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青年会議所の広報委員長だった私が振り返る21世紀初頭
〜2001年 特集記事『 道しるべを探して…』10月号を題材に(前)〜

 特集記事作成当時では聞くこともなかった日本での餓死、それが最近では相当数が報告されるようになっています。現在の世界の飢餓、これは自然に起きたことではありません。
 「ありあまるごちそう」という映画、この冒頭は大量の作りたてのパンを廃棄するシーンから始まり、生き物が人工的に残酷劣悪な状態で機械的に食品にさせられていく様子が収録されています。この映画に登場するジャン・ジグレール博士は「餓死は殺人」と指摘します。映画の内容とそこでの博士の言葉そして博士の著書「世界の半分が飢えるのはなぜ?」を読むと分かります。世界における飢餓の元凶それは穀物メジャー等による「市場操作」、グローバル経済による搾取強奪であることに。べつの言い方をしますと飢餓を作る主犯は911テロの首謀者たちに他ならないということです。
 今国会で「種子法廃止の法案(モンサント法と称される)」が既に成立させられました。外資による「食の支配」が一層進みそうです。身を守るためにも各地域そして各家庭がそれぞれ自立し、速やかに可能な限りの「自給自足」「地産地消」を実現する取り組みが必要となっているのです。
(seiryuu)
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福岡正信氏
Author:naturalfarming.org



特集記事 「道しるべを探して・・・3」 2001年10月号掲載 前 

 年間1千万人の子ども達が餓死し、飢餓人口は8億4千万人。年間2千万トンの食料をゴミにしている飽食日本の私達にはピンときませんが、世界の食料事情です。私達がゴミにしてしまっている食料を、飢餓に苦しむ人達にうまく振り分けることが出来れば、餓死する子どもが、一人も無くてすむのはいうまでもありません。ただし、近い将来世界的な食料危機が訪れるのは確実だともいわれています。その時においても、私達は飽食の上に座していられるのでしょうか。

・・・・(略)・・・・
 

地上全ての生命体そして人間が、生きていくために絶対必要な3つの要素、それは空気、水、食料です。この3つの生産維持に大きく関わっているのが、土と緑(特に森林)です。平成13年環境白書によると、世界の森林の減少は年間1130万ha。特に多様な生物の共生の場であり、酸素供給の場でもある熱帯雨林の減少は深刻であるとの報告がされています。

また、平成2年の白書では、生物にとって不毛の地である砂漠地の増加は年間600万haとのこと・・・。実に九州と四国の合計面積にあたります。このままいくと2025年には、世界中の3分の2の人が水難民になるとの報告もされています。私達を取り巻く環境は深刻な段階を迎えているのです。

そして、それらの原因に私達の価値観、生活スタイルが大きく関わっていることも知りました。つまり、物質経済に価値の重きをおき、万物を自らの要求を満足させるための利用物とみなし、大量生産大量破棄し、経済力の優れたものが支配していくスタイルです。

この弊害を知るにつけ、私達はある人物とその活動に注目しました。福岡正信氏と福岡氏が提唱実践されている自然農法です。「人間の力など小さいもので、草一本人間が作っているのではない、・・・人間の知恵はまったく役に立っていない。」福岡氏の思想、それは、成熟したとされる社会を生きる私達には、少し遠い昔の考え方のような気もしました。しかし、なぜか福岡氏の問いかけに何か新鮮さを感じ、切迫感を持たずにもおられませんでした。

・福岡正信氏と自然農法
  

「自然の力を信じなさい、人間の力なんて本当に小さなものだから。」福岡氏は、そう訴えておられるように感じます。

「私の自然農法は、約百種の種子を混ぜた粘土団子を野山や田畑に蒔くだけです。砂漠やサバンナでも3年から5年でバオパブ、アカシヤの巨木が、その下にパパイヤ、バナナ、グアバが実り、その下でタピオカなどの小潅木、その下に野菜や緑肥、穀物もできる。」
 

大正2年生まれの福岡氏は、独自の文明批評を展開しながら、近年は多くの国を訪問して自然農法の種を蒔き続けられており、インドの最高栄誉賞をはじめ、海外で数々の賞を受賞されています。また、これまでに7冊の本を執筆され、初作の「わら一本の革命」は世界10カ国以上で翻訳出版されています。


