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リハビリがはじまりました
さてさて、息子は2021年3月22日(月曜日)が医科大学病院最後の日となりました。ここから次はリハビリ病院に移動です。19日金曜日は、雪の降る寒い日でしたが、事前にリハビリ病院のチェックをしに見に行きました。森の中にある素敵な病院でした。事前チェックでは、遠回りしてバスで行ったのですが、なんと、ここは船でも行くことができることがわかったのです。(なんと、この場所は、私が以前から何度でも行きたいな・・と思っていた場所でもありました。この場所は、ベルリンの南仏カンヌ・・・と私が勝手に名付けちゃっている場所で、小さなヨットハーバーがあり素敵なんですよ・・実際に、ベルリン統治下時代は、イギリス統治下の場所でした。)
22日の月曜日には、息子からたぶん朝食後ぐらいに出発だから・・と聞いていましたので、私は病棟の下で待ち構えていました。医者に一緒に移動できますか?なんて聞くのも野暮なものです。しれっと乗り込めばいいのです!配送車の方が乗ってはいけないなどと言うはずがありません! もちろん、乗ってもいいよ・・と言われて、乗り込みました。
そうそう、日本では退院する時に、お世話になった医師やスタッフの方々にちょっとしたお菓子を配るという習慣もあるかと思いますが、事前に息子にみんなどうしているかな?と尋ねて、チョコレートとか渡しているかも・・と言っていたので、お世話になったスタッフのためにと思い、受付にチョコレート詰め合わせを渡しました。コロナ禍で面会ができないところを見て見ないふりをしてくれていたことに感謝して・・♡
配送車でリバビリ病院に到着! もう、受付などは、息子自身でできますので、私は待っていました。しかし、この時期はまだ、ロラートアーに支えられてしか、歩くことができなかったのです。いつになったら、自力で歩けるようになるのでしょうか・・。
さて、森の中のリハビリ病院での生活がはじまりました。空いている時期だったのか、4階のV I Pルームになったと、息子が喜んで写真を送って来ました。コロナ期で旅行も行けない時期、木製の落ち着いたペントハウスのようなお部屋でいいじゃない・・と言っていました。私は、最初は着替えとお弁当を持って毎日届けることにしました。部屋まで入ることはできませんでしたが、1階の受付付近で荷物を交換していいとのことでしたので、顔を見ることができましたし、少しだけ話をすることもできました。リハビリ生活では、毎日リハビリのスケージュールが決まっていて、朝から夕方まで最初は結構大変だったようです。体力を戻すために必要なのでしょうね・・。
また、我が家は前回の引っ越し時にテレビを捨ててしまいましたので、家にテレビがない状態。息子はリハビリ中にテレビを見ることができると・・夜遅くまで楽しんだようですよ・・
1日のリハビリスケージュール
ある日のリハビリスケージュールを記載してみます。
7時半 朝食
9時-10時 足の筋力ジムトレーニング
10時-11時 自力で歩く練習 真ん中に机があり補助しながら
11時-11時半 手を動かす練習
12時 昼食と休憩
13時半-14時 足の電気マッサージ
14時-15時 上から吊るされて歩く練習
17時 夕食
9時-10時 足の筋力ジムトレーニング
10時-11時 自力で歩く練習 真ん中に机があり補助しながら
11時-11時半 手を動かす練習
12時 昼食と休憩
13時半-14時 足の電気マッサージ
14時-15時 上から吊るされて歩く練習
17時 夕食
病院側から提供されたサプリメント
- 葉酸 毎日朝に
- ビタミンD 月曜日のみ
- ビタミン12 の注射 火曜日のみ
だんだんと1日おきになりましたが、最初は、毎日お昼の11時半過ぎに息子と約束をして、受付前で荷物とお弁当を渡していました。コロナ期でしたので、長くゆっくりと話すことはできませんでしたが、皆さんの様子を見ていると、お散歩ついでに外へ出て、車で来ている家族と会って、車の中で話している方なども見ましたね・・。皆さん工夫されて家族と会っているのですね。また、面白いのが、病院のガラス越しで、顔を見ながら、携帯で話している方もいました。病院側には、車椅子に乗ったおじいさん、外側には、娘さんがいて、顔を近くで見ながら、ガラス越しで携帯経由で話しているのですね・・コロナ時代と携帯電話の利点を組み合わせた光景でした・・病院側もこれなら長時間話していてもOKなのですね・・。
二酸化塩素をペットボトルに入れて持っていく!
