アーカイブ: 子育て

ままぴよ日記 20

 社会の中で生きていると自分一人ではどうにもならない問題がたくさん出てきます。特に子どもの育つ環境は子ども達が異議を申し立てないことをいいことに、大人にとって都合のいい環境に塗り替えられてしまいました。

 そして親の意識までも大人社会のルールに支配されてしまいました。まさに今日の出来事です。「新米ママのためのセミナー」に参加している3か月の赤ちゃんがいるママが遅刻して駆け込んできました。息を整えながら「遅刻してすみません!!」と謝りました。そして、「いいわけですが・・・、遅刻しないように早くから出かける用意をしていたのに、行く直前になって赤ちゃんが大泣きしておっぱいをやったり、おむつを替えたりしていたらこんなに遅くなって・・・」と涙が出てきました。きっと思うようにならない苛立ちと焦りと、赤ちゃんのせいではないという、どこにもぶつけられない感情が交差したのでしょう。

 それを聞いていたほかのママも「私も眠っているのを起こしてきたから車の中で大泣きでした」ともらい泣きしました。ママ達は社会の歯車に合わせることが一番大切なことだと刷り込まれています。社会人として遅刻は厳禁です!でも子育ては子どもの時計で動かなければうまくいきません。赤ちゃんは容赦なく泣きます。社会のルールに合わせようと頑張れば頑張るほど苦しくなります。

 「このセミナーは我が子の心地いいとは何か?に気づいて大切にするセミナーですよ。赤ちゃんを尊重しようねと言いながら時間を設定しているのは矛盾だよね。いい機会だから確認しましょうね。優先順位の一番は赤ちゃん。赤ちゃんにとっていいことを堂々としてください。時には子どものために腹をくくる必要があります。だから赤ちゃんの都合で遅れたり休んだりすることはOKです。ただし連絡はしてください。でも、ママが自分のために参加したいと思ったら前の日から赤ちゃんにお願いしておいてね。そして赤ちゃんにとっても無理がないように準備をしてね」と言いました。

 大人の都合に合わせて子どもを振り回して、泣かれてもガマンさせてしまうことに胸を痛めていたママ達。社会のルールとのはざまで目に見えないストレスを溜めても誰も気づきません。だからこそ現場にいる私たちが子どもの育つ環境を大切にする社会になるように発信したいと思っています。ましてや、それを社会の施策にするのはもっと難しいことです。

 私は、ぜーんぶ保留にして釣り糸を垂れています。その中の一つがこれです。
(かんなまま)
————————————————————————

老朽化した子育て広場


12年前に私たちの働きかけで立ち上げた子育て広場が老朽化しているために移転する話が持ち上がりました。築50年の平屋建ての家で、隙間風が入り、雨漏りもします。でもそこにはちょうどいい広さの庭があり、柵を抜けると隣に小さな森のような公園があります。私たちがここを選んだ理由はその森でした。


古い家屋で準備資金もなかったので家具はすべて夫が作りました。赤ちゃんスペースの畳は畳屋さんが寄付してくれました。庭の砂場と東屋は「広場を見守る会」を立ち上げてみんなで作りました。

スタッフは立ち上げの時から関わっていた先輩ママ達で私はその代表をしています。当初からの思いは全ての親子を受け入れること、子どもが育つための良質な環境を提供すること、共に育ち合うことで、今も変わっていません。

子ども達は暑い時も寒い時も外遊びをします。四季折々の風情が子ども達を迎えてくれます。誰かがイモを持ってくれば落ち葉を集めてその場で焼き芋が始まります。この場所でよかったと何度思ったことでしょう!

市は財政難のため新しく建て替えることは不可能だと言います。保健センターの建物の中の一室を考えているようです。利用しているママ達がこの場所がどんなに大切かを市長に話に行こうということになり懇談を申し込みました。でも返事がありません。議員も一般質問で取り上げてくれました。でも、何も変わりません。

そんな時、産前産後の支援も含めた子育て世代包括支援センターをどの市町村も作らなければいけないという通達が厚生労働省からありました。私たちの市も例外ではありません。ただ、どんなセンターを作るのかは市町村に任されています。受付に電話を置いて対処していますということもできるのです。

pixabay[CC0]