 福岡氏の主張は、人類のおごりをとがめ、多様な生物それぞれの独自の生態活動を阻むことなく、人類も地球上の生態系の一員として自然と一体となって生きるスタイルにあります。そしてその具体的実践が自然農法となっています。


 自然農法は従来型の農法は勿論、有機農法とも異なります。福岡氏の自然農法は、不起耕、無肥料、無農薬、無除草、つまり、耕さず!肥料を与えず、人為的に、害虫も雑草も排除しないを原則としています。平たく言えば、極力自然に手を加えない農法です。

しかし、当然何もしないで生産を得るためには、自然をよく知ることが必要であり、長年の研究で編み出されたのが、植物の種子を包んだ粘土団子の使用であり、それによって大きな成果をあげられています。


 自然農法の優れたところは、病害虫等に負けないほど、作物自体の生命力が非常に強くなる点。化学肥料や農薬を用いないため、微生物を含む多様な生物の生態活動が活発に循環し、砂漠をも緑化させるほど豊かな土壌を生成する点にあります。

自然農法自体が人の生活を支えながら、多様な生命を育む土と緑を豊かにし、自然回復運動ともなっているのです。


911同時多発テロ(2001年 秋)



Author:Ricopico222



 広報委員会が開かれている中でした。この特集記事10月号のゲラの校正もその委員会で行っていました。アメリカで航空機がビルに激突したとかのニュースが流れていて、「何だろう?」と思っていたところ、そこにニューヨークのツインタワーに航空機が突っ込んでいく映像が飛び込んできたのです。

 一緒にいた広報委員の一人が興奮して言います。「ほらあ!!委員長!言っていたでしょ?いつかアメリカはやられると!バーンと!!」。私はその声を聞きながら、かすかにうなずきつつも、何か耳の奥からアラーム音が鳴り響いているのを聞いていました。「違う!おかしい?何か変だ?!違うぞ?」と。911同時テロ勃発です。

 ブッシュJRはこれを機として「対テロ戦争」を宣言し、直ちにアフガニスタンへの武力攻撃を実施します。その言い分は当時の報道ではオサマ・ビンラディンが911テロの首謀者主犯であり、容疑者のその彼をタリバン政権が匿っているというものでした。

 この言い分自体呆れたものです。「容疑者を匿っていそうだ」でなぜ他国を武力攻撃できるのか?しかもこの時点でオサマ・ビンラディンが911テロの主犯との証拠は無し、ましてやタリバンがビンラディンを匿っている証拠は全く皆無。というかこれらは全くのデマ虚偽でっち上げです。虚偽による一方的武力攻撃です。

 また、米国内においては、どさくさ紛れで「愛国者法」が制定されます。これにて米国憲法は完全に停止し機能しなくなります。まさにショックドクトリンです。ニューワールドオーダーへの野望実現へのあからさまな態度表明です。あの根本教義のカモフラージュすらしない態度です。

 一方日本国内では小泉内閣下にて「対テロ戦争」宣言を受け、やがてテロ対策特措法が成立し自衛隊による米国の後方支援が実施されていきます。この流れが現在の安保法、自衛隊のソマリア派遣駆けつけ警護に繋がります。

 そしてこの特措法成立に大きな役目を果たしたのが、マスコミ報道を駆け巡った「ショー・ザ・フラッグ(旗幟を鮮明にしろ)」です。しかし後にこの言葉は実際には出されたのではなく当時官房副長官だった安倍晋三氏のねつ造リークとの情報があります。

 他方ネット世界(阿修羅掲示板)ではテロの翌日には米国による「自作自演説」が提出され、幾多の疑問が雨後の竹の子のように芽を出していきます。私自身もほぼ即座に「変だ?おかしい」と思っていました。なぜなら無数の監視衛星が作動している中、表報道のような旅客機によるテロが成功するはずがないからです。「少なくともブッシュ政権はテロを予め知っていたはずで阻止しなかった」が私の考えで、ネット情報は私の考えを補完するものでした。ともあれ911テロで米国、日本が、世界が大きく動き出します。

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かんなままの「ぴ・よ・こ・とライフ」(8)嫁姑

かんなままさんの執筆記事第8弾です。 
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嫁姑
嫁姑の問題が起こるのは、お姑さんが不幸だからです。そのため弱い立場の人に当るのです。もうひとつは、お姑さんの無知、愚かさからきているというのが私の考えです。
もちろん、お嫁さんも無知で愚かです。しかし、嫁と姑が同じくらい愚かなら、年を取っている方が非が大きいのです。長く生きているだけ、もう少し賢明であるべきです。
お姑さんが自分を見つめて人間を理解しない限りこの問題は解決しないのです。

