上住み続けるのは無理だと言っていました。

いつも相談を受けているロシア人のシングルマザーも、日本で窮地に追い込まれています。自分の家を建てたくて国のお母さんが援助してくれるとの事で契約したら、ウクライナとの戦争の制裁措置でロシアからお金が送れなくなりました。家は建設中。シングルマザーで、ただでさえ過酷な生活です。どうするのでしょうか?

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ままぴよ日記 91 「おうちで愛のマントラの大合唱」

家に居て、母の介護と、家業の子どもへのワクチン接種と、コロナ禍の子育て支援の事ばかり考えています。

思いが溢れても、どうすることもできないのですが、出来ない事は神様にお任せして、できる事に目を向けようと思いました。
私の生活を、関わり方を、生き方を、愛に変換していきたいです。

それは、おうちでできそうです。
(かんなまま)
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何もしなくても人が集まってきます


寒い日が続きますが、庭のフキノトウが芽吹き始めました。私の実家の桜の古木も、母の命に合わせて急いで膨らみ始めたような気がします。母が愛した桜の木です。


でも、不思議なもので、母はもう旅立つのかと覚悟した日から、少しずつ元気になっていきました。

そして、一日中ウトウト寝ている母の周りで何かが起こり始めています。4人の子ども達がかわるがわる母の所に集まってくるようになったのです。私は末っ子の一人娘です。どうしても義姉と私の出番が多くなるのですが、兄たちも介護するようになりました。

休みの前日は、兄が泊まります。日曜日は別の兄が1人で母の世話をします。平日は別の義姉がかわるがわる来てくれます。一緒になることも多く、母のベッドの周りでおしゃべりが始まります。

母を入院させていたら、こんな豊かな時間はなかったでしょう。自然におかずが飛び交い、次の当番が決まります。みんな60代から70代なので自分の終活の話になります。

日本では約8割の人が病院で亡くなります理想は自宅で自然に死を迎えたいと願っているのですが、現実は「家族に負担がかかる」「症状が急変した時の対応に不安がある」という理由で自宅介護ができないのです。

確かに介護は大変です。働き手が介護にまわったら生活できなくなります。独居老人、老々介護、ヤングケアラー、8050問題・・・あげたらきりがありません。福祉の在り方が問われています。自分の死をどう捉えるか?私達は自分の事をもっと話すべきだと思います。

そんな話をしていると、母が目を覚まします。当然のように、そこにいる者で体位を変えてオムツ交換をします。もう手慣れたものです。そして、氷にした栄養食を口に入れてあげると、いきなり「サイコー!」「おいしい~!」「ばんざーい」と言う母。どこまでも明るい母です。歯のない口の顔に見慣れてくると、くしゃくしゃになるその笑顔が可愛い。


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ままぴよ日記 80 「新型コロナウイルスで試される家族への愛」

 今、私の周りで人間関係をこじらせた相談が増えています。夫はワクチンの問診で鬱の薬を飲んでいる若者が多いのにびっくりしていました。独り身の叔母が施設で転倒して大腿骨骨折をしてしまいました。そして、身近でコロナ感染が出ました。これは何だろうと思っていたら、来た来た!私の所にもドーンとお試しが。
(かんなまま)
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身近で起こったコロナ感染



小学校でコロナ感染者が出ました。子どもが感染して、家で隔離していましたが、その家族に広がっていきました。
自宅療養の生活は大変で、母親は自分も熱を出しながらも症状がある家族と、ない家族を分けて感染予防と家事をこなしました。ワクチンを2回接種している父親は感染しませんでした。母親も2回済ませていたので重症化しないと信じて頑張りました。

次々に子どもが感染しましたが、一日熱を出したくらいで回復しました。
それは嬉しい事ですが、子どもの持て余したエネルギーに付き合うのも大変でした。

やがて母親は倦怠感と熱で動けなくなりました。死んだような3日間。
3日後に少し動けるようになりましたが倦怠感、味覚障害、臭覚障害が残っています。



これは最近、身近で起こった話です。それを他人ごとではないと感じた私の家族がワクチンを2回打っても、こんなに重篤な状態になるので、ワクチンを打たなければどうなっていたか?という話題になって・・・、矛先が私に向けられました。見回したら私だけがワクチンを接種していません。

