(中略)
――安冨さんは著書で「人は、自分自身でないもののフリをしているからつらくなるんだ」と指摘されています。なぜこのような指摘をされたのでしょうか?
「自分自身になる」というのは、いわゆる「自分探し」のことではないんです。「自分探し」はするだけムダです。
(中略)… そもそも人は自分自身以外のものにはなれない。もうすでに自分自身なんです。でも
多くの人は、想像力によって「自分じゃないもの」になりすましています。それをやめればいいだけなんです。
(中略)
――安冨さんも親からの抑圧があったんですか。
ありました。私の場合は、親が適応させようとしたシステムに見事にはまって、京都大学に行き、一流企業に就職しました。でも、
京大に合格しても一流企業に就職しても、全然うれしくなかったんです。
どうしても入りたかったのに、いざ合格したら「やれやれ」みたいな感じで。
なんでうれしくなかったのかというと、そのときの私が「自分自身」ではなかったからですね。私じゃない奴がいくら成功したって、私はうれしくないんですよ。
ゲームの「ポケットモンスター」ってあるでしょ。
受験や就職で戦っていたのは、私じゃなくて私のポケットモンスター(社会に適応するためにつくられた自分)だったんです。成功しても、それは私ではなく私のポケモンが成功してるだけなので、うれしくないんです。私だけでなく、ほとんどの人がそうなんです。
(中略)
――自分自身に戻れるとしても、世間はポケモンのまま生きることを求めますよね。世間に抗って自分自身になっていくのは苦しい戦いだと思います。
抗う必要はないんですよ。
ただ「こいつらはポケモンだ」という事実を認識すればいいんです。「こいつらはおかしい」って思えたらそれでいい。でも「私のほうがおかしいんだ」と思ってるうちは苦しみが続くと思います。
(以下略)
なぜ、エプスティーンは、ペドファイルだけでなく、最先端の科学に興味を抱いたのか。
そこらへんを、つっついてみました。