出典:「ぴ・よ・こ・と2」竹下雅敏(著)


この文章を読んだ時、衝撃が走りました。もう一度読んだら涙がぽろぽろ出てきました。私の心の中で姑との問題が一気に解決していくのを感じました。

嫁に課せられた重圧


家と結婚したわけではないのに嫁はその家のしきたりに縛られていきます。はじめから弱い立場なのです。結婚1ヶ月目から毎月「子どもはまだ?」と電話がかかるようになりました。妊娠に焦りました。妊娠して喜んでいたら流産。悲しくて、更に焦りました。やっと妊娠したら「うちは男しか生まれない」と言われました。流産しそうになり安全のために入院を勧められ、生まれる直前に感染症にかかり2%の危険があると言われて帝王切開を選ぶように勧められ、無事に男の子が生まれて祝杯が挙げられました。お世継ぎ55代目が生まれたのです。家に残る家系図には娘や嫁の名前はなく全て「女」と書いてあります。

産後すぐに夫は外国へ。不安で涙を流して見送る私に「あんたはすぐに行くからいいね」と嫉妬されてびっくり。

子育てしながら引っ越して外国への荷造りをするという超多忙の中「長男の嫁が家にいないでは世間に顔向けできない」と怒られて夫の実家へ。夜中の授乳と家事、荷造りと無理がたたり産後の出血が止まらなくなりました。実家に行かせてくださいと頼んだら「あんたの体はどうでもいい」と言われ、逃げるように外国へ行きました。

2年間の外国の暮らしは夢の様でした。夫婦だけでいられる…それだけで幸せでした。帰国の飛行機の窓から富士山が見えた時、またあの生活になるのかと涙が出ました。

PixelwunderByRebecca


姑は悪い人ではありませんでしたが言いたいことをズバズバ言い、ズカズカ私達の生活に入り込み、夫を溺愛していました。私の息子に無断で自分のおっぱいをやり、子どもの教育に口を出し、息子の成績が悪いと親族会議が開かれ、お叱りを頂きました。子どもを医者にしなければ嫁の役割は果たせないというプレッシャーがかかりました。でも塾に行くのを逃げ出す息子を見て通わせるのを辞めました。

犬を飼いたいと話したら「子どももろくに育てられないくせに犬なんて」と怒られました。その時、我慢の糸がプチンと切れました。「私は期待に沿うような完璧な嫁にはなれません。私は子どもが4人いて、犬もいて、成績よりも、みんなで仲良く暮らす方が大切だと思います」とはっきり言う事が出来たのです。姑は私が口答えしたのでびっくりして何も言いませんでした。その時から私の中で確信が生まれました。もう振り回されないと。

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【第1回】きっと役立つ乳酸菌学  〜メリーベのために〜

 皆さん、こんにちは!「地球に優しい方の微生物学者」という者です。長年、勝手にシャンティフーラさんのファンをやらせていただいております。この度は光栄にも編集長にお声がけいただき、筆を執らせていただきました。諸事情あってペンネームですが、微生物、特に乳酸菌の研究者をやっております。その専門性を活かして、乳酸菌とその機能性について皆さんの役に立つような情報を数回に分けて掲載していきたいと思っています。(体癖に捻れが入っているため、所々笑いを取りに行ってスベっておりますので、その点はご了承下さい。笑)。
 「乳酸菌=微生物」ではなく、「乳酸菌=食べ物」と理解されている全国のメリべの方々は、きっと乳酸菌のことも大好きなはずです!私はメリべ民の味方ですので、「メリーベのために」できるだけ専門用語は避け、意味を補足しながら平易な文章を心掛けて書こうと思っています。堅苦しさを避け、所々、口語的な文章で書かせていただきます(誰か「メリーベのために」というテーマ曲を作って下さい。笑)。
 これから頑張って執筆していきたいと思いますが、十分時間が取れませんので、超不定期掲載となることを予めご了承ください。興味があればご覧いただき、健康ライフにお役立ていただければ幸いです。
(地球に優しい方の微生物学者)
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きっと役立つ乳酸菌学 〜メリーベのために〜

Bifidobacterium adolescentis
Author: Y-tambe


【はじめに】


 最近、乳酸菌やプロバイオティクスという言葉をよく耳にするようになりましたが、皆さんはこれらがどういう菌なのか分かりますか?

