歴史の襞の中から3 ―「掌中の珠」より ―

 張勝植氏はその著書『朝鮮名は張基元…』のp67に、「徳川さんというのは、今の天皇家のこと」と記し、2019/04/01の記事で竹下さんは「皇太子は徳川の血筋」と指摘されています。
 現在の今上天皇が徳川の血筋ということであり、徳川の積年の願望が成就したというところでしょうか。徳川が「自分の血筋を天皇に」と動いたのは徳川慶喜の時からです。
 これは滝山氏の指摘ですが、慶喜は水戸の徳川斉昭と有栖川宮家の娘との子で「初めから皇族宮家の範疇」とのことでした。皇族宮家の人間でもある慶喜は「自分の血筋を天皇に」とする動機は最初から十分あったわけです。
 その動機に基づき、邪魔者になっていた大正天皇を拉致・軟禁したのでしょう。これで慶喜は玉(ぎょく)を手中にしたわけです。「自分の血筋を天皇に」の願望の成就にこれで近づいたことになります。
 しかし、ことはその慶喜の計算通りには行かなかった部分もあったのでした。
(seiryuu)
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歴史の襞の中から3 ―「掌中の珠」より ―



基本情報1 〜徳川慶喜に軟禁された大正天皇


  • 大正天皇がテロ襲撃によって頭に重症を負い記憶喪失に。その時期は1925年前後と思われる。
  • 襲撃され、負傷した大正天皇を匿ったのが西郷隆盛の家系の末裔。彼らは治療療養のため、同族の住む村に大正天皇を移送した(移送先の村の同族の名字は西郷と異なり瀧山姓)。
  • 西郷隆盛の同族の瀧山一族が住んでいて、大正天皇が移送されたのが富山県のある村。この村のとある寺に西郷隆盛は自分の子どもたちを預けていた。西郷一族の隠れ里であった様子。
  • ところが、この村に15代将軍徳川慶喜が既に移住していた。徳川慶喜は1913年11月22日に死去となっているがこれは偽装。この村に移住した慶喜一族は中田姓を名乗るようになり、慶喜の息子の徳川五郎右衛門は中田久松を名乗った。
  • 西郷隆盛の子どもたちが預けられた寺と目と鼻の先の近所に住んでいた徳川(中田)一族は移送されてきた大正天皇をすぐに発見。自分の屋敷に拉致・軟禁した。この間に昭和天皇が即位。
  • 大正天皇を軟禁した慶喜は昭和天皇に手紙を出し脅す。「自分の孫娘を嫁にしてくれ。さもないとお前の親の大正天皇はどうなるかわからんぞ」と。
  • 昭和10年(1935年)頃、大正天皇の病が癒えて記憶を回復。大正天皇は帰城を希望するが、部下の「殺される」との説得で断念。
  • 大正天皇はこの頃、長年の体調悪化もかなり回復。体調悪化の原因は、天皇時代12番目の若い側室が鉛を入れた飲み物を飲ませていたため、この鉛毒による可能性がある。
  • 一方、この頃に徳川慶喜は1935年(昭和10年)1月25日に死去。享年99歳。
  • 大正天皇は慶喜の息子・徳川五郎右衛門こと中田久松の弟として戸籍を作られ、この村に居住。
  • 大正天皇はこの村で妻子を得るが、その妻子もテロで死去。大正天皇家族の家屋に工作がされていて、住居が台風の際に崩壊しその下敷きとなって妻子が死去した。
  • 大正天皇は納屋の土間での藁ぶとんでの寝起き。口の聞けないのふりをさせられ、野良仕事などでの生活。
  • 大正天皇は中田久松たちと奇妙な共同生活をするが、中田久松死去後も存命。しかし中田久松死去後は、久松の息子にいびられ殴られの生活。
  • 中田久松には息子と娘の兄弟がいた。息子の名前は不明。娘の名前は中田志げ。志げさんが大正天皇の世話をしていた。
  • 大正天皇は久松の弟として、90歳の長寿の祝いを地元市長から授与されるが、その後1977年2月27日に、死体になって発見された。

滝山善一氏からの情報提供をもとに作成した系図
参考:時事ブログ 2015/12/2411/1311/15
Wikimedia Commons [Public Domain]
Wikimedia Commons [Public Domain]

大正天皇襲撃の指示者 〜実行犯は東京の西郷一族


ご隠居、大正天皇が襲撃されて頭部に傷を負って記憶喪失となった。全てはここから始まっているんでやすが、この大正天皇へのテロ、誰がなんの目的で? ご隠居はどうお考えで?

