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ユダヤ問題のポイント(日本 平成編) ― 第5話 ― 裏切られた総理大臣
デフレ化での緊縮財政の結末
現在にまで続く平成大不況が続いていた1990年代の日本、それまでどうにか持ちこたえていたのに、とうとう堰が切れたようになったのが1997年(平成9年)から1998年にかけての日本でした。日本の自殺者数が 1997年から1998年にかけ急増し、それまで2万人台であった自殺者が、1998年には3万人を大きく超えたのです。この当時、倒産・自殺の山が築かれました。
また、1997年11月に北海道拓殖銀行と山一證券破綻、1998年10月には日本長期信用銀行が破綻、1998年12月には日本債券信用銀行破綻、このように大手金融機関が破綻、それに失業率も大きく上がったのです。
この1997年頃に何があったのか?
日本では緊縮財政がひかれ、「消費税3%から5%へ引き上げ」「公共投資の削減開始」「新規国債発行停止」などが実行されました。当時1996年11月から1998年7月は橋本龍太郎首相の橋本内閣でした。橋本内閣は1997年1月に「行政、財政、社会保障、経済、金融システムに教育を加えた六つの改革」を掲げ、緊縮財政の実施に走ったのでした。「六つの改革」とは要するに「日本の構造改革」です。アメリカ側が欲求してきた「構造改革」に橋本内閣は舵を切ってしまったのです。見たようにその結果は惨憺たるものでした。すでに日本はデフレ期に入っていました。その状況での「消費増税」「公共投資削減」「新規国債発行停止」この実行などはいずれも狂気の沙汰です。
まず①「消費増税」ですが、増税は経済活況で景気が加熱した状態であればクールダウンの効果はありますが、不況時の増税などはお金の動きを止めて、いよいよ経済状況を悪化させます。
次の②「公共投資削減」、確かに第2話で見たように、当時のブッシュ大統領の脅迫の「日米構造協議」から、日本は全く無意味無駄なものにGDPの10%以上を公共投資に費やされました。浪費の公共投資は悪ですが、しかし公共投資そのものを無くせば、それでもなくても民間事業は大停滞しているのに、日本から仕事そのものがなくなってしまいます。失業率が大きく上がった一大要因です。
そして③「新規国債発行停止」、たしかに「国債発行」そのものは国家をゆっくりと破綻させるものです。しかし根本のお金の発行の仕組みが銀行の貸し出し、つまりほぼすべてのお金が債務以外には作れない仕組みである以上は、国債をなくすとこの日本の市場からお金そのものが消失することを意味していました。当時において民間への銀行の貸し出しは絞りに絞られていたのですから。
デフレ下で実行された橋本内閣による緊縮財政は、
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① 日本国内におけるお金の動き回転を大きく停滞させ、
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② 仕事をなくさせ失業者を大量に生み出し、
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③ 日本の市場からお金そのものを消失させる、
橋本内閣は、日本民衆を地獄に突き落とすような政策を実行してしまった。では、橋本首相が意図的に国民を苦しめるための政策を選択したのか?といえば、全く違って逆だったようです。
重なった「思い違い」
2001年4月、自民党総裁選挙にて、当時の橋本龍太郎元首相は次のように語っています。
私は97年から98年にかけて、緊縮財政をやり、国民に迷惑をかけた。私の友人も自殺した。本当に国民に申し訳なかった。これを深くお詫びしたい。
このように国民に謝罪した橋本元首相は、大蔵官僚に騙され緊縮財政をしてしまった、と亡くなる間際まで悔いていたと言うことでした。橋本首相自身は、日本経済を復活させて国民生活を豊かに活性化しようとの決意を持っていたのです。アメリカに対しても、上辺は従いながらも日本の国益に反することは躱していくつもり、つまり「面従腹背」で、そのための方策を当時の大蔵省を中心に探らせていたのでしょう。
しかし、結果は狙った方向とは真逆の方向に進み、アメリカ側が望むように経済悪化と「構造改革」の方向へ舵をきって、日本国民を苦しめてしまったのでした。それで橋本首相は大蔵官僚に騙されたと考えた…。
ただし、この「大蔵官僚に騙された。」は一考の余地ありです。そもそも橋本首相が騙されたのは、自身も日本の長引く不況の原因は「日本の古くからの構造」にあるのか? それを変革しなければ日本復活はないのか?と考えたからでしょう。そして実は大蔵官僚の考えも概ねこれに重なっていて、「思い違い」の部分が大きかったと思うのです。
もうすでに、1994年には「年次改革要望書」が提出されるようになっていました。「日米地位協定」の具体を定める「日米合同委員会」も古くから開催され、当然ここには大蔵官僚も出席、アメリカ側に完全に取り込まれた大蔵官僚もいたでしょう。しかしそれ以前に、大蔵官僚(橋本首相も)は日本の財政も一般家庭の家計も基本的に一緒だと考えていたのでは?と思えるのです。「お金が苦しいならば質素倹約が一番の薬」というものです。