 乳酸菌は「何となくカラダに良い」というイメージだけの人も多いのではないでしょうか?まずは乳酸菌とはどういう菌なのかを簡単に知っていただきたいと思います。


【乳酸菌って何?】


 乳酸菌ってどんな菌なのでしょう?

 「広義の乳酸菌」は、「最終代謝産物として乳酸を沢山作る菌」です。そう、乳酸を沢山作るから乳酸菌なのです。非常に単純なネーミングですね。この定義でいくと、ビフィズス菌も乳酸菌の仲間となります。ですが、様々な違いがあるため、「狭義の乳酸菌」には、ビフィズス菌は含まれません。乳酸菌とビフィズス菌の特徴の違いは下記のとおりです。

《乳酸菌の特徴》 
・ブドウ糖から「乳酸のみを作る菌」と、「乳酸+アルコール+炭酸ガスを作る菌」がいる
・通性嫌気性菌(酸素があっても生きられる)
・球状、または桿状(棒状)の形をとる
・主に小腸、大腸、様々な発酵食品中に存在

《ビフィズス菌の特徴》 
・乳酸より酢酸を多くつくる(乳酸:酢酸=2:3)
・偏性嫌気性菌(酸素があると生きられない)
・(短)桿状、Y字状、V字状などの形をとる
・主に大腸に生育(大腸はほぼ無酸素状態)

 このような違いがあるため、厳密には乳酸菌とビフィズス菌は区別されています。乳酸菌には、研究者の私も「本当かな?」と思えるぐらい沢山の機能性がありますが、実は、虫歯菌で有名なミュータンス菌も乳酸菌ですし、人食いバクテリアと呼ばれる恐ろしい菌も乳酸菌です。一般的に言う「乳酸菌」にはこれらの菌は含まれませんので、ここで登場する「乳酸菌」は安全性の高い、身体に良い方の乳酸菌とお考え下さい。


【プロバイオティクスって何?】


 プロバイオティクスとは、簡単に言うと「適切な量(十分な量)を摂取すると身体に良い働きをしてくれる生きた微生物」です。乳酸菌やビフィズス菌が代表的なプロバイオティクスと言えます。「生きた微生物」でないとプロバイオティクスとは呼びませんので、殺菌した乳酸菌や胃酸や胆汁酸で死ぬ乳酸菌はプロバイオティクスではありません。いわゆる「生きたまま腸に届く有用菌」がプロバイオティクスです。


pixabay[CC0]


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青年会議所の広報委員長だった私が振り返る21世紀初頭
〜2001年 特集記事『 道しるべを探して…』7月号を題材に(下)〜

 夕刻、近所の居酒屋にいました。隣の知人「このこ、すごい別嬪さんやなー、それで顔出しか、すごい勇気やなー!」との声。顔をあげるとテレビで若く美しい女性が山口元TBS記者によるレイプ被害と警察の事件もみ消しを訴えるニュースが流れていました。「そうですね。」と私がうなずく横から、違う知人男性が「こんなん(無防備な)女も悪いんや。」との声。「それはおかしい、違いますよ」とたしなめましたが、私は帰宅し改めて被害女性の「・・・レイプという行為は私を内側から殺しました」とのコメントを読み、少し考えてしまいました。「もしかしたら、いや多分私も被害女性にも非があるなどとは思わないが、昔ならこのコメントを少し大げさでは?と思ったかもしれない」と。正しい知識を得ていない怖さを改めて思いました。今回の解説文は「精神的な空白感、飢餓感」の正体、教えて頂いた性暴力を中心とする野心に言及しています。
(seiryuu)
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Author:663highland



特集記事 「道しるべを探して・・・2」  2001年7月号掲載  下 

・和の精神 

 人間中心主義の限界、今これを乗り越えていく鍵はどこにあるのでしょうか。

 文化と技術、これは相関関係にあります。文化は長い時間をかけて成り立つものですが、文化とはそれぞれの地域において、その地域の人々がそこで生活しやすくしていくための仕組みです。仕組みはそれを支える技術を生み出します。そしてこの技術は、実際に文化仕組みを稼動させながら、また文化を生成進行させていきます。この全体が社会です。更にこの文化や技術を生み出すのに欠かせない要素が、自然環境であり、人々の精神作用に他なりません。