おっと、ヤブから棒だね。
そうだね。滝山氏は大正天皇へテロを仕掛けたのが誰かは聞いていないとのことだったが、他方「大正天皇は戦嫌いで、そのため天皇に選ばれた。」という旨も語られていたね。
いずれにしても、大正天皇が皇位にあっては邪魔な者たちがいて、彼らによってテロが計画され、襲撃が実行されたのは間違いないところにはなるね。

基本情報1h.にあるように、大正天皇は側室から毒をもられていたようでやすが、大正天皇が皇位にあっては邪魔な者たちは、禁裡の内と外にも相当数がいたようでやすね。

そうだろうね。
大正編 第14話に出ていたように、大正天皇が「西洋的な皇帝として君臨しようとした非常に頭の切れる野心的な人物」であったとしても、また滝山氏が言われるように、「世界戦争に反対する戦嫌い天皇」であっても、いずれにしてもこれが邪魔だった人物群がいるわけだね。

へい。
大正編 第14話にあるように、裏天皇グループ・八咫烏たちにとって大正天皇が西洋的な皇帝として君臨するのも許容できねぇし、軍事力による海外拡張路線を取っていた彼らにすれば、「戦嫌い」の天皇が皇位にあるのも都合が悪いって言うわけでやすね?

そういうことだね。
そして、大正天皇が皇位にあっては都合が悪いのは裕仁親王、つまり昭和天皇もそうだっただろうね。
裏天皇・堀川辰吉郎の指示を受けたものとは言え、実際に1921年国家間条約を結び、第2次世界大戦のあらましを約束したのは昭和天皇だったからね。
1921年国家間条約に反する戦争反対の動きを、皇位にある大正天皇が見せていたとしたならば、これはまずいことだっただろうさ。

1921年、イギリスの首相ロイド・ジョージらと会う皇太子裕仁親王
Wikimedia Commons [Public Domain]

ふーむ、既に第2次世界大戦の青写真が出来上がっていて、その計画を進めていくために、大正天皇の排除が急がれ、大正天皇への襲撃が起きた、こういうことでやすかね?
てぇことは、大正天皇襲撃を指示したのは堀川辰吉郎のグループもしくは昭和天皇ということで?
ふーむ、あっしは徳川慶喜と瀧山一族が端からグルで大正天皇を軟禁した事実から、大正天皇襲撃を指示したのは徳川慶喜じゃねぇかと思ったんでやすが?

いや、大正天皇へのテロとその後の展開を見れば、お前さんの見立てが間違っているわけでもないだろう。
2015/12/06の竹下さんの記事八咫烏のトップである12烏の系図を見れば、徳川慶喜が明らかに八咫烏の高位にいたことが見て取れるからね。徳川慶喜は八咫烏で裏天皇グループの一員だっただろう。

八咫烏 12烏(部分)の系図【竹下氏による2014年11月1日調べ】
参考:2015/12/06 時事ブログ

そしてね、実はこの大正天皇へのテロに関しては竹下さんから次の視点を頂いているよ。

昭和天皇、徳川慶喜がテロに関与し、瀧山一族ではない西郷一族が実行犯だった可能性があります。

んん❓ 昭和天皇と徳川慶喜がグルだった?
それにテロ実行犯が瀧山一族でない西郷一族?
…うーん、ちょと飲み込めやせんが?
基本情報1f.にあるように、徳川慶喜は大正天皇を人質に昭和天皇を脅してやすが?

