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アフリカの文化
和辻哲郎さんの
アフリカの文化という本がある。
最も小さい子供から最も年長の老人に至るまで、その身ぶり、動作、礼儀などに、自明のこととして明白な差別や品位や優美などを現わしていた。王侯や富者の家族においても、従者や奴隷の家族においても、その点は同じであった。
フロベニウスはそこに教養の均斉を見いだした。上下がこれほどそろって教養を持っているということは、北方の文明人の国にはどこにもない。
が、この最後の「幸福の島」もまもなくヨーロッパ文明の洪水に浸された。そうして平和な美しさは洗い去られてしまった。
フロベニウスはそこに教養の均斉を見いだした。上下がこれほどそろって教養を持っているということは、北方の文明人の国にはどこにもない。
が、この最後の「幸福の島」もまもなくヨーロッパ文明の洪水に浸された。そうして平和な美しさは洗い去られてしまった。
青空文庫より
我が家の息子は、スポーツ好きなので
オーストラリア時代もここ、ドイツでも
アフリカ出身の生徒とサッカー関連で
友達になることが多かったのです。
息子曰く、
アフリカ出身の子は、優しいよ・・・
例えば、自分が、ジュースを買えば、
息子の分も一緒に買ってくれるとか・・
遊びに行くのを誘うと
誘ってもらったことに対して、お返しをしてくれるとか・・。
息子の友達は、マリ共和国出身。
あるとき、病院の待合室で
アフリカ系のお父さんと子供が座っていました。
なんと静かに座って待っているのでしょう・・。
アフリカの方は、とても紳士的で
物静かで、親切である・・という印象があります。
コシシケレリ・アフリカという、アフリカ全土で
歌われている賛美歌がある。同時に国歌でもある。
神よ、アフリカに祝福を(かみよアフリカにしゅくふくを、コサ語: Nkosi sikelel' iAfrika コシシケレリ・アフリカ)は、アフリカ各国(特にサハラ以南)で歌われている賛美歌。現在の南アフリカ出身のエノック・マンカイ・ソントンガによって、1897年に作詞・作曲された。この曲はパン・アフリカ主義に基づく解放運動を象徴する歌(アンセム)となり、のちに独立を達成した国家のうち数か国で国歌として採用された。2015年現在、タンザニアと南アフリカ共和国が国歌として使用しており、またザンビアの国歌はこの曲の旋律に異なる詞を乗せて別タイトルを付している。
とても荘厳で素敵な曲なのですが、
いかがでしょうか・・・。
虐げられ続けたアフリカ
また、リビアの真実について書いている方も
いらっしゃいます。
http://bossanovaday.hamazo.tv/e4223198.html
アフリカの500年にもわたる悲劇について
書いている方もいらっしゃいます。
http://rekisi.amjt.net/?p=1321
世界中を見まわして、
可哀想な国はアフリカではないか・・・
と思うことがあります。
これは、アフリカ人がやさしい人たちで
あったからではないかと・・。
19世紀後半から、ヨーロッパ列強が
アフリカ大陸を植民地化して、
はじめは、イギリス、フランスによる植民地化、
遅れて、ドイツ、イタリアが進出。
1990年までにアフリカの分割が完了しました。
アフリカ大陸を暗黒大陸と名付けたのは、
西欧社会がアフリカ大陸を未開、非文明で
あるとの偏見を故意に作ったためなのです。
16世紀から19世紀半ばまで
奴隷貿易が行われ、
奴隷商人がアフリカ大陸からアメリカ大陸に
黒人奴隷を送り込んだ貿易。
300年で1000万人を超える黒人が
アメリカ大陸に運ばれたのです。
アフリカ人は、プランテーションの労働力として
酷使されてきました。
そして、イギリスが最大の利益を上げたのです。
1884年から1885年にかけて、ベルリン会議が
行われ、アフリカ分割を国際会議で決定しました。
ドイツのビスマルクは、先に占領した国が
領有できるという先占権原則を定めました。
これによって、アフリカ分割競争に拍車が
かかったのです。
ベルギーのコンゴ領有では、ベルギーが
象牙、ゴムなどの収奪を行なったのです。
アフリカ大陸を植民地化して、
はじめは、イギリス、フランスによる植民地化、
遅れて、ドイツ、イタリアが進出。
1990年までにアフリカの分割が完了しました。
アフリカ大陸を暗黒大陸と名付けたのは、
西欧社会がアフリカ大陸を未開、非文明で
あるとの偏見を故意に作ったためなのです。
16世紀から19世紀半ばまで
奴隷貿易が行われ、
奴隷商人がアフリカ大陸からアメリカ大陸に
黒人奴隷を送り込んだ貿易。
300年で1000万人を超える黒人が
アメリカ大陸に運ばれたのです。
アフリカ人は、プランテーションの労働力として
酷使されてきました。
そして、イギリスが最大の利益を上げたのです。
1884年から1885年にかけて、ベルリン会議が
行われ、アフリカ分割を国際会議で決定しました。
ドイツのビスマルクは、先に占領した国が
領有できるという先占権原則を定めました。
これによって、アフリカ分割競争に拍車が
かかったのです。
ベルギーのコンゴ領有では、ベルギーが
象牙、ゴムなどの収奪を行なったのです。
参考: 世界史用語集 山川出版社
やはり、西洋社会は、帝国主義時代に
アフリカからいろいろなものを奪ったのですね。
そして、心やさしいアフリカの人たちを
奴隷貿易で300年ものあいだ、傷つけてきたのです。
ヤマ・ニヤマの霊律に違反しています。
世界中の人々が竹下先生ご指導のガヤトリー・マントラの
除霊と浄化の祈りを唱えて、
このような悲劇がおこらないように
することが本当に大事です。
私も早速、祈り方をダウンロードしまして、
毎日20分かけて、実行するつもりなのです。
竹下先生のガヤトリーマントラの説明と祈り方の方法は、
こちらになります。
https://shanti-phula.net/ja/smg/gayatri-mantra#i2
https://shanti-phula.net/ja/video/blog/?p=198
ドイツのベルリンに住んでおりますが、
私も豊富な教育プログラムとレベルが高い東洋医学セミナーを
生活の中に取り入れて、毎日楽しくすごしております。
教育プログラム
https://shanti-phula.net/ja/video/blog/
東洋医学セミナー
https://shanti-phula.net/ja/shop/products/detail.php?product_id=1387
引き続いて、
第8楽章のアフリカ人は心やさしい人たちをお送りいたします。
アフリカは、昔、緑豊かな国だったのに・・。
そして、文化が発達した国だったのに・・。