皆が心配して口々に「ママはなぜ打たないの?」「ワクチンで重症化が抑えられるというデータが出ているよ。父親は感染していないし、今回の事でわかったでしょう?コロナを侮ってはいけない」「イベルメクチンなど効果があると言われる薬は山ほどあるけど、まだ認証されていないよ」「批判的思考、情報源の信用度の確認が大切だと、いつも言っているのはママだよ。偏った情報に振り回されないで」「もっと世界の科学者たちが言っていることに耳を傾けて。これはサイエンスの問題だよ」

「ママがうつるかもしれないし、うつすかもしれない。自分だけの問題じゃないよ」「自分が納得する選択をするのは自由だけど、コロナのリスクグループにうつすかもしれないから、その人たちが行くであろう旅行、公共の場、施設の利用制限を受けるよ。それは差別ではなく、打たないと決めた人は、それを理解したうえで決断しなくてはいけないよ」「高齢のおばあちゃんには会えなくなるよ」「子育て支援の仕事ができなくなるよ」「孫達が大好きなばあばに会えないのは辛すぎる」と、今まで我慢して言わなかったことを次々に吐き出しました。

私はSNSに次々に書かれていく家族の意見を読みながら、冷静になろうと努めました。たぶん、一つひとつに私の意見を言うことができるでしょう。誤解もあるようです。でも、今は何を言ってもダメだと思いました。今まで言わなかった私への思いが噴出して、それが大きなエネルギーになって正論になっていきます。夫も同調しています。世界の正論、医者の正論です。


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ままぴよ日記 75 「気が付けば、自然界は変わらぬ愛に満ちていた」

今回は、この2週間で、私の心の中で起こった変化を書きます。
笑ってお付き合いください。

この2週間、私の心は前回書いた記事の事でいっぱいでした。混乱している自分を見つめ、整理してカルマ軽減の祈りに臨みました。

自分に正直であることは安らぎにつながります。やっと冷静になれました。

私にできる事は心配より、抗議より、愛する事だと気が付きました。今まで、わかっているようでちっともわかっていなかった!

それに気が付いたら、この世は、どんな時も愛に満ちているのがわかりました。
(かんなまま)
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ワクチンファーストの激動の中


夫が図らずも地方医師会のワクチン責任者になり、有無を言わさずワクチンファーストの激動の中に巻き込まれました。これに巻き込まれたら個人の意見など言えない雰囲気になり、目的が変わっていくのも見えました。それを冷静に見ようとする自分と、本質論を言って夫を追い詰めたくなる自分が混在して、落ち着かなくなりました。

特に、家業の小児科で接種が始まった頃から無力感と、悲しさがピークになりました。ワクチンを打ってはいけないと確信しているのに、その収入で生計を立てています。夫や従業員を労わります。私は日頃から自分の良心に沿って、ヤマ・ニヤマに沿った行き方をしたいと思っているのに、結果的にワクチン接種に加担しているのではないかと、苦しくなりました。


夫の事も心配でした。もっと話せば気が変わるのではないか?自分の努力が足りないのでは?と。初め、夫はワクチン接種しないと言っていたのですが、結局打ちました。ショックでしたが、夫自身が考え抜いて決めた事だと思います。それを尊重するしかありません。次々に子育て広場のスタッフ、周りの人たちも打ち始めました。

私は自分の心に湧き上がる迷い、無力感、悲しみなどは全て私の問題だと思っています。この時事ブログの記事は、私の瞑想そのものです。毎回、自分の事を書くのに、この問題を素通りすることができなくなりました。だから、勇気をもって自分をさらけ出すことにしました。

でも、今は書いてよかったと思っています。何より、自分の思いを整理して、至らない自分を丸ごと認めて正直になれたことでホッとしました。等身大の自分に戻れた気がします。