ふむ、徳川慶喜と昭和天皇のことは少し後回しにして、テロの状況の方から洗い直してみよう。
滝山氏が聞かれた話によると、大正天皇は「時々城を抜け出して、市中見回りと称して遊びに出る癖があった」とのことだった。
状況としては、大正天皇が皇城を一人で抜け出して東京の街をフラフラさまよっていた時に襲撃を受けた感が強いね。襲撃犯は大正天皇の性癖・行動パターンをよく知っていた人間のはずだね。

ふーむ、襲撃時、大正天皇には厳重な警護がなかったわけでやすね。
しかし尾行して大正天皇を見守っていた人間たちもいたはずでやすね? で、その人間たちはテロの現場に遭遇していたはずでやすね。それが負傷した大正天皇を匿い、保護した東京の西郷一族ということになりそうでやすね。
ところがその西郷一族自身がテロの実行犯であったと?
ふーむ、「事件が起きれば第一発見者を疑え」は捜査の鉄則ではありやすが…。

先ず、少なくとも西郷一族がテロの現場にいたのは確かだろう。そして実際に、大正天皇の頭部に打撃を加えて負傷させたのは西郷一族の可能性が高いだろうね。
その理由だが、大正天皇襲撃は秘密行動だ。西郷一族以外のグループが襲撃したならば、西郷一族はそのグループと戦って大正天皇を保護したことになるだろう。
しかし、街中でこのような戦闘があれば目立って仕方ない。大正天皇を尾行していた西郷一族が頃合いを見計らって大正天皇を殴打・失神させ、その後介抱したと見るほうが理には叶っているだろう。

ふーむ、大正天皇襲撃が徳川慶喜の指示であり、暗殺目的ではなく拉致・軟禁であったとしたら、確かにそうであったように思えやす。
うーん、しかし昭和天皇の指示は?
そして昭和天皇への徳川慶喜の脅しの意味は?
徳川慶喜と昭和天皇はグルというわけではなかった?


大正天皇の拉致の目的 〜結果的には大正天皇を救出した拉致


うむ、そうだね。今日の話はあくまで全て推察でしかない。
その上で言うと邪推かもしれんが、昭和天皇は大正天皇襲撃・暗殺の指示を出したと思える。その指示は多分西郷一族にも向けられていたか、少なくとも西郷一族はその司令を把握していた。
西郷一族を通しその情報をキャッチした徳川慶喜が、改めて西郷一族に殺害ではなく、拉致のための襲撃の指示を出していたように思えるんだね。

えっ❓異なった内容の襲撃の指示?
ふーむ、昭和天皇の襲撃の指示は…暗殺でやすか、確かに指示した襲撃後も大正天皇が存命していたら昭和天皇にはマズイでやすね…。

そう、宮中で大正天皇に毒がもられていた可能性は高く、その意味で大正天皇暗殺司令は既に発動していた。宮中にあっても大正天皇の死期は近かっただろう。
しかし計画上、大正天皇の排除が急がれた。それで改めて襲撃・暗殺の指示が出されたと思えるんだね。

ふーむ、側室を用いて大正天皇に毒をもらせていたのも昭和天皇で?

それについてはなんとも言えないが、昭和天皇の周りにあったグループの指示のような気がするね。
それとね、暗殺の指示が出されたと思える西郷一族だが、彼らにしてもさすがに、仮にも正式に即位していた大正天皇を殺害するのは嫌だっただろう。祟られるかも知れないからね。

ふーむ、そうでやしょうね。
それで、この情報をキャッチしていた徳川慶喜からの拉致・軟禁の指示のほうに西郷一族は乗った、ということでやすか。こちらの襲撃は殺害ではなく失神させる程度の殴打でやすね。

あくまでも推測だが、そう思えるね。
他のグループによる大正天皇暗殺の襲撃の前に、西郷一族が拉致に出たのだろう。皮肉と言おうか、それで頭に重症を負って長期間の記憶喪失になったとは言え、襲撃を受け皇城から退出させられたので、大正天皇は命を永らえたのも確かだね。救出されたとも言える。

