アーカイブ: かんなまま

ままぴよ日記 109 「さようなら LUNA」

 今年は早く梅雨が始まりました。庭の紫陽花も日々色を変えながら庭を彩ってくれています。

 この時期は、子すずめも必死で親鳥についてきて、餌をおねだりしています。毎年の光景ですが、椅子を庭に向けて置いて朝の祈りをするのが日課になりました。横には必ず愛犬が寝ていました。
(かんなまま)
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15年間、ずっと私のそばにいてくれた愛犬


愛犬が、とうとう亡くなりました。


思い返せば15年間、ずっと私のそばにいてくれた愛犬です。特に最後の一年間は何度も死線をさまよい、復活してくれました。きっと私の心の準備のために頑張ってくれたのだろうと思います。

去年の4月に痙攣を起こし、耳が聞こえなくなり、やがて眼も見えなくなりました。頼りは匂いと過去の記憶。水の在処も柵をたどって行きました。エサは好き嫌いが激しくて市販のドックフードを全く食べなくなりました。

私たちの食事を用意する時に、まるで離乳食を作るように愛犬の分も作りました。だから買い物に行くときも絶えず、これは食べるかな?あれは食べるかな?と思いめぐらせたものです。

目を離すと、とんでもないところで身動きできなくなってしまうので、だんだん行動範囲を狭くして、とうとう夫が作ったケージを小さな柵で囲いました。歩くのも困難になり、横になるのもバランスを崩してバタンと倒れ、そこから体を起こせなくなりました。

昼夜逆転して、夜中にその状態になることもしばしば。体調が悪いときはそのまま痙攣を起こします。

今まで夫婦のベッドをぴったりつけて、夫と私の間を行ったり来たりしながら一緒に寝ていた愛犬ですが、目が見えなくなってベッドから落ちる心配も出てきたので、私がベッドの下に布団を敷いて、愛犬と一緒に寝るようにしました。

でも、夜中に徘徊するようになったので夫が眠れなくなりました。夜中でも水を飲みたがるので、水の在処がわかるリビングのケージのそばに私の布団を持って行って、そこで眠ることにしました。

そんな中、コロナでずっと延期になっていた従業員の慰労会をしました。留守にするのが心配でしたが、2時間だけと思って、安全対策をして出かけましたが、帰ってきたら倒れてもがいていました。

駆け寄って抱いたら落ち着きましたが、長くその状態だったのでしょう。片方の目が腫れて顔が変わるくらい変形していました。胸がつぶれそうでした。亡くなるのは時間の問題だから出かけるのをやめようと決心しました。それからは夫がいてくれる時に用事を済ませることにしました。

ただ、年間計画の子育て支援の仕事は断れません。私がいないと成り立たないセミナーやベビーマッサージなどは、祈りながら出かけました。

こんな状態がいつまで続くのだろう?娘からのSOSや母の様態が急変したらどうなるのだろう?と不安がよぎるのですが、目の前のことをするしかありません。

昼間の仕事も、デスクをケージのそばに移動しました。私の生活は愛犬の周り半径2メートル!そして、毎日抱きながら「何をしてほしい?幸せ?」と聞きました。

日に日に変わる愛犬の容態によって、試行錯誤しながら介護をしたのですが、不思議なことにちっとも負担ではありませんでした。むしろ、やらずにはおれないのです。

介護ってこんなにエネルギーに突き動かされて、満ち足りたものだとは思いませんでした。

小さな犬だったからできたことかもしれません。お別れの時間が迫っていたから優先的にやれたのでしょう。でも、それだけではありません。愛犬は私たち夫婦の危機を救ってくれた恩人なのです。そして、私に本当の愛を教えてくれました。

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ままぴよ日記 108 「ずっと 孫達の心に寄り添っていたい」

母の日に娘婿からカネーションが送られてきました。びっくりするやら嬉しいやら。

「こんなことしかできなくて・・」と電話口で言ってくれましたが、私達では想像できないほど過酷な状況の中で生きていてくれているだけで感謝です。

今回は娘家族に起こった一連の事件を孫の視点で綴ってみたいと思います。
(かんなまま)
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子どもの生活は親次第


私の身体は家にいながら心は娘家族を案じている毎日です。特に孫達の事を。
                              
思えば日本に帰国して9ヶ月間。孫達も頑張ってきました。なんせ、子どもの生活は親次第。親が外国に行くと言えば嫌とは言えないし、帰国すると言えば「はい」と従うしかありません。

親は子どもに良かれと思って住む場所を選んだり学校を決めたりしたとしても子どもにとっては青天の霹靂です。特に言葉も習慣も違う外国の学校に1人で居るのは不安だったろうと、孫の立場になって想像してみたら胸が詰まります。

幼稚園もしかり。知らない場所にいきなり連れていかれて、置いて行かれる気分。ここがどんなところか?いつ迎えに来てくれるのか?不安だらけです。

でも、好奇心旺盛なお友達が次々に関わってくれるし、先生たちも言葉のわからない子に優しく接してくれたから、どうにか過ごすことができました。

何より、アメリカの学校は発表やテストで評価されることもないし宿題もありません。半分遊びみたいな授業で自分の思ったことを自由に言えるし、黙っていても受け入れて貰えたのでびっくりでした。重たいランドセルもないし、おやつも持って行けます!だんだん楽しさの方が増していきました。