» 続きはこちらから

ままぴよ日記 19

 ある日、銀行で子育てセミナーに参加したことがあるママに会いました。「元気?」と声を掛けたら「はい」という言葉に詰まりました。「どうしたの?」と聞くと堰を切ったように話し始めました。学校から呼び出されて、お宅のお子さんは授業を妨害したり、教室を出て行ったり落ち着きません。療育センターで受診されてくださいと言われたとのこと。「受診したの?」と聞いたら行くのが怖いし、夫に話したら「自分も子どもの頃同じようにわんぱくだった。病気じゃない!」と怒ってしまったというのです。
 「でもママとしては気になるのね?」と聞いたら涙がぽろぽろ出てきました。「一人でよく頑張ったね。でも、気になって子どもを叱ったりしていない?」と聞いたら「そうなんです!わかっているけど、子どもの行動が気になって、どうしてじっとできないの!って叱ってばかりです」と話してくれました。「ママを支える人が必要だね。人に頼っていいのよ。今は心配しているくせに何もできないから余計に不安が膨らんでいるのよ」「勇気を出して行ってらっしゃい。ただし、病院は診断してもらうために行くのではなく、子どものためにどうしたらいいかを一緒に考えてもらうために行くのよ」と言いました。ママは銀行の待合室で涙をボロボロ出して、すっきりした強い顔になって帰っていきました。私は切なくてママの後ろ姿に「強くなれ!」と思いました。今回は発達障害のお話です。
(かんなまま)
————————————————————————

子ども達の姿が変わってきた、この10年


全国で同じように子育て支援をしている仲間や地域の保育園、幼稚園、学校の先生などとつながっていますが、みんな口を揃えて子ども達の姿が変わってきたと話しています。この10年の間にです!

まだ首も座っていないのに縦抱きの赤ちゃんが増えました。赤ちゃんの頭の重さは体重の3割以上もあります。うまく手を添えて赤ちゃんの頭を支えてあげれば問題ないのですが、ほとんどの赤ちゃんはママの胸のところでぐにゃっと頭を傾けて抱かれています。最近は抱っこひもに首の座らない赤ちゃんを固定するパッドが付いています。外を見ることもできない満身装備!です。取り外し式カーシートに寝せたまま一度も抱かれることなく荷物のように運ばれている赤ちゃんも増えました。これではお互いを感じあうことも、顔を見て笑うことも、しがみつく能力も育ちません。

pixabay[CC0]


なぜそうなったのでしょう?
最近のママは赤ちゃんは素手で抱くのではなく、道具を使って抱くものだと思っているのかもしれません。みんなもそうしているからという理由のほかに、手でずっと抱き続けるための体力、背筋力がないのです。手だけで抱こうとするからきつくなるし腱鞘炎になってしまいます。赤ちゃんをずっと抱き続けることがこんなに大変だとは思わなかったでしょう。

抱っこは世界中どこでもしていることですがアジア地方は布を上手に使ってラップする文化があるようです。インドネシアのカインゲンドンという布の巻き方を教えてもらったのですが、布をママの体に巻いて赤ちゃんをその中に包み、最後にママの背中でくるくるとねじって留めるだけのものでした。面白いのは赤ちゃんに沿える手を白鳥のようにはばたかせてまるで羽で赤ちゃんを包むように抱くのです。こうすると手ではなく腕全体で赤ちゃんを抱くことができます。

pixabay[CC0]


» 続きはこちらから

ままぴよ日記 18

 セピア色の子ども時代。
 覚えているのは道端の氷を踏んだ時の音、雪の日の全校生徒でした雪合戦、ランドセルを放り出して堤防を滑り降りた草スキー、梅雨の日の長靴の中の水の感触、手ですくったカエルの卵、蝉しぐれ、毎日泳ぎに行った川のメダカ、水の匂い、雷、隠れて飼った子犬、担任の先生の家でみんなと食べたチキンライス・・・ああ、ちっとも勉強していたシーンが出てこない。でも私はそんなもので作られている。
(かんなまま)
————————————————————————

多忙を極める先生


前回まで孫の学校生活を通して先生の資質の話をしてきましたが、実は学校の先生も又、悩み、落ち込み、学校に行けなくなってしまった事例を何度も見てきました。

Author:Ict.fuji[CC BY-SA]


教科が得意、子どもが好き、教えるのが好きという理由で先生になったのでしょうが現場はそんなに甘くありません。生徒が減った分先生も少なくなりました。でも組織としての仕事は変わらないので担任という仕事のほかに○○委員会などの担う役が多くなりました。

毎年学校の重点課題と目標を作り、それに沿った年間計画を作ります。特に研究指定校になれば学校挙げてそのテーマに沿った研究をしなければいけません。教育事務所からの指導が入り、研究実践していくわけですが最後に公開授業を行い、発表して成果が求められます。先生は本当に多忙です。