いや、確かに。
拉致・軟禁ではありやすが、記憶喪失で病状にあった大正天皇を、徳川慶喜は10年もの長期間に渡り面倒を見て、自宅で療養させたのも事実でやすからね。

そうだね。
明治編 第9話を見れば分るが、大正天皇は徳川慶喜にとっては玉(ぎょく)だ。掌中の珠ともいえるかな、大切で、利用価値から言えば最上級だ。
ま、幾分かは本当に大正天皇を救出しようとの気も含んでいたかもしれないがね。

で、大正天皇を囲った徳川慶喜が昭和天皇を脅迫したんでやすね。
しかし、何か腑に落ちないところが…。

晩年の徳川慶喜
Wikimedia Commons [Public Domain]

そう、徳川慶喜の脅迫はどうもあたしにも腑に落ちないのだが、先に昭和天皇へ出された慶喜の脅迫の手紙の実際を見てみよう。
滝山氏は次のように記されていた。

「お前の親は、わしが預かっとる。おらの(孫)娘嫁に貰うてくれ。~くれんなら、お前の親あ、かち殺いたるぞ~」
という荒っぽい内容だったそうです。~願いは、受理されました。

ふーむ…、
この脅しの手紙の内容なら昭和天皇に「自分の孫娘を正室にせよ。」のはずでやすね?
で、「願いは受理されました。」でやすね。
昭和天皇の后に慶喜の孫娘がなったんで?

いや、既に大正天皇が拉致される前だろう1924年に、昭和天皇は香淳皇后と結婚されている。
慶喜の孫娘が中田志げさんだが、中田志げさんが結婚した相手は上にある系図に出てくる石垣純二氏だ。

えっ❓慶喜の孫娘の結婚相手は石垣純二氏?
昭和天皇でねぇのに、いってぇなぜそれで慶喜は引き下がったんで?
慶喜の本当の目当てとは?
それに石垣純二氏とは?

そこなんだよ。あたしもそこが腑に落ちなかった。石垣氏のことは今日は置いとくが、天皇になる人間から比べればやはり全くの格下さ。
あたしは、慶喜は皇室に徳川の血を入れて乗っ取り、君臨するのを目的に大正天皇を手中にしたと思うよ。慶喜は水戸徳川と有栖川宮家の娘との子であったから、皇位継承権のことも熟知していただろう。
それがなぜ孫娘の結婚相手が昭和天皇でなく、石垣氏で手を引いたのかが謎だったのさ。お前さんと同じだよ。

そうでやすよね。
なぜ大正天皇を拉致・軟禁し、長年面倒を見て療養させたのか?分かりやせんや。

実は、この慶喜の脅しの件については竹下さんからコメントを頂いている。次のようにね。

大正天皇の拉致・軟禁に関与する瀧山一族が、分け前が少ないとして文句を言ったという所でしょうか。ケチって火炎瓶を思い出しました。

❓んん❓
分け前が少ないと怒った瀧山一族が叛乱を起こした?
慶喜にとって手違いが生じた?

そういうことだろうね。
あの脅迫の手紙は慶喜の筆ではなく、瀧山一族から昭和天皇に出されたものなんだろうね。
この手紙で事件の概要を掴んでしまった昭和天皇サイドが事態に対処できる体制を整え、それを察した徳川慶喜が痛み分けで手を引いたといっところかね。

なるほど❗
計算どおりにいかねぇのが人間の世界でやすね。

そうだね。
そしてもう慶喜は死去していただろうが、徳川サイドにとって最大の痛手が基本情報1k.大正天皇の妻子をテロで失ったことだろうね。
せっかく新たな玉を手中にしたのに、それが台無しなったからね。

そうでやすね。
ふーむ、しかし大正天皇と慶喜の一家は、そのあたりまでは案外と良好な関係だったような気もしやすね。


Writer

seiryuu様プロフィール

seiryuu

・兵庫県出身在住
・いちおう浄土真宗の住職
・体癖はたぶん7-2。(自分の体癖判定が最も難しかった。)
・基本、暇人。(したくないことはしない。)
・特徴、酒飲み。アルコールには強い。
・歯が32本全て生えそろっている(親不知全て)原始人並み。

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