2週間が経ち、ますます世界はワクチン一色になりました。そして、日本はオリンピック開催国としてのメンツを保つためにワクチンレースを始めました。それに伴って、自治体は毎日、接種人数を競わされています。慌てて集団接種会場を作り、不足する医者を日給17万円、旅費、宿泊食費付きの好条件で募集するところまで出てきました。


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ままぴよ日記 74 「ワクチン接種が始まりました」

 次回は何を書こうか?いつもテーマを探しています。

 今までは、自分の思いや関心ごとをそのまま書いてきたので、タイトルが決まれば、一気に書けていました。自分本位の日記のようなものですが、書いていると気持ちの整理ができるので、ありがたく思っています。

 でも最近、気になっていることがあるので手が止まっています。自分自身もその激動の中にいるのに、自分ではどうすることもできない事が多すぎて気持ちの整理ができないでいます。でも不思議な事に、それを大局的に眺めている自分は静かです。

 とりあえず他の事を書く事にしました。書いては止め、書いては止め・・。まとまりません。

 どうも、私は正直に、今の自分をそのまま書く事しかできないようです。お付き合いください
(かんなまま)
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多くの人が自分を生きていない現実


今、私は、ほとんどの時間を家の中で過ごしています。

コロナ禍でどこにも行けなくなったので、家業の小児科に来るママ達とおしゃべりをするのが楽しみです。特に、ママ達の悩みの種である子どもの困った行動が「子どもにはそうしたい理由がある」「子どもってすごい存在」に置き替わった時のママ達の嬉しそうな顔が好きです。

息子の家に手伝いに行く時と、広場でセミナーをする時は外出しますが、経理の仕事は家でできるし、会議も全てZOOMです。つまり、家に居ながら仕事ができています。

畑で取れた野菜と、ずっとお付き合いをしている農家さんの宅配、目の前にある安全な食料品店のおかげで食べ物にも困っていません。

犬の散歩や、近くに住む高齢の母達や叔母たちのお世話はありますが、それは生活の延長。このまま家に居ながら生きていける、と思うのですが、実は心が穏やかではありません。

その理由はワクチン接種が始まったからです。そして、これは起こるべくして起こった事だと感じています。


なぜなら、多くの人が自分を生きていないと思うからです。例えば、今の社会は、子どもが子どもらしくいる事を問題行動としています。子ども自身も、自由に遊びながら自分で学び取る時期なのに、興味のないことを学ばされて本当の学ぶ意欲を無くしています。学校教育も、先に正解や目標があり、自由に物事を考えられない人を作っています。

会社や行政もそうです。ますます専門化、分断化されて与えられた仕事をするだけで精一杯。「いったい私は何をしているのか?」全体像が見えなくなっています。

やがて、時の政治の意思がスタンダードになり、人は自分が自由であることを忘れてしまいます。

自分で考えて人と違う事をするにはエネルギーが要ります。大きな流れに乗っていた方が楽な社会です。でも、想定外の事態になった時に、自分で考えて行動できるでしょうか?

まさに今、そのことを問われる事態になっています。人間の社会生活を根底から揺るがすような未知のウイルスの出現で、どう対処していくのか?判断と行動を迫られています。

数ある選択肢の中で、世界の選ばれた科学者、政治家は未知のウイルスを未知のワクチンで解決しようと舵を切りました。

「これが最善の方法か?もっと検証しなければ、逆にウイルスの逆襲にあうかもしれない」「このワクチンを接種したら、私達の体内で何が起こるのか?」という素朴な疑問が出てきて当たり前なのに、かき消されています。

「こんな緊急事態だから、一致団結して国の方針に協力するのが当たり前」「社会が決めた一定の方向に向かって進まなければドロップアウトする」という集団意識が拍車をかけます。

マスコミもワクチンの効果をアピールして、接種を促す情報を流し続けています。子どもの頃から自分で考えて行動する事を体験していない国民。この大きな波に乗って、いったいどこに向かおうとしているのでしょうか?

私は日本の片隅の医療現場に居て、ワクチンが最善の方法だと国が決めたら行政も医療機関も社会も、その方向に大きなうねりとなって動き出すのを見せられています。


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