具体的には、
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①「消費増税」で国庫収入を増やし、
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②「公共投資削減」で国庫からの支出を減らし、
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③「新規国債発行停止」で国家債務を減らす、
これが大愚策であったのは指摘しましたが、大蔵官僚に日本経済を再生させる力もなく、方法も知らなかったというのが実態でしょう。「お金の実態」を知っていなかったということです。
当時の日銀総裁には、日銀生え抜きの総裁と大蔵省出身の総裁が交互についていました。しかし大蔵省からの日銀総裁には、信用創造と信用統制の仕組みは伝えられていなかったことが『円の支配者』で明かされています。
✅ 01:28〜03:53:10年ずつ日銀を支配するプリンスたち
信用創造とは、銀行が貸し出しによってお金を生み出す仕組みです。具体的には、例えば私が銀行に100万円定期預金していたとすれば、銀行はその100万円を種金(準備金)に9900万円を貸し出します。この9900万円に100万円の種金を合わすと1億円のお金が生まれました。その99%は無から作られたお金です。これが信用創造の仕組みです。
この信用創造・銀行貸し出しの総量、そして貸し出し先、つまりお金が流れる場所を指定しコントロールするのが「信用統制」です。
騙し裏切った日銀
経済とは、結局は「お金の総量」と「お金の流れ・回転」、つまり「信用統制」で決まります。そして、この「信用統制」は日銀のプリンスの専属事項(窓口指導)であって、大蔵官僚では立ち入りできません。信用創造と信用統制の仕組みを把握せずして経済をコントロールすることなど、土台から無理なのです。つまり大蔵省ではなく、日銀のプリンスのみが日本経済を自在にコントロールできるのです。
ただし、彼らにも足かせがあります。日銀もFRBと同様に民間企業ですが、FRBとは異なって、日銀は一応は政府の統制下にあります。日銀の出資証券の55%は日本政府が所有する決まりなのです。この足かせを日銀のプリンスたちは当然嫌がっていました。
この’97年当時、盛んにメディアで喧伝されていたのが「日銀の独立の正当性と重要さ」でした。日銀はまるで自分は関係がないような顔をしながら意図的に日本の不況を長引かせ、日本の首相の指令を裏切りました。そして、この「日銀の独立性」というメディアの喧伝に乗って日銀法を1997年に全面改正させます。1998年4月には「独立性」と「透明性」の2つが柱だと謳う新日銀法の施行となったのです。
これで旧日銀法にあった「内閣による総裁解任権」も廃され、日銀総裁は「その意に反して解任されることがない」と明記されました。日銀は、首相と政府そして国民を騙し、裏切りながら日本経済を悪化させて、念願の「独立性」を入手したことになります。これで日銀は政府介入なしに存分に思うがごとくに「信用統制」できることになったわけです。
日銀が意図的に日本の経済を悪化させた目的は「日銀の独立性」もありますが、メインは「日本構造改革」を進めるためでした。
果たせるかな、橋本政権下の1997年は、独占禁止法の改正により持株会社が解禁されました。同じく橋本政権下の1998年には「大店法」に代わり「大店立地法」が制定されました。「市場開放」「日本構造改革」の象徴となる施策でした。
それまで禁じられていた「持株会社の解禁」で、持ち株会社は株式だけ握って他社企業を支配することになっていきます。これで大リストラがなされ、失業者増大の要因の一つになっています。また、「大店立地法」は地域商店街を疲弊させ、駅前シャッター街を作る要因となりました。
これらは首相を裏切った日銀が導いた成果とも言えます。
即ち、
これが日本のトップたちです。「恥ずかしい」という概念を全く置き忘れてしまった連中の醜悪さです。
今更ながら、小出裕章氏の語ったことが思い出されます。東日本大震災の数カ月後、「日本の未来を開くには?」との設問にこう答えたのです。
現在の日本のトップたちは、醜悪な行動で「日本の未来を閉じている。」のです。しかし、経済悪化の苦境にあった90年代の日本のトップたちは、小泉政権や安倍政権から現在までのトップたちとは異なっていました。今に比べればずっと「まとも」だったのです。
その一人となるのが橋本龍太郎首相です。彼は誤った政策を実行し、国民を大いに苦しめてしまいました。しかし、それは「良かれと思ってやったことが逆だった」のたぐいだったのです。そして、彼は率直にその過ちを認めて国民に謝罪もしています。今では決して見ることができなくなった光景です。
ただし、こういった「まっとうな人」は邪魔者として消されていったのも事実です。そして愚かにも、それに加担していってしまったのは…。そうとは知らなかったでしょうが…。