さて、リバビリがはじまってから1週間ぐらい経った頃でしょうか・・。二酸化塩素を息子にうがいから試してもらうことにしました。前半で書きました、パータさまからのご教示通りに二酸化塩素、コロダイルシルバーを3月23日に早速注文しましたので、両方が3月27日頃に家に届きまして、1週間ぐらいは私が実際に二酸化塩素を試していました。息子にどのように渡せばいいかと思いましたが、まずは、ペットボトルに入れて手渡すことにしたのです。
二酸化塩素 photo by ユリシス
飲んでもいいと思いながら、うがいをするように指示しました。その後1日おきに行くようになりましたので、2本の二酸化塩素入りペットボトルを渡すようになりました。4月5日ごろから渡しました。
その後ですね・・。息子が「疲れがなくなってきた、力が出て来た・・」とWhatsappの連絡に記載していたのです。4月10日ごろから元気が回復してきたと記憶しています。息子は、医学大学病院でのグロブリンが効いて来た頃なのでは?と言うのですが、私は、二酸化塩素をうがいでもいいので、身体の中に入れたこと・・これで良くなったのでは・・と思っています。
https://shanti-phula.net/ja/social/blog/?p=311097
2ヶ月のリハビリを終えて・・
3月23日から6月4日までリハビリ入院をしていたことになります。退院時は、まだ、ロラートアーの補助が必要でしたが、体力を回復して、ほぼ大丈夫な状態で退院することができたのです。息子によると、ギランバレーの進行は、足から、手の薬指、小指の末梢神経まで進んでいましたが、回復する時は、逆に回復順序を辿ったようで、最初に手の末梢神経が回復して、それから足の神経が回復していったのです。ですので、早めに気がつけばつくほど、回復期間も短くて済むということですね。医者からは、退院しても、ビタミン12の注射は毎月近くの病院でしておいてね・・とのことでした。
私は、1日おきにリハビリ病院に着替えとお弁当などを持って息子に会いにいったのですが、毎回船に乗り、横目にヴァンゼー会議の場所を見ながら、ヨットを見ながらの小旅行は楽しかったですね・・
退院してからは、最初の頃は、歩くために、つま先と足首を繋げてつま先をあえて持ち上げる装着をつけて歩いていましたね・・。それも徐々に必要なくなりました。ロラートアーも最初の1週間だけ、念のためにだけで、2週間後からは、念のためにステッキだけ持ってお散歩をしていました。ステッキをどこで使うのかというと、段差があるところで、使っていましたね・・。
お散歩も、家の周りを1キロぐらい歩くことからはじめて、最初は最後の方では足がふらふらになったようですが、毎日歩くことでだんだんと筋力が増していくのですね・・。私も一緒に歩きましたので、普段あまり動かない私の運動にもなったのです🤣
シャンティ・フーラの時事ブログの情報は世界最高峰なので、情報を知ったらすぐに動き出すこと!前回同様、今回も大事なところなので、掲載したいと思います。ご教示いただいたように、息子の場合は、うがいでもいいので、4月6日頃から二酸化塩素を身体に取り入れたことがよかったと感じています。
泰子さま、竹下先生から掲載の許可をいただきました。
(一部省略をして記載いたします)
ユリシス様
いつも時事ブログにご協力いただき、また、夫の生き方に賛同してくださり、大変感謝しています。
ドイツで、心細く過ごされていなければいいな、と思っています。
ギランバレー症候群の情報は以下の時事ブログの記事の表の中に載っています。
https://shanti-phula.net/ja/social/blog/?p=266149
記事の表には載せていないのですが、一般的にも言われているように、ギランバレー症候群はウィルス感染が引き金で発症するらしいですが、夫は、ギランバレー症候群の原因はウィルスであると以前より調べておりました。