夏休みに先生方と先生が抱えている問題について懇談したことがあります。授業参観だけでは見えてこない部分です。そこには先生の苦悩がありました。学級経営のための資料、報告書、週案、成績簿づくり、採点などの仕事で手が回らない。保護者対応が半端ない。子どもが落ち着かない。病欠の先生が増えてフォローだけで大変。生徒に向き合う時間が持てない、中学校の先生は部活の問題等も深刻でした。


» 続きはこちらから

ままぴよ日記 17

 今年のカレンダーをめくりました。

「神が人々に求めているのは地上で幸せに暮らし、愛を拡大することだけです」
という文章が目に飛び込んできました。そのカレンダーを手に持ちながら思わず涙があふれてきました。

 家族をはじめ、いつもたくさんの人に関わりながら目の前の日常を生きるのみの私。心の奥ではいつも神様に近づきたいと思っているのに・・・これでいいのか?と問うてばかりの自分。忙しすぎて至らない自分。不安で先走りする自分。映像配信も見れていない。世の中の真実もどこまでわかっているのやら・・・。
 子育て中のママたちの気持ちや子ども達の生きづらさを感じるたびに自分の無力さの壁にぶつかり、足元の小さな幸せのために祈るばかりです。

 でも、そのように生きているだけでいいのだと思えました。救われました。ありがとうございます。
(かんなまま)
————————————————————————

トンネルを抜ける日


日に日に学校嫌いになっていく孫。いくら励ましても起きている時間の大半を過ごす学校。そのストレスを浄化する術も持たず、唯一自分をさらけ出せる家で弱い弟を一方的に攻撃して、問題のない家庭にまで悪循環を作ってしまう苦しさ。「そんな学校は行かない方がいい!」と言いたいのですが親も余裕がありません。


ばあばの私にできることも限られています。せめて今の邪気を取ってあげて本来の孫を取り戻してあげたいと思いました。「ばあばがあなたの代わりに祈ってもいい?」と尋ねました。下を向いて「ウン」と言いつつ「学校嫌い!先生嫌い!」と言いました。

次の朝、孫に代わって除霊、浄化の祈りをしてガヤトリーマントラを3マラを唱えました。体が寒くなりました。本当に苦しかっただろうことが感じられます。自分自身の除霊浄化をして愛のマントラを唱えました。

ただずっと祈り続けることはできません。私が孫に対して祈っていい存在なのか?私と孫がどこかの身体において拒否し合っていないか?この事態が孫にとってカルマなら介入してもいけません。孫の人生です。ある意味、この経験も成長の過程ですし、それに対処しながら少しずつ自分に自信をつけていってほしいと願っています。

私の子育て経験から言うと、トンネルを抜ける日は突然やってきます。体の成長が爆発的に伸びて内側から湧いてくる生きる力が「そんな事は気にするな!もっとやりたいことは他にあるよ」と後押ししてくれる時期が来るのです。成長する喜びのエネルギーが勝り、小さな何かがきっかけとなって自分に自信が付き、悲観したり、人に当たったりするよりもっと充実した楽しいことがあるということに気が付くのです。

pixabay[CC0]


でもそれはたやすいことではありません。自分とつながり、自分で気が付かなければいけないのです。小さな悟りです。その時が来るまで根気よく見守り、せめて傷つけないようにしてあげたいものです。現にお姉ちゃんが暗いトンネルを抜けてすっきりした顔になってきました。赤ちゃんが生まれたことにより、生活のいろいろな面でお姉ちゃんの活躍の場も広がりました。頼れる小さなお母さんです。優しい顔でお世話をしています。

» 続きはこちらから

身体的虐待(暴力)、性的虐待、そして、精神的な虐待や育児放棄(ネグレクト)を経験した子どもたちは、その後の人生で自殺を試みる可能性が少なくとも 2倍から 3倍高くなっていた!