だから一度も「学校に行きたくない」と言わずに通っていました。そして、すっかりアメリカの生活に慣れてきた4年後、いきなり「日本に帰国する」と親が告げたのです。

友だちと別れるのは寂しかったし、もう楽しい学校に行けないと思うと残念でたまりませんが、どうすることもできません。

ただ、日本に帰るのは嬉しくもありました。だって、じいじやばあばに会えるし、従妹たちと遊べる!とりあえず、おいしい日本食が食べられる!というノリで帰国しました。

子どもは今を生きる人です。先の事を想像してもよくわからないし、自分でどうすることもできません。過去の思い出が、まあまあだったのでどうにかなるだろうと思います。そして、好奇心と新しい事を覚えて適応する能力が高いので、意外と逞しいのです。


事の重大さを感じとった子ども達


ただ、それだけでは済まなかった。

帰国と同時に父親の病気がわかり、生活が一変しました。父親が突然入院して会えなくなりました。

10時間に及ぶ治験の手術の後、過酷な病名を告げられた娘。その足で面会に行ったら、もう目が見えなくなって目の前にいる妻を手探りで探している夫の姿を見たとたん、気丈にしていた心が折れました。

子ども達は、病院から帰ってきた母親が腑抜けのようになっていた事。そして、父親が長く生きられないと伝えた時の母親の涙を見て、事の重大さを感じとりました。


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ままぴよ日記 107 「今はいっぽいっぽ歩くのみ」

「私、生きてるよ!」と枯草だけの大地に芽を出して、いつの間にか花が咲いています。みんな本当にきれい!

天気のいい日に野原に行くと、一番小さな孫が、パパの肩車に乗って「どの花見てもきれいだなあ~」と指さして歌ってくれました。
お姉ちゃんと草花のリースを編みました。


母も愛犬も、若い娘婿まで命を閉じようとしていますが・・・
春の大地が、みんなの命が巡っていることを思い出させてくれます。
これでいいんだ。私もいつの日か・・・。と、教えられます。
(かんなまま)
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春から娘が大学院に入学


この春休みに娘からビックプレゼントが届きました。

フレッシュで、この上なくかわいくて騒がしいもの・・・そう、孫達がやって来たのです。「えっ⁈4歳の孫まで来るの?ママがいなくても大丈夫?」と聞きましたが、本人が「ママがいなくてもばあばの首を触って眠るから大丈夫。・・・ああ、やっぱり気持ち悪いから触らなくても大丈夫」と言ったそうなのです。

実はこの春から娘が大学院に入学する事になりました。子ども達の春休みに、入学準備、入学式、オリエンテーション、奨学金の手続き等があるので子ども達を私にプレゼントしてくれるという訳です。子ども達も、日頃どこにも行けないので、ばあばの家に行くのをとても楽しみにしていました。


嬉しいやら、考えただけで気が遠くなるやらですが、受け入れる覚悟を決めました。だって、娘の孫が来るという事は息子の孫も漏れなくやってくるのです。息子夫婦も平日は仕事で孫達だけでお留守番です。2歳のチビちゃんは別として合計7人の大合宿です。

娘は毎日の生活を1人で頑張っています。子育てのワンオペどころか介護もワンオペです。その生活だけでも忙しいのに、この4月から大学院に入学して勉強する事になりました。それを聞いた人は口を揃えて「無理しないで、倒れるよ」と心配します。

傍からそれを見ていた私は、娘自身がどれほど大変になるかを知りながら自分のやりたい仕事に向けて歩き出そうとしているのを感じました。だって判断できない時は1歩ずつ確かめながら進むしかないのです。ダメな時は何らかのサインが来るでしょう。入学して無理だと思ったら休学すればいい。

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ままぴよ日記 106 「ああ~みんな帰っちゃった!」

 春です!新しい事を始めるエネルギーが満ちています。
 私の場合は、日課の変化かな?
 朝、私の布団の上で寝息を立てている愛犬を起こさないように、そ~っと抜け出し、夫との朝食を作り(自家製甘酒に杏子の種とアーモンドをいれたものとコーヒー)、にゃんこ姫のお世話と、外の木に並んで待っている雀の餌を撒きます。そう私は長年、いきものがかりなのです。
 それが落ち着くと、まだ眠っている愛犬の横で除霊と浄化の祈り3マラと愛のマントラを唱えます。
 この朝のお仕事は必須なので、その日の予定で朝起きる時間が早くなったりします。

 そしてこの春、私が新しく始めた事は・・・・寝る前の鼻洗いの後にやっと、やっと経筋体操を始めましたあ~!何だか気持ちいいので続けられそうです。これを書いたので確実です!(笑)
(かんなまま)
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令和5年、我が家のお正月