(夫はギランバレー症候群のことを知らずに、色々な項目を調べます)
それで、ウィルス感染を念頭に対応するのが良いと感じています。
夫が、ユリシスさんの息子さんについて、調べてみました。
息子さんのドーシャはピッターピッタだそうです。
ですので、ウィルスに対して最も効果的なのは、二酸化塩素(ドーシャが月のヴァータ)の服用になります。
次点で、カファドーシャのコロイダルシルバーを用いるのが良いかと思います。
服用量等、ユリシス様の直観、息子さんが必要とする感覚に頼っていただけたらと思います。
ガヤトリー・マントラも使ってくださいね。
早期に回復できることを願っております。
P S:泰子さまは「イベルメクチンも効くのかな」と追加しておられました。
いつも時事ブログにご協力いただき、また、夫の生き方に賛同してくださり、大変感謝しています。
ドイツで、心細く過ごされていなければいいな、と思っています。
ギランバレー症候群の情報は以下の時事ブログの記事の表の中に載っています。
https://shanti-phula.net/ja/social/blog/?p=266149
記事の表には載せていないのですが、一般的にも言われているように、ギランバレー症候群はウィルス感染が引き金で発症するらしいですが、夫は、ギランバレー症候群の原因はウィルスであると以前より調べておりました。
(夫はギランバレー症候群のことを知らずに、色々な項目を調べます)
それで、ウィルス感染を念頭に対応するのが良いと感じています。
夫が、ユリシスさんの息子さんについて、調べてみました。
息子さんのドーシャはピッターピッタだそうです。
ですので、ウィルスに対して最も効果的なのは、二酸化塩素(ドーシャが月のヴァータ)の服用になります。
次点で、カファドーシャのコロイダルシルバーを用いるのが良いかと思います。
服用量等、ユリシス様の直観、息子さんが必要とする感覚に頼っていただけたらと思います。
ガヤトリー・マントラも使ってくださいね。
早期に回復できることを願っております。
パータ
P S:泰子さまは「イベルメクチンも効くのかな」と追加しておられました。
また、これも大事なことだと思っているのですが、シャンティ・フーラの時事ブログでは、2020年の夏頃から、イベルメクチンの情報が出ていて、個人輸入の方法も書かれていました。私も最初にインドからの個人輸入を調べたところ、インドからドイツに直接送ることができないとわかりましたので、そこで、この情報から先を調べることをしなかったのですね・・。ホメオパシーで対処できるかな・・と思っていて、ここが甘かったですね・・反省点なのです! ここで、イベルメクチンを入手する方法をさらに調べていれば、そして、2021年の最初に息子と一緒にイベルメクチンを飲んでいれば、もしかして、FFPマスクの酸化グラフェンの影響をまぬがれていたのかもしれない・・と思うと、ちょっと悔しさが残ります。ここでの学びは、シャンティフーラの情報は半年、1年と進んでいますので、すぐに動くことです。今では、食糧難へ向けての備蓄ですね!
ですので、この時は遅ればせながら、この時点でイベルメクチンをドイツで購入できる方法をネットで探し始めましたね・・処方箋がないと購入できないサイトばかりでしたが、さらに調べると、あるものなのですね・・なぜかシンガポール経由で値段が高かったのですが、オンラインで購入できるところがありましたので、すぐに購入しました。
この購入があまりにも高いので、ある程度経ってからは、インドから日本に100錠のイベルメクチンを送り、日本からドイツに送ってもらうことができたのですが、(以前に書きましたが、ドイツに薬を送ることができないのですが、なぜか主人が書類と書いていて送り、受け取ることができた出来事もありました・・)
歩くことができなくなるとは、どういうことなの?