 さて現代日本、私達は欧米文化を取り入れ、特に戦後、生活スタイルは激変しました。そして、通信、医療、土木建築、農耕・・・ あらゆる分野で技術が進んだと思われています。確かにそうでありましょう。しかし、全ての分野でそうであり、昔のものが劣っていたのかといえばそうでもないようです。法隆寺に代表されるような、数百年単位で維持される木造建造物。日本各地に残る城壁等の自然石を組み合わせただけの、非常に堅牢な石垣。これらのものは現代技術の粋を結集しても、再現は非常に困難なものです。コンピュータも機械も、電力等の動力源もなかった時代、このような優れたものを、生み出せた背景には何があったのでしょうか。

 それには、もちろん全体的な設計能力が必要です。ただそれ以上に大切なのが、木や石という素材そのもの一つ一つを、敬愛理解し、生かしていこうという精神的な姿勢ではないでしょうか。石垣を例に取れば、一つ一つの石の大きさや形、強度は全て異なります。合理的なスピード重視ならば、石を削ったり切ったりして、石を平均的に均一化して用いるほうが、楽に石垣は仕上がります。

 しかし実際は、その異なったままの一つ一つの素材に、手を加えることなく組み合わせていくことによって、堅牢な石垣が出来上がっているのです。木造建築も同様に一本一本の木の性質、形状を尊重し、様々に組み合わせることで、長期にわたり維持していける調和のとれた、建造物が出来上がるわけです。

 色々なもの、一見役立たずとも見えるようなものでも、その一つ一つを、敬愛理解し、その性質や形状を認め、生かしていこうとする文化、それが実は、脈々と受け継がれてきた日本の文化であり、その底流には、聖徳太子の「和をもって貴しとなす。」の言葉に象徴される和の精神があったと思えます。

 現在の風潮では和の精神といえば、妥協や馴れ合い、もしくは自己犠牲といった感覚で受けとられやすいのですが、本来はそういう意味ではありません。和の精神は、全てのものは繋がっているという、ありのままのことを受け入れるところに発動します。人と人、また他の生き物との間においても、関わりがある以上、そこには協力しあう愛の流れがある反面、必ず悲しいことに、個々の生存要求に基づく、憎しみ争いもついて回ります。

 和の精神とは、単純に憎しみや争いを無くしましょう、妥協し馴れ合っていこうというものではありません。憎しみ争いといった、ある意味では関係を有すことの負の部分も認め踏まえながら、その矛盾を超えて、互いに生かしあい、調和をとっていこうとする精神を指すものです。

・21世紀を創造していくために 

 繋がりを忘れ、自らの要求充足に血眼になることに起因するであろう、深刻な自然環境破壊の進行や、夫婦や親子間でも保険金目当ての殺人が起こるといった、現代社会の殺伐とした側面に触れるに付け、改めて、和の精神を、未来への「道しるべ」として見直していくべきだと感じます。

 私達一人一人の意識精神の働かせ方こそが、文化を、技術を生み出し、それが全体としての社会を生み出し、新たな21世紀を創造していくものだからです


「精神的な空白感、飢餓感」その本当の正体



pixabay[CC0]


特集記事では非人間化に繋がる「精神的な空白感、飢餓感」を問題の本質としてとりあげてきました。ここで当時は全く分からなかったその正体を先に簡単に示しておきます。教えて頂き気づいたものです。

それはまさに驚愕の一言でした。「思想は確かに大事なのです。すごく大事ではあります。しかし思想では人間は救われません。全然救われないのです。」。

直接生で聞いた私は「う!ええ!な?なに?」との反応です。なにしろ既に記しているよう、まだ構築も見つけたわけでないけど私は「素晴らしい思想、これこそが「精神的な空白感、飢餓感を抱える」人間をその社会を「救う」と、当時そしてその後長らくも考えていたのです。」から。たしか岡山講演だったか?記憶は定かではないですが会場で竹下さんがあっさりした感で語られ、耳にしたその言葉は全く何の迷いもてらいもなく確信に満ちていました。