令和5年元旦を迎えました。我が家のお正月はちょっと変わっていて、味噌雑煮。みどり米の餅を入れていただきます。

ただでさえ忙しいので器なんか何でもいいのに、こんな時にしか出番がないご先祖様の器を勢いで出してしまったので大変です。ご苦労な事!とつぶやきながら盛り付けますが、なかなかいい感じです。


今日はお昼前に娘婿のご両親が娘家族を迎えに来られます。4日まで婿のお里で過ごして帰る予定です。私達よりずっと心を痛めていらっしゃるご両親。きっとこの日を待ちわびていらっしゃったことでしょう。

大急ぎでおせち料理を食べた後、子ども達が庭で遊び始めました。そして「おばあちゃんが来た~!」と嬉しそうに出迎えました。いよいよその時が来たと、ドキンと胸が鳴ります。

娘達が結婚する前から親しくしているご両親。わかり合っているだけに言葉が出ません。娘が「家族写真を撮ろう!」と言い出しました。全員を集合させるのが大変ですが娘婿を中心に全員でカメラに納まりました。

久しぶりに親子6人だけの写真も撮りました。子どもが成長して親より背が高くなり、逆に私達老夫婦の肩を抱いてくれました。


いよいよ、お別れです。1人ずつ娘婿の手を取って激励しました。涙を流しながらも私には「お母さんには又会えますよね」と言ってくれました。

孫達も笑顔で手を振りながら出発していきました。私も笑顔で手を振って見送った後、振り返るとオーストラリアの娘が私に向かって手を広げていました。一気に涙が溢れて娘に抱かれたまま嗚咽してしまいました。

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ままぴよ日記 105 「家族団らん」

 久しぶりにコンサートに行きました。

 ショパン作曲のピアノ協奏曲第1番。オーケストラの演奏に導かれてピアノが始まり、突然悲しくて切ないメロディが流れてきました。不意に私の胸が震えて涙が溢れてきました。なぜ泣くのだろうと思いながらも止まりません。
 「ああ、私は悲しかったのだ」と思いました。それも自分の事ではなく、娘と一体になって悲しみに耐えている、と知りました。
 恥ずかしいのですが、このまま泣いていいと思い、鼻水じゅるじゅるのコンサートでした。

 さて、今回はお正月の里帰り第2弾です。
(かんなまま)
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涙、涙、涙の再会


娘家族を乗せた車が家に着きました。

それを待ちわびていたのはオーストラリアの妹とフィンランドの弟でした。お姉ちゃんは2人の顔を見て気が緩んだのか涙が溢れてきたようです。みんなウンウンと頷きながら抱き合って泣いています。言葉になりません。

あらあら、気が付けば、向こうで、やっと椅子に座ったばかりの娘婿を抱きしめながら夫が泣いています。最初に病気の知らせを受けたのは夫です。それから半年。病状を心配しながらも一度も会いに行けなかったのです。人前で泣く人ではなかったのに、年を取って涙もろくなったようです。

従妹同士になる子ども達も小さいころに会ったきり。でも、すぐに打ち解けて遊び始めました。あれれ?子ども達も大人もみんな英語で話しています。日本語がわからない人が3人居るので自然にそうなったのでしょう。日本の我が家で家族同志が英語で話しているという不思議な光景です。


賑やかな家族の団らん


さあ、賑やかな家族が戻ってきました。そして・・・私は一気に料理マシーンになりました。

お持ち帰りのうどんを作るだけでも大騒動です。大きなどんぶりが足りないのでバイキングのようにテーブルに具を並べて何度でもお代わりができる方式にしました。「どうぞ、好きなものを好きな場所で食べてくださーい!」と叫びます。

一瞬で家が散らかり、子ども達は家中を探検してまわります。最初に愛犬にだけは注意を払うようにと言いましたが、当の本人(犬)は見えないし、聞こえないのが幸いして安全なテーブルの下でグーグーいびきをかいて眠っています。

娘婿も会話に入りながらニコニコしていますが、実は帰る3日前に急に意識が遠くなり、何を聞いても「うんうん」と頷くだけで、身体も動かなくなっていたのです。

早く対処できたので1日の入院だけでよかったのですが、その時、先生に里帰りをする予定だと伝えたら「今のうちに帰った方がいいですよ」と言ってくださったそうです。何が何でも連れて帰りたいという思いが奇跡的な生還に繋がりました。

だから、お互いに顔を見ることができた時の喜びもひとしおでした。家族同志だから泣いていい。わかり合った上で一緒に前を向いて普通の生活をするために集まったのです。幸い、子ども達の存在が容赦なく日常に戻してくれるので助かります。

娘婿も初めは疲れた様子でしたが、家族のおしゃべり、子ども達のはしゃぐ声、生活の様々な音を聞きながら、だんだん穏かな笑顔になっていきました。

食欲も出てきたようで、何でも「おいしい!」と食べてくれました。一緒の食卓に座れたのには驚きました。娘から病状を聞いていたので介護用のお箸やスプーン、特別食まで用意していたのですがそっと隠しました。

その日はちょうどクリスマスだったのでオーストラリアの娘婿が特別のケーキを焼いてくれました。

子ども達は中学生のお姉ちゃん以外は皆でお風呂に入ります。


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