息子は、4月、5月と徐々に体力を戻して、歩けるようになっていきました。退院は6月4日でしたので、(居心地が良かったので2週間延長したそうです・・)2ヶ月の間、リハビリ生活を送ったことになります。退院した時、家に帰って来てすぐは、まだロラートアーで近所まで買い物に行きましたね・・人々の目線や視線がよくわかりましたね・・若いのになぜロラートアーを使っているの??という視線を私も隣にいてヒシヒシと感じました。
息子がギランバレーという自己免疫疾患になり、歩けなくなったことで、人間は歩けなくなるということがあるのね・・・ということが私の人生ではじめての学びでした。足先、つま先に神経が届いていなく、足先、つま先が動かない場合は、歩けなくなるのですね・・。私は起きるとすぐに、つま先で歩いたり、家の中でもつま先立ち歩きをよくする方なので、(つま先立ち歩きは検索すると、脳の活性化や不調を治すとあり、私自身の経験ではおすすめです・・)土踏まずがしっかりとできている足型なのですが、息子は主人からの遺伝なのか、土踏まずがあまりないベタッとした足型なのです。
息子の場合、最初は腓骨神経の問題であると言われた通りに、つま先が動かなかったのです。つま先が動かないということは、歩けないということなのです。今まで歩くこととつま先の関係を意識したことがなかったですね・・。人生最後まで歩くことができないと、買い物もできない、自分のこともできなくなります。歩くことが一番大事なのかもしれません。2022年の6月の今の時点でも、息子は時々、自分のつま先を見て、動いているな・・と確認しているのです・・笑
ドイツの病院の診断結果と情報開示
6月4日にリハビリ病院を退院してから、以前の医科大学病院からも、そして、リハビリ病院からも、実施したすべての検査結果の詳細が送付されて来ました。このすべての検査結果が送られて来たことに対しては、私の父が、日本では検査結果などは送られてこないので、ドイツはきちんと開示しているな・・と言っていました。
しかし、どこにも、最終診断には、ギランバレー症候群であるという記載はなかったのです!最初にアフガニスタンの医師がギランバレー(GBS)の疑いと書いただけです。ギランバレー症候群であろう・・と推測して、治療が行われたものと思われます。
私は、今後息子がワクチン接種を逃れていくためにも、ギランバレーであると書かれた診断書の証拠が欲しかったので、送られてきた診断書をずっと見ていたのですが・・
最終診断としては、このように書かれていました。
- 急性運動軸索神経障害(A M A N)
- シェーングレン症候群の可能性もある
最近は、軸索神経障害(A M A N)もギランバレー症候群と考えられ始めて来ましたが、主に本当のギランバレー症候群は、(第113楽章にも書いたように、もう一度下記に記します)有髄神経の髄鞘がはがれてしまう脱軸型だったのです。
欧米人のギランバレーは、ほとんどが脱軸型で、西洋人は多発神経症の方が多いそうです。中国を中心にアジアでは、軸索障害型が多いのです。ある年には、中国で軸索型ギランバレーが爆発的に増えたらしく、2019年には、ペルーでギランバレーが流行ったそうです。このギランバレーの原因がウィルスであるとのことを考えると、中国やペルーでばら撒かれたのではないでしょうか・・・と思ってしまいます。
二番目にシェーングレン症候群の疑いの可能性と書かれた件については、息子によると、逃げ道確保かもね・・と言うことで、シェーングレン症候群という、リウマチ系の病気を加えておくことで、間違えた時の対処方法を広げておくのかな??・・なども言っていました。
1.A M A Nなのか・・、A M S A Nなのか・・
ちなみに、息子は、運動神経の軸索が障害される軸索障害型(A M A N)の方でした。
『末梢神経は軸索(じくさく)という電気を伝える中心部分が髄鞘(ずいしょう)という鞘で包まれている有髄神経と、髄鞘に包まれていない無髄神経とに分けられます。ギラン・バレー症候群の病態は有髄神経の髄鞘がはがれてしまう「脱髄」(だつずい)が主体と考えられてきました。しかし、近年、脱髄が主体のギラン・バレー症候群とは違い、軸索障害が主体のギラン・バレー症候群があることが分かりました。現在は、脱髄型も軸索障害型も含めてギラン・バレー症候群といいます。
脱髄型はAcute inflammatory demyelinating polyradiculoneuropathy(AIDP)と呼ばれ、軸索障害型は、運動神経の軸索が障害されるacute motor axonal neuropathy(AMAN)と、感覚神経の軸索も障害されるacute motor sensory axonal neuropathy(AMSAN)の2つに分けられています。』
脱髄型はAcute inflammatory demyelinating polyradiculoneuropathy(AIDP)と呼ばれ、軸索障害型は、運動神経の軸索が障害されるacute motor axonal neuropathy(AMAN)と、感覚神経の軸索も障害されるacute motor sensory axonal neuropathy(AMSAN)の2つに分けられています。』
ちなみに、息子は、運動神経の軸索が障害される軸索障害型(A M A N)の方でした。
ギランバレー症候群についての情報とワクチン接種の副反応として・・
ワクチンを接種した場合の副反応としてのギランバレーは、脱軸型の方ではないでしょうか・・。脱軸型だと、足が完全に麻痺していて、触れても感覚がないそうです。息子によると、息子は、軸索型だったので、足が動かなかった時でも、皮膚の感覚はあったそうです。脱軸型と軸索型の違いは、触れて感覚があるか、ないか・・の違いだそうです。
最近は、ワクチン接種でギランバレー症候群になる方も増えているようです。息子のリハビリ中に、たぶん、2021年の4月の時期なので、たぶん欧州でのアルトラゼネカのワクチン接種をしてギランバレーになってしまった60代ぐらいの方が、息子を見て、ギランバレーですか?と話しかけて来たそうですよ・・。日本でも、ワクチン接種後にギランバレーになる方が増えているそうです。
またまたワクチン接種者に朗報:
— You (@You3_JP) June 16, 2022
カナダでワクチンを接種してわずか数日後にギランバレー症候群を発症し、腰から下が完全に麻痺した人が、ワクチンのせいで障碍者になったと認定され、ワクチン傷害補償が受けられることになった。pic.twitter.com/yruUIwKQFe
字幕by連新社 https://t.co/UShrJnL7Em
まとめと最後に・・なぜ、息子はギランバレーになったのだろう??