「思想ではない?それでは何が救いになるのだろう?」。やがて私はそれを教わっていきます。まず「子育て講演」にて。男女問わず赤ん坊から老人に至るまで全て人間に共通する基本的欲求、満たされるべき欲求が愛情欲求と独立欲求。この2つが満たされると幸福です。しかし満たされないとこの欲求はどうなるか?化けるのです。深く他者を損ない自己もやがて深く傷つける邪悪な欲望へと。その欲望は決して満たされません。本体ではなく化けた欲望だからです。満たされない貪欲で際限ない欲望は巨大化し自らを、全てを飲み込む制御不能の怪物に化します。

竹下さんは「野心」と呼びます。名誉欲、支配欲、所有欲、権力欲、そしてその中心に位置する性暴力です。そしてやがて愛情欲求と独立欲求を含め欲望の根本にあるもの、それが性欲だと教えられます。

そこで初めて気づいたのでした。実はどうしても分からなかった「精神的な空白感、飢餓感」奥に隠れていたこれの本当の正体が「満たされぬ性欲」であったことに。これは私の視野に全く欠けていたので衝撃でした。しかし振り返り検証し考えてみると確かに「なるほど」だったのです。

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かんなままの「ぴ・よ・こ・とライフ」(7)母乳育児

かんなままさんの執筆記事第7弾です。 
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母乳育児
出産をしたら保育器に入れてガラス越し。時間になれば、看護婦さんが哺乳瓶を口に突っ込んでいく。
これは、子どもの将来に破壊的な影響を与えます。赤ちゃんが目覚めたらお母さんが隣にいないといけません。
あくまでも、生まれてくる赤ちゃんの要求を一番に叶え、それを与える出産の仕方をしないといけません。

出典:「ぴ・よ・こ・と」竹下雅敏(著)


お嫁ちゃんの初出産 〜産婦人科選び


初めて出産するお嫁ちゃんは実家の近くで一番人気の産婦人科を選びました。
事故が少ない、夫も分娩室に入れる、ぎりぎりまで仕事して頑張ってきた自分へのご褒美のために食事がおいしい、エステとマッサージがあるという理由で決めたようです。

私としてはいろいろアドバイスをしたかったのですが、生む直前まで働いていて伝えることができませんでした。まして、生むのはお嫁ちゃん。自分で決めるという事も尊重したいと思いました。

でも、おなかの赤ちゃんには「自分のタイミングで生まれてくるのよ」とメッセージを送り、無事を祈りました。


陣痛が始まったという知らせが来ました。
病院に行くとクリスマスのイルミネーションが豪華に輝いていました。

息子が分娩室から戻り、無事に生まれたことを伝えてくれました。ホッとしましたが、お嫁ちゃんは安静のために別室で面会謝絶。赤ちゃんは異常がないか観察するために丸2日間新生児室に預かるとのことでした。もちろん祖父母はウイルス感染予防のために近づくこともできません。


pixabay[CC0]



赤ちゃんの悲痛な叫び


しばらくして新生児室に運ばれた孫を窓越しに見ることができました。ガラス張りで明々とライトが付いた部屋です。他にもたくさんの赤ちゃんがいてあちこちで泣いています。看護師さんはどこにもいません。

孫はというと一番端で横顔しか見えません。何と泣きじゃくっています!私は胸が張り裂けそうでした。
生まれてすぐにママから離され、祝福してもらえるどころか泣いても誰も応えてくれません。この時期は特に感覚が覚醒していて母子ともに肌をふれあい匂いや声を確かめ、本能でおっぱいをまさぐる大切な時間です。そのことで赤ちゃんは安心してこの人生をスタートすることができるのです。ママもその刺激でおっぱいが出るようになり、子宮が収縮して体調も快方に向かい、赤ちゃんがかわいいと思えるようになるのです。

不安で泣き止まない赤ちゃん。手の届くところに赤ちゃんがいるのに抱けない辛さ。そのかわり案内された控室はおしゃれで現代アートの美術館の様でした。素敵な椅子に座り、私は悲しくて切なくてたまりませんでした。母体と赤ちゃんの強い一体感を切り離して管理する事を安全だと、はき違えている!怒りまで込み上げてきました。お嫁ちゃんにもっとお産のお話をするべきだったと大いに反省しました。

でも、伝えるのは難しい。医学の進歩で安全に生まれることが大前提になっているお産。病院の都合や親の都合で予定日が決められ、無痛分娩も人気です。年々帝王切開も増えています。病気入院ではないのでホテルのような豪華な食事、内装でお客様を集めています。生まれる赤ちゃんの事を大切にしていません。産科だからでしょうか?分業のなせる業?

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