竹下雅敏氏からの情報です。
 In Deepさんの極めて重要な記事。「身体的虐待(暴力)、性的虐待、そして、精神的な虐待や育児放棄(ネグレクト)を経験した子どもたちは、その後の人生で自殺を試みる可能性が少なくとも 2倍から 3倍高くなっていた」というのです。しかも、“ほぼ 3人に 1人が子ども時代に虐待を受けていた”とのこと。
 In Deepさんは過去に、「虐待を受けた子どもの細胞は、DNA レベルで変化する」という記事を紹介しており、幼少の頃の体験が、その人の一生を支配する可能性が高いことがわかります。
 “続きはこちらから”では、逆に、“赤ちゃんは、親と接触している時間が長ければ長いほど「生物学的に優秀な DNA に変化していく”ということで、「親にたくさん抱っこされた赤ちゃんは、DNA が生物学的に優位になっている」という、以前の記事の内容を指摘しています。
 これらの事実から、本来なら、どのような社会が望ましいかは明らかではないでしょうか。子供を安心して育てられる社会、しかも、幼い子供の傍に母親が寄り添える生活が、子供の成長という意味でも、社会的な経済的負担の軽減の上でも、重要なことではないでしょうか。
 あまりにも幼い子どもを保育園に預けて母親が働きに出るというのは、今の格差社会で生きていくためには、避けられない人もいると思います。しかし、本来はこのような社会であってはならないのではないでしょうか。
 あまりにも幼い子どもを保育園に預けるという行為は、大人はそれを自覚しなくても、ひょっとしたら幼い子供の立場では、“精神的な虐待や育児放棄(ネグレクト)”なのではないでしょうか。下手をすると、その子は、癒すことができない深い心の傷を負う可能性があります。こう考えると、ガラスのハートと言われる、非常にメンタルの弱い若者が増えている理由がわかる気がします。
 格差が広がり、貧困家庭が増えると虐待もまた増えます。傷ついた子供たちが大人になると、自殺も含め、様々な問題を引き起こします。こうした負の連鎖を断ち切るためにも、正しく子供を育てることが大切であり、育てられる社会を作ることが大切なのです。
(竹下雅敏)

注)以下、文中の赤字・太字はシャンティ・フーラによるものです。

————————————————————————
子ども時代に虐待や育児放棄を受けた人の成人後の自殺リスクが「最大で5倍」となることが英国での研究で判明。しかし世界中で児童虐待は激増中
転載元)
(前略)
今回ご紹介させていただこうと思うのは、英国マンチェスター大学などによる研究で、その内容は、
「子どもの頃に虐待を受けていた人たちは、大人になってからの自殺企図のリスクが非常に高くなる」
ということがはっきりとわかったというものです。
(中略)
まあ、このような論文をご紹介しようと思ったのも、たとえば、日本の児童虐待に関してのグラフなどを見ると、かなりすさまじいことになっているというようなことなどもあります。
下のグラフは、1990年以降の児童虐待の相談件数の推移です。


todo-ran.com
(中略)

Child abuse linked to risk of suicide in later life
manchester.ac.uk 2019/01/09

児童虐待は後の人生の自殺リスクと関連する
(中略)
調査は、英国のマンチェスター大学とサウスウェールズ大学の心理学者たちによって行われた。

この報告によると、身体的虐待(暴力)、性的虐待、そして、精神的な虐待や育児放棄(ネグレクト)を経験した子どもたちは、その後の人生で自殺を試みる可能性が少なくとも 2倍から 3倍高くなっていたことがわかった。(中略)… また、医学専門誌「サイコロジカル・メディスン(Psychological Medicine / 心理医学)」で発表された研究では、複数の虐待を経験した子どもたちは、自殺を試みる率が通常よりも 5倍も高いことがわかった。
(中略)
マンチェスター大学のマリア・パナギオティ博士(Dr Maria Panagioti)は、以下のように述べる。
「この研究は、子どもの頃に虐待や育児放棄を受けた人々は、成人になってから自殺企図のリスクに苛まれる可能性が高まるということについての確固たる証拠を示しています」
(中略)
「ほぼ 3人に 1人の成人が子ども時代に虐待を受けていました」
(中略)
さらに、博士はこのように続けた。
「そして、これは医療にも重要な意味を持つことでもあります。たとえば、アメリカでは、児童虐待に関わる経済的負担が約 1,240億ドル(13兆円)と推定されることが他の研究で示されているのです」
(中略)
研究者たちは(中略)… この研究が、そのような人たちを助けるためのアプローチを考えていくきっかけになればいいと語る。

(中略)
昨年、アメリカで発表された研究で「虐待を受けた子どもの細胞は、DNA レベルで変化する」ことが判明したことが発表されたことがありました。
こちらの記事でご紹介しています。

 
(中略)
しかも、この研究の被験者の方々は、みなさん成人でした。ということは、
「子どもの頃の遺伝子の変化が、おそらく一生そのまま残る」
という可能性が高いのです。
 
» 続きはこちらから
1 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33 34 35 36 37 38 53