終戦工作として原爆による第二総軍壊滅
ヒロシマ原爆にて広島市民14万人以上が亡くなったとされますが、ただし、この14万人には軍関係者は含まれておらず、それを含めるとヒロシマ原爆の死者は20万人との説があると紹介しました。
こうだとすると、ヒロシマ原爆一発で軍人たちが6万人も亡くなったことになります。
なぜこのような多数の軍人たちが一度に犠牲になったのか?
1945(昭和20)年に創設された第二総軍が広島を本拠として陣取っていたのです。その第二総軍が広島原爆によって、「
総司令部以下全組織は壊滅的な被害を受けた。総軍の中枢部が崩壊し諸部隊も全滅に近い状態となり、命令系統不全となる」のでした。
当時、大本営は国土決戦に備えて狂奔していました。本土を二分して、東部を第一総軍(杉山元元帥)、西部を第二総軍(畑俊六元帥)を担当として、米国軍上陸による本土決戦の備えとしていたのです。第二総軍司令官の畑俊六元帥は、天皇の侍従武官長を勤めた経験もある数少ない天皇の側近としての陸軍司令官であり、昭和天皇のお気に入りの将軍でした。
畑俊六元帥
原爆によって第二総軍は壊滅的な被害を受けたのですが、司令官である畑元帥は無傷で原爆の災禍を潜り抜けています。
このことについての事情やからくりを結論として、
鬼塚英昭氏は『原爆の秘密[国内編]』p24
に次のように記しています。
私は第二総軍は最初から、すなわち鈴木内閣ができたときから、終戦工作の一環としてつくられたものと思っている。終戦工作とは何か。簡単明瞭に書くならば、原爆誘導および処理のために、天皇が畑を呼びよせつくったものである、と書いておく。
これについては「これから書いていくことを読者が読めば納得すると思っている」とも記し、ここからその証拠となるものを次々延々とあげていくことで本書は構成されています。鬼塚氏が本書の本文最初部に記したこの結論は強烈です。
整理すれば
次のことを鬼塚氏は読者に伝えています。
①第二総軍は、終戦工作として昭和天皇の意図によって創設。
②創設された第二総軍は、原爆によって壊滅させられることが決定していた。
③終戦工作として原爆による第二総軍壊滅に協力したのが、昭和天皇の意図を受けた畑元帥。
なぜ第二総軍が終戦工作の一環として原爆によって壊滅、軍人たちが犠牲にさせられたのか?
同書p101にその理由となる事実が記されています。
ここに第二総軍の配下の上級指揮官のほぼ全員が死んでしまうのだ。その結果はどうなるのか? 日本の国土の西半分から「終戦反対、徹底抗戦」の声が消えていくのである。神の名のもとに戦争を始めた日本は、神の名のもとに終戦を迎えねばならない。皇軍の旗を振り続けた上級指揮官が消えてしまえば、なんと都合のいいことであろうか。
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アメリカの「原爆によって100万人の米兵の命が救われた」「本土決戦をすれば50万人の米兵が死亡した。50万人の命を救うため、原爆を投下する必要があったのだ」などという「神話」は全く根拠のない嘘だとkakuyokusyugiさんが解説されていました。追い詰められていたわけでもないアメリカが女・子供・老人の民間人を大虐殺したのは、「当時、欧米人の有色人種に対する差別意識は凄まじく、米国は、日本人を人間の扱いをしなかった。 日本人にだけは何をしてもよいという空気があった。」という選民思想が原爆の根底にありました。同じ人間と思われていない日本人、そして犠牲となった広島が今、軍拡の手段に利用され、しかもそれを大成功と思わされている。
歴史を正しく知らなければ、今を正しく判断できない。今回の屈辱的な広島サミットは、アメリカに隷属している日本の姿を世界に晒しました。そしてそこには国と国との対立関係というよりも、国家をも駒にして戦争を生み出してきた者たちがいることも晒しました。日本人がそれに気づき、日本の中の売国奴を追い出すことが平和の鍵だと思います。