息子はなぜギランバレーになったのだろう?と私はよく考えます。ギランバレーの原因はウィルスである・・ということを竹下先生からご教示いただきましたので、考えてみるとやはり、2021年の1月25日からドイツの学校ではじまったFFPマスクの義務化がギランバレー発症のトリガーになったのでは・・と思ってしまいます。ギランバレーになってしまった基盤としては、今までのワクチン接種、311の初期には首都圏にいたことが考えられ、また、ドイツに来てからのドイツ語で学んでいくことのストレスなどもあったことと思います。1年前くらいから、息子の友人も、息子もですが、過敏性腸症候群の傾向がありましたので、これももしかしてきっかけになったのかもしれません。息子の友人がアフリカ旅行から帰国後に、過敏性腸症候群になり、その後に、息子も似たような症状が出ていたのです。
しかし、息子のギランバレーのおかげで、ワクチン接種を逃れることができたとも言えるのです。学校の先生から、ワクチン接種をするようにという何気ない圧力があったと聞いていますが、我が家はギランバレーなので、先生の方も仕方がない・・という雰囲気になっていたようです。息子は、学校で先生からのワクチン接種への圧力を感じていたようです・・。
しかし、竹下先生の映像配信では、思春期は挫折する時代である・・と学びましたので、これを息子に伝えましたし、ギランバレーになったからこそ、何か良い方向に向かうことができた・・などが今後たくさん出てくると思いを馳せます。実際に、息子は、ギランバレーになってから、ガヤトリー・マントラの除霊と浄化の祈りが大切であることに心から気がついたことと思います。息子にガヤトリー・マントラの除霊と浄化の祈りをさせるために、ギランバレーになったのだ! これで決まりですね・・。
先日、息子はドイツの最終試験アビトウアの最終合格を確認して、やっと落ち着きました。これを主人に伝えたところ、こちらの記事がリンクされ、返信が来たのです。「筆記試験5時間!ドイツのエリート教育の中身」というタイトルは、いかにも日本人が興味を持つ表現。ベルリンで見ている限り、生徒のほとんどはエリートという感覚を持っていないと思いますし、(ある一部の医学部、法学部狙いの方はいると思いますが・・)日本人の価値観から見るとそうなっているだけだと思ってしまいます。エリートとか、才能とか・・など、パワー志向の言葉が日本ではやたらと使う傾向があります。
本日もそういえばまだ視聴していなかったな・・と2006年の映像配信を拝見していて、竹下先生はもうこの時代からパワーを求めてはいけない、思い通りに生きるや願望成就、チャネリングなどの間違いを指摘されているのですね・・。2022年の食糧難目前の時代になっても、日本ではまだまだ多くの方がパワーや才能を求めているようです・・
2011年の311をきっかけに、私は首都圏の被曝を避けるために、息子を連れて海外に出たのですが、最初にアメリカのシアトルに行ったことがよくなかったのでしょうか?福島の風は、太平洋からシアトル方面に流れたと当時ツイッターでも騒いでいました。シアトルでは、9000キロも離れているので、日本にいるよりはずっとマシよ・・という話もしていたのですが・・。シアトルといえば、スターバックスの発祥地。映像配信で学んだ悪霊セイレーンのことも知らずに、海沿いのスターバックス1号店に行き、緑色ではなく、オリジナルのえんじ色のマグカップをお土産に購入して喜んでいた時代・・・あれから10年以上経過して・・
第113楽章では、ギランバレーの体験談の前半を書きました。今回は、後半です。